ソニック・ゴシップ
◆
十月に入り、季節は正に秋真っ只中。もういくつ寝ると「寒い」なんて言い始めるんだろうな。
毎年毎年秋の短さには悪意を感じるよね。
時刻は夕方五時を回ったくらい。いつものように俺は喫茶店のバイト中。
「もう十月か。季節の移り変わりの早さには毎度驚かされる。そうは思わないかキョータ殿」
「……そうだね」
「外はもう日が暮れ始めている。秋の日はつるべ落としとは、よくいったものだ」
「……ホントダネー」
俺の眼前でコーヒーを飲みつつ、そんなことを言うゴスロリ衣装に身を包んだ金髪の女の子。
違和感バリバリ。
桜木マリア。鳴の大学の友人で、日本人の父親とドイツ人の母親の間に生まれたハーフ。見た目は完全に外国人だが、生まれも育ちも日本なので日本語しか話せないらしい。
俺の呼称は何故か「殿」。
なぜ。
鳴とは幼馴染であり、俺も小さい頃からよく知っている。
「秋と言えば人それぞれに過ごし方があると思うが、キョータ殿はどうだろう?」
「俺? 睡眠の秋、かな」
つまりいつも通り。
この頃は朝起きるのが辛い。二度寝の誘惑に何度負けそうになったか。
「相も変わらず緩いお方だ。それでこそキョータ殿だが」
よく分からない微妙すぎる評価を頂いた。
「そういうマリアはどうなの?」
「……私は悪くない」
「はい?」
「全ては食物が豊かに実るこの季節が悪いのだ……」
悔しそうな表情で空を睨むマリア。
食欲か。
食欲なんだな。
「でも、そんなに変化があったようには見えないけど」
「ふふ……その優しさが今は辛い……今ほどメイの体質を羨ましく思ったことは無い。本人に言うと掴みかかってくるが」
あいつは太らない、というより太れない、だからな。
食は細いし体型も細い。あいつ自身はかなり気にしてるみたいだけれど。
「以前、うっかり口走って大変な目に遭った」
「掴みかかってきたの?」
「ああ。その後に泣きながら胸を揉みしだかれた」
「…………」
ゴスロリ衣装の上からでも分かる豊満な膨らみは、鳴には縁遠い存在だ。
さぞかしブンダバーな感触だったことだろう。
「キョータ殿。そんなに舐めまわすように見られると、流石の私も照れる」
「ご、ごめん。条件反射でつい」
そんなに見てたかな、俺。
いかんいかん。
でもしょうがないよね。男の子だもん。
「しかし意外だな、キョータ殿は巨乳には見向きもしない貧乳スキーだとメイがいつも言っているのだが」
何デタラメをほざいてるんだ、あいつは。
「そりゃメイの願望だろう。俺は大きい方が好きだ」
「……そうか……ならばどうだろうキョータ殿、先ほどのご自身の発言を確かめてみては? 私の身体が肥えたか否か」
そう言うと、前かがみになってカウンターに腕をつき、ニヤリと挑発するような表情で俺を見るマリア。
やばい、魅惑の果実がちょっと揺れた。
俺の心はかなり揺れた。
「と、年上の人間をからかうもんじゃないよ」
ところがぎっちょん、俺は紳士だ。
こんな誘惑に負けたりしないのさ。
「……」
「…………」
「……何故だか急に肩が凝ったな。どこかに肩を揉んでくれる優しい年上の男性はいないものか……何かの拍子で手が下に滑っても、それは不可抗力だろうな……」
「ふ……不可抗力……かな」
「ああ。私はマリアだ、聖母だ。笑って許そうではないか」
目を細めて笑顔を俺に向けるマリア。
うぅ。
そうだ、これはマッサージだ。やましいことは何も無い。
やらしい気持ちはちょっとあるかも。
常連のお客が肩が凝ったと言っている。
↓
感謝の意味も込めて店員からのマッサージ。
↓
みんなハッピー♪
うん。完璧だ。
何の問題も無いな。
そんな最低な自己正当化の図式を頭に展開しつつ、俺はマリアの隣に移動し――――
「はい、そこまで。お前ら人の店でナニをしようとしてる。イメクラにしか見えんぞ、この構図」
オーナーである椿さんのストップがかかる。
ですよねー。
「む。そのようなサービスは提供されていないのか、こちらの店では」
「ごく普通の喫茶店だ、ここは。お前も何年ここに通ってるんだ。今更なボケをかまして」
「残念だ。なら、キョータ殿をテイクアウトで頂こうか」
マリアのロックオンはまだ俺を捉えたまま放さない。
「やれやれ。相変わらずモテモテだなキョータ。私は不思議でしょうがない」
「キョータ殿は魅力的だと思うがな。だらけきったと言うか、堕落しきったと言うか、そんな雰囲気を纏っている」
それ褒めてるの?
明らかなマイナスイメージでしょ。
「加えて、時折見せる寂しげな表情。たまらんな」
「私には理解できん」
「俺も分かりません」
思考の次元が違うな、マリアは。
「ところでキョータ殿」
「ん、何」
「メイと婚約したという話は真か?」
おおっと。
鳴のやつ、まだホラ吹きを続けてるのか。
「それ嘘情報だからね。どうせメイのやつが言ってたんでしょ」
「いや、私が聞いたのは藤塚嬢からだ。今や私の周囲で知らぬ者はいないだろう」
「結衣か……」
藤塚結衣。俺や智也、彩音と同い年の大学生。トラブル大好きの厄介事メイカー。本人が面白ければ周りの人間の迷惑も顧みない面倒な人物だ。
しばらく大人しいと思った矢先にこれだよ。
「ったく結衣のやつめ、今度会ったら――――」
「今度会ったら?」
「ギャフンと言わせ――――ぅおう! いつの間に!」
俺は驚いて振り返る。
その拍子に足をカウンターの椅子に強打。痛ぇ。
涙目の俺の視界には、藤塚結衣その人が。
明るく染めた髪を派手な髪飾りで纏め上げ、好奇心の塊みたいな目を覆うのはフレームの太い伊達眼鏡。口元には不敵なニヤニヤ笑いが浮かんでいる。
「あははは。ナイスリアクション、キョータ。私を呼んだかなっ?」
呼んでねぇ。
心臓に悪いっつーの。
足は痛いし――――ギャフン。
「いらっしゃいませ、おかえりください」
「酷いっ! 何でいつも以上に冷たいのさ」
「お前が嘘八百の情報をバラ撒いてるからだよ。俺がメイと婚約したとか、適当ぶっこきやがって」
「半分は事実な訳じゃん? その方が面白いし」
悪びれる様子も無い結衣。
「誤解を招くからやめろ。知り合いに会うたび説明し直すのは骨が折れる」
「ということは、キョータ殿はメイと婚約した訳ではないのか」
「そう。正確には沖原のお家からお誘いを受けてるってところかな」
「成程。まぁ、どちらにせよ私の計画に支障はないが」
ん?
何、計画って。
「おや? おやおやおや? マリアっち、ひょっとしてキョータにラヴい感情があったりするのかな? そこんとこお姉さんに教えて欲しいな~」
「キョータ殿のことはもちろん好いている」
淀みなく言い放つマリア。
本気で言ってるの、この子?
「うは~、マジでっ。爆弾発言聞いちゃった」
「だが、親友の恋路を邪魔する気も無い」
「うん?」
「そこで私は考えた。キョータ殿の妾になればいい、と」
「…………」
真顔でとんでもない発言が飛び出した。
おい、これ収集つくのか。
「何だかんだ言いつつも、メイは自分が正妻であるという事実があれば納得するだろう。私もその辺の序列は気にしない。後はキョータ殿の首を縦に振らせるのみ」
獰猛な輝きの瞳で俺を見つめるマリア。
助け舟を求めようとするが、椿さんは完全にスルー。聞く耳持たずでパソコンと睨めっこ。
店員のピンチですよ、オーナー!
「こりゃ大スクープだねぇ。みなさんにお知らせしないと!」
席を立ち、店を出ようとする結衣の腕を俺は即座に掴む。
「逃がすと思うか? こんな話を公にされたら、俺の社会的評価がさらに下がるだろうが!」
今も限りなく底辺に近いが。
これ以上の低下は人生の難易度がベリーハードになる。
それだけは阻止したい。
「きゃーたすけてーキョータに乱暴されるー(棒)」
人聞きの悪いことを!
元から常連ぐらいしか来ないこの店。一般のお客がいないのが幸いだが。
……でも結局、マリアが口を割ったら意味ないよなぁ。
「ちょ、おい、ズルイぞ藤塚嬢。わ、私と代わってくれ! 頼む、後生だから!」
何かマリアが意味不明な乗っかり方してきたぞ!
「ふふふ……しょうがないなぁ、マリアっち。そんなに哀願されたら、ここは譲るしかないね」
「あぁ……任せてくれ、代わりにキョータ殿にたっぷり愛玩してもらうとしよう」
こいつら何言ってんだよ。
怖いよ。
「だってキョータ。私はお暇するから、マリアっちとくんずほぐれつヨロシクやってね!」
「はいそうですかっていくか。せっかく来たのにコーヒーの一杯も飲まずに帰るのはあんまりじゃないか?」
「さっきは帰れって言ったじゃん。――――随分強気だねぇ、キョータ」
結衣の雰囲気がガラッと変わる。
ニヤニヤ笑いは邪悪な笑みに。
「いいのかなぁ、私にそんな態度をとって」
「何を言って――――」
「……去年のクリスマスに女装したキョータのあられもない写真が、私のケータイには残ってるんだよねぇ」
「え」
嘘だ。あれはその場で全員に削除させたはず。
思い出したくもない黒歴史。
「さらには酔っ払った智也とあんなことやこんなことになってたり――――」
「あわわわわわわ」
「この手を離してくれないと『ついうっかり』SNSに投稿しちゃいそうだなぁ……」
開いた方の手でケータイをチラつかせる結衣。
この悪魔め!
何とか結衣からケータイを奪い取ろうと画策する俺。
結衣の視線が俺の背後に注がれ、意味ありげな色を含んだ。それに気づいた時には遅かった。
次の瞬間、俺の背中に抱きつくナニモノか。
その感触に理性は一瞬怯む。そしてとどめに耳に吐息を吹きかけられる。
「――――っ!」
抱きつきだけなら留まれたかもしれないが、耳はダメです。俺弱いんだよ。
もちろん結衣の腕は自由になった後で。
「はっはっはっ! どうやら私の勝ちのようだね! マリアっち、ご協力感謝するよ! さらばっ!」
意気揚々と喫茶店を後にする結衣。
……ちくしょうめ。
「すまないキョータ殿。自分の欲望に負けて、つい」
バツの悪そうな顔をするマリア。
もとはと言えばお前の唐突な宣言のせいだけどな。
「いいよ別に。遅かれ早かれ広まるとは思うしな、結局」
仮にあそこで結衣のケータイを奪い取っても、確実にバックアップは取ってあるだろうし。
「……今や幻と言われているキョータ殿の女装画像。まさか藤塚嬢が所持していたとは」
どの界隈で言われてるの、そんな空恐ろしい品評。
「あそこで藤塚嬢に手を貸せば、譲ってもらう口実ができるというもの。普段なら法外な値段を吹っかけられそうだしな」
「そっかぁ……」
もうどうにでもなれ。
何かさ、話があさっての方向にどんどん大きくなっていってるような気がする。
「――――大丈夫だ、キョータ殿。たとえ周囲の人間がキョータ殿を軽蔑しようが、私はずっと傍にいるぞ」
透き通るような笑顔で、そんな事を言うマリア。
ちょっとだけ、見とれてしまう。
ああもう。
その言葉に弱いんだよな、俺。
以前、鳴にも優歌さんにも言われた言葉。
一人は辛い。
一人は苦しい。
一人は寂しい。
色んな別れと出会いを繰り返して、俺は自分の弱さを再認識した。
孤独を味わったからこそ、誰かが隣にいてくれることの暖かさを知ることができた。
悲しみと喜びを繰り返して。
大人になるってこういうことなのかな。
「……ありがと」
やべ、ちょっと泣きそう。
「む。どうしたキョータ殿。感極まって感情が爆発したか? 私の胸でよければ喜んで貸そう。ついでに欲望も爆発させてくれると嬉しい」
ちょっといい話になるかと思ったらこれだよ!
お前らの脳内はそればっかりか!
「なぁキョータ殿、良いではないか。釣り上げた魚に餌をやらぬまま放置というのは、いささか冷たいのでは?」
鬼気迫る表情でマリアが俺に近寄る。
怖い怖い!
「だ、誰か――――」
俺の呟きを聞きつけたのか否か、喫茶店のドアが勢いよく開く。
「私を呼びましたか、キョータさん!!」
颯爽と表れたのは、沖原鳴その人。
呼んでねぇ! 本日二回目!
頼むから帰れ!
今日も賑やかに、やかましいだけのグダグダテンション。
いつものように、成海市の一日は過ぎていく。