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5 戻れぬ日

 ばしっ


 マコモは瞳を大きく見開き、茫然とした。

 彼女の頬はひりひりと赤く染まっていた。

 ツミがマコモの頬をひっぱたいたのだ。

 マコモはゆっくりとツミを見つめた。


 どうして? と首を傾げていた。


 来るのは冷たい刃物だと思ったのに、彼女に襲いかかったのは一瞬だけの大きな手の感触のみだった。

 ツミはおもしろくなさげに怒りの感情をぶつけた。


「馬鹿! 例えお前を殺した金で姉さんと暗殺業に関係ない生活を得られたとしても、結局はその金も人を殺して得たものだ。そんなもので得た平穏が姉を喜ばせるはずがない」


 わかりきっていたことを改めてツミは口にした。

 わかっていた。自分がこんな暗殺業をして姉を助けようとしても姉は喜ぶどころか悲しむということを。

 だが、どうすることもできず、ほかに手は思いつかないままここまで来ていた。

 マコモから姉への気遣いの言葉を聞き、今までの自分に憤りを感じていた。

 どうすることもできないと理由を立ててそれをそのままにしていた自分の不甲斐なさが情けなく思える。

 じっとマコモを見つめ、ようやく落ち着いたツミはマコモに言った。


「………俺は、お前を、殺さない」


 ツミは仕事を放棄した。

 今までどんなに嫌な汚れた仕事でも、姉の為と思い完璧に遂行してきたのに。

 彼ははじめて仕事を放棄したのだ。


「…………………」


 はじめて組織から与えられた仕事をした時、幼かった俺にとってそれしか方法がないと信じていた。

 姉の為に薬を手に入れる方法は。

 だが、今の俺はもう何も知らない子供ではない。何もできない子供ではない。

 組織の仕事以外で良い薬を手に入れるのは大変だろう。

 だが、姉が少しでも安らかな日々を送る為にこの仕事を辞めよう。


「つまり、組織を裏切ると言うことか?」


 イマズは険しい表情でツミに問うた。


「裏切るも何も俺は【羽張】に忠義を感じたことなんか一度もない」

「高い薬をいつ死ぬかわからん端女の為に浪費してやった恩を忘れたのかっ!!」

「そうだ、その為に【羽張】の仕事を引き受けてきた」


 それが姉をどんなに苦しめて来ただろうか。


「もうやめにする。この仕事をやめて、姉に静かな余生を送ってもらう為に真っ当な生き方を選ぶ」


 己の今までしてきたことが許されるともさらさら思っていない。


 それを贖いながら生きていこう。


 もう長くは生きられないだろう姉が心を平穏にし、静かな余生を送れるように尽くせれば十分である。そのあとはどんな罰も受けよう。


 しばらくして、イマズは押さえていたように笑いを吹きだした。


「ああ、愉快愉快」

「何がおかしい!」

「いろいろ無駄なことすぎて、笑わずにいられるか。ああ、お姫様。さっきのあれとても涙ぐましい自己犠牲だけどそんなの無駄だぞ」


 イマズは嫌らしくマコモに笑いかけた。


「どこにいるかわからない姫巫女を見つけ出すのにはかなりの時間がかかる。お前の前の姫巫女が死んでから、お前が見つかるまでに三年はかかったしな。それだけの期間があれば【クマヅ】は【モリノミ】を手に入れるのには十分だ。お前が姫巫女になるまで他国が【モリノミ】に何もできなかったのは姫巫女がいないということを知らなかったから」


 つまり、姫巫女が死んだと確実に知っている【クマヅ】は【モリノミ】攻略をすぐに始めようとするだろう。


「ただの無駄死にさ。それにお前を殺した報酬はその男には無意味さ」


 イマズの言葉にツミはぴくりとした。


「どういうことだ?」

「おっとやば。ついついお喋りがすぎた」


 イマズはわざとらしく口に手をあてた。


「イマズ! 今、言ったことはどういうことだ?」

「………その報酬を浪費する対象はもうないって言っているのさ」


 その言葉にツミは愕然とした。


「それじゃ、お兄さんのお姉さんは………」

「もういないよ。とっくに死んでいる」

「………………」

「いつからか」

「さぁ? ………お前がここ最近仕事の連続で【羽張】の里に帰れなかった日が続いただろう。その間になさっくりと逝ったよ」

「っ………何故………それを言わなかったんだ」


 情報交換や、統領からの仕事の依頼をイマズが持ってくることは何度もあった。

 なのに、何故一度として姉が死んだことを知らせなかったんだ。


「それは統領がお前を気にいっていたからさ。何でも忠実に仕事をこなすお前のような駒をあの人は失いたくなかった。もし、仕事の動機である姉が死んだとわかったらお前は仕事をしなくなるだろう。だからそれをツミに知られないようにと俺は命じられたんだ」


「…………そんな」


 全ては姉の為と思っていたのに、いつのまにか姉はどこにもいなくなってしまったのか。


 では、俺は何の為に………この手で多くの罪を犯したんだ。


 ツミは姉を失った喪失感により地面に座り込んでしまった。

「お前のことはおいおい、統領の指示を仰ぐ。一度、【羽張】の里に連れ帰ろう。だが………」

「あぅ………」


 ツミを心配そうに見つめるマコモの手をイマズは掴みとった。

 上へ掴みあげられた腕によってマコモはあっさりと宙に浮いてしまった。


「簡単に姫巫女を殺す機会は滅多にないもんな」


 イマズの剣がマコモの首筋に向かおうとしていた。

 その感触にマコモはぞっとした。イマズは楽しげに笑った。


「健気にツミに命を捧げていたけど、いざこうなるとやっぱり怖いんだな」


 腕に力を込めるとマコモはつらそうに呻いた。


「っ………」

「大丈夫大丈夫………痛みなんかないくらいさっくり首と胴を離してあげる」


 じゃぁな………


 イマズは剣を振りかざし、マコモに向けて振りおろした。


 しかし、その剣はマコモまで届くことはなかった。

 代わりにイマズは手の感覚を失い、驚愕した。


「ん?」


 ぼとりと何か落ちる音と共に右手に………剣を持っていた手から感覚を失ったのだ。


「な………」


 地に落ちたものはイマズの右腕と剣だった。

 何が起こったかわかる一瞬の間に胴体に衝撃が走った。


「っ………」


 その衝撃によってイマズは飛ばされ、その瞬間にマコモを手放してしまったのだ。

 地面に尻もちついて、痛そうに呻くマコモは顔をあげ悲鳴をあげた。


「………お兄さん」


 マコモの傍に立つツミは手に剣を持ちイマズに向け構えた。

 少しだけ血がついていたのがマコモの目から見てもわかった。

 イマズの右腕を切り落とし、イマズの腹に蹴りをいれたのはツミだったのだ。


「ツミ………お前、自分が何をやっているのかわかっているのか!」

「ああ、わかるさ」


 ツミは冷然と答えた。その言葉と共にイマズを捕えた瞳は氷のように冷たく厳しいものだった。

 一瞬だけたじろいだイマズであったが、左手で小刀を取り出しツミに向って叫び走った。


「決まりだ! お前は【羽張】の裏切り者! ここで俺が処分してやる!!」


 それからじっくりとその姫巫女を殺してやる。

 ツミを捕えたと思ったイマズだったが、ツミが目の前から消えていて目を丸くする。


「それは許さない」


 ツミの行方を探っていたイマズの後ろから声がした。


「………マコモは殺させない、絶対」


 イマズはツミの声を聞き、即座に体勢を立て直したが無駄だった。

 それと共にツミは剣を振り下ろし、イマズの背中を深く突き刺した。

 倒れこむイマズから剣を抜き、ツミはじっとイマズを見下ろした。


「お……まえ、………」


 イマズはかすれた声で呟く。それにツミはとどめをささんばかりにもう一度剣を振り下ろした。

 ぐえっという声を共にイマズは動かなくなってしまった。

 それを確認したツミは剣をもとに戻し鞘におさめた。


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