新/003/すでに遅すぎて
「──ダメです!やっぱり何も動きません!!」
「固定電話も公衆電話も警報装置も携帯電話もパソコンも、衛星電話ですら一切!!」
「他の機器も動きません!!」
「警備員は!?」
「ダメです。こちらも無線も何もかも全く動きません」
生徒達が墜落事故を他人事と捉え、ある種の非日常に対する興奮に陥っていた時、職員室はパニックだった。
電気が消え、飛行機が墜落。
最初は生徒同様硬直していた教員達だが、そこはさすがに経験の違いか、すぐに回復して対処を急いだ。
しかしその結果が、混乱。
機械が一切動かない。
外部と連絡がとれない。
その事実は、子供よりも機械に依存する社会人たる教師に、重くのし掛かってきた。
社会の規律により多く縛られ、なおかつ責任ある教師という立場が、教職員達の精神に多大な負荷をかけた結果である。
「落ち着かなくては」なんて言葉が、各人の内心で呟かれるのだが、そんなものは瞬き程度の時間で霧散していく。
マニュアルに無い状況と混乱によって、対処能力の許容を越えていた。
それでも何とか動けた教師は数人。
それぞれが生徒を思うこの時代では稀有な教師達。
まずは何をおいても生徒達の安全確認だと、走り出していた。
二年A組の担任である三上真奈子もその一人。
自分の受け持つ教室を目指しながら、窓に張り付き物珍しそうにキノコ雲を見ている生徒に対し、教室に戻るように促し、不安そうにオロオロする生徒に優しく声をかけ、校内を早歩きで急ぐ。
存外生徒達に混乱は無く、むしろ教師達がみっとも無いくらいに慌てていたという事実に、恥ずかしい気分になりながらも、気は抜かずに階段を登っていた。
「……楽しそうだね」
ポツリと呟く。
生徒達は教室に戻りながらも、窓の外に顔を乗り出して、外の様子を他人事のように笑っている。
不謹慎だとは思うが、不安を溜め込むよりはいいだろう。
しかし状況は他人事のようで、そうではないのだ。
笑っている生徒達が、この状況を正確に把握してしまったら?
パニックになった場合、自分では混乱の収集ができ無いと、卑屈な過小評価では無く、事実として自覚している。
他の教師もあてになるかどうか、微妙なところ。
階段がやけに長く感じられる中、背中に這いまわる悪寒に思わず顔をしかめてしまう。
(こんな表情、生徒達に見せられないな……)
暗い表情を生徒達に見せれば、その不安は伝播することだろう。
後々この異常は気づかれるのだろうが、生徒達を纏めてからではないと、混乱したときに収拾がつかない。
この弛緩している空気の内に、生徒達を纏めなくては。そう、心に決め階段を上る足に力を込めた瞬間──
「「──きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!」」
絶叫が響く。
「っ!!」
今しがた通った下の階から聞こえてくる。
その悲鳴には恐怖と嫌悪と絶望が込められていて、三上の身体を硬直させるだけの威力を秘めていた。
(生徒達の悲鳴!行かなくては!)
その気高い思考とは裏腹に身体は動かない。
伝わってくるのだ。肌から、音から。
意識的には感じ取れなくとも、無意識の領域からソレが伝わってくるのだ。
逃げなくては、という本能の叫びを必死で無視して向かおうとするも、たった一段降りただけで身体に震えが走る。
「た、助けてぇぇぇ!!」
「な、なんなんだよおおぉぉぉ!!」
生徒の悲鳴はどんどん大きさを増していて、三上のいる階段まで必死で逃げてくる。
「先生っ!!」
逃げてきた生徒が三上を見つけて一瞬破顔するも、後ろを振り向いてしまい、再び顔を真っ青に染める。
逃げて自分の脇を必死にすり抜けていく生徒達に、ようやく硬直の解けた三上は、自分の名を呼んだ女子生徒に近づく。
「どうしたんですか!!」
「あ、あれ!あれを、み──」
『──ブモオオオォォォォォォッ!!!』
頭は真っ白になる。
今のは何だ?
脳が現実の受け入れを拒否する。
血の臭いが鼻孔を擽る。
誰かの叫びが、近いのに遠く聞こえる。
ベタリ、という不快感の強い脂まみれの足音だけが、何故か近くに感じられた。
『ブモオオオォォォォォォォォォォォォ!!』
二度と聴きたくなかった声が、今真後ろから聞こえる。
◆◆◆
「………不味いな」
今、学校中に異物が入り込んだ来た。いや、出現した、という表現の方がいいかもしれない。
何故なら、まるでテレポートしたかのように突如として現れたからだ。
さすがに驚愕を禁じ得ない。
殺意と粘つく欲望が混ぜられた、そんな気配。
知的生物にしては野蛮で、野性動物にしては酷く不快な欲求が感じ取れる。
感覚としてはジャンキーだろうか?
それなら何故今の今まで気づかなかったのだろう?
まさか本当にテレポートでもしたと?
──新たな住人……
嫌な予感が走る。
…………いや、今はどうでもいい。
それよりも、すぐに逃げなくては。
ここから少々遠いとはいえ、同じ階にも出現している。
俺は桐原に絡まれているナナの所に──
『ブモオオオォォォォォォォォォ!!!」
──行こうとした時、すでに遅かった。
「え!?な、何!!」
「何だ!!今のは何!!」
「き、桐原くん!!」
「え、あ、えええ!!なんだよ!?」
ざわめくクラスの中、俺は急いでナナの後ろに回り込み、許可もとらす抱き抱える。
「え!?夜月!!」
「気にするな」
今はとにかく安全な場所に逃げる。
幸いこの階には生徒は少ない。みんな学食や購買に行っているおかげだ。
今すぐなら、廊下も混雑はしない。
「み、みんな落ち着いて──七海!?神崎君!七海に何を!!」
知るか。
俺は桐原の制止を一切無視して廊下を走る。
アレは危険。
未だ出現してから一分も経っていないのに、すでに死んだやつがいる。
気配からしてまともじゃない以上、早々に避難しよう。
廊下には様子を見に来た生徒達がいるくらいで、今なら十分に走れる。
特別教室棟の二階。
昼間は人のいない特別教室棟。
一階でも良いが、気配からして一階が一番多く敵がいる。三階以上だと、逃走するのが困難。俺一人なら窓から飛び降りれば済むが、ナナを抱えたままでは二階が限界。無理をすれば三階でもいけるだろうけども、今度はナナの負担が大きいからな。という訳で二階を選択した。
「ナナ、黙ってろよ。舌を噛むからな」
と言っても結構なスピードで走っているため、しがみつくので精一杯らしく、聞こえていない。
【Status】に表示されていたとおり、俺の身体能力は半端ではない。ナナという軽い人間を抱えても、高校生の平均スピード以上で走れる。
「七海!」
後ろから何人か追ってくる。
桐原だろうが、止めてほしい。
「うああああああぁぁぁぁぁあぁっ!!!」
野太い男の悲鳴が響く。
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
続いてややハスキーな女の叫びが重なる。
それぞれの悲痛な絶叫が重なりあい、恐怖の合唱となって、ここにいる生徒達の心に突き刺さる。
桐原は正義感なのか、悲鳴に伴い足を止めたが、俺はそんなの気にしない。
予想される大混乱まで後数秒。
あの角を曲がれば、殺到するだろう階段から死角に入る。
後は西棟から特別教室棟まで一直線に向かえばいい。
角を曲がる直前、案の定──
「「「いやああああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁああああぁぁぁあぁぁああぁっ!!!」」」
──本気の絶叫。
『ブモオオオォォォォォォォォォ!!!』
さっきから聞こえるこの雄叫びは、どう聞いても人間のモノじゃない。
やはりというべきか、あの【サマエル】の言った通りなのか。
だとすると、一度見ておいたほうがいいのだろうが、ナナがいて、生徒達が入り乱れる様に右往左往している現状では、リスクが高い。
気配の感じから言えば、正直大したこと無い。問題なく倒せるレベルだと判断できる。が、人外である可能性と、テレポートの可能性があるため、生徒達が居なくとも、やはりリスクは高い。
他の生徒が我先にと階段に押し寄せている中、人のいない西棟の廊下を走る。
北棟には行かずに、そのまま直進して特別棟を目指す。
ん?
後ろから数人。桐原、か。
七海センサーでも搭載しているのか、あいつは?
「待つんだ神崎君!!」とか言っているけど、無視。いや、意地悪とか面倒とかではなくて、今の状況なら当然だ。止まってはいられない。……というか、叫ばないで欲しいんだけど。
これ以上スピードを上げると、ナナに負担が掛かるからなあ。
特別棟にも敵はいるが、たった二匹で他の奴等とは遠い。二匹も一匹は一階をうろつき、もう一匹は五階をうろついている。
そのため、四階にいる俺達が二階に行ってもエンカウントしないだろう。
テレポートも、最初の出現から一度も使っていない。というか本当にテレポートかどうかって分からないんだよね。
それはそうと、桐原達が未だについてくる。近藤他取り巻き女A~C。他数名。
しかし体力的な問題もあってか、徐々に引き離していく。とはいえ行き場所はバレバレだから、結局一緒に行動しそうで怖い。