表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
110/152

第104話 剥がれ落ちる虚構

 イオは夕暮れに染まりつつある林道をひた走っていた。

 ここはすでに皇都の外である。




 あれほど大勢の人の中から最悪の偶然で父親を見つけてしまったイオは、その悪辣な思考回路に怒りを抑え切ることができず、激情のままに拳を振るってしまった。

 その結果、周囲から見ると一般人に暴行を加える冒険者という構図が出来上がってしまい、不利を悟ったイオはそのまま逃げ出して今に至る。





 地理的には皇都の北。「嘆きの跡地」に向かう道から少し逸れ、その周りを迂回しようとしているのだ。

 さすがのイオでも冷静さを少し失っており、ほんの少し前に魔物との大きな戦いがあった場所へと向かうことを選んでしまった。これは「北区」以外から外に出る時間の猶予がなかったからという()むに()まれぬ事情もあるが、本音のところでは自暴自棄になっている部分の方が大きかった。



 腰には剣と毒ナイフ。服装はローブを着込みフードで顔を隠したいつものスタイルである。

 背中には保管していた毒の数々を含んだ彼の私物が入った荷袋を背負っていた。これらは足がつくのを承知でわざわざ宿から持ち出したものである。


 理由は必要なものだったからというのもあるが、一番はアルバートたちに余計な被害が及ぶのを防ぐためである。

 罪人と行動を共にしていれば3人も無関係ではいられない。もし衛兵が宿に立ち入り、アルバートの部屋にイオの荷物があれば……ましてやその中に毒が含まれていれば、決して良い扱いは受けないだろう。


(そういう意味ではパーティーに戻る前でよかった)


 一つだけ幸運なことがあったとすれば、それはイオが「不死鳥の翼」に再加入していなかったことである。

 もし戻っていれば連帯責任の制度により、イオが犯したツケは彼らに回ってくる。そうなればイオは今のように逃げることはできなかっただろう。


 大人しく捕まってしまえばイオの罪は確定してしまう。経緯がどうあれ、ギレットに怪我を負わせたのは事実なのだから。

 さらに時と場所が悪かったせいで、冒険者のイメージダウンまで買って出てしまっている。ギルドがイオを擁護してくれる可能性はゼロだ。


(終わった……俺の人生もこんなものか)


 イオは自分の行いを振り返って自嘲した。


 嫌なことから目を背けるようにしてハルフンクを発ち、その行為が自分とあの父親を結びつけてしまった。知りたくなかった真実を告げられ、らしくもなく我を忘れて感情のままに動いてしまった。

 その結果がこれである。多少の手切れ金と共に1人無様に森を行く。アルバートたちと出会う前のあの頃に戻ってしまったようだった。


 冒険者も続けるのは見つかる危険が伴うため、新たな職を探さなければならない。文字通り一からのスタートである。


 だがイオにはもうそんなことはどうでもよくなっていた。これまでの自分が否定されたようで、生きる気力すら湧かなくなってしまっていた。


 なぜこんなに懸命に走っているのか。どれだけ逃げたところで、自分があの男の血を引いているという事実は消えない。

 行く先々で自分を探しているかもしれない人間の影に怯えて暮らすこの先の人生に、果たして幸せはあるのだろうか。

 イオはもう何もわからなかった。



 ――だからだろうか。いつもはあれほど口酸っぱく警戒を怠るなと言っていた彼が、その警戒を疎かにしてしまったのは。



 悪いことは重なって起きるもの。

 この時はまだ、イオはこの先に待ち受ける自身の運命を知る由もなかった。






 ♢ ♢ ♢






 場所は変わって皇都ディアハイデの冒険者ギルド。

 そこでは罪を犯した冒険者の捜索にただでさえ空気が重々しくなっていたにもかかわらず、新たな闖入者(ちんにゅうしゃ)の登場によって今にも切れそうなほど緊張感が漂っていた。


 それはアルバートも同じ。いや、少しだけイオとフィリアの事情を知っていることから誰よりもこの先の展開に不安を感じていた。


「これは何の騒ぎでしょうか」


 口を開いたのはリアン。静まり返ったギルド内にその声は良く響いた。


「はっ、ある冒険者に強盗と傷害の容疑がかかっておりまして、我々はその人物を捜索しておりました」


 答えたのはギレットの側にいた衛兵である。

 本来なら「勇者」であれど他国の騎士であるリアンに報告する義務はないのだが、誰にともなく呟いた彼の問いについ反応してしまったのだ。


 リアンも皇都での事件に深く踏み込むつもりはないようで、


「そうでしたか。お疲れ様です」


 それだけ言って詳しい説明は求めなかった。

 次いで怪我の目立つギレットに見舞いの言葉を述べた。


「いち早く怪我が回復し、犯人が捕まることを祈っております」

「お、あ、ああ……」


 まさか「勇者」にそんなことを言われるとは思わず、ギレットも口詰まる。強者のオーラをその身に受け、彼の前に立つことがこの上なく不敬に感じられた。


 そんなリアンの後ろで、フィリアはギルドの中全体を見ていた。


 包帯で顔の隠れた男。野次馬たちが円をなすその中心にいるのは、イオの仲間である3人の冒険者と衛兵、ギルド職員。この場にいない少年。

 聡明な彼女はすぐに最悪の事態を想定した。


「よろしいでしょうか」

「はっ、なんなりと」


 フィリアが衛兵に訊ねた。屈強な衛兵に姿勢を正させるその振る舞いは、かなり堂に入ったものだった。


「その犯人の名前を教えていただけませんか?」

「イオ、という名のCランクのソロ冒険者です」


 忠実な衛兵は諸々の情報を加えてあっさりとその名を漏らした。

 後ろでヴァナヘルトが驚愕の表情を浮かべるという珍しい光景があったが、それを気にする者は少数だった。


 イオの過去を知る彼女がどういった反応を見せるのか、アルバートたちは心臓が早鐘を鳴らすのを聞きながら待つ。

 だが即座に否定してイオの無実を主張するというアルバートの予想を裏切って、フィリアは静かにギレットの方を向き直った。


「……よろしければお怪我を治させてください」

「……えっ……よ゛ろじいんで?」


 思わぬ提案にギレットの声が上ずった。


「はい。治療に対価は求めません」

「ぜっ、ぜひ、お゛願いずる!」


 あの見目麗しい「聖女」が直々に自分の怪我を治してくれる。そう聞いてギレットは興奮を抑えきれずににじり寄った。

 裏で巡らされているその真意に気づかずに。


 リアンやヴァナヘルトを始め他の面々もその様子を黙って見守っている。


「では……『天の癒し(ヒーリング)』」

「お、おお……」


 包帯を巻いているため周りからは怪我が治っているのか分からないが、心地よさげに漏らされた声から治療がうまくいっていると分かる。

 冒険者も衛兵も、初めてまざまざと見る聖属性の魔法に瞬きも忘れて見入っていた。


「……終わりました。ご確認ください」

「おお……助かった!」


 すでに声が不自然にどもることはなくなっていた。

 周りに「聖女」の力を証明するように、ギレットは幾重にも巻かれた包帯を取り払っていく。


 そして晒された傷一つない顔、正確には髪を見て、アルバートは少し驚いた。

 同時に確信を込められたフィリアの呟きも漏れる。


「紺……?」

「……やはりですか」


 頭部まで怪我をしていたのか、これまで包帯で隠れていた髪が露わになった。そこに注目しているのはごく少数だけで、他の人は怪我が消えた顔を見ていた。


 見せびらかすようにあちらこちらを向くギレットと、そんな彼とフィリアに歓声を上げる野次馬たち。そんな彼らに水を差すようにしてフィリアは口を開いた。


「ギレットさん」

「ああ、礼を言う……って、なんで名前を……?」


 少なくともフィリアが来てからギレットの名前が出たことはなかった。なぜ自分の名前を知っているのかと首を傾げるギレットに、フィリアは衝撃的な事実を告げる。


「あなたはイオさんのお父様ですよね? なぜこのようなことをしておられるのですか?」


 不思議とその声は広く響き渡り、この場にいるすべての人の耳に届いた。


 誰もが口を大きく開けたまま言葉を失う。

 沈黙が広がる中、声を出したギレットは明らかに狼狽した様子だった。


「いっ、いったい何を……」

「ギレットさんはイオさんのお父様だったはずです。なぜ自分の息子を当然のように罪人と喧伝しているのですか、と聞いているのです」


 フィリアは再び繰り返す。はっきりと内容を明白にして、嘘や誤魔化しは許さないと語調を強めた。


 そしてさらに追い詰めるように、つらつらと語り出す。


「あなたはイーストノット王国にある町、ハルフンクで奥さんとイオさんと暮らしていました。しかし、あることを境に2人を置いてどこかへ去ったはずです。仮にイオさんから暴行を受けたとして、その理由はご自分で理解なさっているのではないですか?」


 ギレットは顔を真っ青にさせた。彼がハルフンクを発ったのは、過去に自分が無属性と家庭を築いていたという事実を隠すためだ。

 ここ数年は何にも煩わされることなく幸せに暮らしていたのに、ここにきてあまりにも多くを知る人間が表れ動揺が隠せていない。


「そ、そんなことは知らん! 何を根拠に……!」


 だがはっきり言って機転を利かせる頭がなかった彼は、「聖女」を指さし大きな声で喚き散らすという最悪の選択をしてしまう。

 その異常な行為こそが、周囲にフィリアの論が正しいと印象付けているとは露程も知らずに。



 ギレットは典型的な低俗冒険者だった。

 力だけで解決を図り、欲望には忠実に従う。文句を言う人間には大声で武器をちらつかせていれば自然と退いてくれた。


 だが今目の前にしているのはどこぞの一般人ではない。

 ギレット如きの恫喝(どうかつ)にフィリアが怯えることはなかった。


 衛兵の視線が徐々に冷ややかなものに変わってきていることにも気づかないギレットに、フィリアは抑えた声で根拠を論じる。


「私もハルフンクの出身です。それだけ言えば分かるでしょう。あなたの名前はイオさんと同じくよく耳にしていましたし、お姿を見ることもこれが初めてではありません」

「なっ、あんな町に「聖女」様がいただと!?」


 言ってギレットは自分の口を押さえた。自分がフィリアの言う通りハルフンクの出身であると決定づける言葉を口にしてしまったのだ。


「私が教会で働き始めたのはあなたが去った後でしたから、知らないのも無理はありません。イオさんは私の恩人ですから、一目見てあなたがあのギレットさんだと気づきました」


 フィリアが聖属性であると知れ渡ったのはギレットがハルフンクを発った後だった。それまでフィリアは家の外にも出ようとしない内気な少女だったため、ギレットは彼女のことを一切知らなかった。

 逆にギレットは、無属性であるイオの父親として悪い意味で市井に名前と顔が広まっていたため、フィリアに正体を見破られることになったのだ。イオの父となれば彼女の記憶に残っていてもおかしくはない。


 そして決定的なのは、父子で完全に遺伝した紺色の髪だった。こればかりは地方的な特徴で、そうそうこの地で見られるものではない。



 すでにこの場にギレットの味方はいない。そもそも「聖女」とギレットでは周囲を味方につけるという点で勝負にもならない。

 皆が疑念を募らせ、不敬な態度をとり続けるギレットに怒りを覚える中、フィリアが改めて訊ねた。


「再度問います。なぜあなたは真実を隠して自分の息子であるイオさんを一方的に悪と断じているのですか? 私なら自分と母親を置いて去った相手を前にして、怒りを抑えることはできないと思いますが」

「……ッ」

「少なくとも強盗の意図はなかったでしょう。あのイオさんが思わず手を出してしまうほどのことを、あなたは言ってしまったのではないですか?」


 核心に触れる一言にギレットは押し黙る。その沈黙が何よりも雄弁に真実を語っていた。


 あっという間に真相が解明されていったこと以上に、アルバートたちはフィリアが語ったイオの過去に思いを馳せずにはいられなかった。



 イオは父親に家を去られたという。父と言えばどんな身分であっても一家を支える重要な存在である。

 そんな立場の人間が、妻子を捨てて家を出た。経緯は分からないがそれはまだ小さかったであろうイオにとって相当なショックだと予想できる。


 さらに彼らはイオの母親がすでにこの世を去ってしまっていることを知っていた。カナリアに至ってはイオが父親に恨みを零したのを耳にしている。

 それらのことからイオがこのギレットという男と再会してしまった際に何を思ったのか、なぜ直接的な行動に出てしまったのか、とても想像することはできない。だが本当のところで脆い彼の心に何かしらの悪影響を与えてしまったことは確かだ。


 問題を起こし自分たちにも告げずにどこかへ消えたイオは今何を思っているのか。また彼が自分の殻に閉じこもっていると思うと、これまでとは別の焦燥感に襲われるのだった。




 何も答えないギレット。そのことに焦れたフィリアがさらに追及の言葉を重ねようとしたその時、彼女の背後で扉が開く音がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ