第96話 魔物掃滅戦③ 「勇者」
かなり走り足です。
それは彼らが山脈を越えてセントレスタ皇国に入国し、いよいよ皇都ディアハイデにあともう少しで到着しようとしていた時のことだった。
Wooooooooouuu……
「……これは?」
どこからか響いてきた遠吠えを耳にして「勇者」リアンは傍らの「聖騎士」ディラードに訊ねた。
「いやはや……自分も初めて聞きましたが……」
この中でただ1人セントレスタ皇国出身のディラードだったが、このようなどこまでも木霊する遠吠えは聞いたことがなかった。
ただ、それが響いてきた方向に「嘆きの跡地」があることに思い至り、少しだけ目を見張らせる。
「リアン様、魔物が……!」
その時、騎士の1人がリアンに呼び掛ける。それと同時に数体のグレイウルフが茂みから飛び出してきた。
「リアン様!」
「問題ありません」
突如現れたと言っても相手はⅮランク。リアンは魔法で一瞬のうちにグレイウルフを屠った。
しかしそれだけでは終わらない。
「また来ますぞ」
「どうやら先の遠吠えで興奮しているようですね」
出てくるのはゴブリン、コボルトと弱い魔物ばかり。馬車が通れる街道付近にはそれほど強い魔物は生息していない。
それらが種類に関係なく次々と道を渡って反対側へ逃げていく。進行方向にいない限りリアンたちの方を見向きもしない。
落ち着いて会話をしている今この時も、彼らは飛び出して来る魔物に対応し続けていた。
「これどうなってんの!?」
背後から聞こえた声はアストラのもの。馬車で移動していた彼女もこの事態に中から出てきたのだった。
「我々も分かりません。あなたは馬車を守ってください」
「もうやってる!」
馬車の中にはフィリアやクレシュといった保護対象がいる。彼女らを守るために力を振るうことを躊躇ったりはしない。
「リアン殿ッ……!」
「なにか!?」
「おそらく「魔女」です! 魔物は「嘆きの跡地」から遠ざかって……!」
魔物を切り捨てる合間にディラードがリアンに情報を伝える。
「それは大丈夫なのですか!?」
「この様子ですと、皇都が危ういと思われます!」
「分かりました、救援に向かいます」
リアンは即決した。自分の力を最も必要としている場所を正確に把握したのだ。
それからの行動も早かった。リアンは体を二つに分けて強行軍を作った。連れてきた神殿騎士の大半はここに残し、道行く人の救助を任せる。
幸いこの辺りには弱い魔物しかいないので、ディラードやアストラ、リアン自信も全員皇都行きに組み込んだ。怪我人がいた場足、治療のためにフィリアを連れて行くことも忘れない。
「あなたたちはゆっくりで構いません。確実に漏れなく人々を助けてください」
「はっ、リアン様たちもお気をつけて」
こうしてリアンたちは予定を繰り上げ皇都への道のりを急いだ。
遠吠えの発生地点は「嘆きの跡地」。それを聞いた魔物たちは興奮して少しでもそこから離れようと必死に逃げまどっている。
ならば「嘆きの跡地」に住まう強力な魔物が一斉にあふれ出してしまえばどうなるか。皇都は未曽有の危機に包まれるだろう。
「運が良いのか悪いのか、騎士隊は2つが各地へと出払っております」
「運が良いと捉えましょう。周辺地域はその方たちによって守られ、皇都には我々が向かっています」
「そうですなぁ。申し訳ありませぬが、お力頼らせていただきますぞ」
そんな会話がリアンとディラードの間でなされる一方、馬車の中でも事情説明が行われていた。
「フィリア、クレシュさん。この先に大規模な戦闘が起こっている可能性が高い」
「……私たちはそこにお手伝いに行くんですね?」
「そう。大丈夫、フィリアのところに魔物は寄せ付けないから」
大規模な戦闘と聞いて委縮しているフィリアをアストラが励ました。一方でクレシュは年の功と言えばいいのか、肝が据わっているらしく表情に不安は見られない。
「フィリアの仕事はむしろ治療。多分たくさん怪我人がいると思うから片っ端から治してあげて」
「はい、それなら大丈夫です。精一杯務めさせていただきます」
そう言ってフィリアは傍らに立てかけた錫杖を握り締めた。これこそかつての「聖女」が使用し、教会から貸し出されたフィリアのための魔道具である。
名は「浄魔の聖杖」。この世に2つとない、聖属性専用の魔道具である。
「あんたならやれるよ。自身をもっていきな。それからクレシュさんは、フィリアのサポートをお願いします」
「お任せください。応急処理の知識ならございます」
「よろしく……っと、そろそろ私も外に出ておきますか」
そう言うや否や、アストラは走っている途中の馬車の扉を開けて手を上に伸ばし、驚くべき身体能力で一瞬にして馬車の屋根の上に昇ってしまった。
ご丁寧に足を引っかけて扉を閉めることも忘れない。
「……さすがですね」
「ええ……」
残された二人はそれ以上何も言えない。しばらくは驚きによって沈黙が降りる。
やがてクレシュが口を開いた。
「いいですか、フィリア。これから私たちが見るのはお世辞にも気持ちの良い景色ではありません。血の気が漂い、苦痛を挙げる声で埋め尽くされた世界です」
「……はい」
「気を確かに持ちなさい。これに耐えられないようなら、おそらくリアン様たちの足を引っ張ってしまいます」
「分かりました。ですが、御心配には及びません。……覚悟はとうに決めているつもりです」
この時のフィリアの目を見てクレシュは余計な心配だったと理解した。今目の前にいる少女は、昔のように家に引きこもって外の世界を怖れるか弱い少女ではないのだ、と。
そうしていると頭上のアストラから声がかけられた。
「大量の魔物を発見した! 揺れるかもしれないから気をつけて!」
こうして「勇者」一行は皇都の北東から戦いに参戦した。
♢ ♢ ♢
彼らの目の前に広がっていたのはこれでもかというほどの魔物の数々だった。そしてそれを押し返そうと踏ん張っているのは皇都にいた兵士や騎士、冒険者たちだ。
「参戦します。我々は騎乗したまま突入。アストラ殿、そこで待機し馬車を守りながら援護をお願いします。可能であれば空中の魔物を優先的に」
「引き受けたわ。ここは任せなさい」
「感謝します。それでは」
淡々とやり取りをしてリアンとディラード、そして少数の騎士は魔物の群れに横から突っ込んだ。
一方で過剰な役割を負わされたように思えるアストラだが、彼女にとってこの程度はなんということもない。
「何匹巻き込めるかな、と。『連鎖炎爆』」
その瞬間、あちこちで大規模な爆発が起きた。もちろん味方に被害は出していない。
立て続けに起きる轟音がさらなる轟音を呼び、視界いっぱいに広がった。空中を飛んでいた魔物も視界にいる限り同じ運命をたどった。
稀代の魔術師であり「魔導士」でもあるアストラ。彼女の得意とする火属性の魔法は、他とは一風変わっている。
まず射線というものが存在しない。視界に入っていれば多少距離があっても対象に直接攻撃できる。それは言い換えればほぼ回避は不可能だということだ。
ただし欠点として、距離が広がれば広がるほど威力は低くなる。こうして大規模な攻撃をしているように見せかけていても、実際にはそれほど多くの魔物を倒してはいない。せいぜい音で驚かせたくらいだ。
しかしそれだけで状況は変わる。突然の轟音に驚いた魔物たちは別方向から切り込んでいったリアンたちに対処しきれていない。
まるでお手本のようなリアンの戦い方。剣を基本として、有効な場所で魔法を使う。その魔法も調整は加えていても基本の範疇から出ないものばかり。
「なんか、普通すぎるんだよね」
それがアストラの目から見てリアンの印象だった。「荒波」の息子ならここから水で押し流して攻撃しそうなものなのだが、と不満げにその戦いぶりを見つめる。
ちなみに戦場で馬車がぽつりと取り残されているにも関わらず魔物が寄ってこないのは、彼女が身に着けたマントのおかげである。
「隠魔の外套」と名付けられたこの魔道具は、周囲からその姿、気配を隠してしまう。それは自身だけに限らず、近くのものも巻き込んで隠せるのだ。
「本当に意味わからない。どうやったら初代「魔導士」様はこんな代物を作れたんだか」
アストラは退屈下にそううそぶいた。500年前の歴史を追う彼女は、これらの魔道具がすべて初代「魔導士」によってつくられたものだと知っているのだ。
彼は「魔導士」などと呼ばれてはいるものの、その実態は時代に似合わぬ高度な魔道具を数多く生み出した天才錬金術師であった。
そうこうする考えるに戦いは終息した。どうやらこの辺りにはそれほど強い魔物はいなかったらしい。
「あなた方は……まさか」
「リアンと申します。一応、「勇者」と呼ばれている者です」
「こ、これは失礼しました!」
リアンの前に出ていた兵士はすぐに膝間着いた。畏まる必要はないと言おうとしたところにディラードがやってきて、兵士はさらに恐縮していた。
騎士隊長であるディラードが兵士に語り掛ける。
「今は緊急時。顔を上げて落ち着いて、我々に皇都で何があったのか話しなさい」
「はっ! 今朝がた、謎の遠吠えをきっかけとして、魔物たちが「嘆きの跡地」から降りてきたのです。我々はそれに対抗するべく、こうして展開したのですが……」
「推測通りですなぁ。それで、我が騎士隊はどこに?」
「『隼』の隊は皇都北と北西で戦っております。特に正面は魔物の数が格段に多く……!」
ここにいたのは一般兵士と寄せ集め冒険者だけだった。元よりここは他よりも魔物の数が少なかったのだ。
「となると、まだ戦いは終わりではなさそうですね」
「そうですなぁ。そう簡単には負けぬと思いますが……」
「救援に向かった方がよさそうですね。……フィリアさん、治療の方は?」
リアンがこちら向かって来るフィリアに訊ねた。彼女は本来の役割としてこの場で聖属性の魔法を振る舞っていたのだった。
「危ない怪我はすべて治しました。全部となると、私の魔力が……」
「それで結構です。どうやらまだ怪我人はいるようですから。移動の準備をお願いします」
そして再び駆け出す一行。異変はすぐに見つかった。
「これはひどい……!」
「ッ、ええ……」
目の前に広がる光景に思わず言葉に詰まるリアンとディラード。彼らが言っているのは魔物についてではない。
その魔物を倒すためになされた、圧倒的な破壊の後についてだ。
辺り一面に広がるのは大きく抉れた地面に貯まったおびただしい量の死体と血。そしてその両横から檻を形成するように日の壁が立ちふさがっている。
「これほどのことを、一体誰が……!」
「止まって! 大きいのが来る!」
「警戒!」
大規模魔法の兆候を感知してアストラとリアンが続けて叫んだ。そしてほとばしる一条の光。
炎の切れ目から雷光を纏わせた何かが見えた。それは空中で折れ曲がり魔物の群れの中心に刺さる。
先のアストラの魔法とは比べようもない爆音が響き渡り、地面が揺れる錯覚すら感じた。土煙が晴れた向こう側には、つい数秒前にはなかった巨大な大穴が空いている。
「……化け物がいるようですね」
「おそらく「風雷坊」でしょうなぁ。噂には聞いておりましたが、これほどとは……」
Sランク昇格を間近に控える腕利きの冒険者。この景色には彼らをもってして目を見張らずにはいられない。
「先触れを出しましょう。あれらを掃討するにしても、誤って攻撃されたのでは堪りません」
「では、私が行ってまいります」
「お願いします」
随伴の騎士が血の池を大周りして向こう側の集団へと駆けていく。これで懸念の一つは拭われた。
そこに馬車から降りたアストラがやってきた。
「あの地形の方は分かったけど、あの炎の方は? ディラード殿は知っていますか?」
彼女が気になったのは今も壁となっている炎の蛇であった。同じ属性を持つがゆえにその難易度を理解しているのだろう。
「さて……あれほどの魔法の使い手なら記憶にも残りそうではありますが。……む」
「覚えがおありで?」
「……ええ、かつて私とは別の隊の騎士に思い当たる人物がおります。ですが……彼は確か突然姿を消したと聞いております」
ディラードの脳裏には「冷酷の騎士」と呼ばれ各隊にマークされていた若い青年の姿を思い浮かべる。
「ディラード殿?」
「いえ、何でもありません。あちらに行ってみれば分かることです」
この後彼らは残った魔物をすべて倒し尽し、ヴァナヘルトたちの待つあちら側へと向かうのだった。
馬車の中のフィリアは初めての戦場の空気に酔ったのか、不思議な胸の苦しみを感じていた。あるいは、それはある種の予感だったのかもしれない。
ーーこの先で「再会」が起きると。
皆さん、長らくお待たせいたしました!
引っ張りすぎて少し不安ですが、お待ちかねのシーンはもう目の前ですのでどうぞお楽しみに!




