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第127話 暴かれる本質

 まんまと「魔女」の策に嵌まり、リアンは彼の人生の中で最大の窮地に立たされていた。


 しつこく自分だけを狙う巨大な狼の魔物。リアンは知らなかったことだが、この狼は過去に伝説とされたフェンリルであり、その中でも「孤狼」という異名を授けられたSランク相当の魔物である。

 長い時を生き、住み着いた地域では畏怖をもって崇められてきた。その怒りに触れぬために、人々は時には生贄まで捧げていた事実もある。しかしいつしかその姿は見られなくなり、五〇〇年の時を経た今では完全に忘れ去られた存在でもあった。

 Sランクというのは冒険者ギルドが発足してから定められた基準であるため、「孤狼」がSランクというのは歴史家による推測に過ぎない。同じようにSランクに分類される魔物は亜竜ではない本物の竜が有名だが、ここ十数年、竜が暴れたということもない。人間と同じでSランクというのはめったに表れることがない、いわばイレギュラーのような位置づけなのだ。


「ぐあッ!」

「「勇者」と言えど、わたしの知るものとは程遠いようですね。あの男は、この子と正面から切り結んだだけでなく傷まで負わせたこともありますよ」


「孤狼」の一撃に弾き飛ばされ、なんとか受け身をとって膝をついたリアンに、「魔女」は涼やかな声で問いかける。彼女は「孤狼」の後ろからゆっくりとリアンの方へ歩を進めていた。


「……ッ、話すことは何もない……」

「ええ、わたしもありません。この地から早急に消えてもらいます」


 その言葉を合図に「孤狼」の姿がふっと掻き消える。気づいた時には真横からリアンの首元にその鋭い爪が伸ばされていた。


「ッ!?」


 リアンは瞬時に首と爪の間に聖剣を割り込ませ、刃先を傾けることでその即死級の攻撃を回避する。同時に得意の魔法「水尖槍(ウォータースピア)」を至近距離から打ち込み、自身は横っ飛びで距離をとった。

 しかしフェンリルである「孤狼」は魔法をものともせずに顔面で受け、そのまま勢いを殺さずにリアンに跳びかかった。広く開かれた口からリアンを捕食対象としか見ていることがありありと理解させられる。


 人間の一歩とフェンリルの一歩には大きな差がある。必死に離そうとした距離も詰め直されこれで終わりかとも思われたが、リアンの目は全く諦めていない。

 数秒でも十分。その短い時間で、右手に握った聖剣には十分な量の魔力が込められていた。


 それを「孤狼」の口めがけて突き入れる――!


 ともすれば右腕は肩からごっそり噛み千切られるかもしれない。それに済まされずそのまま頭までのみ込まれるかもしれない。

 それでもリアンはこの千載一遇の機会を逃さない道を選んだ。ここで確実に「魔女」の操る魔物を殺す。およそ最悪としか言いようのない戦況をひっくり返すには、この程度のリスクを怖れてはいられない。


 彼のもつ「魔断の聖剣」はその名の通り、魔を断ち切る剣である。魔力を込めることで絶対的な切断力を誇り、その上武器を扱う際に逃れられない間合いの概念すらも超越することができる。その機能は斬撃だけでなく刺突にも適用が可能だった。

 何の守りもない口内からできれば脳、それが無理でも喉を潰す。その狙いに狂いはなく、リアンは冷静な思考のまま勝利を確信し――、


 ――がきん、というおよそ肉をえぐるものとはかけ離れた音が聞こえたことで硬直する。


「――――」


 何が起きても冷静さを保てるというのはリアンの強みのひとつである。しかし今は目の前で起きたことを理解しきれないためによる沈黙であった。


「孤狼」は体を少し捻じり、リアンが突きだした聖剣の腹を横からがっちりと咥え込んでいたのだ。絶対の切断力を誇るにもかかわらず、「孤狼」の口からは血がにじむ様子すらも見られない。


「――思考が止まりましたね?」


「魔女」の声がすぐ近くから聞こえたがもう遅い。

 彼のすぐ背後にはすでに「魔女」がいた。フェンリルのものと比べ遜色のない、鋭い爪を生やした右手を振り上げた姿勢で。


「同調」によってリアンの心理状態を常に観察していた「魔女」は、彼の表情に浮き出ていない衝撃や焦燥までをもしっかりと感知していた。そしてその瞬間まで文字通り爪を隠し続けていたのだ。


 リアンが振り返る頃にはもう手遅れで。

 ――「魔女」の右腕が振り下ろされ、宙に鮮血が散った。



 ♢ ♢ ♢



 窮地に立たされているのはリアンだけではない。「魔導士」アストラも三体の人魔に囲まれて苦戦を強いられていた。

 彼女の得意な戦法は味方ありきなものである。優秀な前衛が敵の気を引き、その隙に魔道具で姿を隠してからの奇襲。うまく嵌まれば強力な火属性魔法によっていかなる敵も打ち砕く自信がアストラにはあった。


 しかし逆に奇襲を許してしまえば、そして孤立してしまえばその戦法をとることはできない。「隠魔の外套」は真正面に相手がいる状態から効果を発揮できるほど都合よく作られていない。


「……はぁ、はぁ……私にこんなに手を割いていいのかい? 私よりも強いのは他にいくらでもいるよ」


 息を整えながらアストラはそう問いかけてみる。この手の時間稼ぎをとれるのは、人魔に人の言葉を理解する頭があるためである。

 その目論見通り、隻眼の人魔――すでに顔を隠してはいない――トーマは気だるげに応じた。


「ああ。奥方様もじーさんも、負ける確率は万が一にもないからな」

「それはどうかな。私もリアン殿やヴァナヘルト殿が負けることはないと思うけどね」


 アストラは口許(くちもと)に笑みを浮かべるが、これが虚勢であることは自分でも分かっていた。いくらリアンでも一人で「魔女」、正確には「魔女」が何らかの方法で使役するあの魔物には勝てない。

 短くない時を共に旅してきた中でついぞリアンが全力を出すことはなかったが、いくらなんでも高ランクの魔物と渡り合えるほどではないはずだ。

 ヴァナヘルトについても絶対の勝利を確信することはできない。


 ゆえにどにかしてこの場を切り抜け救援に向かいたいところなのだが、こうもぴったりと張りつかれるとどうすることもできない。


(ディラード殿が早く来てくれればいいんだけど……)


 アストラは今もっとも頼れる「聖騎士」に心の中で助けを求めながらじりじりと後退する。

 しかしトーマはどうでもいいような口ぶりでつけ加えた。


「助けは期待しないほうがいい。「聖騎士」の方には旦那様……俺たちの中で二番目に強いお方が向かっている」

「なっ……!」

「「勇者」、銀髪の冒険者、「聖騎士」。この三人がいない中でどれくらい持ち堪えられるか見せてもらおうか」


 言い終えるとトーマはアストラへ向かって足を踏み込む。迫ってくる速度は速いとは言えないが、どう考えても押し返せないような圧迫感をそこから感じさせる。

 トーマの肉体が石のように重く硬質であることを知っているアストラは、その圧迫感が見た目以上の重量から来るものだと理解していた。


 背後に逃れようにもその先にはもう二体の人魔が待ち構えている。アストラは狙いをこの二体に定め、魔法を使用する。


「……ちぃっ! なんで避けられる!」


 苛立ちを隠せずにアストラが喚く。必殺の魔法は完全に見切られ、人魔は爆風によって頭髪が揺らめく程度の被害しか受けなかった。


「分からないか? それはお前たちが俺たちのことを理解しようとしていないからだ」

「ッ!?」

「無意識に見下している。自分よりも下位の存在であると」


 トーマはアストラの中に潜む侮りを見抜いていた。

 アストラは自分が華々しい功績を残し、歴史に名を刻む未来を信じて疑っていなかった。「魔導士」たる自分が魔物に負けるはずがない。そんな意識が確かにあった。


「いつもそうだ。お前たちは疑わない。当然のように俺たちの権利を踏みにじり、命までをも平気で奪う。罪悪感すら感じずに」

「なに、を……!」


 ぶつぶつと呟きながらトーマは大剣を振るう。剣筋はやや雑で大振りなため、アストラもなんとか躱すことに成功する。

 そのまま得意魔法を捨てて「火壁(ファイアウォール)」を広範囲に使用し隔たりをつくった。


 一度視界を阻むことで「隠魔の外套」が効力を発揮し始める。相手からどこにいるか把握されない状態で使うのがベストだが贅沢も言っていられない。

 しかしアストラが完全に姿を隠す前に、トーマが炎の壁を突き抜けて現れた。高温にあぶられても痛がる様子は一切見せない。


 トーマの語りは続いている。


「分かるか? 孤独に戦うことのつらさが。あがいて、あがいて、それでも俺たちは蹂躙された。助けが来ないっていうのは苦しいよな」

「黙れ! 私はかの英名高き「魔導士」の称号を冠する者! 人類の希望として、お前ごときの戯言に惑わされはしない!」


 アストラは自分を鼓舞するように声を張り上げた。決して悪に屈しないという姿勢はたしかに称賛され得るものだろう。

 しかしそれを聞いてトーマはつまらなさそうに笑い飛ばした。


「笑わせるな、何が人類の希望だ。名声のためなら嘘もつく、欲にまみれた卑怯者だろ」

「あの方たちを侮辱するな!」

「事実だ。その点言えばお前も確かにあいつらの後釜だな。欲望の色が透けて見える」


 人魔の共通能力「同調」がアストラの心の内を見破る。



 才能に恵まれ何ひとつ不自由なく暮らしてきた。幸い努力をすることも知っていて、その才能を存分に磨いてきた。

 周囲は自分を褒めたたえ、いつしかアストラは称賛を浴びることに大きな快感を覚えるようになる。そして目についたのが、「魔女」と相打つという偉業を成して五〇〇年経った今でも有名な初代「勇者」アーキス、その仲間たち。


 彼らを尊敬していたのは本心からのことである。だがそれ以上に羨ましく、妬ましく思っていた。

 アストラが「勇者」に固執するのはその名声を我が物にするため。今以上の称賛を得てすべての人間から崇められたいと思っているからだ。


「――醜いな」


 その内心を見透かされ、あろうことか蔑まれた。それも人魔、たかが魔物に。


 内心で人魔を見下しているアストラは人魔のことを理解する気が一切ない。ゆえに自身の魔法を察知されるからくりも分からない。人魔という人種(、、)が単に強い魔力の反応に敏感なだけという理由にも関わらず。



 炎の壁が消滅した。それを期にほぞをかんでいた人魔も同時にアストラに跳びかかった。

 剣が迫る。腕が伸ばされる。鋭いかぎ爪が彼女の命を狙う。


「……あんたら全員」


 これまでの人生で最大の屈辱に、アストラの思考が真っ黒に染まり。


「――後悔させてやる」


 直後、彼女自信を巻き込む大爆発が起きた。



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