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フリーワンライ

11年と少しの話

作者: 千葉 某

「耳を塞ぐ」「いつまでも、」「これは恋じゃない錯覚だ」「切実」


*悠馬×美穂(作家×女子高生→OL 6歳差)


指がキーボードをはじく音、ディスクが回る音、外でやかましく嫁を探す蝉、そんなものが聞こえるようになったのは、とある昼過ぎのことだった。明け方から書いていた小説がひと段落ついて、息をついた瞬間に語感が息を取り戻す。腹が減ったのが分かった。朝飯も昼飯もすっ飛ばしてしまったようだ。ぐぎり、首を回すとそんな音がして、そろそろ俺も若くないなとため息をつく。

「おつかれさま」

 うしろからなんだかいい匂いがするなと振り向こうとした途端、ぺたぺたと畳を歩く音とともに首元に柔らかな温かさが伸びてきた。

「来てたのか」

「うん。朝インターホン鳴らしても気付かなかったから、倒れてるか集中してるかのどっちかなーと思って。おなかすいたでしょ。ご飯にしよう」

「お前は?」

「そろそろかなと思って待ってた」

 微笑んだ彼女、美穂は俺の手を引くようにして立ち上がった。

「おまえ、それで俺の集中力が夜まで続いてたらどうするつもりだったんだよ」

「まあ、適当なタイミングで食べたんじゃない?」

 けろりと美穂はそう言ってのける。だけど、きっと彼女は一人で食べることはないのだろう。そんな確信があった。俺といるときはなぜか忠犬ハチ公さながら俺のことを待っている。そしてそれをどうやら全く苦と感じないらしい。それが11年間見てきた結果から導き出した彼女の性格だった。


***


 彼女に初めて会ったのは、俺が22歳で美穂が16歳の時。彼女は俺が住むこのだだっ広い日本家屋の持ち主の孫娘だった。

「もうこんな足じゃあの家に住めないからね。でもここは私とあの人の作ってきた家族を見守ってくれた家だから、そのままにしておくのもなんだか悪くて。川渕くんが管理してくれるなら、こんなにうれしいことはないわ」

 そう言ってあっさりと破格の家賃でこの家を貸してくれた鎌谷さんは、そのひと月前に階段で転んで、それをたまたま助けたのが俺だった。鎌谷さんは大事には至らなかったものの、足を骨折してしまった。もともと古い日本家屋で一人生活していた釜屋さんを気遣った息子夫婦が、それを機に一緒に暮らすことになり、たまたま見舞いに来た俺にその話を持ちかけてくれたのだった。

「いいんですか」

「ええ、好きにしてもらって構わないわ。それに川渕くん、作家先生なんでしょう。私の主人、本を読むのが好きだったから、きっと喜ぶわ」

「いやあ、売れない作家の駆け出しですけどね」

 そんな話をして笑っていると、突然病室のドアが開いた。

「おばあちゃん……って、ごめんなさい、お話し中だった?」

 入り口できょとんと目を丸くしていたのは、紺のセーラー服を着た女子高生だった。

「ちょうどよかったわ、美穂、こっちにいらっしゃい」

 ちらりとこちらに視線を向けてから、戸惑いながらも少女は歩き出した。彼女が美穂だった。


***


それからというもの、時折美穂はなぜか家に来た。

「悠馬さん」

「悠馬さん、煮物もってきたよ」

「この間新作買ったよ!おもしろかった。…悠馬さんの本読んだら頭よくなるかな」

「悠馬さん、あのね、」

「私、悠馬さんのことが好き」


そして、なぜか好かれた。

耳を塞ぐほどの「悠馬さん」そして告白。それが連日続く。

 理由はわからない。どこに好きになる要素があったというのか。

むしろそれは恋じゃない気もした。知り合いの大人の男。作家という謎めいた職業の男。そんなドラマチックな設定にただ憧れているだけなのではないだろうか。

「それは恋じゃねえよ、錯覚だ」

 ばっさりとパソコンのモニターから視線もそらさずにぶった切ると、その日美穂は何も言わずに帰って行った。少しだけ、さみしくなるかなと思った。

 しかし、立ち直りが早いのかバカなのかなんなのか、次の日もまた美穂は来て、好きですと言ってのけた。

「昨日あれから考えてみたの。でも錯覚じゃないよ」

「お前のそれはただの憧れだろ。恋に恋したいお年頃なんだよ」

 そう言ったらキレられた。

「恋かそうじゃないかなんてどうして悠馬さんにわかるの。恋かどうかは私が決めるの。私は悠馬さんが好き。悠馬さんが私を好きじゃないならそれでいいけど、私の気持ちまでなかったことにしたら許さないんだから」

「じゃあはっきり言ってやる。女子高生なんか相手にしたくもないね」

 これは言っていて少し胸が痛かった。美穂は女子高生である以前に美穂なのに。俺が美穂にとって「知り合いの作家の大人の男」である以前に一人の男であるように。しかし、ここでブレーキをかけないわけにはいかなかった。女子高生に手を出すなんてことは社会的にも法律的にも限りなくアウトで、そして何より彼女に手を出すことは、俺に家を貸してくれた鎌谷さんへの裏切りにもなるのではないか。そんなことはしたくないという切実な思いもあった。


「……わかった」

 彼女の答えはそれだった。ちくりと心が痛い。なぜかなんて、そんなの俺が一番よくわかっている。それでも認めるわけにはいかなかった。

「女子高生の私はもう悠馬さんには告白しません」

 彼女はそれ以来、ぱったりと日本家屋に来なくなった。


美穂のことが好きになっていたとは、口が裂けても言えなかった。


***


正直やられた、と思った。


 彼女は確かにああ言ったのだ。女子高生の自分は俺に告白をしないと。

 次に彼女に会ったとき、彼女は制服を脱いでスーツに身を包んでいた。本来ならば、もっと柔らかな色の柔らかなスカートに身を包んで、もっと勉強をする選択肢だってあったはずなのに。

「私はやりたいことを選んだだけだよ」

 のちに彼女は進路についてそう言って笑ったが、告白する以前、大学で英文学の勉強をしたいと目を輝かせていたのも知っているせいか、俺は何も言えなくなった。


 高校を卒業して社会人になった彼女は、俺の前に姿をあらわすとこう尋ねた。

「悠馬さんは、釜屋美穂のことをどう思ってるの?」


 ――――――認めるよりほかに、仕方がなかった。

 悔しさとうれしさが入り混じって、何も言わずに抱きしめた。



***


「悠馬、髪ぼさぼさすぎじゃない?原稿の締め切りいつ?」

「来週」

「よし、じゃあ午後は悠馬の髪を切りましょう」

 第一悠馬は自分の手入れをしなさすぎる、と行儀悪くも箸で顔をさされた。

「そんななりで表彰式出るなんて言ったら怒るからね。必ず連絡してね」

「いつの話だよそれは」

「いつかの話だよ」

 美穂は社会人になった。27歳。日々働きながら、休みがあると日本家屋に飛んできてはこまごまと俺の世話をしてくれる。

 俺はバイトをしながら、あの時より少しは売れる作家になれた。33歳。少しは金もたまった。

 美穂の両親も、3年前に他界した鎌谷さんも、6歳差という一歩間違えば犯罪すれすれの俺たちの関係を温かく受け入れてくれている。むしろ美穂の親父さんは、俺を鎌谷家に呼んでは「いつか美穂をもらってくれよ」なんて酒を飲みながら笑う。

 そろそろ、彼女との未来を現実に見てもいいのかもしれない。いつまでも彼女が隣で笑ってくれる日々の夢を、口にしてもいいだろうか。


「なあ美穂」

「ん?」

 いつまでも、そばにいてくれるんだろう?


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