新/005/避けては通れぬ
今日は二話投稿します。
「………情報屋」
まずここに行くべきだ、と七海は考える。
未知の状況で一番重要なものだと分かっているからである。
(情報屋の場所は、酒場か……)
【情報屋:酒場】と表示されていた。
七海は即座に頭の中で検索して、駅前に会員制のバーがあった、と思い出した。
さっそく夜月に──と、思った瞬間、身体が浮いた。
「ふえ!?」
思わず声を上げてしまう。
夜月が抱き上げたのだ。
いきなりは止せ、という非難の視線を送ろうとしたが、状況を思いだした。この状況では夜月にも余裕は無い。つまり無駄なことはしない。
という事は──
「──敵、か」
抱えられた状態で、窓際に音も無く後退する夜月に、小声で聞いてみた。
「ああ。二階に上がってきた。まだ俺達に気づいている感じじゃねえがな」
ごくり、と七海は唾を飲み込む。
そして気づかれた場合、窓から飛び降りるだろう事を想定して、今のうちから夜月にしっかりしがみつく。
その様子を、スマホを確認していた桐原達が気づく。
「七海?神崎君?どうしたの?」
「全員静かに。敵が来た。騒ぐな、動くな、絶対な」
「「「っ!!!」」」
大きくは無いが、静かな教室にはしっかりと届く声で、夜月が警告する。
その警告を聞いた者達は、表情を恐怖に染め、悲鳴を上げそうになるのを必死に抑える。
桐原ですら顔を青くして不安を隠しきれない。
「う、嘘を吐くな!俺には感じ取れないぞ!!」
叫んだのは、近藤である。
近藤は、夜月と同じく敵の接近に警戒していたというのに、全く感じ取れなかった事実と、夜月には感じ取れたという事実に、プライドを刺激された。その結果、夜月の虚言だと根拠も無く導きだして、反射的に叫んでしまったのである。
しかし、そのヒステリックな叫びにも、夜月は表情を一切変えない。というよりも、聞き流している。
まだ距離はある。もしかしたら、聞こえていない可能性だってある。
最終的に脱出するのは確定している事だが、夜月はもう少しナナを休ませたかった。
ゆえに近藤が叫びを上げても、未だ脱出はしない。
普通の人間の聴覚なら、聞こえているかどうか半々。
しかし夜月には、敵の正体がどうしても人間に思えなかった。
「おい──」
「──黙ってろ」
まだ言葉を続けようとした近藤を、制する。
本当なら殺気をぶつけて、無理矢理だまらせたかったのだが、それこそ敵に見つかってしまう。
今は気配を消して、敵に備える。
近藤は夜月の物言いに、再び激昂しかけたが、隣にいた桐原がおさめる。
「匠。本当に来てるのかもしれない。警戒するに越したことは無いよ」
自分の主人が言うなら、さすがにこれ以上喚く訳にはいかなかった。
それに周りからも非難の視線を集めている事がわかり、恥じるように巨体を下ろした。
それから二十秒後。
誰の耳にも、その足音が聞こえてきた。
──ベタリ、ベタリ、ベタリ……
靴を履いている音ではない。
素足の、それも脂まみれの汚い足音。
──ぶすぅぅ、ぶすぅぅ、ぶすぅぅ……
荒く奇妙な呼吸音。
さっきまでは悲鳴や怒号が飛び交い静かになるという事がなかったというのに、今は異様なほど静かで、それらの音が鮮明に聞こえてしまう。
誰もが奴等だと理解して身を丸め、手で口を抑える。
七海がしがみつく力を強め、夜月が七海を抱き止せ落ち着かせる。
相変わらず心音に変化の無い夜月に、七海は少しだけ苦笑して、落ち着きを取り戻していく。
そして敵がこの理科室の前に差しかかった。
不快な足音と呼吸音。
息を飲む音すら五月蝿く感じらる空間。
保健室とは違うタイプの、薬品の臭いが染み付いた理科室の臭いが鼻孔を嫌に刺激する。
早くいなくなれ。
誰もの共通の思いだった。
夜月は気配から、未だこっちに気づいていない事を確信する。
それゆえ敵の情報を、幾つか知り得た。
まず敵は気配を察知するすべ、skillで言ったら気配察知を持ち合わせていない。夜月は巧妙に気配を消しているが、他の者達は全然隠せてはいない。恐怖心から来る敵意を隠せてはいないのだ。
それなのに、気づかない。という事は、気配を察知する事ができないという事だ。
もう一つが聴覚。
近藤が喚き散らしても気づいていない事から、人間と大差無いという事がわかった。
やはり敵は大した事は無い。
自分なら十分に対抗できる。
夜月はそう確信する。
とはいえ、戦う気は無い。
状況が分からない以上、戦闘は極力避けるべきだからだ。
何をおいても七海の安全が第一。
そのためなら、ここにいる全ての生徒達を犠牲にする気が夜月にはある。
夜月にとって、彼らは級友とかではなく他人。利用できるなら利用する他人。
この未知な状況で、ほんの僅かに焦りを見せた夜月であるが、それでも彼の中で他人の位置付けが変わる事は無い。むしろ状況の悪化がその考えを強固にしていた。
──ベタリ、ベタリ、ベタリ……
前方の扉に差し掛かった。
あと少しで理科室から遠退く。
僅か三秒にも満たない時間が、永遠にも感じられる。
そして──
──ガタンっ!
刹那、夜月以外の者達の頭が真っ白になる。
椅子が倒れた。
恐怖に耐えかね、少しでも遠くに逃げようとしたある一人の生徒──富川晴明。
彼は、最初の敵出現時に、廊下に顔を出していた。
そこに夜月と七海が急いで逃げていく様を目撃。更に桐原が追うのを目撃。そして、女子や男子の悲鳴を聞いて、半分無意識に七海や桐原を追って来た人物である。
不快な足音が、止まった。止まってしまった。
瞬間──
『ブモオオオオオオォォォォォォっ!!!』
──前の扉が盛大に吹き飛ばされた。
「「「「ぎゃああああああああああああああああああっ!!!」」」」
『ブモオオオオオオォォォォォォっ!!!』
絶叫の中、『そいつ』は捕食者として眼前に姿を表した。
◆◆◆
──刹那の浮遊感。
そして、着地。
わざわざ武術の技まで使い、衝撃をほとんど殺しきった。だからナナには負担は無かったはずだ。
上では悲鳴が飛び交い、阿鼻叫喚となっている。
そんな大混乱になる寸前で、俺はナナを抱えて飛び降りたのだ。
………豚、だったな。
飛び降りる直前の一瞬、限界まで圧縮した思考の中、敵の姿を一挙手一投足逃さず捕捉した。
その結果、俺の脳はあれを豚だと判断した。
二足歩行の豚。
腹がでっぷりと出て、手足が短く、豚の頭を持つ化け物。
五指があって、人間と似た位置に身体のパーツがあるためか、動物特有の愛らしさが消え失せ、目を覆いたくなるような醜悪さが目立つ、豚の化け物。
着ぐるみとかでは決してない。
体型が人間に近いが、関節の位置が人間とは少々違う。中に入って動かそうとしても、あんなに滑らかに動ける訳が無い。
つまり、間違いなく本物の化け物。
予想は一応していたが、実際に見ると顔をしかめてしまう。
ただ、予想通り大した事は無い。
動きに繊細さというか、何かしらの心得は一切無い。完全に力任せだった。
筋力のみで扉をあそこまで吹き飛ばした力は凄いが、それだけ。
不意さえ突かれなければ、数体相手でも問題ない。
ただ出現時のテレポートだけは、意味が分からん。あれが分からなくては、ぶっちゃけ戦闘する気が起きない。……殺る機会直ぐに来そうだけど。
まあ、とにかく逃げるか。
特別教室棟の裏には、学校の裏庭と道場、そして裏門がある。
道場付近には敵の気配があるので、近づけない。
ここはもう、学校を出るしか無いかもしれないな。
「夜月、言いそびれたが行き場所は決めてるんだ」
「ほう」
「【Shop】に書いてあった情報屋。酒場がshop-areaになっているらしい」
なるほど、分からん。
ただ、ナナに考えるのを任せた以上、行ってみるか。
それに情報というのは、現時点では魅力的だ。
スマホに表示されている事が正しいかどうかは別にしても、手探りな状況では多少のリスクは覚悟しなくては。
「この辺の酒場…。という事は、『楽』か」
「楽?駅前の会員制のところは違った名前だっただろう?もっとこう、英語かなにかで洒落た感じの名前だっただずだ」
「……………飛行機」
「あ……」
どうも抜け落ちていたらしい。
まあ分からなくも無いけどな。
飛行機の墜落に、直接的なダメージは無い。
それよりも実際に死を感じさせる驚異がいきなり身近に出現して、殺意を振り撒いたのだ。インパクトが強すぎて忘れてしまうのも無理はない。
飛行機が墜落した以上、駅前にある酒場に行くのは現実的じゃない。
酒場が無事だったとしても、未だに煙をあちこち上げているところに突っ込む訳にはいかないしな。
少し離れているが、住宅街付近に「楽」という居酒屋がある。
この辺にはそれ以外無い。
ほとんど学校施設しか無いもんな、ここ。
万が一に備えて、周辺の地理を詳しく鮮明に覚えているので、そこまでのルートを割り出す。
俺がいるので、奇襲される心配は無いだろうし、戦闘も最小限で済むだろう。
別に一回も戦わない、何て思ってはいない。
どこかで戦わなくてはいけないはずだ。
そこは避けては通れない。
さすがに覚悟はしている。
ともかく、急ぐか。
頭の中で移動ルートを決める。
目的地は直線距離で約二キロ程度離れた飲み屋「楽」
正門周辺には敵が多いし、現在地からは離れている。やはり外部に出るには裏門だろう。
ただ……裏門には二体の敵がいる。
気配の感じからいって豚だろう。
これはもう、殺るしかないな。
「ナナ。裏門から行くけど、二体ほど敵がいる。回避は無駄だろう。殺るが、大丈夫か?」
「……問題ない。お前に任せる」
「ああ、任せろ」




