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無色の魔力を染め上げる-逃避の果てに見る未来-  作者: 浮谷柳太
第六章 避けられぬ戦いの支度
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第110話 人魔の集落「エクリラ」

 室内に明かりはなく、隙間から漏れる日差しだけが視界を照らす。

 床はなんと厚手の布を敷いているだけで、息をするたびに土の匂いが肺に流れ込む。


 五感を総動員させて周囲の状況を探りつつ、イオは自分を見下ろすリュビオスに胡乱(うろん)な目を向けた。


「まだ頭がはっきりしないか? それもそうだろう。お前は丸二日以上眠りこけていたのだからな」


 なるほど、とイオは心の中で納得する。

 やけに体が重く、頭がぼうっとするのはそのためだろう。


 意識を手放すとどめである拳を受けた腹はずきずきと痛んでいる。だがそれも全く動けないほどではない。

「回復促進」を使えばたちまち気にならなくなるだろうが、今はそれを行うことすら億劫だった。


「……ふむ、水が必要か。これを飲め」


 イオがまったく反応を示さないことに怪訝な表情を浮かべたリュビオスが、すぐ傍の水瓶(みずがめ)から水をひとすくいしてイオの口許(くちもと)に運んだ。


 体を起こされ杯を傾けると、半開きになったイオの口に常温の水が流れ込む。一部は顎を伝って汚れた衣服を濡らすも、乾燥していた喉を潤すには十分だった。


「どうだ。目は覚めたか?」

「……な、んで……」

「ん?」


 さすがに意識が覚醒してきたイオはようやく声を出すために口を開く。

 それは弱々しいかすれ声だった。


「なんで、生かした」


 まず(たず)ねたのは自分を殺さなかった理由だった。


 生かして連れ去ったところでイオには何ら価値がない。それどころか余計な荷物を抱えることにもなり、メリットよりデメリットの方が大きい。


 やがて再びイオを床に横たえたリュビオスはその問いにあっさりとこう答えた。


「なに、なかなか面白いことができるようだからな」

「……なんのことだ」

「魔力の放出。透明な魔力を持ちながらお前は意識的にそれができる」


 こればかりはイオも驚かざるを得なかった。

 なにしろイオが魔力を体外に放出し、魔道具を使用したり「感覚延長」を使えたりすることを知っているのはごく一部の人間だけだからだ。

 その人間というのは「不死鳥(フェニックス)の翼」と「雷光の槍」の面々であり、リュビオスが知り得ることではない。


 相手の出方を窺うようにだんまりを決め込むイオだったが、リュビオスは確信をもって語り続ける。


「今では無属性というのだったか。この魔力を持つ者は魔法が一切使えず、魔道具もまた同様。人々からは劣等種と蔑まれ、我が物顔でその生命を踏みにじる……というのはもう五〇〇年前の常識だったな」

「…………」

「この時代では無属性魔法というものが存在し、無条件で奴隷に落とされることもない。だが生きにくいことに違いはない。お前もそうだったのではないか?」


 感情の失せた顔でイオはリュビオスを見返した。


 無属性であるために被ってきた被害は数え上げればきりがない。イオの人生を左右してきたのはいつも無属性なのだから。

 この状況でさえ、元をたどれば無属性に行きつくのだ。


 だがそれもすべて今更である。あらゆる気力を失ったイオはもう、乗り越えてきた過去さえもどうでもいいものとなっていた。

 囚われの身でありながら恐怖を感じないのは、すでに生きることを諦めているからなのかもしれない。


 リュビオスの独白はまだ続いた。


「無属性が蔑まれるのは魔力を持っていることがはっきりと分からないからだ。誰もが一目で分かる魔法か、魔道具を使えることが実証されれば状況は大きく変わる。なればこそ、自力でその境地に辿り着いたお前には価値があると思わんか?」

「……何が言いたい。実験体にでもするつもりか?」


 さすがに長々と話されてイオも口を挟んだ。そして端的にその意図を訊ねる。


 生を諦めることと、自分の身を誰かに委ねることは全くの別だ。この先これ以上の苦痛が待っているとすれば、イオは自ら命を絶つことすら問わない覚悟だった。


 自覚はなかったが、確かに考えてみれば無属性で魔力を放出できるイオは特別な存在である。それこそその道の研究者にとっては喉から手が出るほどに。

 リュビオスがどう答えるかによってイオの今後が決まると言ってもよかった。


「実験体。なかなかに面白いことを言うが、そのつもりはない」


 漆黒の肌は陰に紛れて見えにくいが、どうやらリュビオスは口許をおかしそうにゆがめているらしい。

 こうして見ると仕草は完全に人間のものなのだから、イオは人魔の生態というのがますます分からなくなってくる。


「なら何が目的だ。ここは一体どこだ」


 イオは質問を重ねた。ここから外の様子を窺うことはできないが、耳を澄ませる限りは人の声も聞こえてくる。

 さすがにリュビオスの目の前で魔法を使う気にまではならなかった。


 恐れ知らずな態度を気に入ったのか、リュビオスは面白そうに口を開く。


「その前に名前を教えてもらおうか。いつまでも〝お前〟では忍びないのでな」


 その要求にイオは逡巡を見せた。


 本名を名乗るかどうかで迷いが出たのだ。


 偽名を名乗ることでイオの名前を利用した脅迫などはやり難くなるかもしれない。

 だが後に本名を知られれば無用な怒りを抱かれることにもなる。


 一瞬の迷いだったが、今更どうでもいいことだと思考を投げ捨てイオは本名を名乗った。


「……イオ」

「……嘘ではないようだな。ではイオと呼ばせてもらおう」


 はったりか、それとも本当に虚偽を見抜くことができるのか。リュビオスはイオの目を見据えて納得の意を示す。


 改めてイオがリュビオスに疑問を投げかけようとしたその時、外からこちらへ近づいて来る足音が聞こえた。

 その足音はやがてこの家の前で止まり、ゆっくりと入り口が開かれる。


「じーさん、メシ持ってきた……お?」


 入ってきたのは石のように白く無機質な肌をした男だった。彼も例外なく肌の上を黒い筋が通っており、右目は閉じられていた。

 残った左目は気だるげに細められ、両手を縛られたイオを興味なさげに身下ろしていた。


「起きたのか」

「ああ、つい先ほどな」

「じーさんがそんなに執心するなんて珍しいな。ただの人間に」


 特徴的な容姿、やる気のなさげな受け答え。

 イオはそれらの特徴に思い当たる人物がいた。


 それはヘルフレアタイガー変異種の討伐に乱入してきた人魔、トーマである。あの時はローブで身を隠していたが、一時とはいえその体を取り押さえていたこともあり、一目で見分けることができた。


「ん? どこかで会ったか?」

「…………」

「……ああ、思い出した。ウィスプの儀式ん時にいたやつだな。なんでお前がじーさんに連れて来られてるんだ?」


 どうやらトーマもイオのことを思い出したらしい。怪訝な目を向けられるが、一瞬後にはその瞳から興味は失われていた。


 リュビオスに向き直るとトーマはやや真剣身を帯びた声で話し始める。


「止めた方がいいぜ。人間を飼うなんてよ。集落の連中からも不安の声が上がっている」

「であろうな。だが奥方様と旦那様には話を通してある」

「他のやつらにも事情を説明しろってことだよ。人間をここまで通すなんて、また「勇者」の時と同じ間違いをするつもりか」


 二人はイオには分からない話をしていた。だが聞く限りではイオがここに連れ去られたのは完全にリュビオスの独断で、イオの立ち位置はかなり危ういらしい。


 そして今自分がどこにいるかを推測し、さすがのイオも不安を覚えてきた。

 開け放たれた扉から溢れる日の光。明るさに慣れた視界に外の風景が流れ込む。


(これは……)


 どこぞの田舎でもお目にかかれないような原始的な家々。

 空を遮るような大きな建物は一切なく、生活の様は完全に自然と同調していた。


 この建物の中を覗き込もうとする視線を感じ、目を向けると思わずイオはぎょっとした。

 なぜならそれ(、、)は手足を白い毛皮で覆われた、人と獣の中間のような見た目をしていたからだ。


 たまに視界に入る他の住民らしきもの(、、)も、どこかしら体の一部が異形に変わってしまっていた。



 あまりに異常。この場に人と言える存在は自分しかいない。

 そんな思考が頭をよぎり、イオは自分がどこにいるのか直観的に理解した。


「む? どうやらここがどこか分かったようだな」


 トーマと話していたリュビオスが固まってしまったイオを見てそう言った。


「嘆きの、跡地……」

「今はそう呼ばれているのだったか。そう、ここが人魔の住まう土地、その名も「エクリラ」だ」



 ♢ ♢ ♢



「……さて、腹ごしらえも済んだことであるし、イオには少し付き合ってもらうぞ」


 トーマが持ってきた食べ物を完食した後、リュビオスはそう切り出す。


 食べ物は野草と焼いた肉だけで、料理と言えるようなものではなかったが、リュビオスは文句も言わず慣れたように食べていた。


 そしてそれらはイオの口にも押し込まれた。気乗りはしなかったが口をふさがれてはのみ込むしかない。

 ずっと空腹を訴えていたイオの腹が少し満たされた。


「まさか奥方様のところか?」

「そうだ」


 いまだにこの場に止まっていたトーマの問いにリュビオスが首肯し、両腕を縛る縄の先端を杭からほどいて持ち上げた。


 まさに虜囚のような扱いで元いた建物を出ると、その瞬間イオは頬に凄まじい熱波を感じた。

 どこかで見たような青い炎が視界いっぱいに広がり、その身を焼き尽くさんとする。無感動にそれを観察していたイオだったが、突如黒い腕が視界を遮り炎をもみ消した。


「……ウィスプ。何のつもりだ」


 イオを救ったリュビオスは厳しい声で強襲をかけた少年に問いかける。

 その少年は少し前に建物の中のイオを覗き込んでいた、白い毛並みをもつ半獣の人魔だった。


 聞き覚えのある名前にイオもまじまじとその顔を見つめる。


 ウィスプは憎悪を込めた目でイオを指さしながら叫んだ。


「それはこっちのセリフだよ! 人間は殺さなきゃならない。ましてやエクリラに入れるなんてもってのほかだ!」

「……私にも考えがあってのことだ。そしてウィスプよ、怒りのままに力を振るうなと教えたはずだ」

「うるさい! 人間、じいちゃんに何をした!」


 そう言って再びイオに襲い掛かろうとするウィスプ。その小さな体を押さえたのは近くにいたトーマだった。


「うるさい、静かにしろ」

「でっ!? 離してよ、おじさん! 人間は殺すんだ!」

「言いたいことは分かるが、ここで暴れられても困るんだよ。ほら、人が集まっている」


 トーマの言う通り、騒ぎを聞きつけて多くの人、すなわち人魔が集まってきていた。


 毛皮を持つ者、爪や牙を生やした者、鱗に覆われた者。

 中には虫のような顔をした者や、人間そのものの見た目をした者もいた。


 これでもかというほどに見た目の統一感はなく、しかし一様に皆こちらの様子を窺っている。


「じーさん、行ってくれ。ここは俺が抑えとくよ」

「すまないが頼む。イオ、来い」


 イオを伴いさっさと通り抜けようとするリュビオスの背中に、トーマが語り掛けた。


「俺は奥方様から指示があればすぐにでもそいつを殺す。ここに人間を連れてきたのは、いくらじーさんでもやりすぎだからな」


 その言葉を受けて、リュビオスはふと歩みを止めた。


 自分の生死について話しているにもかかわらず無反応で、諦めきった顔をしているイオはぼんやりとその横顔を見た。

 そのしわが刻まれた顔は、挑戦的な笑みで歪んでいた。


「……要は人間でなければ(、、、、、、、)いいのだろう?」

「は?」

「問題ない。その時は私も奥方様に従おう」


 含みのある言葉を残して今度こそリュビオスはその場を去る。


 リュビオスは人魔の中でも地位が高いのか、遠巻きに見ていた者たちは何も言わずに道を開けていった。


「は、な、せえぇぇ!」

「もう少し「伏せ」をしとけ。このわんころ」


 あしらうように片手でウィスプを押さえたまま、トーマはリュビオスの残した言葉の意味を考える。

 だがやがてはそれも面倒になり、あっさりと思考を放棄するのだった。






 ♢ ♢ ♢






 連れられた先は地面を緩やかに掘り進むようにしてできた洞窟だった。

 入り口付近にはしめ縄を巻いた岩があり、何かを(まつ)っているようにも見える。ただその岩にはひびが入っており、たとえあったとしてもその効能はすでに消えてしまった後だろう。


 暗く先の見えないその洞窟にリュビオスは迷いなく踏み込んだ。自動的にイオもその洞窟へと入ることになる。


 入って見て、斜面を下るうちにイオはここがまったくの暗闇ではないことに気づいた。

 壁面に紫色に(あや)しく明滅する(ライン)が走り、洞窟内をほんのりと照らしていたのだ。そのおかげで足元くらいは見ることができる。


 黒っぽい線と言えば人魔の体表を想起させられるが、関係性は分からない。

 ただ、この先に凄まじい気配を放つ何かがいるということは感じ取れた。


 自然と足がすくむ。遅れそうになってリュビオスに縄を引っ張られるのも一度や二度ではなかった。

 この先に何がいるのか。仮に竜の巣穴だと言われても納得できそうな圧力が進むごとに強まり、本能的な恐れがけたたましく警鐘を鳴らし続ける。


 やがて――


「――奥方様。私です」


 立ち止まったリュビオスが前触れなくそう言葉にした。


 場所は角を曲がる三歩前。より強い光がこの先から漏れている。


 人魔たちの会話に何度か出てきた「奥方様」という言葉。それと並んで「旦那様」もいた。

 人魔が敬う相手となるとほぼ一人しかいない。その言葉が差す人物とは、すなわち――


「どうぞ。入って」


 静まり返った洞窟内に波紋が伝わるように、耳によく通る声が返ってくる。

 その声は間違いなく女性のもの。「奥方様」なのだから当然だろう。


「失礼します」


 そう言うと、リュビオスはイオを引っ張って再び歩き出す。


 角を曲がり、その光景が視界に広がるのは一瞬のことだった。



 朝日が昇る直前のように薄く紫色の明かりが灯っている。

 宝石のように輝く壁によってできたそれは幻想的な空間を作り出していたが、それよりも否応なく目に入るものがある。


(毛皮……いや)


 人の身長を優に超えるほど山と積まれた灰色の毛皮、ではなくそれは間違いなく生きた生物の体である。

 おそらく狼。巨大な狼がそこに横たわっていた。


 これが魔物であれば間違いなくAランク以上に相当するだろう。なにしろ普通に寝転がるだけで家屋を押し潰してしまえそうなのだから。


 そして恐れもなくその体に体をもたれさせる一人の女性がいた。


「いらっしゃい。境地に至った子」


 緩やかに腰まで垂れた髪は伝承通りに黒い。

 また目元にできた人魔特有の黒い線が涙を流しているように見える。


 五〇〇年前、世界を大混乱に陥れた「嘆きの魔女」。

 最も危険と称されるその存在が、今イオの前にいた。



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