第116話 動き出す時
第六章ラストです。
――その男は奴隷だった。
しかも奴隷の中でもある意味最も死に近いと噂される奴隷剣闘士だった。
彼は望む、望まないにかかわらず人斬りであることを強いられてきたのだ。客に娯楽を提供する、ただそれだけのために。
理由は極めて単純かつ身勝手なもの。
男が目に見える形で魔力を持っていなかったからである。
男は自らの非運を嘆きつつも生きるために剣を振り続けた。
相手の多くは犯罪を犯して奴隷に落ちた者だったが、その中には自分と同じ境遇の者もいた。
彼らも必死だ。負ければ高い可能性で死が待っているのだから当然だろう。
例え怪我で済んだとしても十分な治療を施してもらえるはずがない。戦闘の傷で死んでいった同僚を数えればきりがなかった。
幸いなことに男は体格に恵まれていた。
ろくに剣の振り方を知らなかったがそれは相手も同じ。ならば単純な力や戦闘センスがものを言う。
無属性でない奴隷剣闘士も近接戦には習熟していない。
恐るべき速さで接近してくる男を相手に、彼らはなすすべもなく切り捨てられていった。思えばそれは、無意識下で「身体強化」を発動していたおかげなのだろう。
――いつしか男は、百戦百勝の王者と呼ばれるまでに至っていた。
実際に百戦を勝ち抜いたかどうかは覚えていない。
賞賛を浴びせられても、どんな名誉ある称号を授けられようとも、男の心が晴れることはなかった。
手に残るのは人を叩き斬る感覚。
自分が殺してきた相手の死に顔を毎日夢に見た。
なぜ、自分は生きているのか。こうしてまで生きることに何の価値があるのか。
そんな自問自答を突き詰め、やがて男の精神が崩壊しかけた頃だった。彼の人生を変えた、その出来事に。
闘技場で暴れまわる巨大な狼の魔物。
さしもの男にもその魔物に勝てる自信はなかった。
しかし彼は見る。
その魔物が、背に人を乗せているのを。
二回りは年下であるように見える少女。彼女は男に述べた。
『どうかその剣で、わたしの、わたし達の行く道を切り開いてください』
男は返答として、極めて自然な動作で剣を少女に捧げた。
それはよく騎士がするような忠誠の証。
自らの剣を主君に預け、命尽きるまで戦うという誓いだった。
誰もいなくなって荒れた闘技場の中心で、魔物に見守られながらの儀式。
少女は男の剣を受け取った。
こうして男、リュビオスはかつて無理やり握らされた己の剣に誇りと意味を見出した。
身も心も、魂さえもこの年下の少女、「魔女」ティアに捧げると誓ったのだ。
これは代表的な「魔女」による被害をまとめた書物の中では語られることのなかった物語のひとつである。
♢ ♢ ♢
「その後「王者」の姿を見た者はいない。おそらく勇敢に「魔女」に立ち向かい命を散らしたんだろうね」
今代の「魔導士」アストラはそう話を締めくくった。
五〇〇年前の出来事に精通している彼女だが、知っているのはもちろん人間にとって華々しく彩られた、虚実入り混じる方のストーリーである。
アストラとてどこから出たかも分からない書物の内容を丸々信じることはしないが、まさか「百戦百勝の王者」が人魔となって「魔女」側についているなどとは思ってもいない。
いくら歴史を学ぼうとも実際にその時を生きた者の記憶とは比べるべくもないのだ。真実を知るのは今も山奥で息を潜める宿敵だけなのだから、アストラにとっては皮肉な話だろう。
「なるほど……当時の「魔女」はかなり活発に動いていたみたいですね」
感想を述べたのは美麗の青年、アルバート。
他にもこの場にはカナリアとルー、そして「聖女」フィリアにお付きのクレシュまでいる。
「だね。その国の名物ともいえる場所を襲撃して潰しちゃったんだから、当時はよほどやんちゃしてたんだと思うよ」
アストラは大いに頷く。
五〇〇年前の「魔女」はこれに代表されるような数々の襲撃事件を起こし、その多くを成功させている。
「魔女」に対してこれほど早急に討伐隊が組まれたのは、この過去の出来事を繰り返させないためのものである。
なぜか今はおとなしくなっているが、その理由としてアストラは外壁が発展したり防備が充実したことにより攻めあぐねているのだろうとの見解を出していた。
溜めに溜めて行った襲撃がついこの間の魔物の大氾濫であるという考えも、概ね重鎮たちには受け入れられている。
「「王者」っていう人もすごいわね。でもなんでその人は奴隷剣闘士になったの? 強かったんでしょ?」
カナリアが興味を持ったのは襲撃で姿を消した「王者」についてだった。
彼女はリュビオスが「魔女」に立ち向かい散ったのだと信じて疑っていない。
「そのあたりは分かっていない。襲撃のせいで剣闘士の情報については失われてしまったんだ。だから「王者」がどうして奴隷になったかどころか、本当の名前すら分からない」
「え、名前もですか?」
ルーが驚いて反応する。
「そう。奴隷剣闘士は名前ではなく番号で呼ばれていたからね。「王者」ついても『13番』と呼ばれていたことしか残っていないんだ」
時を経るにつれて情報は失われ、脚色されていく。
栄光を飾ったとされている「王者」が実は無属性で、泣く泣く人を斬っていたなどとは誰も想像さえしていない。
付け加えるなら、そもそも奴隷について詳しく情報を残すような習慣は当時なかった。
奴隷は奴隷であり、情報は最低限で十分。例えば、「体が大きい」や「美人である」など、何に使えるかに重点が置かれていた。属性もその範疇には入っている。
仮に攫われた奴隷の属性が分かっていれば人間達は「魔女」の目的に気づけたかもしれない。
だが人類の底辺とされていた「ヒトモドキ」を取り扱うのは規模の小さな奴隷商くらいであり、そのため情報管理もずさんだった。例外ともいえるリュビオスについても情報が失われ、手探りの状態が続いている。
結果として今もアストラは「魔女」の目的についてたどり着けないでいるのだった。
「とにかく「魔女」は許せない。なんでこんなことを……」
「気まぐれか、純粋に人を襲いたかったか。理由があるなら私も教えてほしいね」
アルバートは憤りから、アストラは純粋な興味から理由を求める。
特に「不死鳥の翼」の三人は、イオを攫われたことで「魔女」に対して格別悪い印象を持っていた。
もしイオの身に何かあれば決して許しはしない。アストラの話を聞くうちにそのような感情を三人は共有した。
「……それももうすぐ分かるかもしれませんね」
ここで初めてフィリアが口を開く。
彼女とクレシュは旅の道中で散々アストラの語りを聞いており、この話も既知のものだったため口を挟むようなことはしなかったのだ。
「そうだね。ようやく、だ」
アルバートも震えを押さえるようにこぶしを握った。その震えは恐怖ではなく緊張から来るもの。
自身の人生においておそらくもっとも大きな出来事となるだろう。もしかすれば「勇者」のように歴史に名が残るかもしれない。
しかしアルバートにとってそんなものは路傍の小石ほどの価値しかなかった。
多くは望まない。ただ、無事でいてほしい。
そして、みんな無事な姿で帰りたい。
もちろんその中心にいるのはイオだ。
「アルバートさん、カナリアさん、ルーさん。明日からよろしくお願いします」
「必ず守るよ。そしてみんなでイオを助けに行こう」
フィリアはすでに自分の護衛がアルバート達であることを知っており、納得もしていた。
見知らぬ人間よりは少しでも顔を知っているこの三人の方が気持ち的にも楽だという理由もあるが、それよりも目的を共有しているため心強いと思ったのだ。
本来の目的を差し置いてこのようなことを言うのはどうかと思うかもしれないが、事情をよく知るアストラとクレシュは特に咎めたりはしない。
こうして作戦決行前日の休養日は緩やかに過ぎていくのだった。
♢ ♢ ♢
同日の夜。「嘆きの跡地」奥、エクリラ。
イオがここに来てからすでに十日。その間、イオは基本的にずっと同じ部屋で暮らしていた。
貧しいが食事は定期的に運ばれてくる。水も常備され、待遇としては破格なのかもしれない。
ただ体の汚れはどうすることもできない。水に濡らした布で拭うのがせいぜいである。
集落の人間は泉で体を洗うと聞いたのはいつのことだったか。
毎朝律儀に足を運ぶリュビオスから聞いたのだったか。
悪態をつきながら食事を運ぶウィスプから聞いたということはあるまい。
ときどきウィスプの代わりにやってくるカールはおしゃべりだが、いつもトーマによって追い出されている。
どうにもトーマはイオに集落の人間とは関わってもらいたくないらしい。
彼はいつもイオを見張っている。悪魔の石像のように建物の周辺位置に鎮座して動くことはない。
『トーマさんの目、片方ないでしょ? あれ、変な趣味の金持ちに遊びで潰されたらしいよ』
そんな情報を漏らしたのもカールだった。
彼女は歳の近い人魔の少ないため話し相手に飢えているらしく、やって来た時は必ずと言っていいほど雑談をする。
そして時折このように爆弾のような言葉を残して颯爽と去っていくのだ。
それはイオの心に波紋を呼ぶ。
――遊びで目を潰される?
――本当にそれは人間の所業なのか?
そんな事実を知らされるとトーマを見る目も変わってくる。変わってしまう。
時代が違えばそれはイオの身にも起きたことかもしれないのだ。また、そんな過去があれば人間と人魔を明確に区分して、人間であるイオを見張り続けるという行為も納得がいく。
それだけではない。カールはリュビオスの過去についても明かしたのだ。
あの剣の腕が奴隷剣闘士として磨かれたのだとすれば、それは果たして喜ぶことができるものなのか。その中には自分と同じ境遇の者もいるかもしれないというのに。
そう思うとリュビオスの言葉にも重みを感じてしまう。
表面上は基本的に無視を続けている。だが内心では大きく心が揺れ動いていた。
誰が正義で、誰が悪なのか。
人魔を討つことが、本当に平和な未来につながるのか。
人間はこの事実をどこまで知っているのか。
静かな夜は特にその思考が頭を埋め尽くしていく。
「……はぁ」
ため息がこぼれる。
睡眠が十分すぎるほどに足りているため、真夜中になっても眠れないのだ。
生来、イオは優しい人間である。
他者と共感し、困っている人を助け、相手の嫌がることはできない。
変心して自分の殻に閉じこもっても根っこの部分は変わらずにいる。
誰かの迷惑になることを嫌うことから分かるように、完全に自分本位に振る舞うことはできないのだ。
ただそれは内面だけのこと。外から見ればイオは他人に興味を持たず、自分のことしか考えていないように映る。
その裏で何度も思考が積み重ねられていることは、彼の近しい人間しか知らないことである。
イオは今、心に傷を負っていた。
父親に告げられた事実。
捕虜として過ごす現実。
そして、人魔の歴史における真実。
脳に舞い込む多くの情報にさらされ、そのうちのどれに対しても思慮を巡らせる。
そんなことをして精神的に負担でないはずがない。
恨み、怒り、迷い、悩む。
どれも負に近い感情である。
――その感情に引かれたのか、それは満を持して現れた。
「……なっ!?」
驚きに跳ね起きるイオ。
それがここに現れたのは、果たして偶然か。
長い髪。
裾の長い服。
宙に浮く、半透明な体。
「……レイス!? なんで……!」
イオが驚きに声をあげるのとレイスが動くのは同時だった。
かつて鉱山都市ルピニスでの出来事を思い出し、イオは身を硬くする。
気づくのが遅れた以上に、対抗手段をもたないイオにはなすすべもなかった。
急速に薄れゆく意識。
亡霊の抱擁を振りほどくことはできない。
意識が闇に落ちる直前、イオが思い出したのはついこの前に受けた「魔女」の抱擁。
そして遥か昔に感じた母親のぬくもりだった。
少し短いですが、第六章はこれで終了です。
あまり長々と説明を続けてもあれですからね。
次は第七章、もとい最終章です。
活動報告も上げているので、よろしければご覧ください。
この章で出したネタバレなどをまとめています。




