第121話 休まらぬ道程
「避けろ!」
「があぁああ!」
――「魔女」討伐計画、出発から四日目。
「勇者」一行の二十二名は長く厳しい戦いの中に身を置き続けていた。
一定距離を歩くたびに現れる魔物。そのどれもがAランクを越えている。
比較的楽に思えたのは初めだけであり、彼らでなければとうの昔に壊滅していただろう。
「一度距離を取ってください! ディラード殿、足止めを頼みます!」
「任されました!」
素早く状況を判断しリアンが指示をとばす。怪我をした神殿騎士を引き戻す時間を稼ぐために、「聖騎士」ディラードが大楯を構えて前へ出た。
対するは、王冠の如き立派な鶏冠をもつ大怪鳥。
Sランク、コカトリス・クラウン。尾羽は鋭く尖り、扇のように広がっていた。
さらにその周りには五体のコカトリスが集い、油断なく獲物を威嚇している。愚かにも自分たちの縄張りへと踏み込んだ人間達を。
「早くこちらへ!」
アルバートは怪我人を運ぶ騎士に切迫した声で呼び掛けた。
引きずられるようにして運ばれてくる怪我人はどう見ても重傷だ。彼が食らったのはただの体当たりだが、鎧を着ていなければそれだけで死に至っていただろう。
「「聖女」様、お願いします!」
「はい……! 『天の癒し』」
フィリアは杖をかざして光を伴う魔法を使った。
この世でごく限られた人間しか使えない聖属性。その特性は、癒しの力。
ほどなくして光は消えた。
これでたいていの怪我は治るはずなのだが、横たわった騎士はいまだに苦しげな呼吸を続けていた。
「ッ、なんで……!」
「まさか……!」
言葉を失うフィリアと、何か思い至ることがあったのか怪我人の身体を調べ始める騎士。そして右腕の裏側に肘から手にかけて衣服が引っ掻かれた跡を見つけて目を見開いた。
その周辺は病的なほどに青白く色を失っていた。
「ど、毒です! コカトリスの毒を受けています!」
その報告に近くで聞いていたアルバート達も意識が吸い寄せられる。
コカトリスを脅威たらしめているのは単純な力だけではなく尾羽で分泌される毒である。
毒を持つ魔物はいくつかいるが、その中でもコカトリスのものは特に恐怖の対象として認識されていた。
――その毒を受けると体が石になる、と。
その事実を彼らは今、実際に目にしていた。
色を失った腕の皮膚が徐々に硬質化していっているのだ。
「そ、そんな、えっと、こんなときは……!」
「フィリアさん、落ち着いて!」
自分の魔法が通用しなかったことに焦るフィリアをアルバートが叱る。人の身体が石のようになっていく現象はフィリアでなくても冷静さを奪うのに十分だった。
実際は本当に石にしているわけではなく、単に皮膚の組織を浸食し変質させているだけなのだが、受ける衝撃の大きさに違いはない。
数度深呼吸を繰り返し、冷静さを取り戻したフィリアは再び杖を構えた。
「……『聖天の加護』!」
先ほどよりも強い光が怪我をした騎士の身体を包み込む。
それは体内の害悪の進行を抑える魔法。流れ込んだ聖属性の魔力が押し進む毒物を食い止めているのだ。
幸運にも治療は間に合ったようで、皮膚の硬質化は肩までで止まっていた。しかしいくら聖属性といえど、一瞬で変質した皮膚組織まで治すような力はない。腕は悲惨な見た目のままだった、
そして体内に入ってしまった毒を消し去る力も、ない。
「……残念ですが、今はこれが限界です。解毒をして毒が抜けたとしても完治は難しいでしょう。私に力が足りないばかりに……」
「いえ、命を失ってしまえばそれで終わりです。誰もあなたを責めることはありません。むしろ感謝申し上げます。彼は私の友なのです」
怪我人を連れてきた神殿騎士はそう言ってフィリアに感謝をささげた。それはここが戦いの場でなければ膝間ついていたであろう程の深い感謝だった。
それを受けてもフィリアの表情は晴れなかった。
「おおっらぁ!」
ヴァナヘルトは暴風を纏わせた槍を振るってコカトリスの一匹を仕留めた。
誰しもが毒を怖れて接近を拒む中、彼だけは意気揚々と敵の懐に飛び込んでぎりぎりの戦いを繰り広げている。
援護を任されたシャーリーは絶えず背筋が凍りっぱなしだった。
「ヴァナ! さすがに危なすぎるよ!」
「いまさらだろ! ただでさえ手が足りてねえんだから、ちまちまやってられるかってんだ! おら、次だ、次!」
「あ、もう! こっちの身にもなってよ!」
Aランクパーティーとして死線を区切り抜けてきたシャーリーだが、ここまで危険な戦いは数えるほどしかない。
同ランクが最低でも十人は必要とされる魔物との戦い。精鋭ぞろいとはいえどう見ても戦力が足りていない。
不平を漏らしながらも生き残るためにはこうしなければならないということを、彼女も頭では分かっていた。
「……さて、なかなかに劣勢ですなぁ」
「Sランクに複数のAランク。そう簡単にはいかないでしょう。ですが……」
ここに至ってまだ落ち着きをなくさないのはリアンとディラード。正面のコカトリス・クラウンがぎょろりと剝き出た両目で二人を睨んでいる。
「想像以上に冒険者たちの助力が大きいですね。さすがはドロシア殿の人選です」
ヴァナヘルトの獅子奮迅の活躍は言うまでもない。だが、彼とは別に宙を漂う何十匹もの炎の蛇。これが「勇者」一行の戦線を支えていた。
もちろんそれはフィリアの護衛として雇われているアルバートの魔法である。
そのほかにもアルバート達とは別に雇われた二人組の冒険者もまだ離脱していない。コカトリスを仕留めるとまではいかないが、うまく立ち回ることで着実に傷を負わせている。
少ない人数で一体でも引き受けてもらえれば、それだけ他に余裕が出る。そういった意味で冒険者たちの実力はリアンの予想以上だった。
「今が好機です。分断できている間に仕留めましょう」
ディラードも剣と盾を構えてリアンに応じた。
「『水尖槍』」
激流が槍を象って顕現すると一直線に飛び出す。
堅実なリアンはヴァナヘルトと違い、リスクの少ない戦い方を選ぶ。自分から接近戦を仕掛けることはしなかった。
無論、それはわざわざ近づかなくとも攻撃できる手段があるという理由もある。
「――断ち切る」
魔法に続きリアンは時間差で剣を振るった。「魔断の聖剣」による不可視の斬撃である。
しかしさすがはSランクといったもので、コカトリス・クラウンはどたどたと慌ただしげな動きでそのどちらも躱してしまった。
翼を持ちながらもその健脚により、陸上でも屈指の強さを誇るコカトリス。その親玉たる魔物の突進は、体が大きいというだけでかなりの威力をもつ。そしてそこから身を翻すだけで毒を分泌する尾羽で切り裂きを見舞うのだ。
「『結晶弾』、『鉱岩壁』」
コカトリス・クラウンを近づけまいとディラードが続けざまに魔法を使用した。どちらも土魔法の発展系、岩よりも硬度の高い鉱石を利用した魔法である。
弾丸の方はその胸部と首に当たり、壁は突進を受け止める。即席だったためか「鉱岩壁」衝撃に耐えかねて根元から倒れてしまった。
「もう一度!」
だが十分な隙はつくれた。
地面に倒れ込み背中を見せるコカトリス・クラウンにリアンが聖剣を上から振り下ろした。「斬れぬものなし」と名高いその剣は起き上がれずにもたつく魔物の肩から翼を切り裂いた。
仕留めきれなかったのは単純にリアンの力不足である。
「ッ……!」
憤るコカトリス・クラウンにリアンが歯噛みした。
自分たちの親玉が傷ついたことにより、残っていたコカトリスも興奮し始めている。これ以上暴れられれば冒険者が持ちこたえられなくなるかもしれない。
リアンはそんな危機感を抱き、時間を置かずに聖剣に魔力を注ぎ込んだ。刃の届かない場所まで斬るというのは並大抵の集中力や魔力では成し遂げない。この機能を扱えるという事実だけでも彼が聖剣に選ばれた特別な存在だということを示していた。
しかし、この場おいて特別なのはリアンだけではない。
「『連鎖爆発』!」
「リアンさん! 『天の祝福』!」
全身が爆炎に包まれるコカトリス・クラウンと、同じく全身が優しい光で包まれるリアン。
前者が痛々しい傷を負わせるものであるのに対して、後者は対象の疲労を和らげる効果をもつものだった。
「ふん! リアン殿、とどめを!」
「反魔の楯」でコカトリス・クラウンをのけぞらせたディラードがリアンに攻撃を求める。
リアンは呼びかけに行動で応えた。
「……ふう」
首が落ち、血を吐き出しながら地に倒れるコカトリス・クラウン。Sランクなだけあってかなりの苦戦を強いられた。
大きな負傷をせずに倒せたのは、彼らが戦いにおいてそれぞれ一流だったこと、最高峰の武器防具を持っていたこと、そして貴重な回復役がいたことが大きい。特にフィリアの存在は怪我をしても治す手段があるという精神的な安心感をもたらし、怖れを抑えるという副次的な働きもあった。
リアン、ディラード、アストラの四人は息つく暇もなく別の標的へと向かう。
コカトリスが殲滅されるのはそれからしばらく後のことであった。
♢ ♢ ♢
コカトリスの集団を退けた一行は重い足取りで歩みを進めていた。
ここまでで奇跡的に死者はゼロ。しかしついに脱落者が発生した。
コカトリス・クラウンの毒を受けた神殿騎士である。
彼は意識がはっきりした後、自らの判断で毒に犯された腕を切り落とした。皮膚組織が完全に侵されているのか、血もあまり流れなかったことを考えると残しておいても完治の見込みはなかったのかもしれない。
「どうかリアン様、私のことは置いて行ってください。このような醜態をさらし、なおも「勇者」様の栄誉を汚し続けることを思うと天に顔向けできません」
「馬鹿を言ってはなりません。あなたを見捨てれば、それこそ私が天に顔向けできなくなります。
ただ生き抜きなさい。あなたを待つ人が国にたくさんいるはずです」
そんなやり取りの末に大怪我をした騎士も隊に加わっていた。体力が奪われたのか呼吸の間隔は早いが、彼は意地でも自分から足を止めることをしない。
「どうにかなんねえのか? こうもいちいち魔物にぶち当たってたらもたねえぞ」
ヴァナヘルトがグロックにそう訴えかけた。さすがに無理を重ねすぎたのか、今は勝気な表情も鳴りを潜めていた。
「……魔物のいない道はない。これでも途中で遭遇しないようにしているつもりだ」
「これでかよ……想像以上だ。これが続くようなら撤退も視野に入れるべきだな」
このまま来た道を戻り、皇都に戻る。それは戦略的には間違っていない。
だが人類の希望である「勇者」が、「魔女」どころか人魔にすらたどり着けずに舞い戻るとなると、その名に大きな傷がつく。
名誉と人命、どちらをとるべきかは言うまでもないことだが、その選択には小さくないデメリットがあることを認識していなければならない。
同じように疲労を感じながらもそれを表に出さずアルバートは思考する。
(隙間もないほど魔物の縄張りが敷き詰められているのに、人魔はどうやって山を登り降りしているんだ?)
まさか通るたびに戦っているわけではあるまい。そうならばアルバートたちの道のりはもっと楽であるべきだ。
(魔物どうしは戦わない……? いや、それなら魔物の種類ごとに縄張りを張る必要なんてないはずだ。どこかに隠れた道が……?)
アルバートがその考えに思い至った、その時だった。
「おい! 人が通ったような跡を見つけたぞ!」
先頭のヴァナヘルトが後方へと向かってそう告げた。




