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4話 白鞘の中より目覚める日ノ輪刀。主。初陣。

(最初に言っておくが……)


 いや、言わなくてもいいのか。

 大人の足で十歩程先に、大きな剣を肩に担いだ大柄な赤毛の男がじっと立っている。

 言うまでもなく、紅蓮だ。


 そして言うまでもなく俺ではあの剣、グロリアの大剣には勝てない。

 そしてどう言おうと、倍以上の体格差に剣士として素人の白新に勝ち目なんて見出せず。


 さっきの感じからして黒寧の方なら今の紅蓮に十本中、二本か三本は取れるかどうかと言った所だろう。

 腐っても昔勇者と競った剣士だ、強い。

 ここまでの体格差や筋力、腕力の差は完全な内霊操作でも身に着けていなければ追いつかないだろうし、剣術の技も無しではどうにもなるまい。


(えっと、ある、ある、あー……。お前、内霊操作とか出来るのか?)

「少し……だけ」


 少しか。

 ぎこちなく答えてくれた。

 俺のブーストは三十秒しか持たないし鋼の剣のブーストだ、やっても輝鋼鉄で出来てるグロリアには勝てない。

 切り結べば俺の刀身がぶった切られて終わりだろう。


(どうすんだ?)


 店の前の通りには結構な距離を取って人垣が出来ている。

 向かいにあるアパートメントの窓からは全員が顔を出していると言う、少しホラーだが笑える光景の中、白い少女は薄目を開けて、ぎこちなく笑っている。


 傍から見れば長剣を両手で握り、おでこと柄を合わせて、これからの戦いに集中するために祈りを捧げているように見えるだろう。


「最初から……全力で、お願いし……ます」

(了解。聞くのも野暮かも知れんが……命までは取られんのだろ?)

「昔……四年前、一ヵ月だけ、稽古をつけてくれていた頃は、木剣で、寸止めか、軽く当たるくらい、でした……けど……」


 あんだけ激高して、しかも使い慣れない獲物を使っている限り、絶対安全って保証は無いってことか。

 少女は小さく、神妙に頷く。


(一ヵ月の稽古って……お前、どれくらい剣を扱えるんだ? まったく音楽性、じゃなくて剣士の技量みたいなの感じないんだけど)

「わたし自身は……剣の握り方を、教えて貰った、くらい……です」


 この感じはそんなもんだろう。

 遠く、対峙する紅蓮は赤毛が軽く逆立つ程怒りに満ちている。大剣を肩に抱える姿は赤い鬼のようだ。

 体内の霊素も荒れ狂っていることだろう。


(紅蓮、なんであんなに怒ってるの?)

「お父さんは……自分より、強い剣士が、嫌い、なんです。憎む程。わたしが、剣士でもないのに、あなたに認められるの、とか、いろいろ、許せない……みたい」


 嫉妬かぁ。

 そうだなぁ、俺もこんな成りだから強者への嫉妬も分かるけどさぁ。

 ライバルに勝てなかったのがトラウマになってるって感じなのかね。


「……」


 白新は押し黙る。

 父親を悪く言われるのはいい気しないか。すまん。


(お前は自分の力、秘密にしてるの?)


 基本、精霊返りであることはあまり大っぴらにしない物だが、身内にまで秘密とは徹底している。


「お母さんが……絶対、誰にも、言っちゃいけないって。だから……ひみつです」


 なるほど確かに……。

 どう考えてもこの能力はなるべく人に知られない方がいい。

 メリットも多いが、デメリットの多さも半端じゃなさそう。

 そしてどうしても紅蓮への当てつけになってすまんが、お前の母君はさぞ素晴らしい人物なんだろうな。


(でもほら、俺、剣だからいいじゃん、色々教えてくれよ。どうせ普通の人間には創精霊の声なんて聴こえないんだし)

「……ひみつ」


 そっか、まぁそれならそれでいいよ。

 俺はお前の不利になることは絶対にしないし、お前の言葉には逆らわないし絶対に裏切らない。

 それだけ覚えておいてくれ。


「あぅ……はい」

(確認するけど、紅蓮も知らないんだよな?)

「お母さん……以外、誰も、知りま……せん」


 誰にも言えなかったのか。

 お前さん、何歳?


「9歳……です」


 ふぅん。物心ついた頃からずっと隠してたのか。


(俺と似てるな)


 凄すぎる能力を隠し続けているのと、無能なのを隠し続けていた俺とは真逆なわけだが。

 それでも、なんとなく察するくらいは出来る。

 本当の自分をどこにも出せないって結構辛いんだよな。それをこんな子供が。


「あなたも……辛かったの、ですよね……似てます」

(お前に本心言言い当てられて、なんだかすっきりした)


 本当の意味で割り切れたような、心の底に手を添えられた、そんな感覚。

 祈る姿のまま少女は小さく笑う。

 

 日ノ輪国に神託の巫女伝説という物がある。

 初代の巫女は人心を言い当て、自然精霊の動きを予言する異能者だと伝えられている。

 その実態は、あらゆる精霊の声が聴こえ、どんな些細な声でも聞き取れる聴力の精霊返りだった。

 だから当代の巫女はただのアルバイト。象徴であり偽物だな。


(それに似てるけど、違う)


 それ以上だ。

 近いのは、人心の醜さに嫌気が差して山の中で暮らす、サトリと呼ばれる仙人とも妖怪とも伝えられる伝説の方だろう。


(剣士で言うなら心眼使いの剣聖伝説か)


 剣聖と呼ばれる剣士は、相手の全てを見抜き、常に相手の先を読み、急所を的確に打ち、相手の技に同じ技を返し、見た技をすぐさま取り入れる。

 まるで相手の心を見透しているような太刀筋で全ての戦場を無傷で駆け抜けたと言われているが。


(そう言うの、出来るのか?)


 精霊の声が聴こえるなんてレベルじゃない。

 サトリ、剣聖、精神感応、テレパス、サイコメトリーは少し違うか?

 とにかく、こいつは心が読めるんだ。読心の能力。


 視力の精霊返り。

 精霊返りの中でも特殊も特殊、S級クラスの異能力者。


「ひみつ……ですもん」


 ですもんと来たか。

 しかし、なるほど、それなら先程からの奇行にも納得が行く。

 随分無礼なことを考えてしまっていたな、どっちでもいいとかなんとか。

 二度とそんなこと思ったりしないので安心してくれ。


「べ、べつに……仕方ない、こと……ですし」


 微妙に拗ねているのに、俺を気遣っているような、恥ずかしがっているような口調。

 俺はほっと笑いながら改めて紅蓮を見る。

 座った目で祈る白新を睨み続けている。


(いやぁ、しかし実際勝てないだろ?)


 心眼が使えたとしてもたぶん無理だろう。

 9歳の素人女の子と三十過ぎの枯れた剣士が本気で戦っても勝てるはずが無い。

 封印されるのは嫌だが……ま、仕方ないか。

 いざとなればそれでもいい。


「あの……そろそろ、集中したいので、それ、やめてくだ……さい」


 うん? それって?


「その……強い喜びとか、凄い、嬉しいって、その、感情を押さえて。わたしまで、落ち着かない、浮ついて、しまい……ます。犬、みたい」


 あれ、おかしいな、平然装うのに必死なんだけど。

 まぁそうだな、そんな場合じゃないんだよな。


「はい……だいぶ、真面目な場合……です」


 うん、でも本当に無理すんなよ。

 なんだったら俺は折られてもいいんだからな。

 勝ち目は無いんだ、俺はお前の為なら、もういつでも死んでいいよ。


「あぅ、だ、だから……そう言うのを、やめてくだ……さい」


 そう言われても。

 そういうもんじゃないか、剣なんて物はある、あるー、あ……はは。

 いや、ほら戦場で散るのも本望って所あるじゃん?


「あなたは……すごく、他の剣精霊と、違います……よ」


 ああ、まぁその辺はすまないと本当に思ってる。てか、本気で何にも機能がついてない剣精霊なんて逆に珍しいからな。

 正直剣精霊として生まれてきた意味、あんまりないよね。


「いえっ……そう言う、意味では……ありません」


 うん?


「性格が……いい……です」


 性格て、確かに自称清純派だけどさぁ、剣精霊としてそれを第一に褒められて喜んでいいのか微妙なところだな。

 俺は苦笑気味に笑うしかない。


「ご、ごめんな……さい」

(いや、困らせるつもりじゃないんだけどね、俺の性格なんて臆病な癖に見栄っ張りで優柔不断で、自己嫌悪の塊で、そんな良い物じゃないだろ?)


 ほんっと情けない話だけどさ、結局俺は決めてないんだよね、お前が俺を選んでくれたんだ。

 だからこの感情は持ち主を選ぶ剣精霊なんかには絶対分からないだろうな……。


(そう、使い手を選ぶ剣じゃなくて、やっと選んでもらえた剣だからな)


 本当の俺を全て理解した上で俺を欲してくれたお前に、俺の全部を預けるのは当然って所あるかも知れん。

 迷惑か? 


「と、と、とにかく……お母さんからの、うけうり、ですけど。命を張るのは、誰にでも出来ることなのに、たいせつな命はいくつもない。あなたは、わたしのたいせつな、物です。それは、他の誰にも出来ないこと、なん……です」


 言葉がたどたどしくて、ちょっと要領を得ないが意図は分かる。

 顔を赤くして鞘を握る手に力を込めているのは照れているからか。


「そう……ですよ。照れてます、よ。だから、つまり、ダメです。あなたの代わりは、いません。死んだら、ダメです……よ」


 ……。

 剣精霊として、いや、生まれて来て良かったと初めて思った。


「白新い! 貴様から来ぬならこちらから行くぞ!」

 

 無粋な奴だなぁ。

 怒声と共に、霊素の篭もった裂帛の気合いがこちらに向けられる。

 純粋なまでの怒りの所為か、全盛期の鋭さを多少なりとも取り戻しているような気がする。

 紅蓮は大剣を背負ったまま歩みを進め始めた。


「それに……わたしの、やりたいことに、あなたが、必要なん……です」


 お前こそやめろって、そんなこと言われてこの感情を止めろとか無理言うなよ、俺に涙腺が無くてよかったな! 俺が人間なら脱水症状で死ぬくらい泣いてるだろうな!


(で、やりたいことってなんだ?)

「わたしは……願いを、叶えたいの……です」


 見様見真似なのだろう。

 俺の心を見ての。


 店から借りて来た剣帯に俺を帯刀しながら、俺が望んでいる通りに身構える白新。

 柄にしっかりと小さな手が添えられる。


 例えるなら日ノ輪楽器を使ったオーケストラ。

 世界を照らす太陽を讃頌するように、堂々と高らかに。

 俺の心の中で鳴り響く。

 それを見て、その通りの動きを取ってくれる。


 白新の構えに愕然として足を止める紅蓮。


「ふふ……これで、いい……ですか?」


 ああ、完璧だ。

 ファルコニーって勇者と、さっきの黒寧のイメージの混同でな、俺の全長が太刀と打刀の中間くらいだから、お前くらいの体格ならこんな構えが最適かなーって。


(抜刀するときは、鞘を背の方に回して引きながら、腰を捻って肩をー……まぁ説明はいらないか)


 イメージで伝わるだろう。出来そうか?

 白新は頷きながら呟く。


「ファルコニーさん……知って……ます」


 まぁ有名人だからな。

 俺の知ってる中で一番優れた剣士のイメージを、同じ体格の優れてる奴の構えを参考にしてお前用に合わせたって所だな。


「あなたが……楽しそうで、わたしも、わくわく、してしまい……ます」


 ま、俺の望みはもう半分以上叶ったよ。

 後はそうだな、いい伝説が作りたい。

 今はまだ漠然としているけど、いい伝説になればなんでもいい。

 やりたいことがあるならどんな使い方でもしてくれ。


 何をやりたいのかよく分からんが、いい。

 どんな使い方されてもついて行く。

 剣として、こんな俺に出来ることがあるならなんでもやるよ。


 俺は全部、お前の物だ。


「あぅ……」


 騒がしい観衆に囲まれて、今まさに鬼のように冷たい表情で大男が迫って来ていて、雰囲気もなにもあったもんじゃないが、気持ちだけは背筋が伸びるような厳粛な気分だ。


(貴方の剣として、ここに忠誠を誓おう。ある、あ、ある、あー……あ、主よ)

「はいっ」


 ぽそっ、と呟き気味で宣言する俺に、元気良く頷きやさしい微笑みで応えてくれた。


 俺は剣。

 無銘の日ノ輪刀。

 ただの鋼の剣。


 長き年月を経て、今、抜き放たれた。

 白刃は天を穿ち、日光を反射させて輝く。


(うん、やっぱりいいな)

 

 初めて刀身で、俺の本体で直接外の世界が見れた。

 視界は良好だ。

 白新は刀身に絡みつく霧状の霊素が晴れるのを待って。


「やっぱり……きれい」


 そっと俺の刀身に指で触れる。初めて製作者以外の人間に触れられる感触は、柔らかくて暖かく。

 そして驚くほど小さな指の感触だった。

 周囲からの大喝采で白新の嬉しそうな声はかき消されるが、柄を握られている俺にはちゃんと声は届いているぞ。


(主として正式に認証したからな。もうお前以外には抜刀できない剣だ。よろしくな!)


 主がいると言うこの心強さ。

 主が俺を気に入ってくれているそうだ、こんな俺を。

 これは本当に無敵だな。もう何も怖くないってやつだ。


「はい……よろしく……です」


 白新はくすっと笑い、改めて正眼で構えを取る。

 俺はブーストを全開。

 一応ぱっと見、玄人でも誤魔化せる程度には切れ味良さそうに見えるでしょ。

 周囲に霊素が霧のように漂い煙る。

 主の為に力尽きるならば本望だが、主がそれを望んでいないなら俺はそれに全力で応えるのみ。

 なのだが。


(物理的に無理ってことはあるから、その辺は了承してくれよ?)


 紅蓮は怒りに我を忘れているのだろう、凍った表情のまま、目を見開らき、唇だけが震えているのが余計に怒りの凄まじさを表しているようで。

 紅蓮は唐突な動きで石畳を大きく蹴り、一息に距離を詰め――肩から大剣、グロリアを振り下ろす。


 形だけ完璧でも素人には避けれないだろう。

 うん、受け止めていいぞ。


(で、初陣でパキーンと折れて終わりか……。ま、盛大な笑い話にはなるわな)

「――笑わせないし、終わらせない――」


 呪文のような早口で――紙一重で回避する白新。

 僅かな霊素を、一瞬だけ回避のために回しているのか。

 あら、やっぱり真剣な顔、きりっとして可愛いわこの子。

 って、出来るんじゃねぇか心眼! 心配させんな! わりと本気で怒るそ!


「――自信なかった、これするの、四年ぶり、それとひみつだから、言わない――」


 そうですか。

 内霊操作の練度自体は9歳ならこんなものかと言った所で危なっかしいが、これが出来るなら避け続けて――グロリアの剣先が風を鳴らして白新の鼻先紙一重を通過して行った。

 ……。

 殺す気か! 殺す気か?


「――殺意も、あります――」


 ……あ、そう。

 ところで、なんでそんな早口なんだ?


「――考えないで喋るのは、怖くて、でも言いたくて、言っておきたくて。えと、話、あとで――」


 あ、はい。

 真っ直ぐに紅蓮を視界に収め、迫りくる斬撃を紙一重で回避して行く。

 まるっきり太刀筋を予知しているようだ。


(……すごいな) 


 妄想ばかりで、実戦経験の無い俺は相手の心を読めると言うアドバンテージ、心眼使いの凄さを全然わかっていなかったようだ。

 白新は大振りで打ち出される大剣を寸前で、僅かな動きだけで回避して行く。

 避け続ければいつか隙が出来ると思っていたのだが……。


(なにが勝てないだ。……これ、いつでも相手殺せるのな)


 合計にして八回、グロリアを避けている間に、殺せるチャンスが十回以上あった。

 と言うか、紅蓮の戦い方がえげつない。

 まるで防御のことを考慮せずに、勢いだけで剣を振りまわしている。


(俺という剣精霊の機能を警戒して、発動させまいとしている?)


 そんな様子でもない。ただの特攻に近い。

 しかもグロリアの重さを完全には扱いきれていなくて、その自覚が無さそうなのも余計に隙を生んでいるようで。


 勢いと共に霊素の乗った気合いでの威圧――剣士の間では気当てなんていう――を放ちまくるのでもう無茶苦茶なのだが。

 無茶苦茶だから効果がある。


「どらぁぁあぁあ!」


 激しい気当てを正面から受け、白新の動きは一瞬だけ鈍る。

 それを見逃すようならこんな戦い方はしないだろう、不自然な態勢から、急所を晒しながら大剣が追いかけて来る。

 紅蓮の首を斬らないなら。


(斜めで受けろ!)


 白新は即座に俺の声とイメージに応じる。

 全力で振り回される大剣をいなすよう、俺を構える。硬化、否、靭性に全力ブーストで、耐えられる、はず!

 剣戟の音が高々と鳴り響き、白新の小さな体は勢いのままに吹っ飛ばされる。


(っ……すまん、お前の体重とか考えてなかった、大丈夫か?)

「――はい、いえ、助かりました、こちらこそ、すみません――」

 

 刀身の芯鉄に響くような衝撃に痛みを覚えつつも、主の方が気がかりだ。

 間合いが取れたのは結果的に僥倖と言えるか、この間に上がった息を整える白新。


(てか、紅蓮、こいつ……)


 炎王流にあると言う防御無視の攻めのようで、全然違う。

 相手が反撃をするなら急所を打つしか無いような戦い方。

 枯れたとは言え、まともに戦える技量はあるだろうに、紅蓮はわざと自分を人質に取るような戦い方をしている。

 この戦法に慣れている節すらある。


(自分を盾にしてる)


 こんな剣の使い方してりゃ腕も落ちるわ……力で捻り潰す戦い方に加え、自分を倒したければ殺して見ろと言わんばかりの捨て身の戦法。

 急所を守らないから無茶が出来て、こちらは殺せないんだから防戦一方。

 その上、体力の差が圧倒的。


(なるほど)


 確かに、回避の上手い格下相手には有効な戦法なのかもしれない。

 殺されないという前提があればの話だが。


(……大丈夫か?)


 避けきれなかったグロリアをいなしたとき、ブーストをかけていなければ折られていたし、一度剣を捌いただけで白新の体力はごっそりと削られている。

 ただでさえ心眼を使いながらの運動は相当な負担がかかるんじゃないか?

 殺さないなら勝ち目がないし、殺してしまえば勝利なんてとても言えない。

 ……酷いわ。


(ブースト、あと十秒も持たないぞ、そっちは……おい?)


 俺のブーストが先に終わるか、白新の体力が尽きるのが先か。

 だがその前に、別の物が耐えきれなくなっていた。


「はぁ……はぁ、は、は……は」


 白新の様子がおかしい。

 いや、わかる、いや、わからない、わからないけど、そうなるのはわかる。

 心なんて読めない俺でも見てればわかる。


「ハハ、ファルコめ、イーグレースめ、あやつらはどこまでも拙者を愚弄し続けおるわ……四年前、僅かに剣を教えただけでまだこの動きが出来るか。おぬしには拙者達がさぞかし道化に見えておるのだろなぁ……」

(剣構えてるからそれっぽく見えるだけで、ただ跳んで避けてるだけだっての。剣士の技術じゃないんだけどなぁこれ。それでも許せないのか……)


 9歳の娘にこれだけ避けられると言うのは、腕に覚えがある剣士には屈辱だろう。

 大きな体を揺らしながら呪詛のような言葉を吐き出す紅蓮。

 剣の一振り一振りに込められる尋常では無い殺気。

 自分を殺して見ろと言わんばかりの卑屈な戦法。


「っ……くっ……」


 裂帛の気当てと言うよりも、醜悪な嫉妬と殺気を当てられ続け、白新の心の方が耐えきれなくなってしまったようだ。

 顔色は蒼白で額には脂汗を浮かべ、体は小刻みに震えて心が折れる寸前。腕から力が抜けて、切っ先がゆっくりと下がって行く。


(おーい、俺にはなにが出来る? 俺が必要なんだろ? 必要だって言ってくれた。俺に出来ることを教えてくれ)


 俺を握る手に、僅かだが力が戻る。


「はぁ、っ……ごめん、なさい。もっと、上手く出来ると、思ったんです……けどっ」


 一度言葉を区切り、紅蓮の手から適当に薙ぎ払われた刃圏から飛び退く。

 着地のバランスが崩れて、危うく転びそうになる。

 這うように身体を立て直して、震えながら構えを取り直す白い少女。


「あなたに……こんなことを、させるのは、嫌な思いを、させてしまうので、上手く……やろうと思って」

(俺が嫌がるから言い出せないってこと?)


 なんだそれは?

 考えを巡らせる。俺が出来ることなんて限られている。

 俺に出来るけど、嫌がる。でもやって欲しいこと?


(もしかして……お前がやりたいことは、こう言うやつ?)


 俺は頭の中にイメージを広げる。白新は躊躇いつつも小さく頷く。


(構わん、やろう。確かに嫌だが、お前の為ならやるよ)


「っ……ありがとう、ござい……ます」


 紅蓮はもう余裕を持って剣をぶん回しているだけだ。白新の心が折れているのを見抜いる。四年前の稽古とやらでもこうだったのか、手慣れている。

 後は白新が負けを認めるまで適当に追い詰めて俺を回収する。そう言う打算だろう。

 逃げるように距離を取り、肩で息をする白新。


「でも……もう、無理……です」


 俺の切っ先は石畳を小さく鳴らした。

 白新は俺から片手を離し、俯き顔を押さえて溢れる涙を隠す。

 その小さな手が震える程の力を込めて、顔を覆う。


「――なんで、わたし、こんななの、こんな、目いらない、わたしが、こんなじゃなければ、わたしなんて、いらない、いらない、こんな目があるせいで、いらない、おまえはいらない、いらないおまえさえいなければ……――」


 紅蓮の思考に充てられて飲まれているのかこれ?

 呪文のような早口で、自分への呪いの言葉を口の中で繰り返す白新。


(まぁ確かに……)


 心が読めるのも良い事ばかりじゃないんだろうなぁ、なんて漠然と察することは出来るんだが、本当の苦しみなんて微塵もわかってあげられないことだけはわかってる。

 どうすればあんな風にあれだけも涙を流せるのか、涙腺の無い俺にはさっぱりわからないし、父親から殺意を向けられる、その殺意が直接見えてしまうその悲しみの深さも、親と言うべき製作者からの温情で逃がして貰えた俺にはわかるまい。


 紅蓮は大剣を肩に背負い直して、大きく溜め息を吐く。

 白新はその音にびくりと体を震わせ、ただの子供のように声を殺しながら泣き出してしまう。

 俺には涙を拭ってやることもできない。


 俺は剣。

 戦うための道具だ。

 だから。


(白新、我が主よ)


 俺は出来るだけ優しく声をかける。

 ついさっき、何も出来ない、惨めな自己嫌悪の塊だった俺を抱きしめて、優しい言葉をかけてくれた少女の為に。

 俺を選んでくれた主の為に。

 主が戦えるように。


(俺だけ見てろ)

「――っ」


 白新は瞳を大きく見開いた。

 大粒の涙が水晶のように煌めいて舞い散る。


 俺は、俺に見えている光景を、そのまま意識に広げて行く。 

 周りの光景を白新に伝えることに徹する。


(動きとか、全部俺が考えてもいいんだが……最終的にどう動くかはお前に任せるぞ?)


 俺はあくまで剣だからな、主に仕えるべきであって、主を使う剣がどこにいる。せいぜいがアドバイスまでだ。


(実戦経験もないしなぁ)


 長い間妄想の中だけで大袈裟な伝説に張り合おうとしていたから、素人に無茶な動きを要求しそうで怖い。

 あと、紅蓮の思考に飲まれてる白新の姿が……なんか嫌だ。

 あれは良くない。妖刀でもあるまいし、やっぱり主の意思を尊重しないとダメだと思うの。


(どうだ? これでやりたいこと、やれそうか?)


 いよいよ無理そうなら全部俺が考えてもいいけど。

 そういう選択肢もあるぞと提案だけはさせてもらう。


「あ……」


 じっと俺に視線を落として、呟き固まる白新。紅蓮が一歩ずつ近づいて来る。

 正面に立つ大柄な赤毛の男。

 小柄な白い少女は、自分の剣に目線を落としたまま動かない。


「さあ! その聖剣を渡すのじゃ! ここまで手を抜いた剣術にも勝てぬ、逃げ腰のおぬしには過ぎた剣じゃろう!」


 よく言う。

 観衆にも認識させようとしているようで、大声で恫喝するように白新の頭に声を叩きつける紅蓮。

 周囲からどちらに対してか良く分からんがブーイングなんかも起こっている。


「……」


 白新が唐突に泣き止み、ぴくりとも動かないことを不審に思ったようだが、昔の稽古ならこれで終わりだったのだろう、紅蓮は怪訝な面持ちで俺に手を伸ばす。


「ふんっ、聖剣の機能も引き出せぬ未熟者が!」


 俺に機能なんてないし。

 すっと躱す白新。

 表面上、この茶番を自分の勝ちで終わらせようとしていたが、内面では激高状態が続いていたようで、反応は早かった。

 即座に振り下ろされるグロリア。


 白新の身体は一転。

 剣士の歌が鳴り響く。

 風のように軽やかな調。

 風神流だな。


 両手で俺を握り直し、体を回転させて大剣を躱す。そのまま紅蓮の首に俺を叩き込む。刃先から切っ先まで、紅蓮の太い首の上を、刃は疾走る。

 舞うように、もう一閃。


 振り抜いた俺を反し、紅蓮の脇腹を通り抜けざま、腹に刃で撫でつけて行く。

 そのまま傍らを走り抜けて間合いを取り、静かに、流れるように紅蓮に向けて構えを取り直す。

 残心も完璧、見事な腕だ。


 全ては一瞬の出来事。

 遅れて、紅蓮は何かを思い出したように、刃の疾走った首筋をばっと押さえる。

 周囲からは悲鳴や罵声、歓声や驚きその他諸々、様々な声が上がっている。

 その中で、一際大きく悲痛な声が通りに響き渡った。


「おとうさぁん!」


 黒寧を筆頭に、身内集団、リンド傭兵団の面々が悲痛な面持ちで駆け寄って来る。

 紅蓮に駆け寄った中には、聞くに堪えない罵声を白新に浴びせている者もいるが、白新は焦点の合わない半眼で、ぼうっと自分の剣、俺だけを眺めながら構えを崩さない。

 紅蓮は首筋を固く押さえたまま、憎しみの眼差しで白新を睨む。


「き、きさま……はっあああああ」


 取り巻きを振り払ってグロリアを掲げる紅蓮。真っ直ぐに振り下ろされる。

 白新のわずかな体捌きで避けられた大剣は、石畳が割れる程の勢いで地面に叩きつけられた。


 身体ごと避けた結果、図ったかのように、打ち下ろした紅蓮の手首が、俺の前にある。

 白新は片手を俺の背に添え、刃を紅蓮の手首の上に押し当て。引かれる。

 その勢いのままに剣と小さな体は翻り、切っ先はもう一度、紅蓮の首をなぞった。


(木剣とかならお構いなしで突っ込んで来るんだろうけどな)


 真剣で切られたとなると動きを止めざる得ないのは剣士の性質か。

 白新は残心を取って、油断なく切っ先を紅蓮へと向け続ける。

 周囲も目の前の光景の異様さに気づいたようで、歓声も不可解に対するざわめきに変わって行く。

 紅蓮は震える手で自分の首や手首をさすりながら白新を見ている。


(これのために俺が欲しかったんだなぁ)

 

 最初は俺に気を使って、丁度ブーストが切れてなまくらになった辺りで決着をつける計画でもしてたんだろうね。


(最初から、斬れない剣が欲しかったのね)


 だからもういっそ刃を丸くしてやったよ。切れ味操作はなにも鋭くするだけじゃない、その逆もできる。

 むしろその逆の方が簡単、だらーっとすればいいだけだ。

 これならいくら切り付けたって傷一つつかないだろう。ははは……俺、斬るための道具なのに、はは。


「白新ぃ、お、おぬし、この剣術は……イーグレースか……?」


 自分の掌を確認して、ようやく自分が何をされたか気づいたようで、紅蓮は震えながら愕然と呟く。

 イーグレースって、ちょいちょい名前出てるが、誰だそれは。


 俺は目の前の光景と、相手の隙や打ち込める場所を客観的に思い描いていただけで、動きは全て白新が決めて成し遂げたことだ。

 白新が使った剣術は、そのイーグレースとやらの動きを思い出して使っていたのだろう。


 心眼の剣士は相手の技を見抜けると同時に、見たことのある技を再現することが出来る、剣術の模倣が使えると言う伝説も事実らしい。


(しかし、これ強いな。戦闘中剣鳴りとかで主に指示出すような剣精霊もいたりするらしいけど、心で状況を伝えられるこの形はまったく無駄がなくて……うん、強い)


 心眼流、以心伝心の型とでも名付けようか。

 いや、白新の能力は隠すんだから心眼流は不味いのか。神巌流とか?


(神巌流、以心伝心の型に剣術模倣……いいね、かっこいい)

 

 とにかく。

 紅蓮はぶつぶつと何かを呟いていて、取り巻きも傍に近寄れるような雰囲気ではない。

 黒寧だけは駆け寄ろうとして、周りから押し留められてもがいているが。


(……決着だな)


 白新は一度ぎゅっと目を閉じてからゆっくりと瞼を開ける。

 正気を取り戻すように目に生気が戻る。が、その表情は悲しそうだ。

 静かに俺を納刀して、逡巡を挟み口を開く。


「とある方からの……うけうり……ですが」


 白新は喉を鳴らし、呼吸を整えてから続ける。

 なんだかんだであと一回攻め込まれていたら終わっていただろうな。

 立っているのも限界のようで、膝が笑っている。

 それでも、毅然と顔を上げて続けた。最後の力でぎゅっと俺を握りながら。


「今を……変える怖さ、と。このまま、間違い続ける怖さ、を、選ばないと……いけないって」

(うん? だれのうけうりだ? いいこと言う奴だな)

「その方も……ううん、みんな、間違えて、苦しんでいるのに、それでも、願いを諦められなくて、苦しんでいて、それでも、って言い続けて、踏み出せずに、迷い続けていて……だから」


 白新は自分の前髪をくしゃっと握る。


「だから……わたしは、願いを……叶えたくて」


 きっとそのまま俯いてしまいたいのだろうが、前髪から手を離して顔を上げる。

 紅蓮をしっかりと見ながら告げる。


「お父さんは……もう、負けて、いるん……です」


 紅蓮の手からグロリア、栄光の大剣が滑り落ち、石畳に乾いた音が響いた。

 無言の時間が流れる。

 紅蓮はもちろん、周りの団員も、何か思う所があるのか口を開かない。


「守る……物を、選ばないと……ダメです」


 たっぷりと時間を置いて。


「……それは、誰の言葉じゃ、イーグレースか?」


 紅蓮は石畳の上に転がるグロリアから視線を上げ、ぽつりと問う。

 対して白新は小さくだがはっきりと首を振る。

 それを見届けてから。


「白新よ、今このときを持って、おぬしとは親子の縁を切る」


 平然と、当たり前のように、今までで一番落ち着いた声色で、事務的に告げる紅蓮。


「おぬしは二度と竜胆の性を名乗るでない」

「はい」


 間髪入れず、食い気味に答える白新。


「後は拙者達が取り持つ。おぬしは先に屋敷に戻り荷物をまとめて出て行け。聖剣の主ならば城から呼びがかかることじゃろう。その後は好きにするがよい」


 紅蓮は財布からありたけの紙幣を取り出して、白新に握らせた。


「……はい」

「二度と竜胆家の敷居は跨がせぬ、今生の別れになるじゃろう。さらばだ」

「……ぃ」


 はい、と答えたのは、周りには聞こえなかっただろうが、それ以外答えようがないことを知っているのだろう、二人のやり取りを息苦しそうに見守っている。

 黒寧だけが話を理解出来ずにぽかんと口を開けている。


「え、え、え、どういうことなの?」


 紅蓮は白新に背を向け、困惑する黒寧を抱え上げてその頭を撫でる。

 まるで普通に仲の良い親子のようだ。

紅蓮の横顔は疲れを感じさせるが、どこか寂しさと清々しさが同居しているようで。

 白新はその光景から目を背け、反対方向に歩みを進める。


(あ、店主。世話になったな。べつに名残惜しくもないが、今まで俺を大事にしてくれたおかげで主と出会えた。ありがとう、感謝するよ)


 手短に店主と別れの挨拶を済ませる俺。

 何故かキャベツを預かっていた店主にお礼を言いながら、剣帯をこのまま買うと申し出て代金を支払っている。

 白新が釣りはいらないと言うと、むっとしながら紙幣を一枚突き返してあげていた。がめつい奴だと思ってたけど、やるじゃん。

 そのまま心配そうに声をかけている。


「……お嬢さん、大丈夫ですかい?」

「はい……大丈夫……です」

「新たなレジェンド使いの誕生を盛大に祝う、宴の企画もあるんですが……」


 白新は店主に無言で頭を下げて、キャベツを受け取る。

 そのキャベツを小脇に抱えてとぼとぼと歩き出す。反対には俺をぶら下げて。

 このままどこへ行こうというのか。


(屋敷ってどこにあるんだ?)


 傭兵団の拠点と言えばここの裏手にもいくつかあるが、リンド傭兵団なんて名前は聞いたことがない。


「東側の……剣術道場で、傭兵は、副業……です」


 リンド……あ、竜胆剣術道場か、はいはい、噂で名前くらいは聞いた覚えはある。

 乗合馬車を使えばすぐだろう。円環通りに出るか。


(道、ちゃんと分かる?)


 9歳の女の子が泣きながら歩いていると迷子と思われないか心配なのだが。

 白新はくすっと笑いながら頷いてくれた。

 その拍子に溜まった涙が頬から顎先まで流れ落ちた。

 流れる涙を拭いもせず歩む白新に、観衆は気不味い顔をしながら道を開けてくれる。


「――わたしは、願いを、叶えたんです――」


 白新は呟く。


「――わたしは、剣を手放したいと思っていた、お父さんの願いを、叶えたんです――」


 人垣の一番外側で、足を止め俯く。

 涙の雫がぽろぽろと零れ落ちて地面に染み込んだ。


「それでも……ごめんなさい」

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