第130話 後続部隊の戦い
時は少し遡る。
リアンたち突撃部隊を送り出したディラードは、集落から少し離れたところで仲間たちと待機していた。
彼らの役目は主に二つ。外部から集落を観察し、もし罠であれば救援部隊として駆け付ける。逆に奇襲が成功したならば、討ちこぼしをなくすために追撃部隊として攻勢に出る。どちらにしろ、何があってもいいように警戒し続ける必要があった。
そしてその後続部隊の中には「聖女」フィリアに、その護衛である「不死鳥の翼」の三人の姿もある。
当然と言えば当然だが、危険な突撃部隊の中にフィリアが含まれることはなかった。しかしそれは決して足手まといだからというわけではない。
むしろここからはフィリアの肩に大勢の命がかかっていると言っても過言ではない。戦闘が激化すれば、フィリアの聖属性魔法は継戦に多大な貢献をすることになるだろう。ゆえに彼女を危険な場に向かわせることはできなかった。
フィリアは自分の肩にかかる命の重さに押し潰されぬよう抗っていた。ここから先は文字通り、彼女の行動次第で助かる命と助からない命が出てくるだろう。無論、すべてを助けるつもりではあるが、そのためには迅速な治療ができなくてはならない。
フィリアの心を苛んでいるのはそれだけではなかった。ここにいるかもしれない、大切な人の安否。たとえ他のすべてがうまくいったとしても、彼が助からなければこれまでやってきたことのすべての意味を失ってしまう。
戦いの後、もし彼の遺体が見つかってしまったら――そんな想像をするだけで顔が青くなりそうだ。
フィリアは首を横に振って嫌な想像を振り払った。
そして――ついにその時は来る。
「な、なんだ……!?」
集落から突然響き渡った濁った音。それは瞬く間に拡散していき、数秒後には耳を覆いたくなるような騒音へと変わっていた。
「やはり、そう簡単にはいかぬようですなぁ……」
ディラードはそう零し、即座に決断する。
「これより我々は「勇者」リアン殿の下へ救援に向かいます! 突入は原則信号を待ちますが、場合によっては私が突入の指示を出すことにもなるでしょう。決して聞き逃すことのないように――」
「あ……!」
周辺の人間に指示を出しているときだった。誰かが空から飛来する巨大な影に気づき声を漏らした。
それはまっすぐに集落の中心に落ちると同時に、大きな墜落音と風圧がこちらにまで届く。
「ッ……もはや一刻の猶予もありませんな……出陣!」
明らかに異常な事態が発生していると確信したディラードは、細かな指示出しもそこそこに自ら先陣を切って進みだした。
他の騎士や冒険者もただ事ではないと嫌でも理解しており、厳しい顔つきで彼の後に続く。
「こ、これからどうなるの?」
物々しい雰囲気に不安を感じたカナリアが小声でアルバートに訊ねた。
「やることは変わらないよ。俺たちはフィリアさんを守る。そしてイオを見つけて助けるんだ」
「そ、そうね……ふぅ、腹はくくったわ」
なんだかんだでここまであまり戦闘に加わっていないカナリアである。リアンたちなら順調にやれると思っていたところに危機を匂わせるこの状況は彼女の心を乱したが、一切揺らがないアルバートを見て当初の覚悟を思い出した。
危険があることなど鼻から承知。そんな冒険を冒してなお、いち早くイオの無事な姿を見たいと望んだのだ。
不安を感じていたのはルーも同じだったが、彼女も泰然としたアルバートの様子に心を落ち着ける。自分にできることなど高が知れている。ならば未熟なりに全力を注ぐだけである。
ここで迷いに捕らわれ続けない程度には、二人も実力を身に着けている。それどころかまだ成長途中であるがゆえに、ここに至るまでに見てきたことも着実に自分の一部としていた。
さらにアルバートの決意表明は傍でそれを聞いていたフィリアにも影響を与えていた。
(……そうですね。いくら考えたところで私のやることは変わらない。私は皆さんの怪我を治し、そしてイオさんを見つける)
この時ディラード率いる後続部隊は、それぞれ目的にわずかな差はあれど大枠の意志は共有していた。足取りは一糸乱れぬものとなり、皆一丸となって向かうべき道筋を見据える。
しかし、だからといってすべてがうまくいくわけではない。彼らの進行を阻むようにして集落から大量の敵が表れたのだ。
「なっ、ゴブリンだと!? なぜこんなところに!?」
「今は倒すことだけに集中しろ! 所詮はゴブリンだ!」
人魔が救う魔境にはおよそ不釣り合いな魔物の登場に戸惑いつつも、彼らの行動は迅速だった。迫りくるゴブリンを魔法で吹きとばし薙ぎ払い、武器で切り裂き貫く。ゴブリン程度の魔物に後れを取るような戦士はここにはいない。
だがそれも小さな群れならの話だ。群れどころか軍隊のようにあふれ出してくるゴブリンたちに、さすがの彼らも進行を阻まれずにはいられない。
「一体どこからこれほどのゴブリンが……!」
「これでは進むことができません!」
掃いても掃いても勢いの衰えないゴブリンたち。むしろ疲労で鈍りつつあるのは人間側の方だった。
こうなったのは殲滅能力の高い面々が突撃部隊の方に組み込まれたからであった。ヴァナヘルトやアストラを初め、一発で形勢を変えられる能力の持ち主を欠いていることは思いのほか影響が大きい。
「この動き、統率者がいますか……」
ディラードは恐れも知らず向かって来るゴブリンの様子に、これらを操る上位種がいることを悟った。「嘆きの跡地」の中腹を越えたこの場所で生息できている時点でそう思い至るのは自然なことだ。
「アルバート殿! お願いできますか!」
「いけます! 『豊穣の炎蛇』!」
ディラードはアルバートの魔法を頼った。それを受けて魔石を使った全力の魔法が展開される。
もちろんディラードにも規模の大きな魔法は使えるが、どちらかというと彼の魔法は守り向きであった。今回は一秒でも早くリアンたちの下へと駆け付けなければならないので、攻撃性の高い火属性であるアルバートを適任だと考えたのだ。
「豊穣の炎蛇」は早速陣形を展開し始める。前方から大量に攻め来る敵を遮り、味方に少しでも息の休まる時間をつくる。
またそれと同時に小さな炎の蛇が流れるようにゴブリンに襲い掛かり、その濁った緑色の肌を焼き焦がしていく。ゴブリン程度なら個々の力が弱い「豊穣の炎蛇」でも十分に決定打になり得た。
形勢が逆転したことで安堵の息をこぼす彼らであったが、まだ劣勢を脱したわけではなかった。
「ぎゃっ!?」
「うおっ!」
炎の守りの穴であった頭上から大量の矢が降り注ぎ始める。矢といっても木を鋭く削っただけのお粗末なものだったが、注意力が落ちていた数人は顔や肩に傷を負っていく。
「フィリアさんっ!」
「きゃっ」
ルーが「飛沫の鞭」でフィリアの頭上から襲い来る矢を打ち払った。護衛に専念していたためにわずかな危険も見逃さない。
「カナリア!」
「任せて!」
アルバートに名前を呼ばれ、カナリアはその意味をすぐに理解する。上空に暴風を設置すると矢は狙いを逸らされてあちこちへと飛んでいった。
「ゴブリンアーチャーですか。この様子ですと相当な数が潜んでいるようですな」
「ディラードさん、視界は広く確保した方がよさそうですね」
「そうですな。守りは私が受け持ちましょう。アルバート殿は攻めに専念してください」
「聖騎士」であるディラードほど守るという言葉に信を置ける者はいない。アルバートは守りにつかせていた炎の蛇を散らせ、攻めの陣へと変更させた。
改めて開けた視界を見渡すと、前方一面ゴブリンだらけである。木の上には弓を構えたゴブリンアーチャー。木剣と盾を携えたゴブリンナイトに、それらを率いるゴブリンリーダー。そして通常のゴブリンよりも強いゴブリンソルジャーの姿も多数みられる。
ゴブリンは広く分類わけがされているが、厳密にはそれほど差があるわけではない。特定の武器を使用できる知能を携えた個体を上位種としているだけであり、武器を取り上げればEランクのものとほとんど変わらない。
ゴブリンリーダーも統率力を持っているためにやや危険視されているが、率いる仲間がいなければただの体格のいいゴブリンである。無論、多少強くなったところでアルバートたちの敵ではない。
だが最奥でふんぞり返っている個体だけは違った。ゴブリンに担がせた神輿に座すそれは、瞳に確かな知性を光らせていた。
「ゴブリン、キング……」
ゴブリンの中でも頂点に分類されるAランク。それがゴブリンキングであった。
その脅威的な特徴は、同族に対する絶対服従。働けと命じれば倒れるまで働き続け、潜伏しろと命じれば解消されるまで声ひとつもらすことはない。当然、死ねと命じれば逆らうことはできない。
ゴブリンキングが率いるだけでただのゴブリンでも恐れを知らぬ死兵となる。いや、恐れを感じはしてもそれを理由に逃げることはない。自分の命を犠牲にしてでも敵を殺そうとするだろう。
強敵の出現に警戒心を高めるディラードたちに向けて、ゴブリンキングが口を開いた。
「ギギャクギョギャ!」
その言葉の意味するところは分からない。だがゴブリンキングの声を聞いた途端、周囲のゴブリンたちは敵意を全面に押し出してきた。
「アルバート殿!」
「はい!」
アルバートは「豊穣の炎蛇」を操ることでそれに対抗する。手数が足りない彼らにとってアルバートの魔法は重要な手札である。ディラードを初め、騎士たちはアルバートの周りを固めて彼を支援する。
それでもなお、数では劣っていてぎりぎりの均衡を保った戦いとなっていた。
一方で奮闘する人間達を眺めながらゴブリンキング――人魔ブロスティーはほくそ笑んでいた。
「……お前らをこの先には行かせねえだよ。オラもティアやリュビオスに負けてられねえからな」
ブロスティーが独白する間にもゴブリンたちは着実に数を減らしている。彼は配下の死にほとんど感じるところがなかった。心から愛する家族を守るためならこの程度の犠牲は覚悟の上なのだ。
ブロスティーは他の人魔と比べて凄惨な過去を抱えているわけではなかった。人間だった頃は田舎の農民として細々とした暮らしをしており、無属性に関しても肩身の狭い思いをしていたくらいの差別しか受けていない。
そんな彼が人魔となった理由は単純だ。ただ見惚れたである。果てしない夢を追いかける「魔女」ティアの姿に。
それは不純な動機だったかもしれない。だがそこにかける思いは本物だった。何の力も取り柄もなかった彼は見事〝儀式〟を成功させ、醜いとも言えるゴブリンの王と姿を混ぜ合わせた。
その後、見事「魔女」と結ばれ一時は幸せな時を過ごす。差別のない、温かみにあふれた暮らし。
しかしそれは儚くも砕け散ることとなる。
今もブロスティーは楽しかった五〇〇年前の記憶をありありと頭に思い描くことができる。それもそのはずで、彼らにとって当時の出来事はまだ一年ほど昔のことでしかないのだから。
突然未来へ飛ばされ、目覚めた世界でもこうして命を狙われる日々。人魔となった当初はそれほど世に対して思うところのなかった彼も、ここまでされれば深い恨みを持つというもの。
「人間……ティアは絶対に殺させねえだよ。死ぬのはお前らだ」
瞳に憎しみをたぎらせながら、ブロスティーはある人物へと合図を送った。
「天の癒し」
フィリアは最後方に控えつつもそこから騎士や冒険者たちの回復に努めていた。本来なら聖属性魔法を使う際はかなり近づかなくてはならないのだが、その問題は彼女のもつ「浄魔の聖杖」によって解決していた。
初代「聖女」が使っていたこの魔道具は、聖属性魔法の射程距離や効果範囲を上昇させる効果があった。
とはいえ、それも本来の使い手と比べると雲泥の差。初代「聖女」であるクルセリアは、視界に入ってさえいれば対象を治療することができた。
クルセリアによって窮地を脱した回数は数えられぬほどであり、逆に人魔は何度も煮え湯を飲まされた。ゆえに彼らは「聖女」に対して強い警戒心を抱いていたのだ。
(……あれ?)
ふとフィリアは視線の端に何かがよぎったような気がした。ゴブリンとの戦いが繰り広げられているのはもっと前方であり、彼女のところにまで敵は辿り着けていない。
そのため動くものがあったとすればそれは新手か、あるいは見間違いなのだが――。
なぜか強い興味を惹かれたフィリアは二歩ほど横に移動した。なんとなくその正体を確かめなくてはならないという気持ちが抑えきれなかった。
本来ならこれはありえない現象だっただろう。フィリアは誰にも相談せずに行動を起こすほど愚かではない。
しかしこの時の彼女は違った。何かに急かされるように一歩、また一歩とその場を動いて行く。なぜか護衛であるはずのカナリアやルーはそのことに気づいていなかった。
彼女らはまだ気づいていない。自分たちがすでに、術中にはまっていることを――。
(え……?)
やや霞のかかった頭でその正体を目にしたフィリアは大きな衝撃を受ける。
若草色のローブを纏った少年。フードはかぶっておらず、普段はあまり目にしない紺色の髪が露わになっている。
距離が遠くて表情までは分からない。しかしフィリアは彼が誰であるか一目で気づいた。
(……イオさん!)
彼我の人物はフィリアが気づくと同時に背を向けた。その背中は、まるで今生の別れを示しているようで。
もう抑えきれなかった。彼女は本能のままに走り出す。
「フィリアさん!?」
今更のように彼女を呼ぶ声が聞こえたが、もう足を止めることはできない。
フィリアは今もゆっくりと遠ざかる背中をめがけて駆け続けた。
――その走る影から自分を見つめる視線があったことにはついぞ気づかぬままに。




