新/045/恵まれた者
「──【弱電撃】&[マジックアロー]」
杖の先端から細い電撃が迸り、一秒遅れてサファイアの矢が三つ宙を飛ぶ。
電撃は五体いるオークの内、一番左の個体にヒットして、一撃の下に意識を刈り取る。死んではいないが、戦闘不能だ。
サファイアの矢は右隣から順に三体へ、それそれ一本ずつ激突し衝撃で足を止めさせた。
そんな中、真っ赤な着物をたなびかせ、虚ろな気配で雛が疾走する。何も攻撃を受けず、仲間の様子に気も配らずに突進してくる一番右の個体へ、滑るように接近していく。
「──疾っ!」
反応を許さぬ疾風の如き速度で、鞘から抜かれる太刀は、美しい閃と共にオークの鮮血を撒き散らす。
声を出すことすら許さずに、一刀の下に首が舞う。
血飛沫と共に倒れ逝くそのオークをすり抜け、雛はノックバックから回復した三体へと足を向けた。
その雛に驚き、がむしゃらにオークは棍棒を振り回す。その棍棒を紙一重で回避し、たっぷり脂肪のついた顎下から鋒を突き刺した。
悲鳴であろう掠れて聞き取れない叫びを聞き流し、太刀を引き抜き次へと姿勢を正す。
隣の二体が雛に向き直る。
剥き出しの殺意と欲望を棍棒に込めて、短い手足を力ませた。
中段に油断無く構えた雛は、二秒程睨み合い──
「【弱電撃】!!」
──七海から迸る電撃を合図に、左の一体へと疾走する。
突如真横で輝いた電光と、それに直撃して叫びを上げる仲間に驚いた左のオークは、雛から視線を離してしまう。
「はっ!」
視線を離した隙をつき、雛の刺突は眉間を貫く。
隣でオークが崩れ落ちる中、最後のオークは悲鳴すら許されずに絶命していった。
◆◆◆
「あ、level-UPした」
「お、良かったッスね」
夜月と別れてから三度の戦闘を迎え、計六体のオークを討伐したぼくは、levelが上がった。雛は八体倒しているが、残念ながらまだまだ足りないようだ。
軽くハシャギながら笑顔でハイタッチして、ドロップアイテムの内、お金だけを回収していく。
テンションが少し無理矢理過ぎるが、気にしない。
深く息を吐き出しながら、お金をmoneyに放り込む。
豚肉は拾わない。気持ち悪いという事も勿論あるが、一番は金にならないからだ。20C程度のお金ならばそこまで必要では無い。むしろ、一時的でもstorageを埋めてしまうので、拾わない方が良いと、ぼくらは判断した。
「いやー、それにしても………」
BPを振り分けていると、雛が少しトーンを落として嫌そうに周囲を見渡す。
振り分けたぼくも、視線を動かして影に隠れている(つもりの)人々を捉えた。
現在、ぼくらは学校へと戻っている。
理由は今現在ぼくらを取り巻く人達だ。
──夜月に逃げろと言われたぼくらは、二人共お通夜みたいな雰囲気で戦える精神状態ではなかった。
あの状況では何も出来る事は無いと理解しても、自分の無力さを否応無く実感させられるには十分だった。
戦意を喪失したぼくらは、オークを回避して道具屋へと重い足取りで歩を進める。オークはいたのだが、幸いな事に遠回りする必要はなかった。
だがその途中で夜月から勝利の報が届き、お通夜みたいな沈みきった雰囲気から一転、心が歓喜に包まれ雛と二人で喜んだ。
その後、ぼくらはルンルン気分で指示された道具屋へと急ぐ。
本当は学校に引き返してすぐにでも抱き着きたかったが、辛うじて理性が制した。
すぐに道具屋へと辿り着き、売る物を売り、買う物を買った。
ここまでは順調。というか、この辺ならばぼくと雛でも十分。
問題はここからだ。
mailには、少し遅れると書いてあった。だから辿り着いて用事を済ませると、手持ちぶさたになる。
ここに来るまで戦闘を回避していただけあって体力的に十分な余裕があったぼくらは、夜月が来るまでの時間、狩りを行う事にした。特にぼくは後五、六体狩ればlevelが上がるし、雛は先程の鬱憤を晴らすべく、身体を動かしたがっていたのでちょうど良いい。
だがしかし、これが悪かった。
夜月が戦闘を行う際、別に敵だけに気を配っている訳では無いと言っていた。敵以外にも、こちらを見ている人々にも気を配っていたのだ。
だがぼくはそれを忘れていた。というか、今まで夜月から言われただけで気にした事もなかった。
雛はぼくなんかとは比べずとも分かる程に優秀だが、それでも夜月と比肩させる事などできない。
夜月が居なかったという事もあるだろうが、完全に油断していた事が多分一番の理由だ。
勝利を積み重ねてしまったが故の増長。
ぼくらならば、問題無いという傲慢。
それ故、他者の視線に全く気を配らず、周囲に力をアピールしてしまった。
それがどういう事か、分からない訳でも無いというのに。
『助けてくれっ!』
『おお!救世主!』
『水!水をくれぇ!!』
『お願いっ!この子だけでも!!』
『困った時はお互い様だろ!!』
『頼むよ!助けて!』
わらわらと群がる人々は、呼吸は荒く、目は血走り、必死で他人にすがりつこうと群がってくる。
皆一様に痩せ細り、肌はパサパサ。もはや死体同然で、不謹慎だがゾンビと似ていると思ってしまう。
これが本当の本物の現実。
ぼくがどれほど恵まれていたのか、ようやく実感できたかもしれない。
流石に対応に困る。
追い払わないといけない。そう思っても、罪悪感がぼくの頭から理性を追い出そうと暴れ狂う。
雛は冷静に冷徹に追い払おうとしていたが、必死に懇願し、すがりつこうとする人の中に、母親に抱かれた赤ん坊や幼児と言っていい子供達が混じっており、流石に拒絶の言葉は止まってしまう。
何度となく夜月に「自分だけを気にしろ」と言われても、罪悪感をコントロールする事は出来ない。
『今のぼくらには少しの余裕がある』『子供だけでも』『ここで見捨てたら……』
理性のダムが必死に抵抗を試みるも、罪悪感という名の暴流は情け容赦無く頭の中を掻き乱す。
過呼吸気味に荒くなる息と、周囲にまで音を運ばせる心臓の音。
立てた襟に顔を隠しながら、涙が溢れ出す。
どうしたら良いのか、分かってはいるが、選べない。
必死だった一日目や二日目ならば、余裕が無くてどんなに良心が訴えても無理矢理無視する事もできただろう。
だが装備が整い、強敵を打倒し、僅かでも余裕ができている今の状態では、良心を捩じ伏せるだけの力が無い。
それは雛でも同じだ。
流石にぼくのように硬直しなかったとはいえ、顔には強い困惑を浮かべてしまう。
これが大人だけならば拒絶もできた筈だ。だが、幼い少年少女までもが寄ってくる。
ゾンビ一歩手前の状態からは、ここでぼくらが拒絶してしまった後のビジョンが、明確過ぎるほどにイメージさせられてしまう。
助けたい。でも、余裕があるのは幻想だ。
オークならばまだいい。ぼくらだけじゃなく、夜月が居るし、メメも加わった。
だがオークだけじゃない。
夜月だって持て余すような化け物共が、この世界には闊歩している。
余裕を持って戦えているように見えるぼくらだが、その余裕の源は、夜月に庇護されているから得られている仮初めの余裕なのだ。
拒絶しなくてはならない。
だがしかし、口が開かない。
──そんな時だ、ぼくらの沈黙に痺れを切らした一人の男が、ぼくに襲いかかってきたのは。
『助けねえなら、てめえらの持ってるもん全部寄越せぇぇ!!!』
当然ながら反応出来ない。硬直してしまっている思考では、相手がどんなに遅くても、対応する事ができない。
血走った眼球と追い詰められた者が持つ必死で狂気的な殺意。
それを向けられたぼくは、目を瞑ってしまう。それは下策だと、散々教わったというのに。
『うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおぉおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお──ぉ……??』
叫びながら突っ込んで来た者が、急にその声を止める。
それと同時に、ぼくの頬に生暖かいモノが付着し、ゾワリと怖気を誘う鉄の臭いが鼻孔に押し入った。
先程まで周囲を包んでいた泣き声、喚き声にて懇願していた人々が、一瞬で静寂に包まれた。
『あー………、こんな人ばっかだと楽なんスけどねぇ』
飄々とした雛の声が、無遠慮に静寂を破り捨てる。
ぼくはゆっくりと目を開く。
太陽光が瞳を刺激する一瞬の眩みの後、目の前に写し出されたのは血を被った雛の背中。
それから次に目に入ったのは、ただでさえ血色の悪い顔を更に悪化させた人々。
下に視線を向ければ、首から上の無い死体が血溜まりを生み出し、少し離れた先に落ちている男の顔が、困惑と絶望を張り付けたまま、目を見開いて転がっていた。
『はいでは、これ以上自分等に近づこうとする輩は、自分が斬り殺すッス。あ、突き殺すというのも勿論有りッスよ』
軽い感じで紡がれる言葉とは裏腹に、その音には底冷えする程の冷気が込められていた。
だがぼくには分かる。
その言葉の中に、自分への自虐の色が混ざっている事に。
彼女本来の喋り方は、結構しっかりした普通のモノだ。語尾や一人称は仮面の様なモノだと、ぼくは思っている。
本音を言う時の雛は、一人称はともかく、語尾はしっかり改める。
それなのに変わらないという事実は、きっと彼女なりの防衛本能なのだろう。
自虐し自嘲し、罪悪感によって自らを貶める全てに対し、せめて仮面を被る事で、最低限の防御を施しているのだ。
今更ながら、やってしまった事に気づく。
本来ならばぼくが、いや違うな、ぼくらがやらなくてはならない事だというのに、たった一人に全てを押し付けた。
これはぼくら二人の責任だ。
どちらかではなく、ぼくら二人の。
それなのにぼくはその責任を放棄して、全てを雛に委ねてしまった。
これでは周りですがりつく者達と、なんら変わらない。
ギリ、と歯を食い縛り、目を大きく見開く。
荒ぶる呼吸を無理矢理落ち着け、心臓を必死に鎮める。
これ以上の無様は晒さない。
それにぼくにだってプライドはある。
自分の責任を全て他者に押し付ける愚行なんて、許せるモノじゃない。
『………ぼ、ぼくらは、本気だ。君らがどれ程必死でも、ぼくらは君らを殺す!』
震える声で言い切った。だがこれだけでは虚勢だ。
歯を食い縛り、覚悟を決めて魔力を輝かせる。
『[マジックアロー]!!!』
サファイアに輝く三つの矢が宙を飛び、怯えて悲鳴を上げる群衆の前列にいた男達に一発ずつ直撃する。
これはM-ATTは換算されず、M-STR依存の威力だが、夜月曰くライト級ボクサーのストレート並みの威力は出るらしい。
夜月、いや雛ですら問題無いが、一般人にしてみれば十分に危険な威力だ。
案の定、腹に食らった三人は胃液を撒き散らしながら身体をくの字に折り曲げ地に沈む。
生きてはいるだろうが、この世界では半分殺したも同然だ。
まともな治療どころか食事も水も無く、何より常に驚異に晒されているのだから。
胃の中身を吐き出しそうになる程荒れ狂う自虐の渦。それでも必死にぼくは立ち続ける。崩れてはいけない。これ以上、雛一人に背負わせてはいけない。
震える四肢に限界を超えた力を込めて、なんとか支えなしで立つ事に成功した。
雛はぼくの行いがあまりに意外だったのか、驚きを浮かべて振り返る。少し心外だが、基本的にぼくの評価なんて、何も出来ない癖に美貌と優しさだけで勇者様に助けて貰えるお姫様程度なのだからしょうがない。
『なんだよ!なんなんだよそれぇ!!』
誰かが泣き崩れながら地面を殴った。
それを切っ掛けに、他の人達も理性のダムが決壊して、罵詈雑言を投げ掛ける。
直接暴力に出なかったのは、理性では無く防衛本能だろう。
流石にこれ以上この場に留まる訳にはいかない。この重複する絶叫が、周囲にいるオークを呼び寄せるかもしれないし、何よりぼくらの精神に多大な負荷がかかってしまう。
泣き崩れながら恨みと憎しみを罵詈雑言の呪詛に込め、それでもなおもすがろうとする彼等の叫びを無視し、歩を進める。
──その途中で見てしまった少年は、泣く体力すら残っていなかった。
蘇ってきてしまった苦渋の記憶が、頭の中を犯していく。
不味い。折角上げていたテンションが、沈んでいってしまう。
ぼくの様子に自らの失言を焦った雛が、慌ててぼくの手を握る。
硬い手だ。何時も袖に隠していたりするので気づかれ難いが、数万、数十万、数百万と刀を振るってきただろう雛の手は、女性の手とは思えない程硬い。
だけどぼくにはその硬さが、夜月の手と似ていて嫌いじゃない。
「す、すいません先輩!」
「いや、良いんだ。ぼくなんてお前の後に隠れてただけだ」
少し視線を交わしたぼくらは、恥ずかしそうに笑いながら雰囲気を戻していく。
雛に言った通り、ぼくは雛の威を借りたようなモノだ。
それなのにこの様。
せめてこの場でくらい気を保たないと。
「行きましょうか」
「うん」
ぼくらがそこから離れると、後ろでは争奪戦が勃発する。
落とした豚肉をかけて奪い合っているのだ。
暴力を見慣れたぼくらだが、人間同士の奪い合いは見ていて気持ちの良いものじゃない。
それならば拾ってしまった方が良いかもしれないが、storageの空きは確保しておくに限る。
もっとも、そろそろ引き離さなくては。
学校にこられれば厄介だという事もあるが、なにより夜月の手を煩わせる訳にはいかない。
これはぼくらの責任なのだから。
「それにしても、増えてるな」
「あー、やっぱッスか」
後ろで奪い合う者達は、回数を重ねるごとに増えている。まだ三回しか戦ってないんだが。
「ちょっとゾロゾロ出て来すぎじゃ無いッスかね」
「………しょうがないさ。何も無かったんだから」
「何も無かった?」
そう、彼等は遅かれ早かれ今日明日には外に出て来ざる得ない。
何も無いのだから。
「水も、食料も、そして助けも」
「……ああ」
まだまだ餓死するような時間では無いが、脱水はそろそろ危険だ。通常の気温でも三日の断水はキツいというのに、夏の暑さに快晴の日照り、更には常に晒される死の恐怖と、時間によって襲いくる餓えへの恐怖。それらによる過度のストレスは、より一層身体から水とエネルギーを無慈悲に奪っていく事だろう。
何処かに隠って飢えと渇きを耐えながら天に身を任せるか、外に出てなんとかしようと足掻くか、彼等は選ばなくてはならない。
そこにぼくらが引き上げる気も無い蜘蛛の糸を垂らした。
つまり最悪の二択に迷える多くの者達に、幻想の三択目を見させてしまったのだ。
だから彼等はそれを選ぶ為に出てきた。
「本当に、ぼくは何も分かってないな」
自嘲しながらそう呟く。
ゲームみたいな世界感のせいで、ぼくは惑わされていた。
これは現実。能力が上がったところで、ぼく自身が強くなった訳じゃない。
夜月はlevel-UPした事を、強化か変化と呼ぶ。
決して成長などと呼ぶ事はない。
「本当にすごい奴だ」
あいつもまだまだこの世界を理解している訳じゃないんだろうが、それでも本質的で変わらない部分は、履き違える事は無い。
凄いよ、本当に。
◆◆◆
学校に着く前にストーキングしてくる人々を振りきった後、自分達は学校へとようやく辿り着く。
途中、夜月先輩に「戻る」というmailを送り、それからすぐに帰ってきたmailには「保健室にいる」と書いてあった。
休むにはベッドがあった方が良いッスもんね。
裏門を越えた先はやはりと言うべきか、かなり凄惨たる光景で、七海先輩なんかはまた顔面を蒼白にしている。
この人は本当に変わらない。
勿論、良い意味で。
ここまで立て続けにおこる悲劇の数々をしっかりその目で見続けても、この人は変わらず良心を持ち続けている。
確かに余裕があって、夜月先輩の庇護があるとしても、ここまで変わらないのは素晴らしいの一言でしか語れない。
普通ならばとうの昔に価値観を壊して、精神を摩耗させて、非情になってもおかしくない。
たった三日だけど、それだけの世界を彼女は見てきたのだ。
それなのに変わらない。
西園寺七海は弱いのだろう。泣き虫だし、臆病だ。
だけど彼女は一つだけ、神崎夜月にだって劣らないモノを秘めている。
忠誠心や保護欲など薄いと思っていた我が身が、彼女を護れと訴えかけ始めている。
夜月先輩への打算などでは無く、純粋に自分自身の気持ちが。
いけない。
この世界では、自分を最優先に考えなくてはならない。
他人に気をかけている余裕が、自分にある訳がない。
自分は心の中で沸き立った感情を黙殺して彼女の手を引き、悲惨な裏庭を早足で抜ける。
「なあ雛」
「はい、どうしたッスか?」
保健室に行くために校舎の裏口に辿り着いた時、七海先輩が足を止めて背後を振り返る。
「さっき、光の死体見たか?」
「へ?」
桐原先輩の死体ッスか?
そういえば見てない。自分達が通った場所は先輩達が戦っていた筈の場所。そこに死体が無い。
とはいえ死体ならば無数にある。
あの中に埋もれてしまえば、パッと見ただけでは分からない。
「埋もれてるんスよ」
「そうかな?」
少し納得がいっていなさそうだが、特に考える事も無く七海先輩はまた歩き出す。
自分も手を繋いでいるので一緒に歩く。その傍ら、確かに少し不気味だなと苦笑する。
蘇っても、せめてゾンビでお願いします。
Q:『なんで【弱電撃】を連続使用しないんですか?一秒で発動できるなら、[マジックアロー]に頼らなくても良いと思います』
七海:「出来ないんだ。再展開に四秒かかるんだよ」
Q:『夜月くんは保健室で何をしてるんですか?傷治ったでしょう?』
夜月:「精神安定」
メメ:「……………………た、たしゅけて」




