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8話 白鞘の日ノ輪刀と主。最強の死闘。

 白新は不恰好な正眼の構えで待ち受ける。


「先ずは、これかな」


 ファルコニーの目がすっと冷たく白新を見据える。

 次の瞬間。

 血が凍りつくような悪寒。

 血の流れてない俺ですらそう感じる。


 バリッ――と雷鳴に撃たれたように白新の全身が震え、倒れる寸前、全力でその場を飛びずさる。

 白新は少ない霊素も惜しみなく使い全力で距離を開けたが、着地ざま見事にすっころぶ。俺は全力で刃の切れ味を落とす。刃物を持って転ぶのはとても危ないのだ。

 幸い握り手は硬直したようにがちがちになっていたので無用な気遣いだったが、代わりに足が震えて立ち上がれないようだ。腰が綺麗に抜けている。


 紅蓮がやっていた裂帛の気当て。

 霊素の乗った気迫での威圧。

 その最強レベルを正面から受けて恐慌状態に陥っている。


「――あ、あ、あ、れ、教えて、周りを――」


 神巌流、以心伝心の型か。

 俺は周囲の状況を的確に思い描くことに専念。

 白新は半眼で俺だけを視界に収め、落ち着きを取り戻して素早く立ち上がった。

 こうすることで、白新は相手の敵意や悪意に飲まれず、俺の見ている光景を見て動けるようになる。


「面白いことするね。それじゃ攪乱系も無駄かな」


 白新が立ち上がるまでの間に、祭壇の飾りだった模造刀を手にしているファルコニー。

 疾風のように滑り込んで来て、一本の剣で右左から同時の斬撃。


 白新は無感動に右の斬撃を止めてから、左の斬撃を避けて反撃。

 既に剣士の模倣に入っているようで、風神流の軽やかな動きで鋭くファルコニーの腕を横凪ぎに狙うが、相手は刃と同じ方向に飛んで回避。


 追撃するが、一歩引いて余裕たっぷりに回避される。

 反撃を受ける。

 返す刀で相手の模造刀をなんとか受け、その勢いを利用して距離を取る。

 一連の流れですぐに理解する。

 剣術模倣では普通に力量の差があり過ぎる。そして。


(おい、攻め手がないぞ?)

「はっ……はっ……っ」


 普通に隙なんて見当たらないし、これだけの動きで体力も霊素も既にピンチな感じだ。


「――これは、二度と、使いたく、なかった、けどっ――」


 白新は以心伝心の型を辞めて、ファルコニーの目を見る。

 それじゃ威圧でやられないか?

 ゆらっと身体を揺らして数歩歩き、止まる。

 なにをした?


「これは……やるね」


 ファルコニーは素早く視線で周囲を巡らせる。

 それに合わせて白新は跳ねる。

 どうやら白新を見失っているようだ。すげぇ!

 相手の視線を回避して、常に死角に回るって寸法かい! 


 ファルコニーが、ふん、と一息、目を閉じて空気を嗅ぎ取るように――


(――あ、ダメだそれ!)

「そこだ!」


 ファルコニーは目を見開き、次の瞬間高速で動く。

 今度はファルコニーが白新の視界から消えた。

 霊素を使った身体能力で視界の外へと移動。


「え⁉」


 思わず声を上げ、周囲を確認する白新。

 白新が背後を振り向いたとき、俺は模造刀で跳ね上げられて宙に舞う。


(痛ってぇ!)

「惜しかったね。今の技なら、普通の人間なら勝てただろうね」


 ファルコニーも精霊返りだ。

 嗅覚で位置を嗅ぎ取れたのだろう。


「あ……」


 ファルコニーは模造刀を捨てて跳び、空中で回転する俺の柄を鮮やかに掴む。


「一番簡単で古典的な方法だね。相手が反応出来ない速度での一閃」

「あ……ああ……かえして!」

「おっと」


 ファルコニーが着地して、すぐに俺は剣鳴りを乱打して刀身を暴れさせる。

もうほとんど条件反射で抗う。

 剣精霊が主以外に従わないのは予想していたのだろう、ファルコニーは器用に俺をいなす。

 そこを見逃さず、素手で掴みかかる白新。


「こう言うのもある」


 呟き、表情を消すファルコニー。白新の手は虚しく空を切る。

 困惑の極みと言った様子で、虚ろな表情のファルコニーを凝視しながら追いかける白新。

 それを何度も繰り返す。繰り返す。白新が疲れ果てるまで。


「な……なんで、なにも、考えてない……わからない」


 と、ファルコニーの表情に生気が戻る。


「霊素の動きを嗅ぎ取って、反射で動いてるだけだよ。霊素の感知や動きの予知が自分の専売特許だと思った?」


 にっこりと微笑む。強者の余裕も自然で良く似合っている。


「大陸深部の魔獣はみんなそんなことやって来るし、歴戦の経験と僕の嗅覚が合わされば無心で動くくらい曲芸みたいなものだよ。白新ちゃんの力には及ばないけど……おっとっと」


 全力で暴れる俺を手玉に取りながら。

 当たり前だが、圧倒的。

 心眼能力で出せる全ての札を丁寧に切り替えしての決着。


 これが二代目勇者。

 俺をロンジ武具店で発見した翌年、選抜儀のお祭り騒ぎに集まった有力な戦士達を束ねて大陸中央へと挑んだ勇者ファルコニー。


 この国の初代勇者が大陸の外周を回り、大陸の形を確かめた者に与えられた称号であり、大陸の中心を、巨大な霊素湖を確認して来た者。

 それが現在二代目勇者と呼ばれているファルコニー・ウィングレイ。

 伝説の人物。この人だ。


 こうして手にされているだけでも、その深い井戸のような、底の知れない体内霊素の厚みに寒気すら感じられる。

 十二年前より、苛烈な実戦経験を積んで確実に鍛えられてる。


「――くっ」

「おっと」


 得意げに語っている所に白新の手が伸びる。

 それなりに素早いはずなのに、ひょいと躱すファルコニー。

 最後の全力霊素だったのだろう、着地は乱れてそのまま前のめりに倒れて起き上がれない。


「今のは単純に腕の長さの差だけど……これ、いじめみたいになってないかな」


 げんなりと、心底嫌そうな顔で言うファルコニーの表情は、血縁者だけあって白新の嫌そうな顔と結構似ていた。


「……もう勝負ついてるよね……金貨100枚と毎年の学費で納得して貰えないかな」


 今ならまだ最初の条件は出す、と言っている。


「――いらない!――わたしの……剣を! 返して! もう、それなら、街……出て行く! 最初から……そうすればよかった!」


 床を叩き、両手と両足を震わせながら足り上がり、と涙と共に言葉を吐き出す。


「イーグレースの所に? イーグレースはたぶん怒るよそれ……」


 なんとか霊素無しでも相手の死角に回り込もうと動く。が、その前に。


「それに、街の外に行くなら尚更こんな剣は持たせられないって……なんで分かってくれないかなっ!」


 強い意志を霊素に乗せた、裂帛の気当て。

 白新はぐしゃっと足から崩れ、泣き落ちてしまう。

 心眼使いに対して心理攻撃は効果絶大だ。


「最後だよ……対価もちゃんと払う。白新ちゃんが大人になるまで、学費の面倒も僕が見るから、この剣は諦めて欲しい……」


 同情の篭もった優しい声色。

 俺は冷静になって暴れるのを辞める。


 悪い話では、ないだろう。

 この条件を断るC級剣精霊の所持者がいるなら見てみたいものだ。


 どうやら目の前にいるようだ。


「ああああああああああああ――――」


 顔を上げ、ファルコニーの手の中にある俺を真っ直ぐに睨んで、吼える。


「――あああああああああがががががっっか、え、せ!」


 テンションがとんでもないことに……とんでもなく、やばいことになっている。

 吼え、立ち上がった白新がやばい。


「っにゃぁぁぁっぁあああああああああああああ――――!」


 瞳孔が極限まで引き絞られ、両手の指は硬く広げられて微動だにせず、吼え。

 腰と膝を落として、よもすれば四つ這いになりそうな体制から――爆ぜる。


(――猫か!)

「これは、猫かっ!」


 おっと被った。

 ファルコニーは驚きながら、俺の峰で白新の爪を使った貫手を受け止める。

 弾かれ、白新の身体が左右に振れ――


「――っ、消えたっ!」


 ファルコニーが慄く。

 この距離でも死角への移動も合わせられるのか。

 懐に潜り込み、俺の柄を握り込む白新。気づかれていない。


 止まらない。

 小柄な身体を利用して死角へ潜り込み、俺を掴んだまま、ふわっと飛び上がりファルコニーの横面に膝を叩き込む。

 おお、初ヒット!


 まだ止まらない。

 ひるがえるスカート。続けて踵で顔を踏み抜く。

 のを、ファルコニーは頭を振っていなす。


「――獣人より獣らしい動きだっ、ねっ!」


 ファルコニーは続いて打ち出された、目を狙った片手の貫手を手で捕まえる。

振り回され、地に足をつけて全力で暴れる白新。

 だが手は離さない。片手は掴まれ、片手は俺の柄を離そうとしない。


「これで消える技は使えないね……重りを無くしてからの完全版には、いや、かなり驚いたよ」


 楽しそうにだが、やや真剣な面持ちで打たれた横顔を気にしながら呟く。 


「――かっえ、せ!――」


 俺を掴んだまま、白新は剥き出しの怒りに任せて吼え、小さな犬歯をファルコニーの手に突き立てた。


「がるうぅぅぅううう!」


 ファルコニーの拳に噛みついて低く呻る。

 ファルコニーは痛みに耐えながら、困ったように呟く。


「……無銘の剣に聞くが、なにか気づかない?」

 

 ハッと顔を上げ、白新の瞳が獣のような目から我に還る。


「やめ――」

(……まぁ、ね)


 俺の声は届いていないだろうが、なんと答えるかわかっているのだろう。

 溜め息を吐くファルコニー。

 いやぁ、強いな心眼能力者って。弱点も多いけど、やっぱり強いわ。


「や、め、――やめて!」

(俺を持たない方がつえーんだな、お前……)


 白新は完全に停止する。

 獣人化、獣の模倣か。俺を振り回すより、この戦法取った方が確実に強い。

 死角に回り込むのも、俺が邪魔をしていたのはもう言うまでもない。

 言われて気づいた。


 剣であり、剣士ばかり見て来た俺が気付けないのも仕方ないと思う。

 相手の心を読めると言う心眼能力は、本来剣士向きの能力じゃない。


「心眼能力者は剣士には向いてない。戦士職を目指したいなら身軽な格闘技、拳闘でも習った方が数段有意義で有用だよ」


 ファルコニーと同意見。

 剣を使うにしても、こちらから攻め込んで相手の思考を支配するような戦い方の方が有効だろう。

 そのためにも俺のような長剣は動きを読まれ易くて邪魔になる。


(心眼の剣聖が使ってた剣は、扱い易い脇差。そう言う伝説だったな……)

「何の機能も持たない剣精霊は、白新ちゃんの足を引っ張るだけにしかならない」


 グロリアの大剣に振り回されていた紅蓮と同じだ。

 心眼能力者は長剣を振り回すより、身の丈に合ったナイフでも扱う方が数段に強い。

 心眼能力を生かすだけでS級だ。

 本来剣なんて必要ないのだ。


「なんで……なんで、なんで、そんな、こんなこと……いや」


 儚げに、消え入りそうな呟き声。

 そう言ってもなぁ。

 先ず大前提として、大前提としてお前の為になら、俺は命を投げ打っても構わない覚悟がある。そこは分かって欲しい。

 その上で、言わせて貰いたいんだが。


(すげぇ良い条件だと思うぞ。それにちょっと言ってたじゃん、俺の為に適当な所で別れるつもりがあったとかなんとか……)


 お前の為にもなって、俺だって再就職にこの国最大の商会が保証されているようなもので。

 べつにファルコニーが引き取ってくれなくとも、俺と引き換えに金貨100枚と学費まで出してくれるって提案なら普通に勧めるわ。

 考えれば考える程、この申し出を断る理由が見つからない。


(なにをそんなに荒れているのか、説明してくれないか?)


 この好条件で引き渡されるなら、それが主の為になるのなら、悪くないなと思ってしまうのだが。

 俺、何か間違ってる?


 確かに主を選んで、一日で別れるなんて恰好がつかない話だけどさ。

 主の役に立てるなら、俺のようなC級剣精霊が最大限役に立てるチャンスが目の前にあるんだ。

 むしろ現状、主の足を引っ張ってるだけだぞ俺。

 これに乗らない手は無いと思うのだが。


(理由があるなら説明してくれ)


 正真正銘霊素も尽きて。

 連日で流し続けた涙も流石に枯れたのか、虚ろな瞳で力無く首を振る。

 そのまま、俺を掴んでいた手が外れ、だらりと降ろされる。

 ぼんやりと、ファルコニーの手の中にある俺を見ている。虚ろな瞳が俺の刀身に映る。

 もう立っているのもやっとといった様子。


「決着だね」

(……だな)


 霊素も尽きて体力も限界だろう。

 土台無謀すぎる勝負を吹っかけたのだ。勇者に喧嘩を売るなんて。

 これが当然の結果だ。

 当然で、最高の結果。


 C級剣精霊の主になった少女は、自分には合わない長剣を、勇者様に好条件で引き取ってもらえて幸せになりました。

 めでたしめでたし、だ。


「うる……さ――い」


 暗い目で俺を真っ直ぐ見ている。いや、もう打つ手無しだろ。

 結局子供の我儘なのか、俺をそこまで気に入ってくれたのは正直嬉しいし、また後でファルコニーに頼んで会わせて貰うことだって――


「――だま……て」


 ……黙ってくれ、と言うことか。なにも言ってないのだが。

 俺もファルコニーも言葉を挟まない、冷静になればわかるはずだ。

 心眼で俺の心はわかっているんだ、わかるはずだ。


「ぜんぶ……あげる。わたしを、ぜんぶ、あげるから、負けない、から――」


 涙の枯れた瞳が揺れる。

 俺の刀身に映る白新の瞳も揺れる。掠れた声で。


「――だから……捨てないで」


 涙の代わりに、呪詛のように吐き出される言葉は絶望に満ち溢れていて。

 暗い碧眼がまるで壊れた人形のようで。


(捨てるって……いや、いやいや)


 はっきり言えば捨てられたのだ、あえて意識しないようにしていたが、父親から捨てられたばかりの情緒不安定な女の子。


(いやいや、違うってば)


 物騒なことを言うな。俺は慌てて弁解しようとする。

 俺は剣として主の幸せを願い、主の望むように動くだけだ。

 断るのならその選択を尊重するから、きちんと理由を教えて欲しい。


(と言うか、逆じゃないか、俺が捨てないでくれと懇願するならわかるが――)

「わたしを、全部……あげるから、あなたを、全部……ください」


 話を聞いてくれない。

 刀身に映る少女が一筋の涙を零す。

 唐突に、白新の言っている言葉の意図が分かった。


 そんなことは出来ない。

 反射的に思う。

 常識的な言葉を言語化して伝える前に。


「命令……です」

(おま――)


 ドンッ! と主認証回路が俺の意識を超えた部分に直結されるような感覚。

 当たり前だが、ファルコニーの模倣ではファルコニーには勝てない。

 ファルコニー以上の強者を模倣しなければ勝てない。

 そんな存在はこの大陸にはいない。


 人間以上、伝説を越える者を真似る必要がある。

 ファルコニーの手にある俺から目を離さない白新。

 俺は命令に逆らえず、軽く両手を握る動きを思い描く。白新はその通りに動く。当然、刀身に映る白新も同じ動きを取る。

 心眼能力での相手の動きを模倣する。


「やれそうだな」


 俺が思い描いた言葉を、白新がそのまま呟く。

 模倣の対象は、俺だ。

この場合は模倣どころではない、トレース。

 追従の方が正確か。思考の追従。


「ほう、ここまでとは……」


 白新は完全に俺の意識に飲み込まれている。

 精神攻撃に弱い心眼使いの弱点を利用している、これはちょっとした精神支配だな。


「いいじゃないか」


 俺は気取りながら笑う。


「白新ちゃん……?」


 音も無く。

 俺が長い月日をかけて思い描いて来た、妄想の中で作り上げて来た、理想の最強剣士が降臨していた。

 俺の考えた最強の剣士。


 白新の身体を使い、その全てを完璧に再現させる。

 まるで子供が無邪気に人形で遊ぶように。

 全てが俺の手の中にある。


 神巌流、一蓮托刀の型とでも名付けようか。


「俺だよ」


 最強の剣士は堂々と宣言する。

 俺は白新の身体を使い宣言する。

 一瞬遅れて何が起こっているのかを理解したのか、歴戦の勘と言う奴か、俺の本体を隠そうとするが、させるはずがない。


「行くぞ、勇者よ」


 最強の剣士は跳ぶ、その跳躍で目指すはファルコニーの足元にある模造刀。

 ファルコニーが警戒していたのは手にしている俺だったので当然奪える。

 拾い上げ、足りない威力を回転で補って、その横面を吹っ飛ばしてやる。

 反転の途中、白新は――最強の剣士は、ファルコニーが手にした日ノ輪刀、俺の峰で打たれる。


 峰打ちくらいで最強の剣士はひるまない。

 脇腹を打たれたまま、俺は俺を腕で挟み、最強の剣士は不敵に笑う。


「俺を返して貰うぞ!」


 ファルコニーの手首を模造刀で殴打。

 一度は耐えられるが、二度目は自ら俺を手放した。

 最強の剣士は俺を、俺と言う最強の剣を取り戻した。


 主認証回路で主の霊素経脈は分かっている、俺が身体を操れば常に霊素を限界まで引き出し、全力で霊素を巡らせて達人を凌駕した動きが出来る。

 正真正銘最強剣士だ。

 用済みの模造刀をファルコニーの顔面めがけて投げつける。


 同時に。

 最強の剣士はその身を翻し、目にも止まらぬ一閃でファルコニーを斬りつける。

 軽い手応え。

 ファルコニーの服が、胸元がさっくりと切れて、はらりとはだける。


「ほう、今のを躱すか。流石は勇者ファルコニーだ!」


 相手も負けていない、投げつけられた模造刀を、俺を躱しながら手にしていた。

 ファルコニーは着地と同時に、視界から消える程の動き。

 踊るように俺の本体、刀身を狙って来る。


「見えているぞ!」


 最強の剣士は見逃さない。だって最強だから。

 避けずに迎撃。全身全霊を使って横凪ぎに切りつける。

 刃はファルコニーの肩に食い込み――この感触は耐刃繊維か――俺は全力で自分が壊れないよう、主の霊素を遠慮なく引き出し補強ブースト。


「ぐっかっ――」


 苦悶の声を上げて吹き飛んでいくファルコニー。

 補強しなければ大の大人を壁まで吹っ飛ばす反動で拵えがバラバラになってしまう所だった。

 盛大な音と立てて壁にぶち当たり、跳ね返って倒れるファルコニー。


「ふっ、トドメだ」


 最強の剣士は俺を一振り。

 その後、跳躍して心臓を一突きだ。

 血の味ってどんなかな。


 最強の剣士は跳ぶ。跳ばない。

 あれ? おかしいな。跳ばない。

 最強の剣士が足を止めるなんてありえないのに。最強の剣士が膝をつく。


 白新の足が奇妙な形に変形している。踏み込んだときに折れたのか。

 手の指も、手首も、鎖骨と肋骨にもひびが入っているようだ。


「チッ」


 それでも最強の剣士はそんなことで負けたりはしない。

 片足を引きずりながらでも敵を目指して倒す。

 血を吐き、血の涙を流して、足の骨が折れて皮膚を突き破っていても最強剣士は負けたりしない。

 だって最強なんだから。


 ファルコニーが起き上がり、頭を振って意識を取り戻そうとしている。

 はやく、トドメを。


 螺子切れ裂けた脇腹の肉から太腿に多くの血が流れ、輝く大理石に小さくて赤い足跡を残して行く。

 ファルコニーは、俺という最強剣士を怯えるような眼差しで見る。


 廊間の中央、脱ぎ捨てた外套の傍、剣帯へと飛び込むように駆け、細剣を手にしたファルコニー。

 近づいて来てくれるとはありがたい!


「ここでの出来事は完全に隠したい。機能を使うときも意識は閉じていてくれ。すまない、命令だ」

(了解です、ファルコニー)

 

 やはり剣精霊だったか。

 一瞬だけ鳴り、可愛らしい声で細剣が応えた。

 やっと本気を出すのか?


 相手の細剣の機能を警戒する必要があるか?

 否。最強の剣は俺だ。

 最強の剣を手にした最強の剣士はどんな機能を持った剣精霊にだろうと負けはしない。


 折れた足で踏み込んで行く。

 血を吐き咳き込む喉は気にもならない。

 最強の剣士だからな。最強の剣士は、最後には絶対に勝つ。


 細剣を手にした状態で、片膝立ちのファルコニーの前に立ち、上段に構えた俺を一気に振り下ろす。

 ファルコニーの肩に刃は食い込み。

 ……あれ?


「何故だ、何故切れない!」

「当然だよ……」


 おかしい、最強の一撃が決まったはずなのに。

 俺の切っ先は鎖骨を割って、肺を切り裂くはずなのに!


「何故――ごっふ!」


 最強の剣士は、立ち上がるファルコニーに押され、なんの抵抗も出来ず仰向けに倒れる。

 脚はねじ曲がり、関節の外れた細い腕は気持ちよさそうに伸ばされ。

 糸の切れたマリオネットのように床に転がる小さな――俺は小さな手を離れ、大理石の上に転がり乾いた音を響かせざっけんなっ――


(――っあああああああああああああ、医者だ! ファルコニー、医者を呼べ!)


 本来なら、命令が解けるのにはまだ早い。

 感覚として分かる。なのに命令が解けた。

 命をかけた号令が、終わった。終わった。終わった。


 白新が生命を保つ分の霊素まで、全てを使い切った。

 外傷も酷い。小さな身体はあちこち螺子切れていて、身体の内側で内出血が広がり、折れた骨は皮膚を突き破り、無惨なことになっていた。


(ふ、ふざ、ふざ、ふっざけるなっああああぁああああ、こんな、こんなことがあっていいわけ……おいファルコニー! 俺を白新の手に持たせろ、俺の霊素を全部渡すから!)


 精一杯の剣鳴りでわかるだろ! 空気読め!

 俺はうるさいくらいに剣鳴りを断続的に鳴らす。


 ファルコニーは苦々しく白新の小さな亡骸を見下ろしている。

 清浄な空気の中、小さな躯からは急速に体温が奪われて行く。


(まだ間に合う! 霊素のやり取り、主と剣精霊の間なら出来るの知ってるよな!)

「キミじゃ救えないよ……」


 匂いでもわかってくれているのか、的確に否定された。


(いいから、いいから、いいから早く!)


 焦燥し怒鳴り続ける俺を横目に。

 ファルコニーは逡巡を挟み、手にした細剣を一閃。

 白新の亡骸、その心臓に細剣を軽く突き刺すファルコニー。

 は?


「癒せ、オルフェゲール」


 ……は?

 引き抜いて、溜め息と共に剣を払う。


(お、ま――え? へ?)


 なにかが俺を掴んだ。

 素早く俺を手にしたのは、ぼろぼろの亡骸だったはずの白新。


(――へ?)


 そのまま俺の切っ先をファルコニーの首に当て、上体を起こしながら、相手を睨み上げる。

 生き返った。え?


 一拍遅れで動いたファルコニーだが、それでも早い。

 細剣は白新の額に向いている。

 白新の額に突きつけられた細剣の先端と、ファルコニーの首に突きつけた俺の切っ先。


「わたしの……勝ち……です」

「……引き分けじゃない?」

「わたしの……勝ち……ですよ」


 白新は繰り返す。

 ゆっくりと立ち上がるのに合わせて、ファルコニーは細剣を下げる。

 白新は首に添えた刃を微動だにせず、ファルコニーが動けば斬る気だ。


 あれ? 足とか……あれ? 傷がない?

 え、全部俺の妄想? じゃないよね? あれ?


「白新ちゃんに人を殺せるとは思えないけど」


 俺の混乱はよそに、微笑む。

 白新は微笑む。


 凄惨な流血の跡が残ってなお、ぞっとするほど綺麗な顔で。

 あ、こいつ既に覚悟決めてる。

 話はまったく理解できないが。


(とにかく引けファルコニー、こいつ刺し違えてでも殺る気だ)

 

 やはり嗅覚で感じ取ってくれているらしく、ちらっと俺を見て黙り込むファルコニー。


「簡単な……話、です。ファルコニーさんは、こんなことで、死ねない。わたしは、この剣のためなら、死んだって、いい。その、違い……です」


 どんな考えを読んだのか知らんが、たぶんファルコニーの考えに答えたのだろう。

 俺は狼狽えたままの思考を整理するのに務める。


(死んでもって……)


 今この時ほど手が欲しいと思ったことは無い。

 頭を抱えたい。

 切実に。

 馬鹿かこいつ。


(おまえ――)

「剣精霊を……奪うなら、決闘、するはず……です」


 本気で言ってるのか、言いかけた言葉を遮られる。

 ああ……話に聞いたことあるよ、正々堂々剣精霊を賭けて戦う儀式。

 剣精霊の所有者に打ち勝てば、その剣精霊は勝った方になびくってやつだね。


 うん、そう言う所あるよ、より強者を求める所あるよ、普通の剣精霊は。

 でもそれ、B級以上からの話で、俺みたいなのは論外だろ、C級剣精霊に命を賭ける価値なんて――


「わたしが……この、剣の、主……です!」


 ――堂々と宣言される。

 証明してやる、とはそのことか。てっきり紅蓮絡みの話かと思った。


「それも……少し、あります、が。それより、も。なにより、も。あなたは、わたしの、大切な剣、その、証明……です」

(……も、もしかして、もしかしてだぞ?)

「黙って……ください」


 ファルコニーの首に添えられた切っ先が微かに揺れる。

 嫉妬?

 な訳ないよな、俺がS級剣精霊をただ羨望するように、普通の剣士が、自分の剣精霊が勇者に憧れるのを嫉妬なんてしても……白新の顔は真っ赤だ。

 唇を固く結んで、嫌そうな怒り顔。

 握った柄を指で、トン、と叩かれた。おい。


 ……おい。

 ……言われた通り黙っているが、深い溜息を吐きたい気分だ。ついでに吐きたい。

 そんなことで命まで賭けたのか?

 お前は。C級剣精霊のために?


 普通の剣士なら勇者の凄さくらい理解出来るよな?

 剣が剣士として魅力的に思ってるからって、嫉妬なんてしていいレベルの相手じゃないことくらい空気でわかるよね?

 むっとしながら、二度、叩かれる。ノー? わからなかったって?

 

 ああそうか、剣士じゃないから……いや、でも心眼で相手との力量の差、わかるはずでしょ?

 わかってて挑んだんでしょ?

 俺の主だって証明するために?

 恥ずかしそうに、一度のノック。ああ……もう。


(だからさ、理由を教えてもらえないか? 何故そこまで、こんな俺の為にする?)

「どうせ……こどもの、わがまま、ですよ。でも、いやだから……いや!」


 キッ、とファルコニーを毅然と見上げて宣言する。


「この……剣は、わたしの、物……です!」


 本当に手が欲しい。

 頭を抱えたい。

 頭を抱えて、悶絶したい。

 喜んでる自分が刀身真っ赤になりそうなくらい恥ずかしいわ。

 そんな価値、俺にはないぞ!


「――価値とかなに級とか機能とか、そんなの関係、ないっ!――」


 俺を握る手に力が籠められる。


「あなた……だから……」


 小さくて弱い力なのに、なんかもう腰砕けになりそうなくらいくすぐったい。

 説得は無理そうだ。

 そして勝負は見ての通り。


「……危ういな」


 ファルコニーはぽそっと呟く。

 本当にまったくその通りだよ。


 ハッとして一歩踏み込む白新。遅い。

 ファルコニーの首は、既に刃から逃れている――すげぇマジで切る気だったぞ!

 後ろ手に赤い外套を拾上げて、上空に放り投げるファルコニー。


(あ、詰んだ)


 外套を払えば、その隙に細剣が伸びて来るだろう。

 避けても、間合いを開けられれば次は無い。

 逃げるには命を賭けて、最強剣士になるしかない。そして。


(次あんな命令したら、俺、正気に戻ってから自壊するからな)


 冷ややかに告げる。

 限界超えた剣鳴りで砕け散ってやる。後追い自殺してやるよ。

 白新は、えっ、と涙目で俺を見て、その大きな隙に、頭から外套が覆い被さる。

 視界が閉ざされる。真っ暗ではない。俺と、白新だけしかいない空間。


(子供我儘なんて思って悪かった……ああ、お前の勝ちだ)


 俺は外套の内側で、なるべく小さく言語を発して謝る。

 白新は俺を見ながら固まっているようだ。


「そこまで言うなら、試そう」


 外套の向こうからファルコニーの声。


「一ヵ月、聖剣騎士見習い、そのお試し版ってことで体験入団させてあげよう。剣精霊の所持者としてやっていけるかどうか、試してみるといい」

「……」

 

 白新は外套の内側で俺を凝視したまま押し黙っていたが、ハッと顔を上げて自分の現状に慌てている。

 流石に視界を封じられると心は読めないのだろう。


「そして一ヵ月後に再戦しよう。きちんとした試合形式でさ、僕が用意する剣士と戦って白黒つける。その剣士に勝てれば、聖剣騎士見習いとして正式に勧誘を持ちかける。負ければ素直に諦めて、僕にその剣を譲ってくれる。これでどう?」

「……っ」

 

 視界が覆われていることに耐え切れなくなったようで、外套を払うが、目の前にファルコニーはいない。背後から声がする。


「能力を使うな、なんて言わないけど、頼り過ぎるのは良くない。剣を扱うつもりなら、自力もちゃんと鍛えなさい」


 単純な高速移動で背後に回り込まれた。


「模倣の技でも霊素を操る練習をして、身体もしっかり作ればもっと上手く、長い時間やれるはずだよ?」


 肩に優しく両手を置いて、白新を振り向かせないようにしながら語る。


「最初から生き死に度外視で挑んで来る相手と勝負なんて成立しないからね。僕が治癒剣を使うことも読まれていた。これじゃ勝負にならない、無効だよ」


 勇者は勇者でなかなか負けん気が強いらしい。

 誰がなんと言おうと俺の中ではもう勝者は決まっているけどね。

 白新は似たような状況で紅蓮を精神的に叩き伏せたぞ。

 あ、つまり、この戦い方は紅蓮の真似かい……子供になんたる悪影響。


「わたしが……よく知ってる、剣の、使い方は、少ない……です」


 それにしても治癒剣ね。なるほど。なるほどね……理解した。

 白新がこんな戦法選んだのも考えがあったのか。

 寝不足気味のままここに到着したときよりも健康そうなのはそのせいね。


 永遠の命を求めていた、魔人ラウキート討伐で得たと言う、噂のS級剣精霊。

 あれが治癒剣、銘はオルフェゲールでいいのかな。起こせる奇跡は完全治癒か。

 お目にかかれたな。ハハハハ。


「だから聖剣騎士団で剣の使い方の基礎くらい学んで、剣士がどういうものか見て来なさい。今期の聖剣騎士見習いには優秀な子が多くて白新ちゃんと歳の近い子もいるし。一ヵ月後の試合にも近い年の子を出すから、それで決めよう」

「……」


 ファルコニーの真意が読めずに答えられないのだろう。

 肩を押さえられて固まり続ける白新。


(どっちでもいいけど、断ろうぜ)


 勝ち逃げしよう。勇者から勝ち逃げ、いいじゃないか。

 俺は提案する。


「――お断わりします――」


 白新は言い切った。

 俺も覚悟して主を選んだつもりだが、認識が随分と甘かったようだ。

 もううだうだと言うつもりは無い。


「断ってどうするんだい?」


 最初、白新がファルコニーの申し出をすぐに断れなかったのは、それが俺にとって好条件だとわかっていたから。

 ファルコニーの剣になれるのには、正直惹かれていた。その心を読まれていた所為もあったのだろう。

 だが、我が主は損得抜き、儲け度外視、理屈抜きの感情論だけで大金を蹴って、主であることの証明のため、勇者に立ち向うほど、こんな俺のことを気に入ってくれているらしい。


 賢者でも愚者でも、冷静になれ、勇者が正しいと説得するのだろうが、俺は剣だ。

 道具からな。ここまでされて、剣として応えられることは一つしかない。

 もう揺らがない。

 だから白新ははっきりと断れる。


(この子の剣で居続ける。すまんね、俺は勇者の剣になれない)


 なにがあろうとこの子に、この主に一生仕える。

 勇者よりこの子優先する。


 朝日昇り行く騎士聖堂、輝きの中、勇者の面前で改めて誓おう。

 遠く、朝を告げる教会の鐘が鳴り響く。

 新しい一日を告げる鐘の音が、この世界に澄み渡る。


(……)

「……」

「……」


 鐘が鳴り止むのを待って、ファルコニーは口を開いた。


「王都では、一般人は剣精霊の所持を禁止されているよ」


 私生活でも戦いでも主の足を引っ張るだけの無用の長剣だな。

 何度考えてもファルコニーに引き取って使って貰う方が色々とお得なんだろうけど。

 でも、そんなことは、もうどうだっていいのだ。

 損得なんて関係ない、機能なんて関係なく「俺」をここまで欲してくれているのだから。


 そっか、白新は最初からそう言ってくれていた。

 それなのに勇者になびいてるんじゃ、やさしい白新でもそりゃ怒る。

 本当にすまん。


(C級剣精霊一本くらい、大目に見てくれよ)

「一応籍だけ置いて、所有する剣精霊、C級、機能無しにつき戦力外って名簿に登録するなら見逃すことも出来るかも知れないけど……」

「――いいです。……体験入団、します。だから、名簿には、剣の機能は、ひみつ、で……おねがいします」

 

 即答だ。

 いや、あのな……俺が守られてどうすんだよ、俺のケチなプライドなんて苦労してまで守る必要ないんだぞ。

 それが主の選択ならば従うけど、しまいには泣くぞ?


「一ヵ月後……の、試合に、わたしの、力は、使います……よ?」

「使うななんて誰も言わないよ。精霊返りの思い上がりを叩き潰して、剣精霊を諦めて貰う、それが僕の勝利条件だし」


 にこやかな声なのだが、どこか辛そうな表情なのは白新には見えていないか。 と、その俺の心を読んだのか、白新は眉をひそめる。


「ファルコニーさん……が、姫さま、との――ひっ」


 一瞬で細剣、オルフェゲールの刃が白新の口の中に回される。

 細剣の刀身を握り、背後から子供の奥歯を磨くような形。


「ほら、そういう思い上がりだ。為政者にその能力がバレたら間違いなく利用されて殺される。わかってるよね?」


 ファルコニーはげんなりと嫌そうな顔をしながら言う。

 頷くことも出来ず、硬直して息も飲めない白新。


「わかってると思うけど、治癒用の霊素が溜まるのに半年はかかるから、次は治療出来ない。頷かなくていい」


 いや、すごく言っちゃいけないことを言おうとしたのはわかる。

 人の秘密暴いちゃダメなの、母君との約束でしょ? と後で叱っておくから。


「迂闊なことは喋っちゃだめだよ。剣精霊の方も気をつけてね。騎士聖堂には霊素の匂いが嗅げる僕以外にも、精霊の気配がわかるエルフが一人いるから、あんまり剣らしくない霊素の使い方して騒いでいると不審がられる……いや、あいつなら大丈夫か?」

(いいからその剣下げろ)


 俺はファルコニーを威圧するように低く唸る。

 自分の剣を守るため、死を覚悟して勇者に挑んだ幼い剣士はもうそこにはいない。

 勝負事から外れてしまえば、自分の持つ剣の重みで腕は下がり、ただの刃を付きつけられて怯える少女がそこにいるだけだ。


 少女は震えながら言葉を続ける。

 ――ガチッ、ガチッ。

 震えながら。細剣を噛み鳴らしながら。


「ひゃあ……ファルコニーふぁんも、絶対ふぁいに、秘密、ふぃふぇ……くひゃはい」

「……」

(……絶対に秘密にしてください?)


 驚く。

 俺も驚くし、ファルコニーも驚く。


「いや、普通に僕は口固いんだけど……むしろ白新ちゃんが他人の秘密を誰かに言わないか心配で仕方がないよ」

「わはひも……もう、二度ほ、言ひまふぇん……だひゃら」


 この子、この期に及んで、怯える少女のままで、圧倒的な不利な状況で、命を賭けて交渉してやがる。

 瞳に涙を溜めたまま、毅然と勇者相手に交渉を続けている。

 お前の秘密を黙る代わりに、こちらの秘密も黙れと。

 オルフェゲールが引かれる。


「だから、わたしの剣の機能は、誰にも、ひみつです」


 ……いや、ほんとうに、泣いていいかな?


「わかった、誓おう。全ての母なる精霊と……僕の信じる神に誓って秘密にする」


 白新からは見えていないだろうが、胸にオルフェゲールを充てながら、奇妙な聖句で宣言するファルコニー。

 真っ直ぐ前を向いたまま頷く白新。

 交渉成立か。


「でも試合には全力だからね。繰り返すけど、そこで白新ちゃんが負けたら剣は諦めて貰う。金貨100枚あげるから、そのお金で家に帰って学校に通うこと、いいね?」

「わたしが……勝ったら、金貨、500枚……もらいます」


 おま。


「そのお金で……お母さんの、所に……行く……」

「それもいいのかな。こんな状況だし。そういう方向で支援してもいいけど……農村の暮らしは楽じゃないよ?」


 僻地では、せめて子供だけでも都市部に預けたいと願う親がどれだけいるか。


「じゃあ……創精霊を、探す、仕事で……暮らす」


 ああ、俺が言ってたやつね。


「その仕事も楽じゃないってば。それに精霊返りだと無理じゃないかな? まだエルフを雇うでしょ」


 苦笑するファルコニー。

 白新は何も答えない、前を向いて固まったままだ。


「甘く考えてるのか、自信があるのかわからないけど、僕は学校に行って欲しいと思う。イーグレースもそう望むはずだ」


 白新は無言で前を向き続ける。

 何かもう既に決意を固めているような、そんな横顔。

 ファルコニーは懐から勇者の証である、金色の懐中時計を取り出して眉をしかめる。


「ああ、もう時間だ……とにかく一ヶ月後、試合で決めよう。いいね」


 白新は前を向いたまま、聖堂の祭壇、戦女神を見上げるようにして……しっくりと来なかったのか、俺を見てもう一度頷くのだった。


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