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チルチルミチル

作者: 仮名

「いや、見事な枝振りだなほんと」

 桜が、咲いている。

 季節は3月、この町に越してきて半年。たまの休みくらいゆっくり過ごそうとまだよく見知らぬこの町に散歩に出かけた。

 この町は海に面していて、且つ緑が多い高台でとても景色が綺麗だと評判だった。僕がこの町に越してきたのは仕事の関係だったが、それでも通勤中に見る朝の景色も、夕飯を買いに出かけた先のどこか懐かしい感じの商店街も、細い道が入り組んだ坂道ばかりの町並も、そのどれもが綺麗で見る度にどこか郷愁に駆られる。子供心に日が暮れるまで遊んでたあの頃を思い出すようなのだ。

 この季節だと、近くのお家の軒に見える手入れされた梅の木が、小さな小さな白い花で着飾っていて、近所を歩くだけでも季節を感じることが出来る。そんな感じでぶらぶらしていたのだが、僕はふと、ここに引っ越してくるときにお世話になった不動産屋さんの言っていた事を思い出した。


『この町には都市伝説的な物があってですねー』

『はは、町なのに都市ですか』

『いやまぁそこは私も思いますどもー、いえいえそうではなく本物なんですよこれー』

『ほほー、といいますと?』


 この町の北の方には少し小高い丘があり、そこには元々この辺りに住んでいた人の昔ながらの大きな家がぽつぽつと残っていて今も生活しているらしい。しかし丘の天辺は家もなく、ただただ開けた空間だけだという。なんでも、そのあたりに住んでいる人達が言うには、誰にも近づいてはいけないという言い伝えがあるらしく、「何故?」と聞くと「いやぁ昔からなんでよく分かんないんですけど、どうも魅入られて帰ってこないとかなんとか」と。

 そんな、今どき帰って来られないなんてーと、噂を聞いた人は笑うのだけれど、そこに住む人達は「まぁ私達も半信半疑ではいるんですけど、昔は結構、実際に子供がいなくなったりしてたみたいなんで、地元の人間ならまぁ近寄らせたがりませんし近付こうとも思いませんね、いやはや」と、今でも言い付けをしっかりと守っているようで。

 不動産屋さんが興味本位で見に行った時には、丘の上には何もなく、ただただ開けた空間だったと言う。それでも何か、異様な静けさがあって、何もないがあって、とにかく空気がすごかったんですよーなどと言っていた。季節は確か、冬だっただろうか。

 別に、僕はその話に興味があったわけでもなく、世間話とその時は話半分に聞き流していたのだが、特に目的もないし行く宛もない今の僕にはちょうどいいか、なんて思って見に行ってみる事にしたのだ。

 緩やかな坂道を上がって、古い民家を抜けた先、確かに空間が開けていた。ただ、僕が聞いていたのとは違い、そこには一本の立派な桜の木が咲いていたのだ。

「狂い咲き、ってやつだろうか?」

 もうすぐ春、とは言ってもまだ3月。季節は、桜が咲くにはまだまだ早く、日差しこそ穏やかな麗らかさを感じさせるものの、空気は少し肌寒く、冬の名残を見せている。

 だがこの桜は、そんなもの知らないとばかりに陽の光に包まれて、暖かにぼんやりと桃色をはらはらと散らせている。

「綺麗だな、本当に、綺麗」

 思わず息を吐いてしまう、こんなに何かを美しいと思うことはそうそうない、そう言える程に見事で、本当に柔らかで、でも何処か寂しい、そんななんとも言えない空間がそこにはあった。

「あれ、人? 珍しいどれほど振りだろ、うわぁ本当に人だ」

 噂通りに魅入られて立ちすくんでいた所に声が掛かる。釣られて振り返ると、そこには女の子が立っていた。

「あ、どうも」

 なんとなく、挨拶を返しておいた。女性というには幼く、かと言って子供かと言われるとそうでもなく、まさに女の子というのが適当な表現で、どこか不思議な雰囲気を携えている。綺麗と愛らしいの真ん中で宙ぶらりんになっている感じの人は、僕の挨拶に鷹揚に返す。

「おうー、苦しゅうないぞー」

「あ、はい」

 手を振っておうおうーと笑いながら僕の隣に立った。僕よりも少し小柄で、隣に立った彼女は笑う。笑顔は、綺麗なんかより愛らしさが勝っていて、不覚にもドキリとしてしまった。

「いやはや、ここに誰かが来るなんてどれほど振りだろう。いや、何まっこと私は嬉しいぞ」

「あ、はい」

「して、どうして此処に来よったの? 噂は聞いてよう?」

 少し、変わった話し方をする子だった。まぁ座れ、と言わんばかりに僕の隣に腰を下ろしてと地面をぽんぽんとしている。僕はあ、はいと言って彼女に従って地面に座った。足の短い芝生が、僕の下敷きになった事でさくさくと音を立てた。

「あ、いや僕、この町に越してきたばかりで耳に入れてたんですけど、まぁ見に行ってみるのもいいかなーと」

「行かんぞー、言い伝えは今も言い伝えられているからこそ言い伝えなのだから」

「まぁ、そうですね。こうしてこんなにも綺麗な桜を見る事が出来たのは、まぁその、幸運ですね」

「ん? あー、なるほど。そうだな、ふふ、見事だろう?」

 本当に、見事だった。夢でもこれほどの景色は見れないだろう。まぁこんな美しい心象風景を夢見る事が出来るような感性は、生憎ながら僕には備わっていないだろうけど。

「これはな、私の見せる夢なのだ」

「夢?」

「そうさ。惹き付けて止まない、私の為の、私が人に見せる景色さ」

「なるほど。じゃあきっとそれは、貴女が綺麗なのでしょうね」

 ほえ? とした顔をして彼女がこちらを見る。言ってからしまった、と思ってしまった。これではまるでいい歳した男が女の子を口説いているようじゃないか。いや、まるでなんかではなくそのものじゃないか……。

「あっはっは、面白い! まさか口説かれる日が来ようなんてな!」

「あぁっ! いやこれはですね! あー……」

「まぁまぁ、ふふふ。そんな気にせずとも良いじゃないか。あはは、これ、縮こまるでない。ほれみろ私は不機嫌にしているか? してなかろう? 気まぐれに話し掛けた久しぶりの人間に口説かれるなんてな。ふははは、綺麗か、うむ、気分が良いな!」

 あまりの恥ずかしさに縮こまってしまった僕の背を、あっはっはと笑いながらバンバンしてくる彼女。

 言われた直後は呆けて固まっていたが、今は目に涙を浮かべて苦しそうに笑っている。破顔一笑、あーと息を吐いて彼女は言う。

「いやなに、面白いなーあーもう。少し苦しいじゃないか」

「面目ない……」

「はぁー笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ」

 目元をゴシゴシとこすって彼女は笑った。そうして見せてくれる笑顔はやはり、綺麗なんかよりずっとずっと愛らしく、あどけなく、混じりっけのない綺麗な可愛さだった。それを見て、僕も微笑んだ。それが気恥ずかしくて、逸らすように桜に視線を移す。

 はらりはらりと、ゆっくりゆっくりと桜はその花を散らしている。散っていく色を見ていると、まるで時間すらもゆっくりと進んでいるのではないかと感じてしまう。どこまでも穏やかで、優しい時間。日々、働いている時と時間の進み方が違うのを実感する。こういうのをまさに味わう、というのだろうか。本当に贅沢で、柔らかな一時だ。

「おやおや、私よりも景色?」

「いえ、まぁはい、その……」

「そんなに綺麗かい?」

「……はい、とても。この世のものとは思えないくらいに」

「ふむ……ふふふ。ねぇ、桜はどうして薄紅色か知っているかい?」

 ふふっと悪戯気のある上目遣いでこちらを覗きこんで問うてくる。うっと息を詰まらせ僕は明後日の方向を向いた。それはともかく、薄紅色の理由か……。

「桜の下には死体が埋まっていて、その血を吸い上げて美しく染まって行く、とかなんとか」

「お、そうそうそれだよそれそれ。よく知ってるじゃないか。本当は血桜って話が元になってるんだけど」

「血桜、ですか」

 それはまぁなんとダイレクトな名前である。でも、死んだ後だろうとこんなにも美しく咲き誇れるなら、きっとどこか満足して向こうに逝けそうな気がする。誰だって、生きた証を残したいものだ。生きていた証、ここにいるんだぞ、僕は此処に確かにいたんだぞという証明。時間は何もかも巻き込んで流し去って行くけれど、それでも、消えてしまわない、誰かが僕が居たのを知ってくれる何かが欲しい。なんてそんなことを思ってしまった。

「血桜はね、水路を塞いでしまった大蛇が、村の若者に退治されて、その首を桜の下に埋めるって話なんだ。すればその桜は、枝が折れると涙を流すように赤い血を流し、年に三度もその花を咲かせ、咲かせる度にその色を変えるものになったのさ」

「へぇ」

「それでな、村の者は思い出すんだ。自分達の生きる為に大蛇を殺した事を。大蛇がそこに居た事をな」

「なんだか、少し哀しい話な気がしますね」

「だろう? 忘れないように、刻みつけるようにその色を染める桜を、私は愛している」

 そういって桜を見る女の子。でもその瞳は此処ではない何処かを見ているようで。なぜだか自分でも分からないけど、彼女も寂しいのではなかろうか、なんて感じてしまって。

「僕も忘れないと思います。誰よりも何よりも、ここで見た桜が今までで一番綺麗だったなていう事」

 柄にも無い台詞が口から出た、と自分でも思った。でも口から出た事はどこまでも僕の本心だった。

 それでも、彼女は少し微笑んだだけで、やはり変わらず遠い目をしていた。誰も居ない、誰も知らない場所をその目に映して、哀しそうに笑っていた。

「もうね、時代は流れてしまったんだ。誰も供物を捧げる時代ではないし、何かを信仰する時代でもない。人を食らって生きる鬼も居なければ、鬼に挑む勇者も居ない。その様子を見て楽しむ神なんて者も居ないし、人々は神に頼らなくても闇を払うようになった。いやはや、流れという物は見ていて飽きないが、それでも孤独は耐え難く、それは死に至る病は心を蝕んでいくな」

「……」

「それでな、私は知ったのだよ。私にも心があったのだという事をな」

 そう言ってまた彼女はこちらを見た。僕には到底分からない話だった。この人の抱いている深い深い、湖の底に溜まっていく澱のように濁った黒には気付けても、そのモノ自体がどんなモノなのか、どれほどの苦しみなのかを推し量る事は出来なかった。今日、それもついさっき出会ったばかりの彼女が、何を背負っているのか。そんなモノは大して人生経験を積んできた訳でもなく、社会の荒波に他の人と同様に適当に呑まれて過ごしている僕では、到底理解できるものではない事だけしか分からなかった。

 だから、なんと返していいか、僕にはその言葉すら見つけられなかった。 

「お前は」

「……はい」

「お前は、何を美しいと思う? 今を生きている感性は、何を見て何を美しいと思った?」

 彼女は問うた。哀しそうな微笑みを携えて、僕に問いかける。だから、僕はそれに応えた。

「僕は、そこにある全てを綺麗だと思います。色々景色って変わっていくんですけど、それでもずっと変わらないモノって確かにあって。この町をぶらぶらと散歩していても、ふとした瞬間に懐かしさというか、何かわからない感情がフワって出てきて。人の心を動かす何かっていうのは、きっといつになってもそこにあって。だから、そういった心を動かす何かがそこにあれば、それは綺麗なんだって、僕はそう思います」

 答えを聞いて、ふむ。と彼女は一つ首肯した。そしてぱぁと花が咲くような笑顔をこちらに向ける。

「良きかな、お前は綺麗だ」

「あ、ありがとうございます……」

 恥ずかしくなってどこともない方を向いて頬を掻いた。どうやら満足いく回答だったようで、なによりこの人の笑顔を引き出せるような回答が出来た自分がどこか誇らしくて。だからこそ余計にそんな自分がいた事にびっくりして恥ずかしくなってしまった。

「ははは、いやはや。久しぶりにヒトが来たのではしゃいでしまった。いや、興が乗ったとは言え、少し話しすぎたな」

 気がつけば、もう夕暮れだった。緋色の空が薄紅色に朱を差して、その色が一層鮮やかなものになっている。そろそろ商店街によって、夕飯を買いに行かなければならない。

「いえ、とんでもないです。僕こそ、すみません」

「何をいう。お前は綺麗だ。誇らしく思え、私がそれを覚えておいてやろう」

「あ、ありがとうございます」

 あははと笑って彼女は立ち上がった。僕も彼女に続いて立とうとしたのだが、足が痺れたのか上手く立ち上がれない。というか上手く動かない。おかしい、と思いながらも一先ず手を貸してもらおうと彼女を仰ぎ見る。彼女は僕に背を向けて謳うように言葉を紡いだ。

「どれ、一つ私と一緒にならないか」

「え?」

「私は此処に来た何かモノが何かではなく、お前だったと、覚えておきたい。だから、お前という個にその意思を聞こうと思った」

 彼女は相変わらずこちらを見ずにそう告げる。彼女の視線は赤に染まった桜に向いている。その表情を伺いしる事は叶わない。今度は僕がほえっ? という顔をする番だった。僕は言葉を失って、立つことも忘れて呆然としていた。

「ん、できればお前の口から聞きたかったが、仕方ないな」

「あ、いや、その」

「いやはや、無理もない。唐突の事で訳も分からないだろう。だが私も、少し昂ぶっているのかもしれない」

 そっとこちらを振り向く。逆光で彼女の姿が夕陽に浮かび上がる。そっとしゃがんであわわわとしている僕を抱きしめる。体温を感じる。首元に彼女の吐息が触れて、こそばゆい。早鐘のように鼓動が脈打つ。聞かれてしまうのではないかというくらいドクンドクンと生を主張している。あぁ、僕は。


「いただきます」



――――――――――――――――


『近づいちゃダメよー?』

『えーどうして?』

『あそこにはこわーいお化けの巣があってね、入ったら食べられちゃうわよー』

『変なのー、あそこにはなんにもないのにー』















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