新/017/復讐の鬼
ようやくの戦闘シーン?
体感で午後八時。
日は完全に落ちて、夜の闇が覆っていた。
以前と違って明かりなど無い東京は、全く見たことが無い姿へと変貌している。分厚い雲が未だに存在する空は、月も星も消して、どこまでも闇を広げていた。
現在、居酒屋奥の居住区一階の居間で、ナナと雛と共にそんな夜を過ごしている。
ナナは肉体と精神の両方から来る疲労によって、三十分前にはスヤスヤ寝息を立て、深い眠りについていた。
abilityにもあった通り、俺は基本寝ない。
ただ【不眠症】とabilityには出ていたが、それは納得していない。俺は寝れない訳じゃ無い。その気になれば、何時でも何処でも寝られる。ただ単に、寝たく無いだけだ。
それは【拒食症】にも言える。食べれない、のでは無く、食べたくないから食べない。特に味の着いたものは食べたくない。が、その気になればどんなものでも食べれる。
だから【不眠症】と【拒食症】も、あんまり納得できない。
かなり不健康な生活と言えるが、生まれ変わってからは、一度も病気になった事は無い。そういえば、abilityに【超抗体】ってのがあったな、俺。
もっとも、今この状況に置いて、不眠も拒食も意外と役に立っている。食事は最低限で良いし、安全地帯でも無いこの場所において、番をするのに役に立つ。
「センパ~イ。子供も寝静まった事ですし、どうで──ぶっ!」
とか自分の体質を皮肉気に考えていると、横から雛が俺の身体にまとわりつこうとしてきた。
それに対し、反射で裏拳を顔面に叩き込んでしまった。しまったな、椿ちゃんに怒られる。椿ちゃん曰く「女の子を殴ってはいけません!!」らしい。納得はしなかったものの理解はしてるつもりだ。敬愛する義母の言葉だったというのも大きいだろう。以来俺は、女は蹴るか踏む事にしている。
「すまんな、つい」
「酷いッス。これは雛を貰って戴くしか無いのでは?」
「性欲を持て余してるなら、外にオーク達がいるぞ」
「………相手は選ばせて欲しいッス」
想像したのか少し顔をひきつらせる。
確かに美少女の半獣姦は、特殊な性癖意外は受け付け難い。俺はちょっと興味ある。雛が襲われているのとか。
雛は体力が有り余っているのか、未だに寝ていない。
柔らかそうな肌とは裏腹に、その下に強靭な筋肉を隠している雛。その特殊な筋肉の付き方から推察するに、体力は桐原や近藤より上の筈だ。
身体に薄く残る傷痕から見ても、雛は相当に毎日訓練を積んでいる。このくらいの疲労は、日常的なのだろう。
懲りずに引っ付く雛を、今度はしっかり足で押さえ込み、両足だけでキツく固めつつ「ギブっ!ギブっ!」近くにあった文庫本に手を伸ばす。
【我輩はガンマンである】とかいうタイトルで、初見で駄作の予感がしたが「せんっぱい!マジ!マジ勘弁!!」暇潰し程度にはなるだろう。普通はこの暗さじゃ読めないだろうが、俺は特に問題なく読める。
速読とはいかなくとも、十分早い部類に入る速度で本を読み進める。
早くも飽きてきたが、暇なので根気良く読んでみる。
そしてそんな適当な読書をして、雛の顔が赤から青に変わった直後──
「「っ!!」」
──俺と雛の感覚に、ほぼ同時にナニカが反応した。
◆◆◆
──瞬間的に夜月は七海を抱え上げる。
そしてそのまま廊下へと走り込み、七海を階段の影に隠す。
雛も夜月の反応に若干遅れるものの、ほぼ同時に廊下に走り込んだ。
そして二人は窓の方向に向き直る──
それと同時に──窓が吹き飛ぶ。
甲高い破砕音が家中に響き渡り、この家だけじゃなく近隣の住人達の、緊張で張り詰めた鼓膜を刺激する。
そんな異常事態の中心にいる夜月は、いたって冷静に飛来する窓ガラスの破片をダメージになりそうなものだけ、避け、受け止め、弾く。雛の方は、暗すぎて見えないため、七海と共に階段の影に隠れた。
「雛、七海を連れて上に。こいつは俺が殺る。傷つけるなよ」
「サー!イエスサーっ!!」
夜月は目の前の暗闇にいるナニカから眼を逸らさずに、下僕に命令を出す。雛は文句も躊躇も無く従い、起きて眼を白黒させる七海を抱えて軋む階段を駆け上がる。この暗闇では足手まといになると、重々承知しているからだ。
暗闇の中に潜む魔物は、上に上がる雛達など無視し、自身に対して鋭い殺気を放つ夜月に狙いを絞っている。
夜月は視界全体を一つとして認識し、全感覚を同時に広げる。
思考を加速させていく中で、夜月は敵の分析を急いだ。
(………やべえな)
解らなかった。
体格等は暗い中でも見えているが、肝心の戦闘力が解らない。
体格は人間。
オークの様に、何か別の生物が混ざった感じはしない。体格だけは純然たる人間。それも女性。その上なんの冗談か全裸。顔はさすがに良く見えないが体型は崩れていて、全裸でも欲情したりはしない。
立ち姿に武術の心得は見られない。というか素人だ。町の不良中学生にだって劣る。
ここまで理解できるというのに、何故戦闘力が解らないのか?
それは、気配が全く無いからだ。
夜月と雛がギリギリで察知したのは気配ではなく、音。真後ろに出現した音に対して、夜月と雛は反応したのだ。
だからこそ、理解が追い付かない。
何故こんな素人が、目の前にいるのに感じ取れないほどの気配遮断ができるのか、と。
もしかしたら、自分の実力を完璧に隠す事ができるくらいの達人かもしれないが、だとしたら、何故あのようなお粗末な足音をさせたのか?
ちぐはぐで、判断がつかない。
思考に更に一足ギアを入れ、感覚器官をより拡大させる。
匂いは──と考え嗅覚に意識を集中させた瞬間、
(なん、だ?腐敗臭??)
強烈な臭いが不快感と嫌悪感を伴って、鼻を刺激してくる。腐敗臭の正体は、目の前の女性。
ポーカーフェイスは保ったが、嗅覚を伸ばすを反射的に止めた。
そして嗅覚への意図せぬダメージで、僅かにラグがあったが、聴覚からも異常が伝わる。
(…………確定。人間……いや、生物じゃねえ)
心音が聞こえない。
呼吸音も聞こえない。
そんな生物──少なくとも哺乳類にはいないはず。
(……ゾンビ?)
心音、呼吸は聞こえず、体臭の代わりに腐敗臭。一週間前の夜、七海に無理矢理見せたゾンビ映画を思いだし、目の前の存在を仮定する。
動く死体なら、生気が無くて気配が無いのも頷ける。
仮に生前の実力のまま動くゾンビだったとしたら、武術的なたしなみが無いのも頷ける。
ただ──
(──動かねえ?)
思考を加速させているので、ここまで三秒以下なのだが、それでも入ってきてから一切アクションが無い。まさか自分が割ったガラス片が頭にでも突き刺さるという、馬鹿な状況なのでは無いだろうか?と夜月は内心首を捻る。
その時、闇の向こうでついにゾンビらしき全裸の女性が動き出す。
ニヤリと、雛の可愛らしいニヤけ顔とは違う、気持ちの悪い笑みを浮かべる。
それも口許を盛大に吊り上げて。
「──ひっ……ひゃああっははははははははは!!!!」
壊れたように、狂ったように彼女は笑う。
夜月はそんな様子に反応する。
笑い声は確かに気味が悪かったが、そんな事で反応したのでは無い。
敵意、殺意、憎悪、嫉妬、嫌悪様々な負の感情が夜月に対して向けられたのだ。
(……ゾンビじゃないの?)
殺意に対して敏感に動いた夜月だが、少しだけ、ほんの少しだけ残念だった。生のゾンビを七海に見せた時の反応を、見てみたかったからだ。
まあそれは置いておいて。
こいつはなんだ?とも再び思考を巡らせようとしたが、殺意や憎悪を向けたのだから、敵だ。
ならばやることは一つ。
殺る──
「──ねえ?」
「……あ?」
その死体らしき女性が、夜月に対していきない話しかけてきた。
さすがに話し掛けられるとは思っても見なかったので、ダガーを取り出そうとしたところで止まる。
「……私の事覚えてる?」
「知らん」
と言うが、実際にはその言葉で思い出した。
自分に向けられる狂気にも似た、憎悪と怒りと殺意。
そして崩れた全裸の女。
夜月と七海が壊した女性だと、記憶が蘇った。
オークに殺されたか自殺した死後、怨念か何かで復活して来たのだろう──
──だからどうした。
それが夜月の感想だった。
夜月にとって、特に興味も無い事実。後悔の念など、一切生まれない。
自らが、貶め、辱しめ、追い詰め、殺した人物であったとしても、今ここで自分や七海に対して殺意や敵意を向けたその瞬間、夜月にとってはただの敵。
「あっそぉ。……私ねえ、あの後豚共に捕まって犯されたの。止めてって言っても、何度も何度も犯して犯して壊してくるの。……………ふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ………ひっひゃあぁっはははははははははははははははははははははは!!!!!!!!」
壊れた様に笑いだした直後──動き出す。
床が爆発したかのような音の後、暗闇の中を猛烈な勢いで迫り、右腕を振り上げる。
いつの間にか爪が鋭利に五センチほども伸び、口は耳元まで裂けて、不揃いだが全てが牙で構成された歯を覗かせていた。
(へえ)
後四センチもすれば、凄まじい速度で振るわれる爪が、頭蓋を貫き粉砕するというのに、夜月は特に慌てる事なく、場違いな関心をしていた。
動く死体でゾンビを想像していた為に、動きは鈍いか、早くとも生前くらいかと想像していたのだけれど、単純な速度だけなら雛より早かった。
その事に、先入観とは怖いな、と自分を適当に戒めながら、こっちも行動に移る。
振るわれた右腕をこちらも右手で掴み取り、伸びきった相手の右腕の肩に左手を添え、相手の勢いを殺す事無く右足を軸に半回転、左手で肩甲骨辺りを押しながら、反対側に投げ飛ばす。
ほぼ水平に投げ飛ばされた女は今だ理解が追い付かず、上部を押されたため体制が逆になり、目の前が床となって、ようやく自分の境遇に気づいた──時、既に遅く、背中から台所に突っ込んだ。
ステンレスが鈍い音を立てて凹み、不快なバキバキという破砕音が夜月の鼓膜に届く。
背骨は確実に粉砕した。それ以外の骨も、盛大に何本も折れた筈。普通の人間なら即死、はしなくとも、再起不能の大怪我。しかし相手は死人。この程度でどうにかなるとは思っていない。
(……そう言えば俺、普通にゾンビとか受け入れてるな)
半日前なら意味不明過ぎて戦わずに逃げただろう。それなのに今は普通に相手をしているという事に、この世界に順応しているな、と少しだけ内心苦笑する。
「ひっひゃあぁっははははははははははははははっ!!!」
激突し床に頭から落ちて、重力に従って降りてきた足の間から顔を出すという、滑稽で無様な体制のまま女は笑う。
「効かな~~~いっ!!!残念でしたぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!!!!私はねえ、麗しきご主人様からこの最強の肉体を貰ったのよ!!!効くわけ無いじゃな~~い!!!!」
確かに、痛みを感じている様子は無い。元より死体だと思っているので、痛覚など期待していない。
動く死体に常識を弁えろ、と言う方がおかしいとも理解しているので、背骨が砕けた所で動けなくなるとも思わない。
しかしダメージが無い、というのは納得しなかった。
「………なら立てよ」
さっきから足や腕をじたばたさせているのに、一向に立つ気配が無い。いや、どう見ても立てないでいる。
背骨が砕かれているというのに手足が動くというのは、やっぱり脊椎は体を動かすのに特に関係していないのだろう。だがしかし、背骨という身体を支える芯をバキバキに砕かれたのだ、立てる訳がない。
「なんっで!!なんで立てないのよ!!!」
(………ああ、なるほど)
女は余裕ぶっていた顔から、怒るような、焦るような表情になり、一層じたばた手足を動かす。
どうも、自分が背骨を損傷している事が、自覚できていないらしい。
痛覚が無いとは言え、あまりにも馬鹿過ぎる光景に、脱力しかける。
正直、ご主人様なる人物についてや、肉体を手に入れた、という事に対して口を割らせる気だったのだが、目の前の馬鹿を見ていてそんな気は無くなった。
(そもそもこんな馬鹿に情報を与えるような奴がいると思えん)
もちろん、姿くらいは見ているのだろうが、誰彼構わず警戒している現状なので、そこまで重要度は高くない。
それに口を割らせるより、よっぽど情報を得られる手段を持っている。
夜月は警戒を怠らず、ポケットからスマホを取り出す。
取り出したスマホを起動させ、少しだけ光が闇を払ったが特に意味はない。そのまま【Dictionary】をタッチして、カメラ機能に目の前の女を写す。暗いがフラッシュが搭載されているので、問題ない。
《レッサーヴァンパイア:rankD
level-average:8
energy-average:[LP・200][MP・90][SP・120]
physical-average:[STR・64][VIT・21][AGI・53][DEX・20]
magic-average:[M-STR・24][M-PUR・17][M-RES・34][M-CON・8]
ヴァンパイアに血を吸われた弱い生物の成の果て。
ヴァンパイアの支配下に置かれるか、支配されずに放置される。
放置された場合は生前に感じた強い恨みや怒りの対象を殺しに行く。
日の光に当たると一秒で10LP消失する》
という表示が出て、夜月は少しだけ不満そうな顔をした。
ヴァンパイアに対してカッコいいという想像していたために、目の前の女の残念な様が不満だった。
(まあ、レッサーだしな)
そう思う事にした。
大体知りたい情報は知れたので、もう目の前の女に用は無い。
「糞おおおぉぉぉぉっ!!なんで立てないのよおおおお!!」
(そろそろ気づけよ)
そんな事を思いつつ、特殊なスナップを効かせてダガーを取りだし、予備動作も無く滑らかに、鋭く、素早い動きでダガーを投擲する。
「くぅっそおおおおおぉぉ──っ!?」
投擲されたダガーは、四つん這いになって立ち上がろうとする女の後頭部に深々と刺さる。
必死に叫んでいたレッサーヴァンパイアは、ラグはあったが問題なく動かなくなった。
(映画とかのゾンビって、頭潰せば動かないからな。……ヴァンパイアは死ぬのかな?あ、いや、既に死んでるのか?)
あまりに呆気ない最期を迎えたレッサーヴァンパイアの女。
夜月としては、ヴァンパイアの強力な再生力をイメージしていただけあって、あまりに拍子抜けだった。てっきり、かえしも付いていないダガーなので、肉がダガーを押し上げて再生してくるのかと思っていたほどだ。
それななのに、ピクリとも動かず、消えていく様な気配が漂ってきている。オーク達で散々感じた気配だ。つまりは次期に死ぬのだろう。
夜月は、自分達が貶めた相手だというのに、そんな事は微塵も気にしていなかった。
それどころか、七海と一緒に見た映画の事を思い出しながら、適当に光の粒子になるのを待つのだった。
◆◆◆
《レッサーヴァンパイアlevel1撃破!!
exp:34
bonus:
total-exp:34》
《level-UP!!
level6→level7
BP10を獲得。振り分けますか?yes/no》
……………納得がいかない。
本当にヴァンパイアと表記していいのだろうか?あれ。
想像より遥かに馬鹿過ぎて、正直ショックだ。
とりあえず、BPをいつも通りSTRに二割、AGIとDEXに四割ずつ振り分け、スマホをポケットにしまう。
その後、暗闇の中で若干分かりにくいが、ドロップした袋を二つ拾い上げる。
金の方は中々で、81C。あんなのでも、オーク三、四体くらいするんだな。ただrankはオークより二つも上なんだからSくらい落として欲しい。まあ、level1だったもんな。average8だったのに。それならSを落とさなくても当然か。
アイテムの方は、小さなガラス瓶に入った真っ赤な液体。【Dictionary】で鑑定すると【下位吸血鬼の血】と出た。飲むと一定時間STRとLPの回復力が上がるらしい。ただし、一定時間後に【状態:混乱】になる模様。なにそれ怖い。
さて、ナナの所に戻るか。
俺はそのまま階段を登り始める。
その途中に、得た情報から今の事を手早く推察する。
レッサーヴァンパイアは主人に服従するか、放置されて野良になるかと書かれていた。
奴は前者。「ご主人様」と口走っていたから、まず間違いない。
つまるところ、この襲撃の黒幕は本物のヴァンパイア。……期待して良いのだろうか?
だとしたら、どうして俺達を襲ってきたのだろうか?
そのヴァンパイアの指示?
それともご主人様と言っただけで、本当は野良なのか?
………多分だが、指示されたのだと思う。
理由だが、あのレッサーヴァンパイアの人選は、俺達を標的にしたとしか思えない。何せ昼間に俺達が貶めた女性なのだから。俺達に怨念を持つその女性に、たまたまヴァンパイアが血を吸って、レッサーヴァンパイアになって、放置されて、俺達を突き止めて、襲った。あまりにも出来すぎだ。
しかしだとすると、その件のヴァンパイアは俺達を監視していた事になる。
俺に気づかれずに監視していた可能性に、思わず眉をひそめ、階段をギシリと音をさせてしまった。
ハッキリ言おう、かなりショックだ。
俺としては、ネズミ一匹逃さず感覚を研ぎ澄ませていたというのに。
……いや、待て。自信を無くすには早い。
この新たな世界には、魔法とかいう技術が確かに存在している。
それならこの俺の領域に触れる事無く、監視できるかもしれない。
……でもそれって、より厄介なんだけどね。
魔法じゃ俺も感知できない。
一回だけオークの魔法を見たけど、光以外に何かを感じとる事はできなかった。いや、少しだけ力の流れを見た気もするけど、大差無いと思う。
やべえな。
もしも、本当にそのヴァンパイアに目をつけられているとしたら、かなり不味い。
早いところ、安全地帯に逃げ込まなければ。
今回の目的は、俺の力を測る事だったのだろうか?
確かにオークより強かったのは確かだが、俺にとっては大差が無い。それで力を測れるのだろうか?
ああ、そうか。
敵がヴァンパイアなら、日が出ている内は襲わない筈。
日の沈んだ暗闇の中での、俺の動きを確かめたのかもしれない。
それと、あえて俺達に恨みを持つ女性を服従させ襲わせたのは、放置された野良レッサーヴァンパイアに偽装するためだったのかもな。まあ、それなら人選ミスだと思うけど。
頭の良いヴァンパイアだろう。これは期待が……持てるといけないよな。
◆◆◆
「そんな怯えなくても大丈夫ッスよ」
「……分かってる」
分かっているわりには、七海は小さく震えていた。
雛はその事に苦笑しながらも、窓の外の現状をチラリと確認し、内心ため息をついていた。
「マジでバイオなハザードッスね」
血みどろで、所々でひしゃげていたり、抉れていたり、ボコボコだったり、刺さっていたり、一部が無かったりする、元人間と思わしき者が、大勢外を闊歩している。
見るからにゾンビ。
リアルなゾンビ映画に感嘆していた雛だが、目の前の光景を見てしまうと、所詮は作り物なんだなと実感する。
この家の住人達は、外の状況と襲撃者の一件で、部屋の隅で七海以上にガタガタ震えている。そして、スマホの頼りない灯りの中、雛を親の仇の様に睨み付けていた。
何故かというと、あのガラスの破砕音で起きてしまった三歳の子供が、真っ暗だったからか泣きそうになったのだ。この状況で泣かれるのは不味い、と雛は慌てて気絶させた。その事に親たちから盛大な非難を受けた。もっとも、物理的な脅しで強制的に解決したが。もちろん、気絶させた理由は説明した。しかし理屈では分かっても、感情面で納得できない故に、雛を無言で睨んでいるのだ。
その三人の非難の視線に対し、全く興味を示す事無く、雛は七海の方を向く。
未だに少し震えている。暗いせいで表情は見えないが、すぐ近くにいるので、その震えは直に伝わってくる。
ただどうも、襲撃者やゾンビに怯えている様では無かった。
雛のイメージにある七海は、偉そうなお子様。だが、夜月と一緒にいるだけあって、中々の胆力の持ち主だと、結構高い評価をしていたのだ。
ホラー映画は苦手なのだろうか?
実際ホラー映画は苦手だが、七海が怯えている理由は別だった。
夜月が傍にいない。暗い。そしてそこに他人がいる。
七海は恐怖症とはいかずとも、暗いところが苦手で、他人も苦手だ。普段は傍に夜月がいるので大丈夫だが、一度夜月が離れ、他人と一緒になるとどうして良いのか分からなくなる。その上今は暗いのだ。七海としては、恐怖の対象でしかない。
その様子を見て意外に思いながらも、雛は流す事にした。
先程の鈍い激突音からして、もうすぐ終わるだろう事は予測できるので、大人しくしている。
ただ基本的に活発な雛は、大人しくしているという事が少し性に合わない。
少しでも情報収集をしておこうと、スマホを取りだし、外のゾンビに【Dictionary】のカメラを向ける。
カシャという音と共に、スマホの画面にゾンビの事が表示された。
《ヒューマン・ゾンビ:rankG
level-average:1
energy-average:[LP・50][MP・1][SP・error]
physical-average:[STR・20][VIT・7][AGI・5][DEX・1]
magic-average:[M-STR・1][M-PUR・1][M-RES・1][M-CON・1]
人間の死体が弔われずに放置され、その怨念によって動き出した死体。
生前の記憶は無く、知性も無い。生きている人間を襲う。
日に当たると、一秒10LPづつ減っていき消滅する》
その表示を見た雛の感想は──
「衛生的ッスね」
──だった。
死体は放置されれば、当然腐る。そうすれば、様々な病原菌等が大気中に散布される事だろう。
だが、ゾンビになった後、日が登れば消滅するのだ。死体は消え、特に問題は無くなる。
確かに衛生的だった。
もっとも、自分がそうなるのはゴメンだが。
──ギシリ…
階段が軋む音がした。
雛と七海以外は身体を強張らせ、押し入れの中に子供を隠す。
雛と七海は気づいている。その音の正体を。
ただ雛は少しだけ頭を捻った。夜月なのは間違いなのだけれども、足音をさせたのが少し気になった。
スマホの乏しい灯りを階段の方に向ける。
すると、案の定夜月がゆっくり上がってきた。
「夜月っ!!」
七海はそれを確認すると、夜月に飛び付いた。
◆◆◆
──手に持った冷えたワイングラスを持ち上げる。
シンプルで美しい彫刻をされたグラスに注がれているのは、鮮血の色をした【ブラッディーワイン・TL】
TLとは、Tragic Love=悲恋。
ブラッドグレープという葡萄を使ったワインに、悲恋によって絶望した女の血を混ぜた一品。
シャーネはそれを優雅に口に含む。
元から一級品だが、熟成加速効果のあるワインセラーに入れてあっただけあり、超一級品と呼んで差し支えない出来になっていた。
その素晴らしい味に、浸りながら喉に流し込んでいく。
ああ、素晴らしい。
そしてその素晴らしい味を、更に昇華させる者が目の前に。
紅い瞳でシャーネは手に持った水晶を覗き込む。
黒い髪の背の高い、ダークスーツの男。
宵闇を睨むその姿に、思わず全身に震えが走り、水晶に優しく口付けをする。
「ああ、早く。早く妾の場所に」
待ちきれない。
長く、長く待ちに待った、シャーネの求める者。
今すぐに行きたい。
だが、それはできない。
まだ、彼は弱い。
自分と対等になるまで、待たなくては。
その為にはあの小娘が邪魔だ。
だがシャーネには分かっている。
あの少年が、あの小娘抜きでは生きられない事を。
実に不快だが、手出しはできない。
自分に出来る事は、出来るだけ強者を送り、彼を一刻も早く自分と同じ領域に立たせる事だけ。
とはいえ──
「待ちきれないな」
少しくらいは、会いに行っても良い筈。
「そうだ、プレゼントを持っていこう」
その時に、少しくらいは抱きついても良い筈。
シャーネはその事にうっすらと頬を朱に染める。
「ああ、待った。妾は待った。何百年も」
シャーネは、ワインを飲み干す。
芳醇で繊細な味が口に広がる。が、今はもう、男の事で頭が一杯で、味など感じられなかった。
表記された能力値は平均です。
彼女の場合、素体が悪かったので平均値より大幅に低いです。




