第123話 新たな同士
今回は少し長めです。
遥か頭上から叩き付けられた三本の巨木。
大質量の棒は力ある者が持つだけで十分な脅威となりうる。それはもはや楯で受け止められる限界を越えていた。
とはいえ魔法的な力が作用した特別な武器でないこともまた事実。重く大きいだけの丸太に対抗する手段は、この場にいる人間が実力者であることもあって皆無ではなかった。
「……む」
予想していたものと違う手ごたえに唸るリュビオス。
その手に持つ丸太の先端は、ちょうどリアンやヴァナヘルトの手前の地面を浅く削っていた。その長さは最初よりも短くなっており、その断面は鋭利な刃物で一息に断ち斬られたかのようである。
――いや、事実としてその丸太を三本まとめて斬ることのできる使い手がここにはいた。
「……聖剣か。相も変わらず派手なことだ」
剣を振り抜いた状態のリアンを見て、状況を理解したリュビオスがうそぶいた。
憎悪のこもった目は、人目を惹く形をした「魔断の聖剣」に向けられている。
その聖剣を、リアンは胸に掲げた。
「――人魔。人民を苦しめる野蛮な魔物よ」
そして五体の人魔の視線を受けながら彼らに口上を述べる。
「私の名はリアン・エストレッチェ。貴方がたの首魁たる「嘆きの魔女」を討つ「勇者」の名を冠する者である。道半ばで途絶えた初代の悲願を、長き時を経て紡ぎ直しに来た。
貴方がたも名があるのであれば名乗るがいい」
それがどのような意図を含む言葉なのかは分からない。時間稼ぎか、情報収集か、それともまさか律儀に礼に則って戦いを始めようとでも言うのか。
どれにせよ、恨みを持つ者と同じ称号を冠する相手の話に乗ってやる理由はない。
人魔たちは警戒するように臨戦態勢をとった。
「名乗るつもりはない、と。ならばいいでしょう。始めましょうか」
リアンの言葉を合図に騎士、冒険者たちもそれぞれの武器を構える。
今にも両者が動き出そうという時、人魔側が何かを察知したように体を反応させた。
その瞬間、空気が揺らめき複数の場所で前触れなく爆発が起きた。
言う間でもなく「魔導士」アストラによる潜伏からの魔法攻撃である。
初見では対処不可能なその奇襲を――人魔は全員身を投げ出して回避した。
「嘘!?」
驚嘆の声は木の裏から発せられた。
「隠魔の外套」による隠蔽能力はこの世で類を見ない一級品である。これまでその能力が打ち破られたことは一度もなかった。
絶対の自信を持っていたがために驚きの声を漏らさずにはいられなかったのである。
「アストラ殿! 一度戻ってください!」
人魔の目がアストラの方に向いたことを受けてリアンが指示を飛ばす。この結果は彼にとっても予想外のことであった。
魔物を相手にしている際には何度も通用した作戦であったため、さすがに全員に避けられるとは思っていなかったのである。
奇襲に失敗したということはすなわち孤立を意味する。
リアンが口上を述べている間に一人移動していたアストラは現在、人魔にほど近い場所から撤退する最中である。
いくら魔道具があるとはいえ、慌ただしく動いている状態では効果も半減する。「隠魔の外套」には自ら隠れようとしない者までをも隠す機能はない。
「ああ、もう! 『炎爆』」
アストラは苛立ち交じりに後方、自分を追いかける大剣を持った人魔に向けて魔法を発動した。彼女の火属性魔法はたとえ知覚外から出なくても十分な威力を持っている。
だが人魔はそれを意に介せず追う足を緩めなかった。ローブを燃やし、煙にまみれながらもアストラの背中目がけて駆ける。
その容貌が明らかになった瞬間、アルバートの中で一致する名前が浮かび上がった。
「「トーマ」です! あの人魔はトーマと呼ばれる個体です!」
石のように無機質で白い肌。塞がった片側の目。
それらはイオによってもたらされた情報と合致していた。
「やつの攻撃は見た目以上に重い! 正面から受けないでください! それと火属性には強いです!」
「承知しました!」
直に戦うところを見たことがあるからこそ、その特徴や危険性が頭に浮かぶ。炎にあぶられながら悠々とヘルフレアタイガー変異種の攻撃を受け止める姿は今も記憶に焼き付いている。
「たぶん気づいているだろうが、後ろの黒いのはリュビオスってやつだ。見た目通りクソ強え。不用意に動くんじゃねえぞ!」
ヴァナヘルトが怒鳴りながら前に出た。彼の槍の穂先は、この中でもっとも強者であると思われるリュビオスの方を向いていた。
「アストラ殿、私の後ろへ!」
「助かった、ディラード殿!」
それとは別に、ようやくアストラの退避が完了する。ディラードが彼女を守りに前に出ていたので、ぎりぎりのところでトーマから逃げきれたのだ。
だがトーマは標的をディラードに変えている。自身の体重、走ってきた勢いを力に変え、体験を大きく振りかぶった。
「いくら重かろうと――」
「ッ!?」
「――弾いてしまえば何ということはないっ!」
「聖騎士」の称号を冠するディラード。今回も彼が敵を後ろに通すことはなかった。
「反魔の楯」によって力そのものを跳ね返されたトーマは面白いように来た道を転がっていった。
「む……この楯を通して衝撃を加えるとは……なかなか侮れぬものですなぁ」
手首をもう片方の手でさすりながらディラードはそう零す。本来であれば内側にはなんら影響を及ぼさないはずのこの魔道具が、トーマの攻撃を流しきれずにディラードの手首をしびれさせたのだ。
その事実に彼の声、表情は普段の余裕をやや欠いていた。
「おら、来ねえのかよ」
一方でヴァナヘルトはリアンとともにリュビオスと相対していた。
そこかしこで戦闘が起きている中、この三人だけはいまだに動きを見せていない。いや、動こうとはしているのだが互いに相手の初動を見逃さぬように観察しているため、先制しようにもそれが隙につながりかねないと感じているのだ。
「ふむ……」
リュビオスは短くなった丸太を肩に担いで二人を、いや、ここに踏み入ってきたすべての人間を見据えていた。その目は戦いとは別のことを考えているようでもある。
リュビオスの体格は他の人間と比べるまでもない。肉弾戦ならなんの想定外も起きずにリュビオスが圧勝するだろう。
しかし人間には武器があり、魔法がある。盗む以外で武器を得にくい環境にある以上装備で劣るのは認めざるを得ず、また魔法という望んでも得られなかった能力が単純な力の差を覆す。
正面からやり合うにはどちらにとっても嫌な状況であった。
ゆえに――
「撤退する」
リュビオスはここでの決着を放棄した。
短くしわがれた声は体の大きさに見合う響きをもって人魔たちの耳に届いた。彼らはみな初めから決まっていたかのように退却をしていく。
人魔の爪と切り結んでいた騎士がそれを追うかどうか判断を仰ぐも、ディラードは首を横に振って深追いを禁じる。リアンの決めた勝利条件は戦力分析と撃退である。まだ本命が残っている以上余計な浪費は抑えたかった。
だが黙って見逃すことを認められない者もいる。
「逃がすか!」
ヴァナヘルトは周囲の動きの変化に乗じて攻勢に出た。普段は使わない遠距離からの魔法攻撃。彼も単体で乗り出すほど戦況を理解できていないわけではない。
しかしその魔法が発動される前に――リュビオスは武器である丸太を放り投げた。リアンとヴァナヘルトの後方、相手陣地のちょうど真ん中へ。
そこには非戦闘員、ひいては一行の要たる「聖女」がいる――
「させません!」
「ちぃっ!」
リアンは背後をふり変えり、ヴァナヘルトは舌打ちを零すも魔法の発動を中止させなかった。後ろに関してはリアンと、そしてなによりアルバートに任せられると踏んでの判断である。
選んだ魔法は「破風」。螺旋を描く針のような風を相手に差し込み、体内で暴れさせることで内側から破壊する極めて暴虐的な魔法。
衝撃や斬撃は体表で軽減される可能性が高く、より深い爪跡を残すためにヴァナヘルトはこれを選んだ。
もちろんリュビオスは自分に迫る魔法をきっちりと認識しており体をそらしたが――ヴァナヘルトは執念で軌道を捻じ曲げ腕に魔法を届かせた。
瞠目するリュビオス。口元を吊り上げるヴァナヘルト。
リュビオスの腕から血が噴き出た。
「……あ?」
しかしそれは一瞬のこと。少なくとも半身はずたずたにするつもりだった「破風」は瞬きのうちに消え散った。
驚きによる空白が戦闘の終わりを告げたようで、人魔たちは山の奥へ去っていく。さらなる追撃は加えられなかった。
ふとヴァナヘルトが後方を見てみるとそこには紅蓮の獅子が出現しており、その足元には切断され小さくなった炭のようなものがいくつか転がっている。
リアンが聖剣で斬った後にアルバートが高温で瞬間的に燃やしたのだろう。
フィリアはルーの展開した半球状の水の壁から現れた。見たところ怪我はないらしい。
他の騎士、そして冒険者は少なくない傷を負っているようだったがそれも想定内。聖属性の力をもってすれば半日で元気な姿に戻るだろう。
懸念すべきはやはり人魔の実力。奇襲を察知したり魔法に対抗したりと不可解なことが多かった。
そして向こうから攻めてきた割にあっさりと退き下がる。その目的も不明だ。
ヴァナヘルトは人魔が逃げ去った方角へと鋭い視線を向けるのだった。
♢ ♢ ♢
『……すまないと思っている』
やや不鮮明な男の声が、洞窟の中で反響して響く。
『身勝手な話だが、こうするしかなかったんだ。より大きな不幸を回避するためには』
男の声音はまさに苦渋の決断といった感じで、悔しさと至らなさをにじませていた。
それでも決然と語り続けているのは、これが正しい選択であると信じているからだろう。
「……本当にそうでしたか? アーキス」
これは記録。
声の主はとうの昔に死んでいる。
ゆえに、こちらから問いかけても反応が返ってくることはない。
『君達の願いはよく理解しているつもりだ。それがどれほどの困難を伴うかということも。事実として君は世界を敵に回さなければならなかった』
声が発せられるのと共に壁に埋め込まれた平らな石板が明滅する。
よく見てみれば表面には小さく砕かれた魔石がふんだんに使われており、輝きはそこから生まれていた。
一見規則性は皆無にも思える魔石の配置。だが知識ある者がそれを見れば、この石板が再現不可能なほど高度な技術でできた代物であるということが分かるだろう。
実際、五〇〇年もの時を経て音声記録を残すような魔道具は他に存在しない。
『きっとそれでも君は戦い続けるつもりだったんだろう。互いに諦めが悪いということは何度も戦いを重ねて理解している。
だが、それではだめだ。力を見せつけることはたしかに一番の近道かもしれないけど、反対に抑え込もうとする力も大きくなる。力だけではだめなんだ』
「そんなことはわたしも……」
『実際、もう時間を稼ぐことはできなくなった。業を煮やした国王は僕達を先頭に大規模な兵力を投入することを決定した。多くの人の目がある以上、もう誤魔化して決着を先送りにすることはできない。僕も無駄に兵の命を散らしたくはない』
無意味と知っていて挟もうとした言葉は男によって早口で遮られた。
苦悩を押し殺すような声はそのまま男の葛藤を表している。
『次はなかった。次の戦いではどちらかが死ななければならない。僕は自分が死ぬならそれでもいいと思っているけど、仮に僕が君に殺されたとなれば願いの成就は大きく遠のくだろう。なにせ、こんな僕でも「勇者」と呼ばれている身だから。君達、人魔への怨恨は取り返しのつかないものとなり、人々に認めてもらうどころかいっそう力を入れて排除してくる』
男は自嘲するように自らを「勇者」と称した後、深刻な声色で未来への推測を立てる。
「勇者」とは人類の希望となる人物に授けられる称号である。
その希望を殺した者のことを、どうして人間が恨まずにいられるだろうか。
『だから悪いけど、君達には長い眠りについてもらった。そして僕は封印の代償で死ぬ。
どちらかが勝つのではなく、相打ちということにするんだ。そうすれば「勇者」の面子は保たれるし、必要以上の悪意が君達に向くことはない』
実際の歴史において優勢だったのは、相打ちに持ち込んでまで敵を倒した「勇者」への称賛の声である。
「魔女」への非難は華やかな偉業の前では小さなものでしかない。
『そして君達が眠っている間にクルセリア達が世の常識を変えてくれる。長い時間をかけて内側から変えていくんだ。「ヒトモドキ」なんてものは存在しないと。ちゃんと魔力を持つ同じ人間なんだと。
そして、君達が目覚めるころまでには誰もが平等な世界を作ってみせる。その未来で君達は、迫害も戦いもない幸福な生活をおくるんだ。本来人間のあるべき姿として』
このときだけは「勇者」も夢を見るように明るい様子で未来を語る。
『そのために僕達はいろいろと考えた。
まず、共存に向けてクルセリアは新たな宗教を開く。ピレイはこの地に国をつくり、君達の居場所を守る。システィベードは冒険者ギルドというのをつくるらしい。表向きはピレイに協力するためだけど、本音は魔道具作りのための素材を効率よく集めるためだって言うんだから笑えるよね。
ああ、もちろんこの「記録盤」も聖剣や聖杖と同じく彼の作品だ。……「封印の守り石」もね』
初代の「勇者」の、「聖女」の、「聖騎士」や「魔導士」の知られざる想いが明かされていく。
記録の中の彼はそれが夢物語に終わるということを知らない。
『……そろそろ時間のようだ。これから僕は君達を騙して封印する。
恨むなとは言わない。むしろ僕を恨んでくれ。そして目覚めた時代の人たちにはまっさらな目で判断してほしい。僕達は未来の人々が君達を笑顔で歓迎し、共に生きてもらえることを心から信じている。そして可能なら――』
その時、唐突に声が途切れた。
魔石の明滅もなくなり、これ以上の記録は残っていないということを示している。
静寂と薄暗闇に包まれ、「魔女」はしばし佇んだ。
「勇者」の封印の対象は「魔女」の魔力。
「同調」の魔法を受けた人魔たちの魔力量は本人に比べると微々たるものである。そのためか「魔女」は他の人魔たちに比べて長い期間封印に囚われていた。
ずっとこの洞窟内から出られなかったのはそのためだ。
そしてこの日、絶えず地脈に吸われ続けていた魔力の感覚が抜けたのを感じると、前触れなくあの石板が出現した。
どうも魔道具らしく、魔力を流してみると起動。あのメッセージが流れたのである。
過去幾度となく戦いを重ね、そして裏で手を取り合った「勇者」。
突然に封印され裏切られたかとも思ったが、その真意が今明らかになった。
明らかになって、よりいっそう胸が痛んだ。
「……今のを聞いて、あなたは笑いますか? 世界に踊らされ続けるわたしたちのことを」
不意に、「魔女」が誰かに語り掛けた。
その人物は盗み聞きしていたことを悪びれもせずに堂々と姿を現す。
その姿を見て「魔女」は悲しげに目を伏せつつも温かく微笑んだ。
「――ようこそ。新たな同士よ。わたしたちはあなたを心より歓迎します」




