娼館勤務の娘の立ち振舞いがお水な件について
娼館への慣れた道を歩きながらフィーは行き交う人の顔を確認せずには居れなかった。
昨日から父が帰ってきて居ない。
抗争から赤ちゃんを避ける為に出ていったきり、抗争が終わろうとも帰って来ない。
幾らなんでもこれは以上事態だ。フィーは公園に掲げられて居る時計を確認すると近くの電話ボックスに入った。
ダイアルすれば交換手に繋がる。女性の交換手の質問に2~3答えれば目的のレオナルド宅に電話を繋いでくれる。
「もしもし。私、ウッズ神父の娘、シルフィーナと申します。レオナルド氏は御在宅でしょうか?」
「此方、交換所です。申し訳有りませんが只今、回線が込み合って降ります。再度、おかけ直し下さい」
「わかりました。所で"昨日の月をご覧になられましたか?"」
「月ですか?私にはわかりかねます。"今、太陽なら綺麗に見えます"ね」
「では"忠実なる事を我厳かに誓います"とお伝え下さい。」
「畏まりました。お繋ぎします。」
フィーは安堵のため息を吐く。
神父から話は聞いていたがマフィアの重役に電話を繋ぐのに合言葉が居るとはまるで映画のさながらで緊張する。
フィーも使ったのは始めてだったがなんとか上手く行ったようで電話口から交換手を名乗ったマフィアの電話番の取り次ぐ声が聞こえた。
仕掛けはこうだ。
二度目に出た交換手はレオナルドの電話番で合言葉の確認をしている。合言葉が正解ならレオナルドに電話が行く。
その証拠に数分後に電話口からレオナルドの好好爺とした声が聞こえ始めた。
「待たせてしまって悪かったね。シルフィーナ。君から電話なんてどうしたんだい?出来ることなら力になろう。」
「お久しぶりですわ。レオナルドさん。実は父が昨日の昼過ぎに赤ちゃんを預けに教会から出たきり帰って来ておりませんの。何か御存知でいらっしゃいますか?」
「…そうか。済まない、シルフィーナ。私には何も話は来ていないんだ。家内からも昨日、神父殿が来たとは聞いていない。」
「そうですか。わかりましたわ」
「ただ、君は『昨日の昼過ぎに赤ちゃんを預けに教会から出た』と言ったね。実は昨日、君の教会を襲った兄弟分のギャングが"一般街で暴れ現場には赤ん坊の死体があった"との報告は受けている。詳しく調べてみよう」
「有難う御座いますレオナルドさん。お手数ですがお願いします。……赤ちゃんは苦しまずに旅立てたのでしょうか?」
「……詳しくは私も解らないが死因は頭を強打された事だそうだ。葬儀は君の所以外の教会に任せたのだが良かったかね?」
「何から何まで有難う御座います。」
「いいや。友人の娘が困っている時に手を貸すのは当たり前さ。シルフィーナ、神父は大丈夫だ。君は孤児院の子供達を守っておあげ」
「はい。レオナルドさんにそう言われると本当に大丈夫な気になってきます。不思議ですね。」
「おや、私が嘘をついた事があったかい?」
「いいえ。レオナルドさんは何時も親身になってくださいますわ」
「ははは。では、神父に帰ってきたらまた一杯やろうと伝えてくれ」
「はい。必ず」
「その息だ。では、何か解ったら連絡するよ。」
そう言って電話を切ったレオナルドにフィーはただ、目を閉じた。
口ではああ言ったが本心は穏やかなどではない。
神父は一般街にあるパン屋に寄った後にレオナルド邸に向かったのだ。
赤ちゃんが死んだことは間違えないだろう。それもレオナルドがどもる様な殺され方をしたと考えていい。
だが、神父の死体は上がっていない。
父は暴漢に襲われたときに赤ちゃんを守らなかったのだろうか?
逆に最初に気絶させられて守れなかったのかもしれない。
それなら何故、罪のない赤ちゃんが死ななければならないのか?
そこまで考えてフィーは思考を止める。今、考えるべきは原因ではない。
父が誘拐されたと仮定するならば相手の目的とそれを果たすためにどんな行動を起こすのか予想を立てなければならない。
フィーは"冷静に冷静に"と自分に言い聞かせながら受話器を置く。電話ボックスから出て娼館に向かって再び歩き始めた。
もう、行き交う人々の顔など気にしなくていい。
太陽もかなり高い場所にまで昇っている。既に正午にはなっているのだろう。フィーは早足で娼館へと向かう。
途中、足首に痛みが出てきたがそれも気にならない。バスに乗ると云う手もあるのに体を動かずには要られなかった。
怒りとかなり似ているがそれだけではない複雑な感覚。
立ち止まったら自分がどうにかなってしまいそうな感情に突き動かされて足を動かす。
本当は叫びながら全速力で走りたかったが、それは理性が止めた。
足を忙しなく一歩、また一歩と動かしながらフィーは考える。
犯罪の一番の目的はお金だ。
だが今回、教会の近くで起こる抗争に手を貸したであろうギャングが絡んでる。
それなら私怨の可能性もある。もし、私怨なら教会に脅迫状が入らないのも頷ける。
またはローレンスに仕掛けようとしているギャングの可能性だ。
昨日の抗争を知って叩くなら今だと判断した他の組織が情報を得るために関係者の末端である神父を誘拐した。
どのみち神父は現在、穏やかな状況ではないだろう。
だが、フィーにはそれをどうにかする術がない。レオナルドにも念を押された。
『神父は大丈夫だ』此方で手を打つ、と。
今のフィーには『孤児院の子供達を守る』事しか出来ない。
何も出来ない自分が歯痒くもフィーはこの言葉にすがるしかなかった。
今から子供達と合うのにこんな顔では心配をかけてしまう。
フィーは立ち止まり頭に登った血を冷やすべく深呼吸をする。
空を見れば先程は時間ばかり主張していた太陽の回りには青空が広がっていた。
別段、何が変わった訳でもない。
太陽は高い位置にあって正午を伝えているし、曇り空が晴れた訳でもない。
ただフィーが今、青空に気が付いただけだ。
―――帰ってから洗濯して間に合うかなぁ
自分の事に手一杯で周りが見えなくなるのは自分の悪癖だとフィーは思う。
ここでまず取り組むべきは子供達の安全の確保。次に神父の安否確認だ。
ここで自分がヒステリーを起こしても何も変わりはしない。
そこまで考えば思考も幾分かは穏やかになる。
大通りから少し外れた路地に入り、幾つかの角を曲がればゴテゴテした看板が通りを飾る通りに出た。
娼婦街。俗にそう言われている場所だ。
今はガス灯の明かりはなく夜の喧騒からは程遠い。娼館の前には下働きとおぼしき男が数名、通りの掃除をしている。
それを横目で眺めつつフィーは通りに面した一番大きな店の前で足を止めた。
この町で一番の娼館だ。
玄関前の掃除をしている男に声をかけ、孤児院教会の者だと伝えると男は快く中に通してくれた。
ホテルのロビーの様な上品な内装に正面にはバーカウンター。
そして配置されたイスは掃除のために全てテーブルの上にあげられいる。
壁にかけられたモノクロ写真には綺麗な女性が幸せそうに豪華なドレスをまとって写っていた。
確か、初代の歌姫で人気娼婦だった女性だ。
ここに来るのも久しぶりだ。ぐるりと視界を巡らせると二階へ続く階段から高めの可愛らしい少女の声が降ってくる。
「フィー姉!!久しぶり」
「エルダ!」
階段から降りて来たのは赤毛の可愛らしい少女だった。少女いう幼い印象はあるがアリッサと同い年だ。
小走りでかけよって来てフィーに抱き付くと丁度お腹の上にエルダの頭が来る。少し見ない間に少し身長が伸びたかも知れない。フィーは反射的にエルダの頭を撫でる。
「元気にしてた?」
「ええ。最近では前座だけじゃなくて代理でジャズやバックコーラスなんかも歌ってるのよ」
くすぐったいと笑いながらフィーに笑いかけるエルダは贔屓目に見ても可愛らしく、最後に会った時より美人になった。
「凄いわね。お仕事は楽しい?」
「ええ。歌うのは好きよ。イリヤさんにも良くして貰ってるわ」
そう言ってニッコリ笑うエルダにフィーも笑い返す。
頭以外にも肩や背中も触ってみるが嫌がる素振りや痣などは見当たらない。
そのままフィーは屈んでエルダを抱き締める。娼館での苛めなんて珍しくない。だから心配していたがどうやらフィーの杞憂に終わった様だ。
「どうしたの?フィー姉。愛してるわ」
クスクス笑いながらエルダもフィーを抱き締め返す。弱冠、言い回しが娼婦っぽくなった気もするがこれは環境だから仕方がないのかもしれない。
「本当に孤児院教会の連中は呆れるくらいに仲が良いねぇ」
密かに安堵の息を漏らすと店の奥から恰幅の良い中年の女性が出てくる。娼館のオーナーだ。
フィーは抱擁を止めて立ち上がる。
「Missエリザベス。この度は突然に無理なお願いを聞いて頂き有難う御座いました」
「一つ貸しだよ。それに私からも話があったからね。丁度いいさ」
豪華なサファイアのネックレスを揺らしながらタバコをふかす姿は様になっている。紅い唇から吐き出される煙は何処か妖艶ですらあった。
「身請けの話が来ているんだよ。相手は名のある富豪でね、本人も喜んでは要るんだが、なにせ文字も読めないだろ?だから教養のある世話役が欲しいんだそうだ。」
「世話役には男では要らぬ誤解を招く為に女の子。それも横取りの恐れのない子供を希望されたのですね?」
子供が必要である理由を述べればMissエリザベスは満足げにタバコを吹かす。
エルダと繋いでいた手に力がこもる。エルダが不安そうにフィーを見上げるが"大丈夫"と笑顔を見せて再びMissエリザベスを見据えた。
「話が早いね。それに同郷なら何かと共感出来る事もあるだろう。」
「世話役がずっと雇用され続けられる保証は有りますか?」
「それは本人次第だね。」
「はぐらかさないで下さい。Missエリザベス。子供のうちは良いでしょう。ですが年頃になれば横取りの心配をせざるを得ません」
「それこそ本人次第だ」
嘲笑するように鼻を鳴らすMissエリザベスに、フィーは反感を隠しきれなかった。
本人次第なんて都合の良い言い訳だ。
こちらからの横取りなら"本人次第"で済む話だ。だが、向こうから言い寄って来た場合は"本人次第"で済まない事もある。
「ではMissエリザベス。雇用期間はいつまでですの?」
「本人と相談だね。まぁ、娼婦が客を捕まえてる間だよ。」
本当に何もかもが無計画も良いところではあるが仕事なんてそんなものだ。
ただ、この仕事は人間関係が全てと云うことだ。訳ありの愛人専属の世話係なんて四六時中他人に気を使う仕事だ。
精神的に辛いだろう。雇用主と上手く付き合えるかで全てが変わる。
「では、最後にどの子を希望なさってますの?」
「希望なんてノーナかアリッサしか居ないだろう。エルダは駄目だね。その子は良い娼婦になる、逃がすにゃ惜しい。」
「…此方も確認を取ってみますわ。本人の意志で決めさせます」
「そうしておくれ。返事は早めに頼むよ。身請けの準備も有るからね」
言うだけ言って奥に戻っていくエリザベスを険しい視線で見送るフィーに対してエルダはクスリと笑った。
どうしたのかとエルダに目を向ければ、エルダは周りを見渡して人が居ない事を確認すると口元にてを添えて口パクをする。
それが内緒話を指していると察したフィーはエルダに耳を傾ける。
「身請けする娼婦はね、エミリー姉ぐらいの年で歩けないの。だから、お嫁に行くに当たって手助けしてくれる人が欲しいのよ。彼女自身も妹を欲しがっていたみたいだから」
「だったらMissエリザベスは何故それを言わなかったの?」
「"本人次第"だからよ。最悪の事態を想定した上でその準備をしておけって事じゃないかしら?どんなに良くして貰っても恋愛が絡むと人は善くも悪くも変わってしまうから」
「エルダから見てMissエリザベスはどんな人?」
「優しい人。ハキハキしてて誤解を招き易いけど誰より娼婦達の事を思ってるわ。お母さんがいたらMissエリザベスみたいな人なのかなって思うときが有るの。これは内緒よ?Missエリザベスに聞かれたら『私は未婚だ』って怒られちゃうから」
一旦、耳から顔を離して"しぃ"と口に人差し指を当てて内緒とジェスチャーで表す。
フィーも同じジェスチャーで"内緒"と返すと笑いあった。
暫くするとMissエリザベスがノーナとアリッサを連れてやって来る。
チビが居ない。フィーはMissエリザベスに視線を向けるが伝わらずちがう答えが返ってきた。
「イリヤは勘弁してやりな。昨日は特に稼いでたみたいだからね。」
「はい。それではよろしくお伝えください。」
確かにイリヤの姿はない。アリッサに目配せするがアリッサが苦笑している事から深刻な事態ではないようだ。
女の子達と別れたのは昨日なのに、いろんな事が有りすぎてフィーはとても久しぶりな気分になる。
「迎えに来たよ」
まずはそう言って二人に笑いかけるとノーナがフィーに抱き付いて来た。
「御免ね、ノーナ。おかえり」
「…ただいま」
フィーの服を握り締めて離さないノーナの背中を軽く叩く。ノーナが顔をあげると目が潤んでいた。
「ノーナ、偉かったのよ!厨房のお仕事をちゃんとこなしてたし、娼婦さん達のお手伝いもしてたんだから!」
「そう。頑張ったね、ノーナ」
次の言葉が出ずにノーナを抱き締めるのに力が入る。ノーナもフィーの胸の中で頭を上下に動かしていた。もしかしたら泣いているのかも知れない。
「帰ろう。孤児院教会に」
「…うん」
ノーナの母親は職業の性もあってなのか育児放棄をした。今でもこの娼館に勤めている事は知っているが誰が母親なのかはMissエリザベスと神父、そしてノーナ自身しか解らない。
フィーはMissエリザベスに視線を向けるとエリザベスはタバコの煙と一緒に重い息を吐き出した。
「大丈夫だよ。ノーナ達にやらせたのは厨房の仕込みと調理、後は簡単なお使いだけだ。全員、裏方だ。余計な奴の前には出してないから安心おし」
タバコを近くの灰皿におくとMissエリザベスはエルダに指示を出す。
「ガキんちょ達、帰り支度だよ。エルダ、付き添ってやんな。次いでにチビも起こしな。」
「はい。Missエリザベス」
エルダの返事と同時にアリッサはノーナに"行こう"と言って手を出した。ノーナもその手を取る二人に手を引かれる形で三人で部屋に向かって走り出した。
「まだ寝てる奴も要るんだ!!走るんじゃないよ!!」
すかさずMissエリザベスの怒声が飛ぶと三人の歩調がとたんにゆっくりになる。
その肝っ玉母さんぶりの威厳にフィーはエルダの言っている事が少しわかった気がした。
「Missエリザベス。先程の話なのですが身請けする娼婦の方が足が不自由だとお聞きしました。一番の目的はその介護ですか?」
「…それもあるね。言ったろ?金持ちの所に身請け去れるんだ。教養のない、娼婦上がりだよ?周りからの中傷は酷いもんだろうさ。あの子は大人しいからね。一人でも多くの味方が欲しいんだよ」
言いたいことはわかる。だったら尚更、精神的に辛い仕事になるだろう。
どんなに同情を引く言葉を並べても問題点は変わらない。
「お受けする場合、事前に身請けする娼婦との面会を希望します。後はMissエリザベス立ち会いのもと雇用契約にサインをお願いします。こちらからも幾つか条件をつけされて頂きますのでよろしくお願いいたします。」
「…わかったよ。伝えておく」
だが、それでも富豪のメイド見習いとしての職にはつける。この仕事を辞めた場合でも経験者なら他の屋敷で雇ってくれる可能性がある。
そして年頃になるまで最短でも3年以上は勤められる仕事だ。こちらにとってもデメリットばかりではない。
まずは身請けする娼婦と会ってみる事だ。決めるのはそれからで構わない。
「明日には面会を希望しますが、都合はよろしいでしょうか?」
「これまた急だね。助かるよ。明日の夕方、店を開ける1時間前においで。」
「わかりました。」
そこまで話したところでアリッサ達がチビの手を引き階段を降りて来た。
チビはフィーを見つけると大きく手を振る。フィーも小さくではあるが手を降り答える。
孤児院教会に帰る皆で手を繋ぐとエルダだけ、Missエリザベスの隣で手を振る。
その姿が少し寂しそうに見えた。
「エルダ、明日も来るわ。今度はお菓子をもって」
「期待してるわ。」
一度、子供達の手を離すとエルダの前にかがみ元気付けようと声をかけるが、エルダの憂いは晴れない。
自分一人だけ置いてきぼりに去れるのだ、それが仕事でも自分が望んだ事だったとしても寂しいものは寂しいだろう。
「ねぇ、エルダ。明日私が来るときまでに私へのお願いを考えておいて。明日、それを二人でやろう」
「フィー姉が出来ないことでも?」
「だから、二人で頑張るの」
「ふふふ、それじゃ内容が限られちゃうわね。わかったわ。考えておく」
「ええ。そうして。それじゃ明日ね」
「また、明日」
そう言っておでこをくっつけて笑い会いフィーはアリッサ達と手を繋いで歩き始めた。
子供達は何度も振り返りエルダに手を振る。フィーが後ろを振り向けばエルダも手を降り返していた。
最後にエルダが見えなくなる頃にはMissエリザベスの手がエルダの頭を撫でていた。
有難う御座いました。
合言葉、わかる人にはわかります。
もしかしたらまた、使うかも知れないのでネタバレしないよう、突っ込まないで下さい