新/001/始まり
「──ありがとうございました!」
客が自動扉を出るまで、俺は頭を下げ続ける。
普通のコンビニならここまでしないだろうが、この辺りは上流階級の子供達が多く通っている学校がある。そのため、店長からそう言いつけられていた。
はっきり言って、俺のような高校中退の一般庶民がいるには、居心地が悪い街だ。
道行く人のほとんどが、何処と無く品が良いので、俺は否応なく目立つ。不気味なほど治安が良いのも、俺には合わなかった。
他のコンビニと違って待遇が良く、給料も高額で、美人の多い街として有名だったからといってバイト先を決めたのを、今では後悔している。
中には少し不興を買っただけで、ヤバイような人もいるらしいので、胃がキリキリだ。
「はあ」
小さくため息をつきながら、レジから出て、途中だった掃除を始める。
ちなみに今は先輩が休憩中なので一人だ。
つまり現在の責任は俺にある。……鬱だ。
ピークが過ぎて、ちょうど人が居なくなった店内をさっさと掃除する。
そして俺がちょうど、自動ドア近くで掃除を開始した時、影が掛かり、自動ドアが静かに空いた。
どうやらお客らしい。
くっ、始めたばかりだというのに。
とはいえ、お客様は神様。マジで。
素早く顔を上げ、笑顔で挨拶。
「いらっしゃい──」
──ぐしゃ……。
「ブモォォォォォォっ!!」
最期に聞いたのは、恐怖心と嫌悪感を激しく刺激する不快な雄叫びと、豚の顔だった。
◆◆◆
「──はあ」
会社の屋上で、晴れない気分を投影したかのような曇天を見上げながら、私は何度目かも分からないため息を吐いた。
後輩が結婚した。
その報告を聞いたときは彼女を祝福したけれど、30を越えて恋人すらいない私の心は、醜い嫉妬がじわりじわりと侵食していた。
はっきり言おう、
──リア充死ね。
あぁぁぁぁ~、なんで私は結婚できないんだぁぁぁっ!
そこそこ美人だと思っているんだけどなあ………。
年齢がネックなんだよなあ。
なんか、合コンとか行ったときに、向こうからもアプローチを受けて「あ、これいけるんじゃね?」とか思ってたら、本当の年齢を思わず言ってしまい「あ、そーなんだ……」的な?
30後半の何が悪いんだぁぁぁ!
本当に泣きたくなる。
いや、泣かないけど。
視界がボヤけている気がするけど、溢れなければセーフ。
泣いたら、なんか負けに思える。
「はあぁ」
もう一度ため息をついて、すっかり温くなったアイスコーヒーを流し込む。味なんて分からない。
屋上から景色を眺めて気分転換でもしよう。
と言っても、この辺りはあまり景色は良くないけど。
緑が無い、訳じゃない。むしろ、都会なのに緑は多い。
この辺りの上流階級の子供達が通う学校があるので、美しさを出すため緑が多い。
学校と駅前の間には自然公園もあるし。
だけど、私はあまりこの自然が好きではない。まあ、嫌いなわけじゃ無いけど。
自然自然と言っているが、実際のところこの街の緑はほぼ人工的に植えられたモノ。
緑があるけど何だか冷たい感じがして、田舎にある実家の暖かな自然が懐かしく思えるのだ。
………あんまり見てても、気分は晴れないな。
むしろ実家の両親の「早く嫁に行きなさい」というプレッシャーを思い出して、さらにどんよりした気分になる。
あ、そう言えば、さっきスマホ鳴ってたな。めんどくさくて見なかったけど。
しかし今も見る気は起きない。
ああ、私の心に反映してか、足元の影がどんどん広がっていく…………影?
太陽が顔を覗かせていない、全体的に暗い真昼。
それなのに、何故影が?
私は曇天の空を見上げる。
──飛行機。
目に飛び込んできた物の名前。
………あれ?
なんでこんなに近く──
◆◆◆
「──しまったなあ…」
右手でハンドルを握りながら、左に巻いた腕時計を確認。
もう少しで会議の時間だ。
午前の商談が、思ったより長引いてしまったのが原因だ。
また部長に嫌味を言われるのか……。
もしかしたらさっきの電話がそうなのかもしれない。運転中を言い訳にでなかった。
この信号でずっと停まっていられたらなあ。と、思わず頭に過ってしまった、私を誰が責められよう。
定時で帰ろうとすると「え?もう帰るの?」
数ミリずれたホチキスに「……はあ」
携帯がマナーで鳴っても「困るんだよねえ」
これをウザいと言わずになんと言おう。
別に規則を破っている訳じゃないんだから、どうでもいいだろう。
今回も時間的に遅刻する訳じゃ無い。
おそらくギリギリ。しかし、間に合う筈。
本来なら、会議に参加する中で地位の低い私は、早く行って準備しておくのが普通だから、非常識と言われるのも、まあ分かる。
だが違反する訳じゃ無い。
なのに、あの部長はそこをネチネチと責めて来る。
それを思うと憂鬱だ。
信号が青に変わった。
私はゆっくりアクセルを踏んで、車を走らせる。
数台の車とすれ違い、三車線の道路を直進していく。
はあ、どこかで事故でも起きていないだろうか?
そうすれば、遠回りしましたと一応言い訳も聞く。……不謹慎すぎるか。
まあ、事故なんてそうそう──
「──っ!!」
真横から凄まじい衝撃が走った。
車体が弾かれ、強烈にスピンする。
なんだ!なんなんだ!!
凄まじい遠心力によって、何も考えられない。
いきなりの事で、頭が真っ白になる。
車はそのまま回転していき──
「がぁぁぁぁっ!!!」
──今度は別車線を走る車に激突して、またしても撥ねられる。
気がついた時には、車は二回ひっくり返って、正しい姿勢で停まっていた。
しかし、周囲には連鎖的に激突したのだろう、煙を上げる無数の車。
今もなおブレーキ音や、ぶつかり合う金属音が響いている。阿鼻叫喚。
死者も間違いなくたくさん出ているだろう。
一体どこのどいつが、私の車にぶつかって来たのやら。
………まさか、事故を願ったから神様が起こした、とかでは無いだろうな。
まあ、ありえない──
「──ブモォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!」
…………………え?
目の前に………赤いナニカが通る。
ものの○姫を思い出す、巨大な猪。
間違いなく私の車より巨大だろう。
………いや、何故だ?
ここは都会……いや、そうではなくて!!
ありえるのか?あれ!?
牙が象とかより太くて大きいぞ!
目が何故か真っ赤だぞ!
毛皮から熱でも放射されているのか!?周囲の空間が螺曲がってるぞ!!!
夢!?夢だよね!夢であって来れ!!ほんと、お願いします!!!
私は目をギュッと閉じる。
そして開く。居なくなっている様に願いながら。
しかし、現実って奴は非常だ。
「ブモォォォォォォォォッ!!!」
………逃げなくては。
本能が、いや本能ではなくても目の前の異常性を見れば逃げなくてはならない、と誰でも分かる。
車は動かない。
見た感じ、外部の破損はそこまで酷くないのに。内部がやられたか?
とにかく車は、まったく機能しない。
ああ、奴がこっちに!!
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!
外に出ればもっと危険かもしれないが、身動きのとれない今突っ込まれるのはもっと危険だろう。
私はシートベルトを急いで外──
「──……え?」
………腕が…腕が…腕が…腕が……………
気づいた時には、視界一杯に、赤色が広がっていた。
◆◆◆
「──これはもしや、非日常の幕開けか?」
スマホに突如として表示された内容。
【サマエル】と名乗る不思議なキャラクター。
それを見た途端に僕は興奮が止まらず、鼻息が荒くなる。
………そして近くにいた女子が、若干引いた気もするが……気にしない。
おお!
毎日毎日思い描いてきた非日常がここに!!
──いつも僕を馬鹿にする斎藤や吉川がモンスターにやられ、人気者の桐原ですら無惨に引き裂かれる中、女子達の悲鳴が響く。
そこに僕が颯爽と現れ、窮地を救う。
その泣き叫んでいたのはなんとあの西園寺さん。
僕は彼女と共に逃げる。
モンスターは僕らを執拗に追ってくる。
しかしそこで西園寺さんの体力がついに尽きてしまった。
『富川くん…ぼくに構わず、行くんだ』
『何言ってるんだ西園寺さん!君を置いて行けるわけないだろう!!』
『しかし──』
『──僕…俺が七海を守る!絶対に!』
『富川──晴明くん……』
迫り来るモンスター達の中、俺の後ろには七海がいる。
絶対に退くわけにはいかない。
それが男の意地。
手に持った日本刀で、一体目を斬り倒す。
返す刀で二体目を。
三体目の棍棒を紙一重でかわし、喉に突き刺す。
やれる!俺は行ける!!
七海が俺に熱い眼差しを向けている。それだけで、俺は戦える!!
しかしモンスターは物量で俺を押してきた。
個では敵わないと、卑怯な事にしか回らない頭脳が導き出したのだろう。
『はあはあ』
何十と斬り倒し、俺の体が休息を求めるが、まだ終わらない。
ドスン、ドスン、ドスン、ドスン……
地面を揺らす、巨大な足音。
『──ボス、か』
まさか、こんなに早々出会うとは。
七海と共に、もっとレベルアップしてからのプランを台無しにしやがって。と、俺は笑う。
『いいだろう、殺ってやるよ!!』
俺は挑む。
後ろに──守る大切な女がいる限り!!
──いや、ちょっと盛りすぎかな~。
僕は武術ならった事無いから、日本刀は無理があるか……。
なら魔法だな。うん。それに、剣だってすぐ覚えるだろうし、魔法剣士か!
魔法については書かれて無いけど、きっと何かチートを貰える筈だ。
だって僕は、この通り選ばれたんだから。
スマホに映る画面を見ると、ニヤニヤが止まらない。
その時──
──爆音が、響き渡る。
◆◆◆
…………これは、どんな反応をしたほうがいいのだろうか?
「光君、これなに?」
「……ウイルスかな?」
「くっ!若の携帯に!急ぎご実家に連絡を!」
桐原達が話しているのを横目に、俺も考える。
ウイルス、という可能性が一番高いのだろうけども、俺とナナのスマホのプロテクトをいとも簡単に破るなど、ちょっと信じらない。まあ専門では無いから詳しくは分からないが。
──新たな世界。
とか言われても、反応に困る。
ナナも俺と共に【サマエル】とかいう奴のムービーを見ていたので、頭を捻っている。
電気だって別に消えてないし。
と──
──それは、反射だった。
「……………」
曇天の空を見上げたのは、無意識の直感。
脳より早く、身体が反応した。
「夜月?」
ナナが不思議そうに、俺の服の裾を引っ張る。
しかし俺はそれに答える事をしない──いや、できない。
目を離してはいけない。
というより外から感じ取れる濃厚な死の気配。
殺意と狂気と恐怖と混乱と、絶望。
そして、
墜ちてく──