第125話 王国
ぎりぎり間に合わなかった……。
夜が明ける、少し前。
人魔の本拠地であり、「魔女」が待ち構えていると思われる集落を観察する影があった。
明かりのない山の中、真夜中ということもあって木の陰に隠れるその姿を視認することは難しい。
だがたとえ昼間であってもその存在を察知できる者はいなかっただろう。なぜなら彼女が身に纏う外套は隠密において最高の性能を誇る魔道具だからだ。
その持ち主たる「魔導士」アストラは身動きせずに集落の方へと目を凝らしている。夜の闇は彼女の姿を隠してくれる一方で視界をひどく制限する。
星明かりを頼りにアストラが得られた情報は、集落の入り口らしき場所に二つの人影があるというくらいのものであった。
その見張りらしき影もローブを深く被っているために特徴までは分からない。
仕方なく、アストラは偵察を打ち止めにしたのだった。
「どうでしたか?」
「見張りが二体で櫓はなかったね。それ以外は分からなかったよ」
「この暗さですからなぁ」
待機していた仲間の下へと戻るとリアンやディラードとそのようなやり取りを交える。一行はすでに集落の手前近くまで接近を果たしていた。
そして夜明けを待つまでの間、隠密能力に長けたアストラを偵察に行かせていたのだ。
「気づかれた恐れは?」
「あるわけないよ。なんたって初代「魔導士」システィベード様の魔道具があるんだからね」
アストラが自慢げに自らの外套を広げて見せるもリアンの反応は芳しいものではなかった。
「しかし先の戦いでは奇襲を勘づかれました。それも一体や二体ではなくすべての人魔にです。初代のものとはいえ、盲目にその性能を信じるべきではないでしょう」
「……それは」
その事実にアストラはばつの悪そうな顔をする。あの奇襲の失敗で彼女は危うく人魔に手傷を負わされるところだったのだ。
またそうでなくても必死に敵から逃げたことはアストラにとっていい思い出ではない。「魔導士」という立場を誰よりも重んじる彼女はその名に恥じるような行為を極端に嫌っていた。
ゆえにその時のことを持ち出されると、馬の合わないリアン相手でも反論できない。
「まあまあ。敵に通じない可能性がある、ということを事前に知れたのですから良しとしましょう。それよりも、そろそろ夜明けが始まりますぞ」
ディラードが口を挟むことで気まずい空気は断ち切られた。それだけでなく決戦が目前に迫っているということで全員の気が引き締められる。
「そうですね……では、手筈通りに。ディラード殿、こちらはお願いします」
「はい。リアン殿たちも、お気をつけて」
二人は頷き合い、それから言葉を発することはなくなった。
彼らの作戦。それはリアン率いる突撃部隊と、ディラード率いる後続部隊に分かれるというものだった。
前者に含まれるのはリアンにアストラ、そして「雷光の槍」の三人に騎士数名。フィリアやアルバートといった残りの人員が待機組ということになる。
敵の本拠地に攻め入ることに対する危険性は未知数だ。最悪の場合は集落の中で敵に囲まれる恐れもある。
そのため初めは特に戦闘能力の高い少人数で特攻を仕掛け、様子を見るという作戦に落ち着いていた。
もし人魔に備えがないのであればそれで良し。仮に罠の場合はすぐさま魔法による合図がなされ、後続部隊が救援に駆けつけるのだ。
またヴァナヘルトの広範囲殲滅魔法で先制するという案は早い段階で却下されている。集落内には捕らわれた人々、特にイオがいるかもしれないのだからフィリアが首を縦に振るはずがない。
リアンやディラードも人質を巻き添えにする作戦には否定的だった。
「夜が明ける。――行きます」
♢ ♢ ♢
集落の見張りを担っていたそれは忠実に命令に従い、夜通し交代もなく入り口で立ち続けていた。
王の命令は絶対だ。それは忠誠心を抱いているからでも恐怖心を刻まれているからでもなく、命を授かった瞬間に決まっていたことであった。
弱く頭の悪い自分は王の言葉に逆らってはならない。疑問を持ってもいけない。命を寄越せと言われれば喜んで差し出さなけれなならない。
だがそれももうすぐ終わる。それが受けた命令は、暑苦しいローブを着て夜明けまで集落の入り口を守ることであり、日が昇ればその苦しい役目からも解放される。
白み始める空にそれは内心で歓喜を覚え――
「……ギッ?」
――そのまま頭と心臓に透明な何かが突き刺さった。
それが知ることはなかったが、同じ命令を受けていた同僚も同じ運命をたどっていた。
突如発生した風の矢は見張りの役を担う二体の命をあっさり奪ったのだった。
♢ ♢ ♢
ローブを着た見張りを先制で潰したリアンたち突撃部隊は倒れ伏した死体を横目に集落への侵入を果たした。
それを成したのは雷光の槍の後衛魔法使いシャーリー。接近を気付かれる前に遠距離から魔法を放ったのだ。
最小限の力で物音も立てなかったことから彼女の能力の高さがうかがえる。
そして気配を殺して走りつつ、彼らは集落の様子に目を向けた。
田舎と言うも程遠い、藁を使った前時代的な家屋。食料となったのであろう魔物の骨や火をおこした跡から生活感が感じられる。
だというのに人魔の姿は影も形もない。夜明けのこの時間帯であればすでに活動を始めていて当然であるのにだ。
誰の胸にも不安が兆し始める。
彼らが目指すのはただひとつ。「嘆きの魔女」の討伐だ。
その過程で人魔と戦うことにはなるだろうが、楽に目的が果たせるのならあえて相手にするつもりもない。もちろん「魔女」を討伐した後に掃討戦に入るので遅いか早いかの問題でしかないのだが。
とにかくその悲願のために集落の中央、もしくは最奥を目指しているのだが――
「……嫌な予感がします。グロック殿、敵に動きは?」
「……ない。静かすぎて不気味なほどだ」
例の如くグロックは「感覚強化」で視覚、聴覚を研ぎ澄ませ少しの変化も見逃さないようにしていた。
しかし目に見える光景の中に動く者は一切なく、いくら耳を澄ませようと家屋の中からも音はしない。まるで生き物だけが忽然と姿を消してしまったかのようである。
「決まりですね。私たちの動きは敵に察知されている」
「そうだね。すぐに戻った方がいい」
リアンの言葉にアストラがそう返すも、そこでヴァナヘルトが口を挟んだ。
「その前にこのおんぼろ家の中をいくつか漁っておくべきだろう。戻るにしても情報でも何でも持ち帰らねえと、なんのためにここに来たんだって話だ」
夜明けと同時の襲撃は失敗。逃走したのかすでに集落はもぬけの殻である。
ならばそこから次につなげるために何かしら持ち帰るべきだというのは妥当な意見だった。
「そうですね……グロック殿、本当に敵の気配はないのですね?」
「……ない。生物の出す音は俺たちのものだけだ」
「ではいくつか建物の中を調べてみましょう。皆さん、引き続き警戒は怠らないように」
グロックが断言したことで彼らの緊張は幾分緩んだ。決死の覚悟で臨んでいただけあって肩透かしの感も拭いきれないが。
「じゃ、入るぜ」
ヴァナヘルトが率先して手頃な家屋に近づいて行く。近くで見ても粗末なだけで特別な要素はひとつも見当たらない。
人魔や「魔女」本当に逃走したのか――などと半ば本気で思いつつも慎重に、しかし恐れなく藁を束ねただけの扉に手をかける。
そして中をのぞいてみると――
「これは……!」
家屋と言っても大きなものではなく、人が数人入れるだけの小さな小部屋である。
何か罠や仕掛けがあったわけではない。しかしヴァナヘルトは思わず息をのんでしまった。
なぜなら中には落ち葉や草の類が山と積まれていたからである。それこそヴァナヘルトの背丈にも届こうかというほどに大量に積み重なっている。
「これは何の意味があるんだろうね」
続くアストラも疑問を呈する。自らの居住空間をこのように汚す理由に気づくに至る者はいない。
一応詳しく調べるためか、アストラは草葉の山に歩み寄って表面を手で漁ってみる。
「こういう習性かもしれねえぜ」
「まさか。わざわざ家を作っておいてこんな真似、ゴブリンでもやらない――」
「ギョッ?」
アストラがそんな冗談を言った、その時だった。山と積もった草葉を掘った先から、人と異なる声が聞こえたのは――。
その声の主と視線が合ったアストラは凍りつく。彼女にはそれが次に起こした行動を阻むことはできなかった。
「ギギョギョギョギャーー!」
意味は分からずとも本能的に警戒を呼ぶけたたましい叫び声。それはすぐ近くから連鎖的に広がっていく。
「ギャギャギョギャーー!」
「ギーギョギャギョーー!」
二度目の叫びは同じ草葉の山から。そして隣の家屋、さらにその隣、やがては集落中から叫び声が響き渡った。
「なっ、なんだ!?」
「何が起こっている!」
「魔物だ! 魔物がいる!」
突然の事態に慌てふためく人々。その正体に気づいてのは、この状況の引き金を引いたアストラだった。
「この中にゴブリンが隠れてる! 『炎爆』!」
アストラは家屋を焼き尽くす勢いで魔法を放った。目と鼻の触れ合える距離でゴブリンを見たことで生理的な嫌悪感を抑えきれなかったのだろう、彼女の魔法は草や葉を吹きとばすだけでなく周りにまで影響を及ぼした。
「おい! この近距離でそんな魔法使うんじゃねえ! てか敵はいねえんじゃなかったのかよ!」
「言い争っている暇はありません! これは罠です!」
リアンがヴァナヘルトを窘めて警戒を促すが、時すでに遅し。
王の命令により、息を潜め物音を立てず潜伏していたゴブリンが家屋から一斉に出現し、リアンたちは一瞬のうちに孤立してしまう。
そして集落の奥で一人の人魔が不敵に笑っていた。
「へっへっへ。人魔の集落とゴブリンの集落を間違えるなんて、マヌケな勇者もいたもんださ。さあ、オラの王国へようこそ。心行くまで楽しんでいくだよ」




