第129話 VS 「魔女」
本日は二話連続更新です。(2/2)
この話は二話目なのでご注意ください。
聖剣を「孤狼」によって咥えられ、動きを止めてしまったリアンはその決定的な隙を「魔女」に突かれた。
溢れ出す血。よろめく体。
リアンは下草を赤く汚しながら地面を転がり――そして膝をついて起き上がった。
「……聖剣を手放しましたか」
「魔女」が静かな声でリアンが立ち上がった理由を述べる。「勇者」の証とも言える「断魔の聖剣」は、「孤狼」に咥えられたまま持ち手を失っていた。
リアンは「魔女」の攻撃を受ける直前、聖剣を手放すことで致命傷をかろうじて避けたのだった。赤い血はリアンの左肩から流れ出ていた。
「はあ、はあ……」
「ですがその様子では戦闘は続けられないでしょう。武器もなくなった。これで終わりです」
自らの勝利を宣言して「魔女」は右手を振り、付着した血をはらった。
リアンの傷はかなり深い。今も絶えず血が流れ続けており、出血多量で動けなくなるのも時間の問題だった。これでは逃げることもできないだろう。
大切な武器を捨てて命をとる。あの一瞬でその選択をしたことは称賛に値する。死ぬまでの時間を引き延ばすことしかできないかもしれないが、得てして戦闘とは最後まで何が起きるのか分からないものだ。
無属性として、無力なヒトモドキとして地べたを這いつくばって生きていた「魔女」は、血反吐を吐いて泥臭く生きることに確かな価値を見出していた。
あのとき諦めなかったからこそ、こうして力を得て自分たちの居場所を守れているのだと。
ゆえに手負いのリアン相手でも「魔女」は決して油断を見せなかった。何か起きるかもしれない、何か仕掛けてくるかもしれない。そのすべての可能性をゼロにして、初めて彼女は勝利を実感することができるのだ。
「さあ……」
じり、じりと「魔女」が距離を詰める。右手で左肩を抑えるリアンの一挙手一投足をも見逃さないように。
警戒の目を向けているのは「孤狼」も同じだった。
二対の瞳を向けられ絶体絶命のリアンは、ひどく落ち着いた声で一言。
「……やはり剣では駄目ですか」
結果として「魔女」の危機意識は正しかった。
その座った目を見た瞬間に背筋に悪寒が走り、頭の中で警鐘が鳴り響く。
リアンが何かをする前に彼女は「孤狼」に飛び乗りその場を退いた。
「――『渦を巻く海竜』」
そして災害が顕現する――。
そもそもリアン・エストレッチェはなぜ「女神教」の神殿騎士となったのか。それは彼の父親に影響を受けてのことだった。
Sランク冒険者レディオン・エストレッチェ。またの名を「荒波」。孤高の力を持つ者として称えられると同時に、人々の畏怖を集める男である。
その異名が表す通り、彼は嵐で荒れる海、あるいは川の激流のような人物であった。良く言えば豪快、悪く言えば大雑把。言葉にすればそれだけだが、レディオンに関しては冗談で済まない。
なぜなら彼は実際に村や町を激流に押し流してしまえるだけの力、魔法を持っているからである。
レディオンが得意とする戦法は単純にして明快。大量の水を魔法で作りだし、相手を溺れさせる。それだけだ。
言葉にするのは簡単だが、一度にそれだけの水を作り出し維持することは困難を極める。ゆえにそれはとても強力なのだが、魔物と戦う際の被害で水浸しとなった地域は数えれば枚挙に暇がない。
もちろんその原因にレディオンの大雑把すぎる性格も挙げられることは、否定しようのない事実なのだが。
とにかく、魔法で地形を変えてしまえるレディオンは称賛を浴びるとともにひどく恐れられた。
そんな父親を見てリアンは思ったのだ。この人のやっていることは真に正しい行いなのか、と。
たしかに魔物の被害は食い止められる。いくら父でも人の命まで軽視しているわけではないので、魔法に巻き込んで人を死なせてしまうようなことはない。
だが人々の暮らしに大きな打撃を与えていることもまた事実。作物はダメになり、湿地帯となってしまった平原では狩りの仕方も変わってくる。水不足にあえぐ人々の助けとなることはごく稀な例でしかない。
どうしても父親の行動に納得を持てなかったリアンは、ついにレディオンの背中を負うことをやめた。自由気ままな冒険者ではなく、人々の助けとなれる神殿騎士になることを選んだのだ。
それと同時にリアンは自身の強すぎる魔法も封印した。幸か不幸か、レディオンの才能は彼にもしっかりと受け継がれていたのだ。
必要以上の破壊は避け、騎士らしく剣で戦う。いつしかリアンは無意識に魔法の手を抜くようになった――。
「……父さん、正しいのはあなたでした」
リアンはどこにいるかも分からない父親へと告げる。
剣で頂を目指そうとした。父親の背中に追いつこうとしていた。
ただ力を振りまわすだけでなく、もっと鮮やかで流麗なやり方があるのだと伝えたかった。
しかしそれは簡単な道ではなく。
そもそも武器を主体に登りつめることができるのなら、無属性への冷遇はもっとマシなものになっていていいはずだ。無属性が劣る点のひとつに、遠距離からの攻撃手段がほとんどないために他の属性と比べ実力に差が大きいという事実があるのだから。
結局、魔法というものは戦闘において欠かせないのである。
ここでリアンが聖剣だけで「魔女」を圧倒し、魔法を補助的なものに限定して勝つことができたなら、彼の目的は果たされていただろう。
だが現実はそれとは程遠く、むしろ手も足も出なかった。聖剣を使っても傷ひとつつけることは叶わなかったのだ。もうリアンも剣術が役に立たないものなのだと気づいていた。
ならばどうすればいい? 答えは簡単だ。圧倒的な力で押し潰してしまえばいい。
華麗な勝利でなくとも、勝たなくてはならないのだから。
「……沈め」
リアンがそう零すとともに大容量の水の塊が動き始めた。狙いはもちろん「孤狼」と、その背に乗る「魔女」だ。
巨大な激流となったそれは蛇のようにうねりその体内に敵を呑み込もうとする。捕らわれたが最後、激流に揉まれ続けて溺れ死ぬ。脱出は不可能だ。
卓越した脚力で駆けまわり「孤狼」は激流から逃げる。時にはその下を潜り抜け、また次の瞬間には高く飛び越える。
すでに重傷のリアンにとどめを刺そうと近づきたいのだが、彼の周りは常に同じ魔法によって守られており、とてもではないが近づくことはできない。
同時に鋭さを誇る「孤狼」や「魔女」の爪でも水流を断ち切ることはできなかった。「魔女」はひたすらにリアンの魔法から逃げ続ける。
「魔女」に焦りはなかった。なぜならリアンはすでに十分な傷を負っているからである。
このまま逃げ続けてもいずれは魔力が尽きて勝敗は決する。余裕をもって水流を躱しながらリアンが力尽きるのを待つ。
「なっ」
だがリアンは「魔女」の想像を超えてきた。「孤狼」が水流と擦れ違う瞬間、その太さが一気に倍になったのだ。
常人ならなす術もない。だが「孤狼」の反応速度は全生物の中でも最上位にあった。足を取られそうになるも、なんとか飛びのいて逃れることに成功する。
「……アーキスに劣るという評価は改めなければなりませんね」
「魔女」はリアンの危険度を引き上げた。
そもそも「断魔の聖剣」を初めとする魔道具の数々は、初代「勇者」たちに合わせて作られたものである。ゆえにその性能を本人たち以上に引き出すことは不可能であるし、聖剣に至っては使い手を選ぶという始末だ。「魔女」がリアンたちの実力を低く見積もっていたのもそのためである。
しかし剣を捨てた途端、リアンはこれまでの戦いが児戯だとでも言うようにとんでもない力を振るい始めた。あの水流に呑まれれば「魔女」とて生還できるかは難しい。
彼女はたしかに高い実力を持つが、もともとは無属性の人間である。天性の才能をもつ真の実力者に勝つことはそう簡単ではない。
そのため「魔女」も仲間の助けがほしいところなのだが……そう思い他の戦いに目を向ける。
リュビオスと「雷光の槍」の戦いは佳境を迎えていた。生まれ持った属性さえ違えば歴史に名を残したに違いないであろうあのリュビオスが、全身血にまみれた状態で荒々しく腕を振り回している。
付き合いの長い「魔女」には分かる。リュビオスはすでに限界が近いということを。〝儀式〟で得た力を最大限に引き出して戦っているのだ。助けが期待できないどころか、こちらが助けに行かなくてはならないかもしれない。
あちらも天才かと忌々しく思いながら逆方向を見ると、そちらは少々奇妙な状態に陥っていた。
地面にできた大きな焦げ跡は「魔導士」アストラが放った魔法によるものである。地面に転がる焼けた死体が同胞ものであると気づき、「魔女」の胸は締め付けられた。
だが死体は二つ。トーマのものは見当たらない。そしてアストラの死体も同様にない。
トーマは〝儀式〟でガーゴイルの力を取り込んでいるため、炎や衝撃にめっぽう強い。それを考えるとトーマだけ無事だというのは納得もいく。
しかし二人はどこへ消えたのか。
戦いを「孤狼」に任せっきりにして思案していた「魔女」だったが、さらに反対側から轟音が鳴り響いたことで顔を戻した。
そこには大魔法が使われた痕跡と、そして末端部位を除いて消し炭と化した家族のひとりがいた。いつも家臣のように仕えつつも、本物の祖父のように温かい厳しさを与えてくれた大切な人。
五〇〇年前に感じた以上の喪失感が彼女の胸を埋め尽くす。
「リアン殿ー! ご無事ですか!」
さらに不幸は続く。ゴブリンの群れと夫であるブロスティーを向かわせたにもかかわらず、「聖騎士」他数名の人間がリアンの救援に駆け付けたのだ。
人間はどれも疲労困憊の様子であった。だがそのうちの誰も戦意を漲らせている。
さすがの「魔女」もリアンにヴァナヘルト、ディラードを同時に相手取ることはできない。だから分断策をとって各個撃破を狙ったのだが――。
「……コロ、一度退きましょう」
己の不利を悟った「魔女」は静かにそう告げる。
「孤狼」は無言で指示に従った。
かくしてこの場での戦いは人魔側の敗北に終わる。策を巡らせたにもかかわらず「勇者」を討ち取れなかったどころか、こちらの最大戦力を失ったのだ。そう簡単に立て直すことはできない。
それでも「魔女」はまだ希望を失っていなかった。なぜなら「聖騎士」と共に駆け付けた中に、あちらにとって最も必要であろう人物の姿が見られなかったからだ。
「魔女」は失われた同胞たちに仇を討つことを誓い、山の奥へと消えていった。
♢ ♢ ♢
「リアン殿、ご無事ですか!」
「……ディラード殿……見ての通り、この有様です」
ディラードは真っ先にリアンの下へ駆けつける。リアンは左肩を抑え地面に倒れていた。
意識ははっきりしているようだが、傷と疲労で危険な状態にあることは目に見えて明らかである。
すぐにでも治療が必要なのだが――ディラードは突然リアンの横に膝間つき、頭を地に押し付けた。
「申し訳ございません!」
「ディラード殿……?」
突然の謝罪に怪訝な表情を向けるリアン。
今のディラードはいつもの彼とはかけ離れた様子だった。
そしてディラードは苦渋に満ち満ちた声で、その事実を口にする。
「フィリア殿を……やつらに、奪われました……ッ!」




