3話 白鞘の中、眠る日ノ輪刀。主候補の手に。
白い少女と黒い少女は、俺という一振りの剣を間に対峙している。
黒い少女は抜刀のため剣を腰に構え、白い少女はその柄に手を添えて阻止している。
「うわぁ、白新ねぇ――っいだだだぁっっ!」
黒寧はハッと目を見開く。
柄頭を押さえている白新に驚き、集中力で高めた体内霊素は一気に行き場を無くして逆流する。
許容量を超えた霊素の高め過ぎで、霊素経脈を痛めたか攣りでもしたのだろう、反動に苦悶の声を上げる黒寧。
それはともかく。
(……)
この隙に俺は高速で思考を巡らせる。
どんな事情があるのか知らないが、紅蓮は双子の片割れだけに英才教育を施していた。
白い方を選ぶなら、当初の予定通りほのぼのとした笑い話として語られる。
黒い方を選ぶなら、確実に新世代の勇者が手にした剣精霊として語られる。
なまくらだろうがなんだろうが、勇者の使った装備はサイン入りなら高値でやり取りされるものだと聞く。
勇者が使っていた鋼の剣なんて欲しがる人いるよな?
C級だろうと腐っても剣精霊の俺なら確実に聖堂に祀られる。
(……ふむ)
通常、剣精霊の常識で考えれば黒一択な訳だが。
(俺自身が普通より劣っているわけで……)
今までファルコニー以上はいなくても並の人はいたのに、何だかんだと言ってその人を選ばなかったのは、結局自分は期待されている程の剣じゃないから。
だから、その期待を笑いに変えるべく可愛い女の子を選ぶことにした。
そこに現れた勇者を超える逸材……。
(白い方を選んで、安定して平和な生活って言うのもいいんんじゃないかしら、この子の成長を見守って行く。そう、この子の守り刀になるの。誰かの特別って感じでステキだと思わない?)
乙女な俺!
そうかー、夢見がちな乙女はここに来て安定を選ぶか……。
(いや、黒い方を選べって、今までずっと待ってたんじゃん! 乙女じゃなくても分かるだろ、これ運命だろ! 黒い方の力量なら
俺みたいな普通の剣でも上手く使ってくれるって! 本物の伝説に参加出来るチャンスだぞ!)
見栄っ張りな俺!
そう、この提案が魅力的過ぎるんだよな……。
(い、いや、ほら、そんな急がなくてもいいんじゃない? この子達訳ありっぽいから、また次にしましょ? 仕方ないじゃない。諦めって大事よ? そ、そう今のまま売れ残りでも、失敗して笑われるより――)
頭悪い系の俺!
ここで俺が臆病っぷりを発揮するのか!
いやでもそれすげぇわかる!
しかし……。
(そいつは、もう却下だろ……)
もう笑われたっていい、今のままがずっと続く不安を断ち斬れるなら、それでもいい。
(自分で考えて決めるんだ、誰にも俺の失敗を笑う権利なんてない)
それでも人は笑うだろう。嘲笑うだろう。
何年もかけて作られた大袈裟な伝説の中身がこんなちっぽけな、普通に売ってるような鋼の剣なのだ、笑うに決まってる。
(そうだよ。出来れば主なんて選びたくないよ……でも)
ずっと鞘の中に籠っていたい。
失敗なら既にしている。
最初のチャンスで失敗して、それが今もずっと続いてる。
見栄やプライドの鎖がいつの間にか巻き付いて身動き取れなくなってしまった、失敗している今を変えるんだ、笑われるくらい仕方がない、だ。
そう、どうせ諦めるなら、今のままでいることを諦めろ俺。
(でも、もし失敗したらどうするの? と、とりあえずこの子達は辞めた方がいいと思うんだけど……)
知るか。優柔不断の自問自答。
正しい答えを導く機能なんて俺には無い。
今のままじゃダメになるなら、仕方ないと諦めて動き出すしかないんだ。
未来を諦めるより、今笑われることを諦めて受け入れちまえ。
決めなきゃ何も始まらない。
(そんな勢いだけで決めて、後で後悔しても遅いのよ?)
結果論で逆張りなんてするな、それ言い出したらどんな結果でも粗しか見えなくなるんだよ。
白を選べば、黒が良かったと、黒を選べば白が良かったってなるだけだ。
「……」
柄頭に添えられた白新の手にぐっと力が籠る。
まるで急かされているようだ。
おっと、間を持たせる為に小さく唸るような剣鳴りを挟んでおこう。
(笑われることを諦めたって、見栄を張るのが俺だ!)
白か、黒か。ヴァイス、シュヴァルツ。ブラン、ノワール。
ホワイトオアブラック。
いかん、決めると言っても迷う。超迷う。
優柔不断なのも俺だ……。
(なんだか十二年前の騒動思い出すな……)
二人が俺を奪い合って大騒動ってシチュエーション的に。
舞台に立つ二人、金髪のファルコニーと赤毛の紅蓮。
白金髪の白新と黒髪の黒寧が記憶の中で重なって見える。
いや、全勢状況は違うのだが。
(黒い方は十分過ぎる程剣の腕があって、俺みたいな普通の剣でも十分使いこなしてくれる剣士に育つだろう。将来有望で、剣士としてレジェンドの剣を欲している)
当然、俺の盛りに盛られた伝説も知っている風だった。
……。
(白い方は、俺の価値とか知らずに欲しいと言ってくれたんだよな……)
地味に嬉しかった。
いや、思いのほか嬉しかった。
(いや、知ってるのか? 願いを叶える剣とか噂もあったし、そういう剣として欲しいがってるのかな?)
唐突に、ふるふると首を振っているようで、押さえられた柄に仕草が伝わる。
(うん?)
それとも世界を救うような伝説の聖剣じゃなくても、俺を欲しいと言ってくれたのかな。
ロマンチストでだいぶ見栄っ張りで、たまにお疲れ気味の、ただの剣の俺を。
(あ、拵えの豪華さが気に入ったのかも?)
外見だけは綺麗な俺だ。
「そんな……じゃ……ない」
いや、まぁそれでもいいんだ、いい拵えだもんな。
俺の唯一の自慢だよ。
俺を逃がしてくれた製作者の愛情が感じられて気に入ってるし、ロンジ店主がつけてくれた青い飾り紐も綺麗だ。
「白新! 貴様は二度と剣に触るでないと――えぇえい黒寧の邪魔をするな!」
「お父さん⁉」
痛めた経脈をほぐすように、腕を抱えていた黒寧が悲痛な叫び声を上げる。
紅蓮は壁にかかっている大剣、グロリアを手に取り白新へと切っ先を向けていた。片手で大剣を扱えるのはすごいな。
(……うーんと?)
「そうだ引っ込め白新!」「おっさん何してんだ!」「ちっ、団長はなんで白新なんて連れて来たんだ」「黒寧お嬢だけでいいってのになぁ……」「お前ら止めろよ!」
人垣は騒然となる。
「ちょちょちょっと、みんなもまって、白新ねぇもいったい何を――」
「黒寧! はようその聖剣を抜くんじゃ! 拙者の娘ならやれる!」
紅蓮の身内集団から白新へ侮蔑の籠った冷ややかな目線と怒声に近い野次が飛んでいてる。
その他の観衆達は、ただならぬ様子にざわめき数歩引いて行く。
「お父さんこそ、剣を下ろして!」
「黙って言うことを聞けい!」
グロリアを振り上げ怒鳴る紅蓮。
黒寧はその声に気圧され、身を竦めて痛む太腿を手で押さえている。
(白い方って嫌われてるの?)
……どういう事情があるのか知らないが、親も周りも、双子の扱いにここまで格差をつけるってどうなんだ?
いや、まぁそんなことは、とりあえず置いといて。
(とりあえず剣引けや。グロリア、栄光の大剣はそんな風に使う為の剣じゃないし、お前この子達の父親なんだろ、紅蓮さんや?)
どんな事情があろうと、娘に剣を突きつけるってありえんだろ。
「無理……です……――――」
「何をぼそぼそと言っとるんじゃっ、おぬしはっ昔から……拙者達を愚弄しおって! おぬしが聖剣に選ばれるなどっ……断じて許せぬっ!」
白新は見ているこちらの胸が苦しくなるような、薄暗く哀しみを湛えた微笑を浮かべ、小さな顔に突きつけられた巨大な切っ先を無視して紅蓮を見つめている。
小さく早口で、呪文のように唱えた言葉、柄に手を添えられていた俺には聴こえた。
(黒寧が選ばれてもこうするつもりなんだから――って? え? は?)
黒い方が選ばれても、戦い挑むつもりだった? は?
「わたしが……願いを、叶え……ます」
痛めて上がらない黒寧の腕からそっと俺を取り返して、一歩離れる白新。
グロリアの切っ先は追いかけて来る。
「わたしが……全て、引き受け……ます。だから……」
白新は俺を抱きかかえながら優しく微笑んでなにか言い淀む。
そこに。
「そこまでだ! 剣を置けリンド傭兵団団長、紅蓮!」
人垣が割れて衛兵が二人、店主と共に飛んで来る。
そりゃそうなるわな。
「……。ふん。白新よ、表に出るが良い」
白新に剣を突きつけたまま威圧的に告げ、衛兵が槍を構える前に鋭く言葉で牽制する。
「これは拙者達の問題じゃ。部外者は黙って見ておれ」
「なっ……」
絶句する衛兵や観衆。
そりゃそうだろう、声も出せないよな。なかなか胸糞悪……もとい、反吐が出そうな、いや違うな、自称じゃない、本物の清純派ってこう場合どう言うんだろ?
とにかく怒りに打ち震えて息を飲むくらいえぐい光景だぞ、小さな女の子に大剣向けてるおっさんって。しかも親子だろ。
「なに、余興のようなものじゃ、聖剣に選ばれし者の腕がどれ程か、皆も見たかろう」
父を超えろ! とかそんな伝説とかもあるけどさ、形としてそう言うことにしようとしてるっぽいけどさ、どうもそんな雰囲気じゃない。
明らかに紅蓮達は白新が俺を手にしていることが気に入らない様子だ。
「行くぞ白新! 拙者を納得させねば聖剣はやれん! 例えおぬしに抜けたとしても封印するか、黒寧に持たせる……良いな!」
グロリアを手に、身内と荒事の好きそうな野次馬を引き連れて、ずんずんと人垣を割って行ってしまう紅蓮。
万引きだぞと突っ込むのも野暮な空気で店主も止められない。
(いや、俺の持ち主はあんたが決めるんじゃないけど……ああ、でも封印は嫌だなぁ……)
この期に及んできっぱり決めきらない俺も俺なんだが。
(で、この白いお嬢ちゃんはなにを悩んでるの? こんな家庭の事情なんとしたくて俺が欲しいの?)
俺の疑問に対して、思案するように首をひねってから、小さく首を振る。
「それは……どうにも、なりません……でも、結果的に、そう……なのかも」
独り言をぶつぶつと呟いて、にへっと笑う。
なにこの子。いきなり独りで喋ってる。怖い。
「白新ねぇ、いったいどう言うことなの? なんでお父さんあんなに怒ってるの?」
「安心して……黒寧は、大丈夫だから……ね。――――」
「あん、もうそのごにょごにょ言うの止めて、みんな聞き取れないんだってば」
抱えられてる俺には、音の振動が伝わるおかげでなんとか聞き取れる。
(黒寧に憎しみは向けさせない――って言ったよね?)
あ、これ、頭悪い系の俺が正解かも。
この子達、俺には重過ぎる気がして来た。
黒い方は剣の腕あるからお笑いオチにならないし、白いお嬢さんもなんか普通じゃない空気で独り言いうし、なんか色々重そうだし。
俺みたいな、単なる鋼の剣を手にしただけじゃ何にも変わらないぞ?
(期待されてるなら、がっかりさせちゃいそうだし……)
まだ間に合うぞ俺。父と娘の争になんて見たくないとか理由つければ……割と本気で見たくないし。
そうそう、争いを嫌って少女を選ぶって笑い話にするには、これじゃ白い方を選んでも成立しなくなるじゃん?
なんかもう当初の計画ぐっだぐだだな!
「ごめんなさい……でも、がっかりなんて、しません……よ」
(いや、嬉しいことを言ってくれてるんだけど、無理無理。C級剣精霊よ、ただの鋼の剣だから俺)
「……かんけい、ないです」
……。
えーと。
(えーと?)
……もしかして白い方のお嬢ちゃん、さっきから俺に話しかけてる?
エルフは自然精霊と意思疎通出来て、初代神託の巫女は自然精霊、創精霊、あらゆる精霊の声が聴こえる聴力の精霊返りだったと言うが。
とりあえず何か呼びかけてみようか……。
「ひみつ……です」
「なに言ってるの白新ねぇ?」
は?
(いや、お、おい! お前、今のはっ)
俺の声じゃない。
声ではない。
今のは――
「黒寧は……あれを、預かって、先に、行ってて……ください」
「もーぉ、もー、意味わかんないー!」
白新は若い戦士が抱えているキャベツに視線を向けて言う。
黒寧はぼやきつつも素直に舞台を降りて行ってしまう。
そんなことよりも!
(おい、無視すんな、お前は今――)
――こいつは、精霊の声が聞こえる精霊返りじゃない。
「願いは……わたしが、叶えます……だから」
うっ。俺を抱きかかえる少女の腕がぎゅっと強まる。
まるですがりつかれているようだが。
白い少女の声に合わせて、心臓の音が聴こえる。
「だから、そんなに……自分を、嫌わなくて……いいです」
……。
……。
……。
……え?
「普通で……いいんです。ううん、普通じゃなくても、あなたが、わたしに必要……です」
小さな声。周りには聞こえない囁き声。
周りから見れば、長剣にすがりついて怯えている少女に見えるだろうか。
だが、抱きしめられているのは俺だった。
少女の心臓の音は穏やかな慈しみを感じさせるような、暖か味のある鼓動。
(――お前……おま、おま、おまえは)
少女の能力に困惑している最中、追い打ちをかけるように湧き上がる激しい感情。
感情が胸につかえて言葉にならない。
この感情を言葉にするなら、羞恥。
刀身が真っ赤に染まりそうな激しい羞恥。
身を掻き毟りたくなる程の惨めで情けない恥ずかしさが一斉に湧き上がる。
「ごめん……なさい」
(な、ななな、なに? なにをいきなり謝ってる?)
「ずっと……隠して、いたかった……よね」
その通りだった。
感情の激流が一気に過ぎ去った後に残されたちっぽけな本心。
自分の本心なんて誰にも知られたくなかった。自分でも知りたくなかった。
自覚している癖に目を逸らして、状況や誰かの所為にして悩み続けるフリをして、誤魔化して、他人を否定しているだけの相当恥ずかしい奴だった。
いい人がいない?
自信がない?
臆病?
プライドが高い?
優柔不断?
そうじゃない。
いや、それもある。
だがその大元は。
いつからだろう。
大袈裟な期待をかけられて、それに自分が全然見合っていなくて。
自分を嫌いになったのは、いつからだろう。
(……最初からか)
思い返せばその通りだ。
たまたま剣精霊として生まれただけで、何の才能も無い自分が大嫌いだったんだ。
製作者を落胆させ、それでも俺を大事にして生かしてくれた。
そんな恩に見合うような俺じゃない。
俺は誰の期待にも応えられない。
だから、俺はずっと自分が嫌いだった。こんな無力な自分は大嫌いだ。
だから、最初から誰も主に選ばずに、暗い鞘の中に閉じ篭もっていたんだ。
剣精霊として生まれたのになんの力も無く、期待だけされて、それに応えられなくて。
剣精霊なのに、だれの期待にも応えられない自分が許せない、嫌いだ。
誰の所為でもない、自分で自分が許せない、こんな無力な自分がイヤなんだ。
こんな自分、誰にも見せられない。
無力なんだから、何も出来ないんだから、何も出来ないまま終わるのが分相応だと、本心では思っていた。
今のままダメになるのが分相応だと思っていた。
本心では笑い話になんてなりたくなかった。
このままダメになる方がいいとすら思っている。
本心と言うなら、笑い話も無力な自分もどっちも嫌なんだ。
だから決められない。
だから未だに、ここまで来てもぐずぐず言っているんじゃないか。
どうせ今を逃せば、またあれこれ理由をつけて踏み出せないだろう。
それを繰り返して来た。
条件を変えてまた繰り返すだけだろう。
笑い物にされたくないのに、笑われるしかない無様な自分が嫌いだ。
こんな弱くて情けない、無様で滑稽な自分を守り続ける自分が大嫌いだ。
それでも、それでも変わらないと駄目だから、無理してこんな茶番を開いた。
でも、変わろうとしても変われない。
わかっているのに変われない。
踏み出そうとしても踏み出せなかった。
こんな自分は嫌いだ。大嫌いだ。
剣精霊として生まれたのに、なにもできない、なんの役にも立てない。
こんな無力で惨めで哀れで情けない自分は、こんな世界に産まれて来たくなかった。
だから、ずっと鞘の中に居続けるしかなかった。
誰からも「俺」は望まれていないんだ。
俺からさえも。
ずっと、ずっと、ずっと。
「もう……泣かなくて……いいです」
いつの間にか、俺の剣鳴りは無様に震えて、まるで嗚咽を漏らすような音に変わっていた。
少女は俺を一層強く抱きしめる。
「わたしは……あなたが、あなただから、欲しいん……です」
とくん、と少女の心臓が高鳴った。
剣は鳴り止む。
温かい心臓の音だけが聴こえる。
それを。
「白新! お頭が待ってるぞ! 早く来い!」
店の入り口からの雑音が邪魔をした。紅蓮の身内が呼びに来たのだろう。
白い少女は顔を上げて歩き出す。
その表情は決意に満ちていて。その足取りに微塵の迷いも無かった。
俺の決心に呼応するよう、一切の迷いは無かった。




