新/008/現実を噛み締めて
二話同時投稿です。よろしくお願いします。
なお、女性に対する暴力シーンが存在します。
不快感を感じる方もいるでしょうが、ご容赦ください。もちろん、読んで戴けなくとも結構です。
「──いやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
女性の悲鳴が響く。
「フゴッ、フゴッ」
鼻の詰まったような、醜い鳴き声。
その声には愉悦と嗜虐が込められており、あまりにも不快な音として脳が全身に悪寒を発する。
二匹のオークが一人の女を無理矢理組伏せて犯そうと、醜悪な顔に笑みを浮かべていた。
女性は必死に抵抗を試みるが、力の差がありすぎるために、全く通用していない。それどころか、オークの嗜虐心を増長させていた。
服がビリビリに破られる。
三十代相応の肌と、少し崩れた体型が露になる。
正直なところ、人間の男性で、あの体と顔に股間が反応する奴は、童貞かマニアだろう。
しかしオークにとって、人間の顔などあまり関係ない。自らの性欲を満たせれば、それで良い。
「やめてええええぇぇぇぇ!!」
涙と鼻水でグシャグシャになった顔で、必死に叫ぶがオークは止まらない。
衣服全てを剥いて、自分達も腰布を無造作に放り投げて──倒れた。
「助けてええぇぇぇぇ、え、え?え!?」
もう駄目だと分かっていても叫び続けた女性は、突如として倒れた二体のオークに呆然とする。
死んでいる訳ではない。
今だ起きようと、四肢に力を込めている。
しかし立ち上がらない。
そしてついには、うるさい鼾をかいて眠ってしまった。
女性は何がなんだか分からない。
呆然としながら、全裸で戸惑っている。
「──ナナ、さっさと止めを刺しておけ」
「お前、さすがに目の前の女性くらいには興味を持とうぜ」
「俺にこんな熟女趣味は無い」
「あまりに失礼だな」
女性の目の前に現れたのは、二人の男女。
未だ少年と少女と呼んでいい。
少年は背が高く180はある。
整った顔立ちで日本人離れしたモデル体型。しかし目付きの悪い濁った瞳と、目の下に刻まれる刺青かと見間違う様な濃い隈、更には病的なほど白い肌が合間って、吸血鬼を想起させられる。
その吸血鬼のような容姿と、ダークスーツがあまりにも見事にマッチしていて、妖しい魅力を感じさせた。ただ、常人ならあまりに近付きたく無い類いの魅力だが。
少女の方はあまりにも幼く小さい。小学生だろうか?
ただし、美しい。あまりにも。今まで見てきた女優やアイドルが、本当は路傍の石なのだと分からせる。神秘的とかではなく、神秘と呼ぶに相応しい美しさ。
漆黒の髪は絹糸すら見劣りさせ、染み一つ無い肌は処女雪の如く白く美しい。目はパッチリと大きく、瞳はこの世のあらゆる宝石より価値は上に思える、潤んだ黒。
その幼き美貌は、手を伸ばすだけで神罰を食らいそうなほどに、神秘だった。
少年の方は、無遠慮な視線を全裸の女性に向ける。
嫌らしさなど全く無い。ただただ、無感情。全裸の自分と、隣に落ちている吸殻が等しく思われているかの如く、温度の無い無感情。女性の存在に対して、少年の瞳には波紋一つ立つことはない。
嫌らしさがあったほうが、まだ救いかも知れない。目の前に居る人間を、問答無用で無価値と断じているかのようだった。
美少女の方は、若干済まなそうに女性を見ていたが、すぐに手に持っていたナイフを抜く。
武骨な鉄色のナイフ。美少女には全く似合わない。
女性はそのナイフの輝きをみて、ようやく我に帰った。
「た、助け──」
「──うるせえ」
ただし無慈悲な少年が、必死で吐き出そうとした言葉を無理矢理止める。
革靴の爪先を、開いた口の中に無理矢理捩じ込んだのだ。
「むぐ!」
気が動転するも、必死で引き抜こうとするが、力が強く、むしろ口の中を切ってしまう。
少年は騒ぐ女性を、建物の壁にそのまま押し付ける。そして何でも無いかのように、隣の少女に先を促す。
「ナナ。早くしろ」
「……君はもう少し女性の扱い方を覚えろよ。ぼくじゃないんだから、初対面の相手を足で……いや、ぼくでもダメだけど!」
女性の必死さとは裏腹に、二人は全く変わらぬペースで話続ける。
この二人の眼中に、彼女の安否は含まれていない。
その事に、憎悪をたぎらせるが、少年の無感情な瞳を見ると、恐怖のほうが勝ってしまい、結果大人しくなる。
少女は抜いたナイフを、オークの首に当てる。
軽い体重をのせて、刃を沈み込ませる。
自分を犯そうとした相手だから、良い気味とは思う。だが、死というモノを間近で感じさせられ、女性は顔を真っ青にする。
少女はナイフを抜かない。
首に刺さったナイフの隙間から、僅かに血がこぼれ落ちてくる。
その光景を見て吐き気が込み上げる。
自分を犯して遊ぼうとした奴の死でも、彼女にとってはあまりにも大きい衝撃だった。
所詮は平和の国の人間である。
その様子を見た少年は、女性の口から靴を抜く。
すでに女性に喚くだけの力は残っていない。
すると、ナイフの刺さったオークは、二十秒ほど経つと次第に発光し始める。
女性はまたしても驚愕し、短い悲鳴と共にその場から離れる。腰が抜けているため、無様に這いつくばって行くさまを、少女は痛ましそうに見るが、首を振ってオークに向き直る。
少女が何を思ったのかは知らない。
ただ自分を助けてはくれないと、それだけは直感的に感じとった。
光っていたオークは次第に消えて、空気中に霧散し消えた。
幻想的な光景だった。
そして二つの袋と刺さっていたナイフだけが残る。
少女はその残ったナイフを拾い上げ、倒れているもう一体に同じようにナイフを刺した。
そのあとは繰り返し。
少しの間があり、オークが消えて、袋が二つ残る。
少年と少女は互いに二つづつ袋を持ち上げ、なんでも無かったかのように歩き出す。
当然ながら、女性には一言も無しで。
「ま、待って!!」
本当は頼りたくない。
少女の方はともかく、あの吸血鬼の様な少年は恐怖の対象でしかない。
しかし、このまま化け物が出る場所に一人で、しかも全裸で居たくは無かった。
だけど現実はあまりにも無情。
少年と少女は振り替える事すらなく、歩を緩めない。
女性も必死で追い縋ろうとするものの、オークに殴られた足が激痛を走らせ、言うことが利かなかった。
「お、お願い!待って!お願い!なんでもするからあぁぁ!!!」
その絶叫は──決して届くことは無かった。
◆◆◆
『人でなじいいぃぃぃぃ!!!』
憎悪と殺意を込められた、人間の断末魔によく似た絶叫。
ぼくはその絶叫を聞いて、二つ目の角を曲がった瞬間、足元から崩れ落ちた。
──ああ、そうだよ!人でなしだよ、ぼくは!!
いつもなら支えてくれる夜月が、隣で何も言う事無く、ただぼくを見下ろしている。
「おええええええぇぇぇぇぇっ!!」
吐いた。
盛大に。
あまり食べていなかったお昼御飯と胃液がぐちゃぐちゃに混ざりあった汚物を。
電信柱の下に。
乙女の矜持なんて、保ってなどいられない。
たとえ好きな人の目の前でも。
「おえ、はあはあはあ、お、う、おえっ」
涙と鼻水と吐瀉物で、顔が汚れる。
「っあ、ああ、おぇえぇぇ」
吐き出す。
とにかく吐き出す。
自身の醜さなど、どれだけ吐いても外に出ていかないというのに。
「はあはあはあはあはあはあはあ」
胃液の一滴まで絞りだしたかのようだ。
無様に醜く愚かに這いつくばって、荒い呼吸を繰り返す。
どれだけ吸い込んでも肺に空気が入っていかない気がした。
頭の中で、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、どれだけ止めてと叫ぼうとも、何度も何度も何度も何度も何度も何度も、必死に耳を塞いでも、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、あの声が、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、ぼくの頭を、心を、全てを汚し、犯し、凌辱する。
心が折れかかって、「助けて」という酷く甘い果実に手を伸ばしかける。
当然その先は、夜月だ。
「……………………………………俺が、お前の浅はかさに手を伸ばすと思うか?」
その瞳は、絶望的なほどの、無感情。
慈しみも、嫌悪も、優しさも、侮蔑も、何もない。
闇ですらない。
ただの、いつもの、濁った瞳。
決して変わることの無い、瞳。
──ああ。そうだよ、解っているとも。
これはぼくが招いた絶望だ。
ぼくの浅はかさが招いた絶望だ。
ぼくの甘さが招いた絶望だ。
夜月は言った、
『行くぞ。気にするな』
と。
オークに犯されそうになる女性を見ても、夜月は何一つ変わらず、もっとも正しい判断を見せた。
助けない。
という正しい判断を。
ああ、正しいさ。解っているとも。
ぼくらは何もできない。
助けて一緒に行動する?
無理だ。
夜月は強いよ、そりゃあ強い。
でもね体は一つ。
もしも助けて連れていくなら、リスクは段違いに上がる。
ぼくというお荷物は、まだ自力で動けるから良いさ。
だけどあの女性というお荷物は、自力ですら動けない。
それを夜月に背負わせるなんて、あまりに酷だ。
だから助けない。
オークに絡まれていても。
え?
オークくらい始末すれば良いじゃないか、って?
違うよ。
あそこで助けてはいけなかったんだ。
何故なら彼女を助けたら、彼女はぼくらに希望を持つだろうから。
希望を持たせてはいけない。
だってぼくらは彼女を救うことはできないのだから。
蜘蛛の糸が目の前に垂れてきた、希望。
手を掛け、昇ろうとした瞬間に無慈悲に切られる、絶望。
ぼくらは彼女に無責任な糸を垂らして、そして嘲笑いながら蹴飛ばして、引きちぎった。
希望は絶望に。
ならどうして、希望を見させたのだろう。
──ぼくは、クズだ。
助けた。
それが正しいと思った訳ではない。
理屈ではなく、感情が、浅はかな感情が、ぼくを動かした。
気づけば夜月にお願いしていた。
思えばこれも酷すぎる。
自分でやればいいというのに、わざわざ夜月を巻き込んだ。
夜月はそんなぼくにも、しっかり確認をとった。
例え助けたとしても、救ってはやれない。一緒に連れて行けないのだから。と。
それでもぼくは、彼女を助けてと、夜月に言ってしまった。
そして夜月は頷いた。
理由は解っている。
ぼくに現実を叩き込むため。
痛みで、徹底的に。
身体の芯という心まで。
夜月の指導はいつでもそうだ。
叩き込む。
痛みを。
泣き喚いて懇願しても、容赦無く、無慈悲に、叩きつける。
今回も、ぼくに叩きつけたのだ、現実を。
夢見る小娘である、ぼくに。
心が折れる。
手を掛けた甘い果実を、もぎ取ろうと力を込める。
──でも、言ってしまえば……
先程まで頭の中で永遠に思えるほどに反芻していた叫びが、消える。
代わりに、絶望的な恐怖が、あの──視線と共に、襲ってくる。
夜月は相変わらず、無感情は瞳でぼくを見下ろしている。
きっとぼくが「助けて」と言った瞬間から、二度とぼくを見る目に感情は籠らないだろう。
これは予想ではなく、確信。
ぼくが今まで、夜月のスパルタ教育にも心が折れなかったのは、このためだ。
絶対に、二度と戻らない。
そう確信できてしまうから。
ぼくにはそれが、死ぬ事などより遥かに恐ろしい。
夜月はぼくを見放さない。
ただしそれは、仕事上。
物理的な距離でのみの事。
ぼくの心が折れた瞬間、ぼくと夜月は、二度と出会えなくなるだろう。
それは嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌!!!!!
噛み締める。
この非情で無情な現実を。
噛み締めて、ぼくは立ち上がる。
ふらつく。
だけど手はつかない。
一人で、二本の足で。
「すうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
大きく息を吸い込む、大きく吐き出す。
ようやく止まっていた呼吸が再開された。
夜月がポケットティッシュをぼくに差し出している。
あ、そうだった。
ティッシュを引ったくり、ぼくは急いで顔を拭う。
ああ、水が欲しい。
「………行くぞ。お前の臭いで豚共が来られたら面倒だ」
「ううっ、臭いは言うなよぉ~」
夜月の瞳に、ぼくへの嘲笑が浮かんだ。
酷い。酷すぎる。
でも、ほっとする。
◆◆◆
ナナ、勘違いしてはいけない。
お前は決して間違っていない。
正しくは無かった。
でも間違ってもいなかった。
人として、それは正常な感情なのだから。
俺の様に、人としての感情がほとんど壊れた化け物には、決して理解できないだろうけども。
分からないからこそ、それが人として、正常な事だとは分かる。
こんな非常識な世界になっても、良心を忘れないお前の心は素晴らしい。
だからね、ここで折れてはいけない。
そのお前の美しい心を持って、進め。
俺は、お前の側にいてあげるから。
お前がその足で歩ける限り、決して見捨てたりはしないさ。
俺はふらふら歩くナナの頭を一度だけ撫でて、隣を歩く。
一応、夜月は女性が自分達に希望を抱かないよう、あえて過剰な暴行を行ったのです。
もっとも、非道なのは否定しません。




