新/004/目標
かなり遠いが、悲鳴や怒号が耳を刺激してくる。
訓練を積んだ訳でも無いぼくの感覚からですら、殺意と憎悪と嫌悪と悪意と恐怖と、底無しの絶望が伝わって背筋を震わす。
そんな中、二階の理科室に辿り着いたぼくは──
「──うぷっ」
盛大に酔っていた。
不安定な抱き抱えられた体制で、自分が走るよりも早い速度で、人混みをすり抜け階段を駆け降りたのだ。当然の結果だと言える。
その状態でも酔わないアニメやゲームのヒロイン達は、よほど平衡感覚が優れているのか、お姫様だっこの訓練でも受けているのだろう。
「吐いてもいいぞ、別に」
嫌だ。さすがに君の前でそんな醜態は見せられない。
乙女の矜持が逆流してくる胃の中身を、寸前のところで無理矢理押し戻す。
つけっぱなしの【Status】を確認すると、SPが7になっていた。あれで3を消費するぼくの体力は一体……。
ともかく、真っ青になっているだろう顔を、夜月から背けて落ち着かせる。深呼吸。
少しだけ楽になってきた思考で、最初に思い付いたのは夜月の事だ。
ぼくと夜月は長い付き合いで、トイレ以外は一緒にいる付き合い。
だから、ほんの、本当にほんの僅かな違和感を、ぼくは感じとる事に成功していた。
今、夜月は周囲の確認をしている。
敵の接近を警戒しているのだろう。
そんな様子をチラリと確認し、やはりと確信する。
──夜月は、焦ってる。
この状況なら当然だろ?って?違うんだよ。
ぼくはあいつを良く知っている。過去も現在も。
昔、海外で武装集団に囲まれた時、ぼくは怯えて車内で震えていて、あいつの胸に顔を埋めていた。その時は必死だったため気づかなかったが、後になって気づいた。
それから幾つもの死線を乗り越えた。
殺し屋、裏切り、テロ。
ぼくも昔より大分割りきれて、落ち着ける様になったから、より一層その事に気づいている。
夜月は──どんな状況でも心音が乱れない。
あいつは例え、銃で撃たれても、ビルが火に包まれても、友人が人質に取られても、一切乱れる事は無い。
実際にそれを知っている。
その夜月が、ほんの僅かだが乱れている。
理由は何となく分かっている。
原因はぼくだ。
今までは、ぼくが居ても問題なく対処が出来た。
しかし今はどうだろう。
機械の停止。未知の敵。
──世界が新たになった。
そんな事実を未だ受け入れる事はできないにしても、すでに人間の対処能力を超えている。それは夜月みたいに、規格外な奴でも例外ではないはずだ。
とはいえ【Status】に映った通り、夜月一人なら問題なく切り抜ける。顔色一つ変えずに。
だけれどぼくがいる事で、段違いに難易度を引き上げているだろう。
それこそ、乱れてしまうくらいに。
ぼくはそんな夜月を見て──思わず笑ってしまう。
可笑しい訳ではない。
嬉しいのだ。
不謹慎だが、嬉しいものは嬉しい。
あんな過去を体験してなお、少しでも同じ人間の様に感じとれた事が。
もっとも、笑ってばかりはいられない。
ぼくがお荷物なのは変わらないので、早々に酔いを覚ます事に専念しなくては。
それから考えろ。
この状況を。
現状夜月に依存しきっている。
だがそれは、ぼくのプライドが許さない。
幸いにして、ぼくは頭が良い。
夜月の隣に立つには、現状これしかない。
もう一度肺にたっぷり空気を取り込み、そして深く吐き出す。
そして目を閉じて、落ち着ける。
うん。覚めてきた。
だが同時に、バタバタという足音をぼくの耳が捉えた。
心臓が跳ねる。
まさか!?
「……ナナ、桐原だ」
…………………あ、そっち。
もちろん敵より遥かにましなのだが、やはりと言うべきかあまり良い予感はしない。
「七海!……あ、ここにいたのか!心配したぞ!!」
がらがら!と大きな音を立てて理科室の扉が開いた。
ぼくはしがみつくので精一杯だったから気づかなかったけど、夜月が言うには途中でついて来なくなった。と言っていた。体力的にこの距離を全力疾走で走るのは無理なのだろう。
荒い呼吸と、切羽詰まった感じから、ぼくの事を必死で探していたようだ。
その事に対して、嬉しく思うより、すまないと思ってしまう。
やはり、ぼくは光の事を好きではないらしい。むろん、友人としてなら良いが、恋人等の関係にはなれない、という事だ。
光の後から、ぜえぜえと言う音を口から漏らしている、近藤や取り巻き達がぞくぞくと現れる。いや、取り巻きだけではなく、クラスメイトなども一緒だ。
夜月の方を向くと、物凄い面倒そうな顔をしている。分かるよ。
「七海!ここは危険だ!」
「そうです、西園寺様!護衛はあてになりません!!こちらに!!」
………あてにならないって、君達より断然あてになるんだぞ。
ぼくは夜月が馬鹿にされた事にむっとなり、声に棘が生まれる。
「断る。ぼくは夜月の判断に従う」
「彼の判断は間違いだ!屋上に逃げよう!下は危険だ!いつもの君なら気づいただろう!!」
それは違う。
確かにバリケードを築けば短期的には問題ない。しかし現状短期的に解決する方法である、救援が来ない。外部との連絡が寸断され機械が動かない以上、救援はいくら待っても来ないと思って良い。
上では逃げ場を完全に失う。逃げる場所の多い下の方が、まだ安全だ。
冷静ではないのは君だよ、光。
「神崎君!君は護衛なのだから、少しは冷静な──っ!」
叫ぶ光の口を、いつの間にか接近していた夜月が片手で強引に塞ぐ。
あれは焦りからの行動、ではなくて、夜月の本性的な感じだ。状況が状況だし取り繕う気が無くなったみたいだ。
「おい馬鹿共、喚くな。貴様等が大声で騒ぐせいで敵に気づかれたらどうする?自滅願望はどうでもいいが、俺とナナを巻き込むな」
「っ!!」
身体が一瞬震え、子宮から脊髄を伝って衝撃が走る。
夜月の殺気だ。
止めようとしていた近藤ですら、言葉もなく硬直してしまうほどの、殺意。
あの未知の敵とは違う、100%の殺意。もっとも、全然全力ではないけど。
間違いなく、これ以上騒げば、夜月はなんの躊躇いもなく光達を殺すだろう。
目に見えて力が抜けていく光を確認して、夜月は離れる。
そして今度はぼくの近くに立った。
敵も含めて光達を警戒しているのだろう。
夜月に浴びせられた殺気と、騒ぐと敵が近づいてくるという夜月の指摘に、息を荒げる取り巻きやクラスメイトは、顔を青くして黙る。
静寂、とはいかない。
あちこちから悲鳴や怒号が飛び交い、気味の悪い雄叫びが、精神を揺るがす。
黙ってしまったからこそ、それが鮮明に聞こえて、各人の頭に明確な恐怖が沸き上がる。
光と近藤以外は、口や耳を塞いで、理科室の壁や机の影に身を小さくして蹲る。
「………すまなかった」
光は少し間を置いて、小声でぼくらに頭を下げる。
基本的に素直で良い奴なのだ。
「し、しかし、ここにいては危険なのでは!?」
近藤が慌てた様に、光やぼくに言ってくる。
いつも馬鹿にしていた夜月に気圧されたのが、自分的に許せなかったのだろう。
「……そうだね。神崎君、やっぱりここは危険だよ」
「なら、自分達だけで行け。俺とナナはここにいる。さっきも言ったが俺達を巻き込むな」
「君こそ七海を巻き込むなよ!俺は剣道三段だし、匠は柔道三段。君よりよっぽど七海を守る事ができる!」
あれだけの殺気を浴びせられたというのに、光も近藤も夜月の実力を把握できないらしい。
少し意外。
どうもぼくの中で、光の事は結構過大評価されていたみたいだ。
ともあれ、ここはぼくが言うべきだろう。
「光。何度も言うがぼくは夜月と一緒にいる。それに逃げると言ってもどこにだ?」
「………屋上だ。バリケードを作れば、助けがくるまで保つはずだ」
助けがくればね。
しかしそれを指摘する事はできない。
光や近藤ならともかく、他の奴等の精神は現状、外部からの救助の可能性によって、ギリギリ守られている状況だ。
今の状況でそれを教えれば、精神が崩壊して、悲惨な事になるのは目に見えている。
「今更だな。現状、下手に動くのは危険だ」
「……………………………」
「西園寺様!若はあなたを思ってっ!」
「黙れ。夜月が言ったはずだ。騒ぐなと。お前は護衛を気取っている癖に、主人を危険にさらす気か?」
「っ!」
ぼくの指摘に二人とも悔しそうに唇を噛んで、押し黙る。
それ以上は何も言わず、光も近藤も椅子に腰を下ろした。
それを見たぼくは、すっかり酔いが覚めたので、さっそく現状打破のために頭を巡らせる事にした。
「ナナ。別に休んでいても良いぞ。本来は俺の役目だ」
「いいさ。君は周囲の警戒を頼む。ぼくの方が頭は良いんだ。まかせろ」
「………分かった」
珍しくぼくの頭を撫でた夜月は、すぐに気配に集中して目を鋭くする。
そんな夜月を頼もしく思い、ぼくはぼくで思考に集中する。
今は何を置いても、情報だ。
絶対的に情報が足りない。
そして現在頼れる情報源と言ったら、やはりこのスマートフォンだろう。
【Status】は確認した。
他のを確認していこう。
【Friend】
サマエルが言っていた通り、メール機能があるみたいだ。
ぼくのアドレス帳がそのまま記載されていれば、良かったけど、残念ながら空だ。まあ、期待していなかったから良いけど。
addressにはぼくのスマホの固有番号が載っている。自分で登録したものでは無い。
listは空だが、これに他者の番号を登録すれば、メールが出来るのだろう。
mailは登録しないと駄目。
mail-boxは当然ながら何もない。……とっておきたかったメールとか、あるんだけどなあ。ショック。
partyはゲームの様な感じで、listのメンバーと最大六人で組めるらしい。party-chatという機能を使えるらしい。ただ、partyを編成しなくてはその機能は使えない。使えるものなのかどうかは分からない。
うん。とにかく、夜月のだけは今すぐ登録しよう。
万が一にも別れてしまったら、これでしか連絡はとれないからな。
「夜月。夜月、こっちに」
少し小声で、夜月を呼ぶ。
他の奴等にバレてまた現実逃避気味にキャーキャー言われても困る。さすがに無いだろうけど。
「?どうした?」
「これ」
ぼくは【Friend】の機能を説明した。
夜月はすぐにそれを承諾し、スマホを操作してaddressを表示した。
addressに書かれている番号は、八桁でアルファベットと数字が混ざっている。
「えーと『××××-××××』と」
登録が終わり、ぼくのも見せて互いに登録を終える。
すぐに簡単なmailをやってみたいが、着信音が鳴ったら追求されて面倒だ。しょうがないから後でやろう。今は他人に説明している時間が無い。
「七海?神崎君?何してるの?」
…………何でもないよ。と言ってみるが、そこは空気の読めない光クオリティが炸裂。
しょうがないので光にも少し話した。そして当然の如く「登録しよう」と言ってきた。時間が無いので、登録をさせた。断る理由も無いしね。
光との登録をサクサク終え、次に見たのは【Item】
storageにはemptyと表示されていて、何も入っていないらしい。ちょっと出し入れしてみたいが、後だな。
equipmentには現在の装備が、protector、weapon、accessory、と整理されて並び、性能などを表示している。
……ぼくは小型スタンガンとか持ってるんだけど、表示されないのは、やはり機械だからだろうか?
moneyには現在の所持金が載っている。50C1Sらしい。ややこしい単位だ。日本円だと1500円。安……。
exchangeは現状意味は無い。
……【Item】にもめぼしい情報は無い。
次だ次。
【Shop】
…………本当にゲームっぽいな。
武器屋、防具屋、道具屋、鍛冶屋、薬屋、仕立屋……ざっと見ただけで、結構な数の店がある。だが現状意味は無い。
何故なら全ての店に、『現在地に【武器屋】はありません』的に表示され、灰色となり入店することができない。
これも意味無い──か?
「あれ?」
一つ、興味深い店を見つけた。
「………情報屋?」
………スマホだけでは、情報が足りないのは事実。
情報を取得できる可能性があるなら、行く価値はある。
どうせいつかは動かなくては行けないんだ。
なら最初の行き先として、悪くは無い。
こうして、ぼくらの行き先が決まった。




