第114話 守り勝ち
お待たせしました。
曇り空の下、アルバート、カナリア、ルーの三人は昨日と同じ場所で、同じように「雷光の槍」と対峙していた。
「俺様に勝てる作戦は思いついたか?」
ヴァナヘルトが槍を肩に担ぎながらそう訊ねた。上から目線の問いだが、彼はそれが許されるほどの強さを持っている。
「さあ、どうでしょう。俺達なりに策は考えてきたつもりですが、やってみないことには分かりませんね」
口調とは裏腹にアルバートは自信ありげだった。これが正しい答えだと、イオも同じように考えるだろうと確信があるのだ。
それは後衛の二人にも共通して見られた。
「へっ、いいぜ。かかってこいよ。全部叩き潰して吠え面掻かせてやる」
「ヴァナ、なんか悪役に磨きがかかってない?」
「うるせえよ。お前はさっさと後ろに行け」
水を差してきたシャーリーが呆れ顔で後ろへと下がった。真剣なアルバート達と比べて明らかに緊張感が足りていない。
グロックが詫びるように無言で少し頭を下げた。
「どうした? いつでも来ていいんだぞ。それとも開始の合図でも待ってんのか?」
誰を待っていたと思っているのだと突っ込んでやりたい気持ちをなんとか抑え、アルバートは萎えかけた心を奮い立たせた。
「――いきます!」
――その瞬間、ヴァナヘルト達の視界を真っ赤な炎が覆った。
♢ ♢ ♢
Cランクパーティー「不死鳥の翼」は平均年齢の割にランクがかなり高い。
それは人によって年単位の時間がかかる昇格を最短距離で認められた、将来有望な冒険者パーティーだということであるが、相対的に経験という点では他よりも劣っている。
これは実力トップのアルバートでも同じことが言える。元騎士である彼だが、実践以外で冒険者に求められる知識や経験の不足は否めない。
上が決めた遠征や討伐計画に従えばいい騎士とは違い、冒険者はすべてが自己責任なのだ。どの依頼を受けるかに始まり、作戦、情報収集、物資の準備もすべて自分で行わなければならない。
そしてそれらはこれまでイオが陰でやってきたことでもある。本人の評価に関係なく、イオがいなければこのパーティーはとっくの昔に行き詰っていた。彼は間違いなく「不死鳥の翼」に欠かせない人間だったのだ。
だからイオがいなくなった途端にパーティーがうまく回らなくなったことは決しておかしなことではなく、むしろ当然のことだった。イオを助けようと気持ちに拍車がかかってしまっていたことも、それを助長してしまったのだろう。
元より経験不足だった対人戦でその悪い面が一気に表に出てきたのだ。
「……『豊穣の炎蛇』」
アルバートは噛みしめるようにその魔法名を口にした。手に魔石はなく完全に自分だけの力で発動している分、粗がよく目立つ。心なしか数も少ないように見えた。
炎の蛇の群れはアルバート達を守るように壁を形作った。
「俺達の目的はイオを助けることだ。だが、それと仕事は別だ」
確認の意味を込めてカナリアとルーに語り掛ける。
「仕事に私情は持ち込まない。イオが言いそうなことね」
「私たちの仕事は「聖女」様の護衛ですから」
アルバートがドロシアに頼まれた仕事の内容は、「聖女」の護衛である。人魔や「魔女」を倒すことではないし、間違ってもイオを救出することではない。
昨日は三人ともそれを忘れて、ただヴァナヘルト達を倒すことしか考えていなかった。いくら強かろうと頼まれた仕事をこなせないようでは誰が依頼をしてくれるというのだろうか。
「俺達では「雷光の槍」には攻め勝てないだろう」
Sランクのヴァナヘルトに、広範囲攻撃を可能とするシャーリー。グロックの守りは堅く、「感覚強化」によって逃げ隠れさえも許されない。
ある意味で完成されたパーティーだった。
アルバートの敗北宣言も仕方のないことだろう。
「――だから、俺達は守り勝つ。正直に真正面から戦ってやる必要なんてない」
――イオなら、きっとそう言うだろう。
そう思いかけてアルバートは首を横に振った。あのイオなら思いもよらない別の戦術を提示してきそうだったからだ。
柔軟な思考を身に着けた三人は、炎の向こうにいる相手の出方を窺った。
♢ ♢ ♢
突然の大技に目を見張ったヴァナヘルトだったが、それがいつまで経っても襲い掛かってこないことに拍子抜けしていた。
「おいおい……マジかよ」
防壁を形成した蛇の群れ。それが指し示す作戦はただ一つだ。
「……守りに徹するか」
「魔力が尽きれば自動的にこっちの勝ちだけど……」
シャーリーはそう言ってみたものの、ヴァナヘルトがそんな戦法をとることはないと分かっていた。
好戦的なだけでなく、先輩としての意地もあるからだ。
「もちろん……そこから引き吊り出してやる! シャーリー、やれ!」
「はーい、『風球』」
軽い調子で発動される初級魔法。だがシャーリーのそれは一味違う。
空間を埋め尽くすその数は百。威力は低くとも炎を吹き消すには十分な数だった。
同時に射出され、小さな炎の蛇に襲い掛かる風の砲弾。接近するだけでその体を構成する炎が揺らいだ。
しかし直撃する直前、質量のないその魔法は前触れなく吹き荒れた風に流されて散り散りの方向へ飛んでいった。
――そして赤く煌く巨壁に手を出した不届き者へと向かって、炎の蛇は容赦なく牙を剝く。
「っ、来るぞ!」
反撃とばかりに炎の蛇が鉄砲水の如く大量に飛び出してきた。攻めて来ることはないだろうと高をくくっていたために反応がわずかに遅れる。
何匹かの蛇はグロックが盾で防ぎ、ヴァナヘルトはこちら側に侵入した蛇を槍で薙ぎ払う。遅れてシャーリーが風の防壁を形成しようとしたが、再び暴風が吹き荒れてうまく風を集めることができない。
「カナリアちゃんだね。徹底的に私の邪魔をしてくるのは」
シャーリーが炎の壁の奥を見つめる。その先にはおそらく「暴風」の魔法で彼女を妨害するカナリアがいるのだろう。
そうこうする間に「豊穣の炎蛇」は陣形を変える。今度はじわじわと足元を埋めるように流れ込んできた。
「ちっ、面倒臭えマネしやがって」
ヴァナヘルトは悪態をつきながら後方に下がる。
炎の蛇が蠢く地面は見ていてとても気持ちの良いものではなく、ヴァナヘルトをして顔を嫌そうに歪めるほどだった。
「あいつら、真面目にやり合う気がねえな」
「……それが正解だろう。敵を通さないことが護衛の基本だ」
グロックはここまでほとんど何もできていない。彼はその特性上、直接的な攻撃にしか対抗できず、また直接的な攻撃しかすることができないのだ。
接近を阻む二重の障壁がグロックに傍観を強いていた。
またシャーリーも本気でないとはいえ、魔法を放とうとすればすぐにカナリアに対処されてしまう。風を起こされるだけで十分な妨害となり得るのだ。
「じゃあ……これでどうだ!」
初めに感じていた肩透かしは完全に消えている。今のヴァナヘルトの頭にはアルバート達が練った策を真正面から打ち砕くことしかなかった。
暴風を纏わせた槍は圧倒的な圧力を放っている。彼の切り札である「神葬の風槍」。それを小規模に抑えた汎用的な技である。
さすがにカナリアもこれを妨害することはできない。
絨毯のように広がるものと、壁を作るもの。「豊穣の炎蛇」のすべてを対象にして薙ぎ払おうとした――その時。
両者を遮っていた壁に丸い穴が空き、そこから水流が飛び出してきた。
「……むうっ!」
ルーの「水噴射」を受けたのはグロックの盾だった。
守られることを確信していたのだろう、ヴァナヘルトは横に逸れて問題なく槍を振るう。
轟音と共に巻き上がる砂煙。
炎の蛇は例外なくそれに巻き込まれ、強風にあおられてその姿を消していく。
しばらく視覚と聴覚が封じられたままの状態が続いた。だが、新たに生じた巨大な炎がアルバート達の健在を知らせていた。
やがて砂煙が晴れたそこに――カナリアとルーの姿はなく、アルバートだけが立っていた。
「……やられた」
「どういうことだ」
「……遠くに二人分の足音……逃げられたのだろう」
今更になってグロックの「感覚強化」を施した聴覚に、離れてゆく二人分の足音を捉えた。轟音によって聴覚、視覚を封じられている間に逃走を許してしまったのだろう。
そして三人の前に立ちはだかるは巨大な炎の獅子。アルバートの使う魔法の中で最大戦力を誇る「守護の炎獅子」を一瞬で葬り、逃げたカナリアとルーに追いつくことは難しかった。
「あの二人は「聖女」様を連れている、という設定です」
アルバートがそう言葉を発した。
「俺達の仕事は護衛。雇い主を守り、安全に目的地まで連れて行くことです。最悪の場合でも、逃がすことができればいい」
「なるほどな。だがお前はどうする? 一人で殿を務めて死ぬつもりか?」
実戦で言うならアルバートは三人がかりで倒せない相手から仲間と護衛対象を逃がし、一人で相手をするということになる。いくら仕事とはいえ、これは自殺と同義であった。
しかしアルバートは首を横に振る。
「まさかですよ。俺は生きてイオを助けないといけない。どんな手を使ってでも生き延びてやります」
そう言ってアルバートは腰の後ろ側に手を伸ばした。
これはイオから学んだことだ。どんな名誉を守って死ぬことよりも、一秒でも長く生きることの方が何倍も美しい。そのためにたとえ泥水をすすることになったとしても。
そうして生きてきたイオの在り方は、アルバートにとって一種の憧れだ。
決して折れない強さに、態度と裏腹な優しさ。
苦しみの中にもがき続けたからこそ生まれた確かな輝きがある。そこに惹かれたのは決してアルバートだけではないはずだ。
手に握るナイフの柄。唯一残されたイオの痕跡を使うことに迷いはあった。
だが、もしもの時には躊躇なくこのナイフを抜くだろう。かすりさえすれば、たちまち相手の体を侵すその暗器を。
「…………」
覚悟を秘めたアルバートの目を、ヴァナヘルトはじっと見つめていた。
まさか本気で勝てるとは思っていないだろう。しかし油断すれば一瞬の間に喰われかねない激しさが透けて見える。
――秘策はありってことか。
ヴァナヘルト達はイオが毒ナイフを隠し持っていたことを知らない。だからアルバートが隠し持っている秘策の正体を見破ることも叶わない。
こうしている間にもカナリアとルー、そして仮想「聖女」はどんどんと離れてゆく。本来なら逃走は敗北と見なされるが、これは試験。「不死鳥の翼」が「魔女」との戦いに耐えられるかを判断するための試合なのだ。
勝負に勝って試合に負けた。それが現状を表すのに最も適した言葉であった。
「……合格だ」
「え?」
「合格。お前らを「嘆きの跡地」に連れて行ってやるよ」
唐突な言葉にアルバートだけでなく、シャーリーやグロックまで驚いていた。
勝負は決していない。いまだに両者ともに掠り傷すら負っていないのだ。
アルバートはそのことを指摘しようとする。
「ですが……」
「だがな、あっちでは俺たちの指示に従ってもらう。勝手にガキを探しに行くのは許さねえぞ」
「は、はい。それは分かっています。ですが……」
なおも納得できていないアルバートの言葉を、ヴァナヘルトがぶっきらぼうに遮った。
「あーあーうるせえよ。俺様がいいって言ってんだから誰にも文句は言わせねえ。それよりも自分の身を心配してろ。あそこはちょっとやそっとじゃ生きて進めねえぞ」
それだけ言ってヴァナヘルトは帰っていく。
呆けた表情のまま、アルバートはその後姿を見送った。
――「不死鳥の翼」、「魔女」討伐に参戦決定。
四月は少し更新が遅れます。
詳しくは活動報告をどうぞ。




