レールライド・マイライフ
◆
俺の住む成海市は、日本海に面する地方都市だ。
人口そこそこ。県庁所在地でないにしろ、それなりに栄えている方だと思う。
昔、日本海ルートでの貿易が盛んだった頃の名残もあり、それなりに有名な史跡等も点在して、風情もなかなか。
そんな土地柄もあって、古くからこの地に家を構える所謂「名家」というものも未だに存在しているのだ。
何を隠そう、沖原家はその筆頭である。
家系図を紐解けば、江戸時代まではゆうに遡れるとの事。
第二次世界大戦後の農地改革で、ほとんどの土地を手放す羽目になったらしいが、今なお沖原と言えば成海市一帯の大地主である、というのが一般人の認識。
かつて程の影響力は無いにしても、今は今でなかなか凄いことになっている。
先代沖原家当主、沖原 弦一郎つまり鳴の祖父に当たる人物が立ち上げた小さな洋菓子屋のオリジナルケーキが大当たり。あれよあれよと言う間に県内有数の企業へとのし上った。
県内に住む人間だったら知らぬ者はいない、それが洋菓子屋「ラ・メール」だ。
現在は創業者である弦一郎さんは亡くなり、実の娘である鳴の母親、優歌さんが経営者となっている。
優歌さんはとても成人した娘が二人もいるようには見えない程若々しく――――。
そうそう、鳴には奏さんという二つ年上のお姉さんがいて、今現在フランスにお菓子作りの修行にいっているのだ。
奏さんはとても鳴のお姉さんとは思えない程可愛らしくて――――。
ま、それは後々話すとしよう。
以上、そんなこんなで。
十波響太プレゼンツ、成海市の歴史プラスアルファ、おしまい。
で。
今現在、俺は車の助手席に鳴を乗せつつ沖原家へ向かっている訳だが。
「何の用なんだろうな、優歌さん」
「さあ、私は連れてきてとしか言われてないので。見当も付きませんね。あの人も大概気まぐれなので」
それについては同感だ。
割と子供っぽいところもあるし。
そういう点では鳴より奏さんの方に似てるのかな。
そんな会話を交わしつつ、市街地を抜けて。海の見える高台へ。
やがて見えてくるのが沖原家。
先述した沖原の歴史云々からすると意外な程普通の邸宅。
それでも一般家庭のそれよりは遥かに大きいが。
見晴らしの良い駐車場に車を止めて、いざ玄関へ。
「ただいま」
「お邪魔します」
鳴と俺の声に反応し、玄関へ表れた人物こそ。
「あら、いらっしゃいキョータくん」
沖原優歌さんその人だ。
四十台には見えない若々しいオーラ。フワフワと柔らかそうなカールのかかった黒髪。モデルみたいな手足の上にある顔には優しそうな笑顔が浮かんでいる。
何でこのスタイルが遺伝しなかった。DNAの怠慢で一人の女の子が枕を濡らす羽目に。
あ、遺伝はしてるか。奏さんの方に。あの人のスタイルも反則気味だもんな。
「こんばんわ」
「久しぶりねぇ。ますますお父さんそっくりになって」
「そうですかね」
「そうそう。ビックリするくらい」
父さんにそっくり、と優歌さんはよく俺に言ってくれるのだが。
その父さんの記憶が俺には無い。物心付く前に海外で夫婦揃って飛行機事故に遭い、帰らぬ人になっている。
最初の頃は大分気を使って話題に出さないようにしてたみたいだけど。俺が気にしてない、と言ってからほぼ毎回だ。
以前見せてもらった写真を見るに、確かにそっくりだとは思う。
「……ちょっと。私もいるんだけど」
「あら、メイ。おかえり」
「娘に対する扱いがぞんざい過ぎると思う」
「だってキョータくんに比べたら、あんたは割りとどうでもいいし」
素敵な笑顔でとんでもない台詞を吐く優歌さん。
俺と鳴に対する、声の温度差ハンパない。
「立ち話もなんだから、入って入って」
優歌さんに促され、俺はリビングのソファへ腰を下ろす。
鳴も続いて俺の隣へ。
「コーヒーで良かったかしら?今淹れるから待っててね」
「いえ、お気遣い無く」
「そんな他人行儀な物言いしないでよ、悲しくなっちゃう。ぐすん」
冗談めかした口調で優歌さん。様になってるのが凄い。
「すいません、じゃあブラックで」
「自分の年も分からなくなってるんです、そろそろ介護が必要ですかね。あ、私もコーヒー」
「キョータくんはブラックね、了解。メイは後で覚えときなさいね」
笑顔の裏にどす黒いものを感じる。
鳴、お前も学習しない奴だな。
程なくしてコーヒーの乗ったトレイを持って優歌さんが戻ってくる。
「さて。いきなり呼び出してごめんなさいね、キョータくん」
コーヒーを配りながら優歌さんが切り出す。
「そろそろお話しておかなくちゃと思ったから」
一方、鳴は自分のカップを隅々まで確認した後、恐る恐る口をつける。
そんなにビビるなら最初から黙ってろよ。
もはや一種の条件反射なのか。どうなのか。
「少し辛い話になるかもしれないけれど――――律子さんのこと」
俺の顔色を伺う優歌さん。
その瞳には、様々な感情が散りばめられているように見えた。
心遣いありがとうございます。
でも、俺はもう大丈夫です。
「ばあちゃんの?」
「ええ、ちょうど律子さんが入院してすぐ、私がお見舞いに行った時に律子さんからお願いをされたの」
「……はあ」
「いつに無く真剣な顔でね。しかもあの律子さんが『お願い』なんてね。ビックリしちゃった」
懐かしむように話す優歌さんの顔は、どこか寂しげに感じた。
律子さん、とは俺の祖母である。
両親をよく知らない俺にとって、唯一の家族だったばあちゃん。
一年前に病気で亡くなるまで、成海市を駆け抜けた嵐みたいな人だった。
すげぇ怖かったけど、同時に優しかった。
五才の頃、ばあちゃんに引き取られてから、色んな事を教わり。
そんなばあちゃんが俺は大好きだった。
だから、亡くなった時は本当にショックで。
殺しても死なないような人だったのに。
やっぱり病気には、流石のばあちゃんも勝てなかったみたいだ。
悲しくて。寂しくて。どうしようもなくて。
耐え切れなくなって、俺は大学を辞めた。
ばあちゃんが聞いたらぶん殴られそうだけど。
限界だった。
抜け殻みたいな生活を続けてたら、鳴が襲撃してきて。
壊れそうな俺を、同じく壊れそうな声で励ましてくれた。
空っぽだった俺の心に鳴り響いたのは、優しく暖かい音色。
そして、今の俺がある。
いつまでも泣いてるのはやめだ。
夢でばあちゃんに説教されそうだし。
前に、進んでいかなきゃいけない。
「今にして思えばもう自分が長くないってことを分かってたのかも、ね。『これからキョータのことをよろしく頼む』って」
「よろしく?」
どういうことだろう。
「具体的に言うと、私たちと家族になってくれないかなって」
「家族――――ってことは」
「それは、ほら、そういうことじゃないですか? えへへ……」
呟きながら、鳴が俺の手を握ってくる。
「もちろん、キョータくんさえ良ければの話だけど。ウチとしては断る理由なんて無いからね。キョータくんが息子になってくれるなら、嬉しいな」
えっと、つまり、家族になるということは。
結婚、ですか。
婿養子ってヤツですか。
マジか、おい。
「キョータくんが小さい頃から律子さんには話はしてたんだけどね。なかなか首を縦に振ってくれなかったの。『ウチの大事なキョータをお前の所にやれるか!』ってね。響介くんのこともあったし」
父さん?
それって関係あるのか?
「その辺は初めて聞きましたけど……何か関係が?」
「今まで黙ってたけど私、学生時代からキョータくんのお父さんの事が好きだったの。結局振られて、真琴に取られちゃったけどね」
衝撃の事実!
ちなみに、真琴ってのは俺の母さんだ。
おいおいおい。
「母さんが時々、尋常じゃない目つきでキョータさんを見てるのにはそんな理由が……」
お前も決して人のことは言えないけどな。
「ま、最終的には律子さんも認めてくれた訳だけど、肝心のキョータくんの気持ちはどうかな?」
「俺は……」
「私の気持ちは言わなくても分かりますよね! 今すぐにでも式場を予約しそうな勢いですよ!」
一人でテンションマックスの鳴。
それを見ていた優歌さんが言い放つ。
「メイ、あなたちょっと勘違いしてないかしら?」
「え? どういうこと」
「確かにキョータくんと結婚という話にはなったけど、誰も『メイと』とは言ってないわよ」
ん?
んん?
「奏の可能性だってある訳だし」
「な、ちょ、え、嘘。ね、姉さん?」
「だってそうでしょ? 私の娘はあなただけじゃないもの。選ぶのはキョータくんよ。私はキョータくんが息子になってくれるならどっちでも良いし」
笑顔でサラリと言い切る優歌さん。
自分に正直な人だな。
「キョータくんはカナとメイ、どっちがタイプかしら?」
「カナさんですね」
「あれぇ!? キョータさん、即答ですか!? ちょっとくらい悩んでくれてもいいじゃないですか!」
いや、だって。
奏さんって俺の好みドストライクなんだもん。
年上で、可愛くて、面倒見が良くて、お前と違ってスタイルも良いし。
「あらあら、これは大変ねぇメイ。カナが帰ってくる前に勝負をかけないと」
「上等! 姉さんが帰ってくる前にキョータさんをメロメロにして婚姻届に判を押させますよ!」
びし! とポーズを決め、俺に向かって宣言する鳴。
瞳には揺るぎの無い意思。不敵な笑顔も相まって、その迫力に俺は少したじろぐ。
「まぁ最悪、婚姻届に捺印もしくは無理矢理押し倒して既成事実を――――」
鳴の口から漏れ聞こえる不穏な呟き。
全力スルー。
「別に今すぐに決めろとは言わないし、無かったことにしても良い。でも、これだけは忘れないで」
「私たちはいつでも待ってるから。あなたは一人じゃない。私たちが傍にいるから――――ね」
「優歌さん……ありがとうございます」
泣きそうになるのをぐっと我慢する。
俺は、一人じゃない。
こんなに俺のことを想ってくれている人たちがいる。
たまらなく嬉しかった。
「さっきはああ言ったけどメイ、キョータくんを他所の女に取られてみなさい。承知しないわよ」
「そんなことは十中八九ありえないけど。肝に銘じます、マイマザー」
「よろしい。仮にそうなっても、沖原家の力をフルに使ってその女を社会的に抹殺しましょう♪」
「さすが母さん! 私も全く同じことを考えてた!」
『ふふふふふ……』
怖っ!
息ピッタリだな、余計なところで!
「それじゃあ話も済んだし、夕飯にしましょうか。キョータくん、今夜はウチに泊まっていかない?」
「そうしましょうキョータさん。その方が楽しいですよ」
家に帰っても、俺は一人だ。
ばあちゃんと一緒に住んでた、無駄に広い一軒家。
今となっては、その広さが残酷に感じる。
せっかくの好意、甘えるとしよう。
「ですね。お邪魔します」
「そうこなくちゃ。でもゴメンねキョータくん、この家『何故か』ベッドが一つしか無いから三人で一緒に寝ることになるけど、気にしないでね!」
「お風呂も『何故か』故障中で、一回分しかお湯が無いんですよ。三人で入るしかないですね!仕方ないですよね!」
気にするし!仕方なくないし!
そんな秒バレする嘘をつかないで。
でも俺の理解者、唱さんが帰ってくれば――――
「あ、ちなみに父さんはしばらく帰って来ないんで、淡い希望を抱いても無駄ですよ」
心を読まれた!
ちくしょう、何てこった。ここは地獄の入り口か?
いや、既にど真ん中?
哀れな俺の思いは、秋の夜長に消えていくのだった。