ファミリー・メディスン
◆
ある日の昼下がり。
秋の日差しが心地いい喫茶店「ふくろう」。
俺は真剣な顔で旅雑誌を睨みつける鳴を見ていた。
「キョータさん、私と一緒に山へ散策に行きませんか?」
「唐突だな」
鳴が突拍子も無い台詞を吐くのは今に始まったことではないが、随分といきなりだ。
「ぼちぼち紅葉も色づき始めるんじゃないですかね? 広がる山々が燃えるように赤く染まって、きっと息を飲むような美しさ!」
椅子から立ち上がって腕を広げ、オーバーリアクションで鳴は語る。
「大自然の中を共に歩むことによって、身も心も開放的になり、やがて周りの木々と同じように紅く、燃えるようにお互いを――!」
「落ち着け」
ブレーキ未搭載のエクスプレス・メイ。行楽地に向けて走り出したら地獄絵図だな。
廃線にしよう、そうしよう。
「俺が乗り気な返答をするとでも思うのか」
「そりゃ思いませんけど……いいじゃないですか。きっと楽しいですよ!」
正直言って、面倒くさい。
ただでさえ出不精で運動不足の俺だ、何故に枯葉一歩手前の景色を拝むために体を酷使せにゃならんのか。
自慢ではないが、常日頃から体を動かす習慣はない。翌日に間違いなく訪れるであろう節々の痛みが、日常生活に暗い影を落とすことは想像に難くないのだ。
「そもそもいきなり過ぎる。お前の気まぐれに振り回されるのは一度や二度じゃないが」
「……実はですね」
雑誌をテーブルに置き、軽く手を組む鳴。
ワントーン落とした落ち着いた声色で続ける。
「ここ最近、父さんが働きづめでして」
鳴の父親である沖原唱さんは、沖原家の本業――――といって正しいかどうかは分からないが、不動産関係の仕事をしている。
沖原家所有の土地、建物の管理が主になるのだが、その量が半端ではない。
流石に全て唱さん一人で管理できるはずもなく、別会社、下請け、果ては孫請けと、辿っていけば想像を絶するネットワークが構築されているのだ。
この成海市で、土地と建物の所有者を遡り、沖原家の息のかかっていないものが果たしてどの程度存在するのか。
俺自身、現実感が無さ過ぎてピンとこない。
そんなこんなで常に急がしそうにしている唱さん。家にいる事の方が少ない。
会ってみると気さくな良い人で、俺も小さい頃から世話になっている。
いかんせん優歌さんの尻に敷かれてる感は否めないのだが。
それは両者の性格、唱さんの婿養子という立場上、仕方ないものがあるのかも。
「最近、いつにも増してお疲れモードなんですよ」
「大変そうだな。で? 山の散策とどう繋がってくるんだ」
「疲労回復に良いお薬は無いかと、天栄堂に行ったら、鶴田さんが『せっかくなら一から調合しようか』と言い出しまして」
「なんとまあ、そういうことか」
鶴田さんとは成海市で薬屋を営む薬剤師だ。
生来ほぼ病気とは無縁の人間である俺だが、過去にばあちゃん絡みでお世話になったことがある。
常に徹夜三日目のような覇気の無い疲れた顔をしているが、腕は確かな変わり者。
「その材料とやらは、そこらの山で手に入るようなものなのか?」
「私も詳しくは分からないですけど、さほど苦労しないで手に入るみたいですよ」
「そっか……」
うーん。
唱さんの為、となると断れないなぁ。
「分かった。付き合うよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
俺の返事に鳴は顔を綻ばせる。
「しかし意外だな、お前が進んで親孝行するなんて。少し見直した」
「え、惚れ直した? もうキョータさんったら! 知ってますよ!」
「お前の耳のフィルターは高性能すぎるだろ」
という訳で、俺と鳴は成海市の外れにある、行楽地としても名高い山へと向かうことになった。
◆
翌日。
車を一時間ほど走らせ、俺と鳴はお目当ての山へとやって来た。
天気は連日の秋晴れ。心地よく頬を撫でる風は市内を吹くそれと比べて幾分の冷たさを持っている。
紅葉を楽しむには少し早すぎるようで、紅く染まった葉っぱたちが過半数をようやく超えたくらいだろうか。
平日の真昼間ということもあって、訪れている人は数える程度。
「いやー、山の空気は美味しいですね。マイナスイオン漂いまくりで、呼吸するだけでも癒されます」
「同感だ。たまにはこういうのもいいかもな」
最初は否定的だったにも関わらず、いざ蓋を開けてみると、割と楽しんでいたりする。
俺、結構そういうところがあるんだよな。
「じゃ、早速行きましょうか」
「おう。そう言えばさ、こういう山で植物を採集するのって、許可が必要なんじゃないのか」
山道を歩きつつ、俺が尋ねる。
今更な質問ではあるが。
ぶっちゃけその辺ってなあなあみたいだけどさ。
キッチリしとくべき所はしておきたいな。
「昨日あれから色々調べてみたんですが、沖原家の持ち山みたいですね、ここ」
「……そっか」
何かもう色々規格外すぎて困る。
「間に別の所有者はいるみたいですけどね。何にせよ、不必要に山を荒らすようなことはやめましょう」
節度を持って、か。
うん、お前が言っていい台詞かな、それ。
俺の心はいつもお前に荒らされているのだが。
口にしようと思ったが、どうせ聞く耳を持たないことは分かりきっているのでやめにする。
「あ、でも私のハートはキョータさんに乱獲されて困ってます……」
「した覚えがないな……」
「事あるごとに奪われ続けて、絶滅寸前です――理性が!」
「むしろ今まで御し切れていたことがあっただろうか」
「あー、困ったなー、このままじゃ種としての存続が危ういなー」
チラチラと横目で俺をうかがってくる鳴。
人の話を聞いちゃいねぇ。
「レッツ☆繁殖!」
「言うと思ったよ! おい、背中に飛びつくな!」
目にも止まらぬ素早さ。人体の限界を軽々超えやがった。
「さあ、私とキョータさんで少子化に歯止めをかけようじゃありませんか」
「歯止めをかけるべきはお前の行動だ」
「やめられない、とまらない」
「やめろ! とめろ!」
俺は鳴を振り落とそうとするが、強固なホールドは解けそうにない。
「いい加減に降りろ!」
「やだー!」
ぶらんぶらんと、鳴の体が揺れる。
痛い!
「おい、首を掴むな!」
痛いって!
そこは髪の毛だ!
「はー……はー……」
「うぅ……キョータさんってば、乱暴……でもそんなところも……」
「もう黙れよ」
疲れた。
開幕十分で疲労困憊だ。
「とっととお目当ての材料を採集しようぜ。そしてとっとと帰ろう」
「そうしましょうか」
いくらなんでも脱線しすぎだ。
それからは割と真面目に俺と鳴は山を駆け巡って材料集めに没頭した。
鳴が鶴田さんから貰った材料の写真を頼りに、それと思しきものを片っ端から集めていく。
もし違ってたとしても、後で鶴田さんが弾いてくれるだろう。
そんなこんなで約二時間、木の根っこだったり、根元に生えてるキノコだったり、咲き誇る花びらだったり葉っぱだったりを採集し、お目当てのものは大体揃ったようだ。
採集した材料と、ちょっとした疲労感を持ち帰り、俺と鳴は帰路に着いた。
◆
数時間後、成海市内。
あっという間に日は傾き、そろそろ夕方になろうという時刻。
俺と鳴は天栄堂の店内にいた。
「お、二人ともおかえり。成果はどうだったかな?」
薬で埋め尽くされた棚の間から、鶴田さんが顔を覗かせる。
相も変わらず疲労感マックスの表情だ。目の下に刻まれた隈に口元を覆う無精髭。
初対面で薬剤師と言われても大半の人は面食らう。
違うオクスリの方が詳しそうだ。
確か三十台後半でお子さんもいらっしゃるらしいが、実年齢プラス十歳は老けて見える。
「ばっちりです! と言いたい所ですが、それっぽい物を手当たり次第に集めてきたので、要らない物も混じってるかも……選別をお願いします」
「承知した。ちょっと待っててね」
鳴か材料入りの袋を手渡された鶴田さんはゴソゴソと選別作業に移った。
俺は何の気なしに店内を見渡す。
所狭しと並べられた薬たち。
どんな使い方をするのか想像もできないような不気味な材料たち。
これから先の人生、できるだけこの店のお世話にならないような平穏無事なものになれば良いなと思った。
そんな俺の思いを無慈悲にも打ち砕くように、鳴と視線がぶつかる。
ニヤリと不敵に顔を歪める鳴。
何だ、その微笑みは。
平穏無事か……自分で言ってて空しくなった。
鳴の近くにいるだけで、その四文字とどれだけ離れた場所にいるのか、現実を突きつけられる。
退屈はしないのだろうが、それと同時に心身ともに磨り減っていくのは避けられないだろうな。
あぁ、前言撤回。
胃薬とか、精神安定剤とか、その類の薬ないですかね。
憂鬱な気分になりながら、俺は待合席のテーブルに置かれた雑誌を手に取る。
『パナセ』――――漢方関係の月刊誌のようだ。
世の中にはまだまだ俺の知らないジャンルの雑誌があるのだと、妙な気持ちになりながらページをめくっていく。
薬学会の派閥争い――歴史の影に隠れた失われし秘薬――――抱かれたい薬剤師特集――――などなど。
メインのターゲットはどの層なのか全く想像できないブレブレの雑誌だった。
怪しすぎる。
「……ん?」
パラパラとページをめくっていた俺の手が、とあるページで止まる。
そこに書いてあったのは目を疑う特集だった。
『これで意中のあの人もイチコロ! 必ずオトせる惚れ薬特集!』
ますますこの雑誌の着地点が分からない。
いや、それはどうでもいい。
問題はこの材料。
見覚えのある木の根っこ、キノコ、花びら、葉っぱ、自分と相手の髪の毛――――!
おい、まさか。
「なあメイ」
「何ですか」
「お前、俺に嘘ついてないか?」
「いきなりどうしたんですか、嘘なんて――――あ!」
ハッとして口元を押さえる鳴。
「キョータさんのこと、いつも好きって言ってますけど……本当は『好き』じゃなくて『大好きです!」
よし分かった、あくまでもとぼけるつもりか。
「俺の髪の毛、採ったよな?」
「!? な……何のことですか」
「残念だよメイ――――自ら進んで親孝行するような、良い娘に成長したかと思ったのに」
「私はいつでも良い娘ですよ、キョータさんにとって都合の良い女です」
赤く染めた頬に両手を当てて、身をくねらせる。
会話が成立しないのは毎度の事。
「白状しろ。今日採集しにいったのは、何の薬の材料だ?」
「…………」
「素直に罪を認めれば、怒らないから」
「……絶対怒るじゃないですか、それ……あ。でも、キョータさんに怒られるなら…でもでも、このままなじられ続けるのも捨てがたい―――!」
鳴は意味不明な呟きと共に、頭を抱えて唸り始めた。
どんな選択を迫られてるんだ、こいつは。
「ど、どうしましょう! どちらかを選ぶなんて私にはできません!」
「うるせぇ!」
思わず持っていた雑誌で鳴の頭を叩く。
やべ、思わず手が出てしまった。
「ご、ごめん、メイ。つい」
「本当ですよ……叩くなら、もっと愛情の篭った暴力をですね―――!」
「はあ……」
「いいですか? 愛です、愛! 分かったらもう一回!」
いやいや。
何だこの構図。
もう一回じゃねぇよ。
「叩いたのは悪かったが、話題をすり替えようとしてないよな?」
「ギクリ」
口で言うな。
「…分かりました…そうです、お察しの通り、惚れ薬を使ってキョータさんをメロメロにした挙句×××××を××××××して、×××××で××××を―――」
「分かった、もういい、もういい」
そこまで具体的に話さなくて良い。
お前もお前で自分の発言で赤くなってんじゃねぇ。
「あ。でも、父さんに薬をプレゼントしようっていうのは本当ですよ。惚れ薬の方はあくまでついでで」
「本当は?」
「惚れ薬が本命です、すいません」
「正直でよろしい」
珍しく殊勝な鳴に、俺は思わず頭を撫でる。
「!!」
らしくない俺の行動に、鳴は目を見開く。
「な、なんと……キョータさんが自発的に……! あ」
「?」
「キョータさん、鼻血が出てきました。ティッシュを……!」
「何でだよ! ちょっと待ってろ」
何でそうなるんだ。
俺は鶴田さんに声をかける。
「すいません鶴田さん、ティッシュを――――」
「ほい、どうぞ」
そう言ってティッシュのボックスを投げてくる鶴田さん。
「ありがとうございます――――ところで、あんな場所にわざとらしく雑誌を置いたのは鶴田さんですよね?」
「ほう、何でそう思う?」
「何となくですけど……」
「ま、いいか。そうだね、君の言う通りだ。フェアじゃないからね」
鶴田さんが頬を緩める。
顔を崩したことによって、更に皺が目立つ。
「そんな理由ですか」
「うん、あのままキョータくんが気づかなければ、メイちゃんの勝ちだったね」
最悪のシナリオは回避できたか。
「――――キョータさん…早くティッシュを…大惨事ですよ…」
気づけば血まみれの鳴。
いや出すぎだろ、鼻血!
俺は鳴の顔、血の垂れた首筋、汚れた服を拭いてやる。
「すいません、キョータさん」
「気にするな」
「できれば服の中も――――」
「調子に乗るな」
「すいません」
やれやれ。
結局こんなオチになるのか。
「ま、唱さんにはちゃんと疲労に効く薬を渡してあげてくれよ」
「はい……あの、キョータさん」
「ん?」
「やたら父さんには好意的ですよね」
「そりゃ色々相談に乗ってもらったり、お世話になってるし」
男同士だからできる相談ってのもあったりするしな。
「そうやって父さんばっかり構うから、母さんが拗ねて八つ当たりするんですよね……」
「え、そうなの!?」
とんでもない話を聞いた。
そんな子供みたいな――――うん、あり得る。すごく想像しやすい。
「正直言って、あの人のキョータさんに対する執着は恐ろしいものがありますよ」
「そうですか……」
「また近い内に遊びに来てくださいよ、母さん喜ぶので。それだけで十分です。間違ってもプレゼントなんか用意しないでください」
口にするのも恐ろしい、といった様子で鳴が言う。
「それやったら多分、『沖原優歌ルート』のフラグが――――怖っ!」
言ってから鳴は身震いする。
想像したのだろうか、微妙に青ざめてる。
「そんなことをさせない為にも、キョータさんをとっとと私ルートのエンディングへご案内しないといけませんね」
「あっそ」
「ええ、安心してください。私ルートは優しいエンディングばかりですよ」
やんわりと、天使のような笑みを浮かべる鳴。
「そのいち。私とキョータさん以外の人間が滅亡した世界、二人でアダムとイブに――――」
初っ端から重い!
「そのに。キョータさんが事故で半身不随で記憶喪失に。私の手厚い看病のお陰でゆっくりと記憶を取り戻して行く(私の事限定)――――」
俺何か悪いことしましたか?
「そのさん。私はとうとうキョータさんに対する愛情が抑えきれなくなって、監禁に走ります。最初は抵抗するキョータさんでしたが、やがて身も心も私に――――」
もうやめて!
「全て外れなしのバッドエンドじゃねぇか!」
むしろデッドエンド?
そんな世界は間違ってるぞ。
もっと優しい世界がいいな、俺は。
「何で不満そうなんですか」
「狂気しか感じない」
「でも私と姉さん、キャストが逆だったら?」
「…………」
奏さんと二人きり――――
奏さんに看病されて――――
奏さんに監禁されて――――
「アリ、だな」
「何でですか!?」
むしろお願いしたい。
「優しい世界だよな……ある意味」
「大丈夫ですかキョータさん!? 鶴田さん、キョータさんが壊れちゃいました!」
「元からそんなもんじゃないかな、キョータくんは」
ひでぇ。
成海市の人間はみんな俺の事をいじめる。
でも俺は、こんな成海市が好きだ。
大切な人たち、大切な思い出。
俺の全てが、ここには詰まっている。
だから――――
「鶴田さん―――――な―――――は作ることってできますか?」
「またえげつないものを……ま、出来ないことはないかな」
「是非ともお願いしますよ……ゲヘヘ……」
うん、大丈夫。
聞こえなかったことにする。
努力する。
こんなくだらない日常が、俺の愛するものだから。
……多分。