3-1
「坂東もメアリーももう少し休んでいても良いのだが……もう大丈夫なのかね?」
エスノ機関日本支部、支部長室。そこには疲れた様子のメアリー・ホワイト、そして服の下に包帯を隠した坂東幹也の姿があった。時刻は明け方の五時頃。深夜零時に起きた四条学園での戦闘以降、ゼータ1の戦力との大規模な戦闘は起きていない。この世界……デルタ第四世界にも一時の平和が訪れていた。
「エヴァのお陰で何とか動けます。問題ありません」
「……私も問題ないわ。直ぐにでも戦闘可能よ」
「そうか。メアリーは代えの聞かない貴重な戦力だ、十分に自重してくれたまえ。だが坂東、君には幾らでも代わりがいる。無理をして命を落とす必要性はないぞ」
桂の言葉にぴくりと眉を動かす。そして男は咳払いを一つ。
「ガキ共だけに世界の命運を預けて寝ているなんて我慢なりません。それに俺は日本政府の命により、このエスノ機関を監視するという役割もあります」
「命を賭して世界のために働くか。良い心がけだ。では次の我々の行動について説明しよう」
現在エスノ機関は自衛隊、そして米軍の協力を受け……本人達はそうとは気付いていないが……異世界勢力との戦闘状態にある。現在は一時的に戦闘を中断しているが、それは両者が次の交戦に備えて“溜め”に入ったが故である。この休息時間が終了すれば、またお互いの世界の命運を賭けた血みどろの戦いが待っている。
「エスノ機関は現状、独自の戦力と言う物を保有していない。まずエスノ機関の存在は世界に公表されておらず、この世の中は世界を賭けた戦いだの救世主だの天使だのという事実を受け入れる土壌が出来ていない」
「要は準備が出来ていないのでしょう、何も」
坂東の言葉に苦笑を浮かべる桂。そう、エスノ機関は名ばかりの特務機関であり、現状対異世界戦闘に十分なだけの戦力を有していない。
スタッフの殆どは日米各機関からの引き抜きであり、その数もまだ揃っていない。警備に米軍の兵士を借りてはいるが、彼ら自分達が何を守っているのか、エスノ機関とはなんなのか、それさえ理解していなかった。先の防衛戦で兵士たちが蹂躙されたのは、異世界人という未知の存在が襲撃してくるという事に対する準備不足の面が大きい。
「本部の警備には米軍の増援を入れる事になっているが、それまでは自衛隊の東京基地から人材を派遣してもらう事になった。だがまあ、ここは現状重要な設備も何もない形だけの城だ。それは先の襲撃で連中も理解しただろうから、大規模な襲撃はもうないと考えてよい。あったとしても、救世主さえ生きていれば問題ない」
「自衛隊をここの守りにつかせるんですか?」
「これまで通り、事情は説明していない。だが四条学園での交戦を生き抜いた兵士達だ。自分達がバケモノと戦わされるという可能性を覚悟している分、多少は使い物になる」
眉間に皺を寄せる坂東。それをあえて桂は無視して話を進める。
「我々は対異世界戦闘用の準備を終えていない……それを念頭に置き、これから異世界への侵攻作戦を行なう。即ち切り札となるのはメアリー・ホワイト、それから我らが救世主の二名だ」
「連中とまともに戦える戦力はガキ二人だけって事ですか……」
「ああ。だが下手な兵士よりは役に立つ。大の大人でも彼らに勝つのは至難だからね」
ばつの悪そうな顔で頭を掻く坂東。桂は無表情のメアリーに目を向ける。
「メアリー、君には進攻の先導を行なって欲しい。ゲートを開く場所、それから攻略目標について吟味。救世主と協力し、敵情視察を命じる」
「私と理人の二人だけで……ですか?」
「あくまで偵察だ。人数が多くても目立つだけになる。それにこれは救世主きっての申し入れでね。本音を言うと二人だけでの偵察には反対なのだが……本人がいうのだ、仕方あるまい」
僅かに目を細めるメアリー。それから桂は咳払いを一つ。
「今戦力は二人だけと言ったが……坂東、君も偵察には同行してくれ。可能な限り異世界の情報を持ち帰り、今後の作戦展開を有利にしてもらいたい」
「……了解です」
「異世界の情報に関してはメアリーから大まかに入手しているが、それも何年も前の物だ。こちらに攻め込んできた以上、以前とは状況が変わっていると見て間違いないだろう。君たちが偵察に行っている間にこちらは攻撃部隊の編成を行なう。その準備が完了し次第、我々は異世界への攻撃を開始する。各部署に話が通っていないのでまだ大雑把な事しか決定していないが、そんな流れを想定しておいてくれ」
「どこも混乱しているでしょうからね」
頷く坂東。そこで桂は部屋の隅で待機していたエヴァに目を向けた。
「エヴァ、例の物を」
何か考え事でもしていたのか、エヴァの返事は一拍遅れであった。女が机の上に投げ出したのは大型のトランクで、中には加工された青い鉱石、それから自衛隊に支給されているタイプの防弾装備が入っている。
「敵の部隊から奪ったウルズ鉱石ってやつで作った防具よ。この首輪は才の発動と探知を妨害する為の物で、こっちの防具は才を防ぐ為のものよ。それから……こっちはメアリーが持ち込んだ物と同タイプの“祓”って剣を加工したもの。ウルズ鉱石ってやつがめちゃくちゃ頑丈でね、加工するのは骨が折れたわ」
新しい刀を鞘から抜いて吟味する。以前よりもずっと“刀”らしくなった刀に満足したのか、メアリーは頷いてエヴァに頭を下げた。
「わかってると思うけど、メアリーはベストをつけないでね。装着者の才も妨害してしまう恐れがあるから。あー、無機物を切り刻むのって疲れるだけで全然面白くもなんともなかったわ」
「異世界の鉱物を打ち直したのか……?」
「ええ、勘でね。ま、ただ頑丈なだけの鉄鉱石って感じだったしそんな難しくもないわ」
ナイフ型の物を装備しながら冷や汗を流す坂東。それから首輪を手に取り。
「で、こいつは誰が装備するんだ? 俺達にはベストがあるわけだが……」
「こいつは私達が装備するものじゃないわ。装着者の才の発動を妨害する為の物」
顔を見合わせる坂東とメアリー。そこで桂が口を開く。
「四条学園の戦闘で逃げ遅れた敵兵を何人か拿捕している。偵察にはその中の一人を連れて行くといい。坂東を同行させるのは、その人質の面倒を見させるためでね。それなりの立場に居た人間らしい。何かの役に立つだろう」
その言葉だけで人質が誰なのかメアリーにはわかってしまった。ためらいを消すように目を瞑りゆっくりと顔を上げる。その時にはもう、罪悪感はどこかへ姿を消していた。
「……理人……?」
戦闘に巻き込まれた四条学園には自衛隊による規制線が張られていた。校庭にずらりと並んでいるのは敵と味方の死体である。この場所での戦死者の殆どは二年生以外の生徒で、救出に現れた兵士達も加算すれば、死者は軽く数百人に上る。
白い袋に入れられて並べられた死体の傍にはようやく駆けつけた遺族達の姿があった。彼方此方でむせび泣く声や理不尽な現実を嘆く怒声が響く中、膝を抱え、小さく丸くなった友人の姿を見付ける。傍に歩み寄り、理人はその隣に膝を着いた。
「亮子……」
「理人……どこに行ってたの? 心配してたんだからね。心配して……。理人まで死んじゃったのかと思って、私……怖くて怖くて堪らなかった……」
視線を下に戻し、膝を抱えたまま亮子は語る。明るく活発で責任感の強い少女であった。それも今は見る影もなく憔悴し、騒動で乱れた制服もそのままにまるで石のようにその場から動こうとせず、こうして何時間も途方にくれていた。
「ごめん……早く連絡できたら良かったのに……」
「……いいよ。皆いっぱいいっぱいだったから……仕方ないよね……」
僅かに笑みを浮かべる。そうして少女は這い蹲って白い袋に手をかけた。
「これね……浩一。浩一なの。浩一ね……死んじゃった。死んじゃったんだよ、理人」
チャックを下ろすと目を閉じて眠っている嘗ての親友の姿があった。顔には血がべったりとついているが、その表情は安らかで……まるで本当に眠っているだけに見える。
「浩一、理人が来てくれたよ。理人はね、無事だったんだよ……浩一……浩一」
名前を呼んでも少年が返事をする事はなかった。理人は黙って亮子の肩を叩く。
「浩一死んじゃった……どうしよう。ねぇ理人、どうしよう……。浩一死んじゃったんだよ。本当に死んじゃった。人質にされた私を庇ってくれたの。臆病者の癖に、最期の最期にすごくかっこよくね……それで死んじゃった。どうしよう……私のせいだ……」
「それは……違うよ。君のせいじゃ……ない」
「じゃあ誰のせいなの……? ねえ、誰のせいなの? ねえ理人! 誰のせいなのっ!?」
振り返り亮子は理人の両肩を掴む。そうして目を見開いて笑った。
「全然わかんないよ、何がどうなってるのか! なんで死ななきゃいけなかったの!? こんなにいっぱい……ねえ、これ全部人の死体なんだよ!? 二ヶ月前に四条学園に来たばっかりの一年生も、今年で卒業する筈だった三年生も……私達を助けに来てくれた軍人さんもみんな死んじゃったんだよ!? なにをどうすればっ! こんなひどいことになるのよっ!!」
理人は何も答えなかった。ただ真っ直ぐに亮子を見つめている。呆然としていた少女の瞳にみるみる涙が溢れ、零れ、汚れた頬を次々に伝って行く。
「昨日の朝まで三人一緒だったのに……次のテストどうしようって話してたのに……浩一の為に買った参考書も……テスト終わったら行こうって立ててた休みの予定も……全部……全部なくなっちゃった……。私、何もできなかった……何にもできなかったんだよ……」
幼馴染の少女が泣いている――それを理人はとても……とても冷めた目で見ていた。
親友であった浩一が死んだという事も、正直なところなんとも思って居なかった? これは確か親友で、京子と付き合っていた少年だ。それはわかる。彼が何者なのか、冷静な判断が出来なくなっているわけではない。わけではないのに……。
殆ど反射で、機械的に理人は亮子を抱き締めた。優しく、しかし力強く。そうする事が正しいと考えたから、身体は勝手に動いた。だけど別に理人は亮子を抱き締めたいとは思わなかった。なぜなら泣いている幼馴染を見ても――すっかり心が動かなかったから。
「うぅぅ……あああああ……っ! やだよぉ……こんなのやだよぉ……理人ぉ……!」
「浩一は最期まで君を守ったんだよ。君の事が大好きだったから……男として守ったんだ。彼は立派だよ。彼はとても……立派だったんだよ」
張り詰めた糸が切れたように、狂ったように亮子は泣き出した。理人はそれを抱き締めながらもやはり微動だにしない自分の心に絶望し、深く深く絶望し……目を閉じた。
朝日が昇り始め、空が白んでくる。現実は闇に紛れている随分とましだった。光に照らされた白いずた袋の列を眺め、理人はそれでも悲しむ事が出来なかった。
全てが遠い、とても遠い世界の出来事に思えた。ここは確かに自分が通いつめた青春の舞台であったはずなのに、今はどうしてもそんな風には思えなかった。恐らく他にも亡くなったであろうクラスメイトの事も頭の片隅にすらなく。ただそうしなければいけない、そうするべきであるという義務だけで悲しみを演じ、親友を抱いて涙を受け止めていた。
「ごめん、亮子。肝心な時に僕は……」
「謝らないで……辛かったのは皆同じだもの……」
そう、亮子は信じている。その純粋な気持ちだけが僅かに理人の胸に刺さった。
「ねぇ理人、理人は死なないでね。絶対に生きてね。でないと私、私……どうして生き残ったのかわからないから。ね、理人……どこにもいかないで。三人でずっと一緒にいよう?」
「うん、そうだね。ずっと一緒にいよう。浩一も一緒だ。三人でまた馬鹿な話をしながら一緒に帰ろう。カラオケにもファミレスにも行こう。部屋で一緒に勉強しよう。だから大丈夫。涼子……君は独りぼっちじゃない。君の方こそ生きるんだよ。きっと生きるんだよ……」
亮子の体温はとても暖かかった。人間だ。これは紛れもなく人間だ。作り物の道具でもなければ、最初から運命を決定付けられた家畜でもない。涼子を抱き締めたまま、その背中を、頭を撫で続ける。せめてこのなんの存在価値も持たない、世界にとって取るに足らない六十億分の一に過ぎない命が安らかに眠れるその時まで……。
やがて亮子は泣きつかれたのか、ずっと緊張していたのが緩んだのか、殆ど気を失うようにして倒れてしまった。目尻から溢れた涙を指先で拭い、少年は少女を抱えて立ち上がる。
少しだけ冷たい朝の風に髪を揺らしながら歩き出す。朝日には背を向けて。たかが数百の亡骸に背を向けて。自衛隊のキャンプに亮子を預け立ち去るのであった。
――ゼータ1と天使が呼ぶ世界の歴史。それは差別と戦争の歴史であった。
デルタ世界群を基準にすると、ゼータ世界群の文明は決して高度とは言えない。だがデルタとゼータ、二つの世界群には似通っている部分も多く存在している。
有体な表現をすると、ゼータ1は和風の世界である。人々は着物に似た服を好んで纏い、複雑な木造建築の住居で暮らす。人間の多くは田畑を耕し、動物を狩り、飼育して生活している。
基本的な文明レベルはお世辞にも高いとは言えない。だが一分野に関してのみ、デルタ世界を上回る程の技術力を持つ所もあった。――“才”についてである。
ゼータの人間は大きく二種類に分けられる。生まれつき才を使える“才人”か、一切才を扱う事が出来ない“閉人”か。
才は決して万能の力ではないが、その有無による差は決して小さな物ではなかった。才は遺伝する確率が高く、それもあり一部王族が閉人を支配するという社会構造が一般的であった。
数多の王は才人は閉人を率い数多の略奪戦争を繰り返した。繰り返し繰り返し、何度も何度も血みどろの戦争が起きた。その最中、才に関する技術だけが急激に進化していく。
才をより攻撃的に兵器利用する為の方法。才を持つ人間を殺す為の方法。才を持たない人間をより効率的に支配する方法。才を持つ物を人工的に生み出す方法……。
人を人とも思わぬ歴史が延々と築かれ、最早数えるだけで気が遠くなるほどの血と涙に満ち満ちた屍の山の上、そこでクエン・ユラサは生を受けた。
ユラサ小国の王の一族だ。ユラサ一族は代々強力な才を用いて持たざる者に圧政を強いてきた。それは善悪関係なく、一族として当然の事だ。故に彼女の兄も姉も同じ様に民衆を気まぐれに惨殺し、絞れるものは血の一滴すら残らず絞り上げた。
他の“区”を奪う為に侵略戦争を繰り返し、奴隷を増やしまた戦争を繰り返す。毎日目まぐるしく人が死んでいく。王の城だけは地獄絵図の中で絢爛豪華に光を放ち、地を這う閉人達は貧困に喘ぎ、戦争に疲れ果て、ただ生まれた時から死ぬ為だけに命を永らえていた。
そんな時代に生まれたクエンは神童と呼ばれる大天才であった。生まれた時から彼女はこの世のありとあらゆるものを持ち合わせていた。
母親の腹の中にいる時から才により対話が可能だったし、そのせいか赤ん坊の頃には既に多量の知識と確定的な自我を持ち合わせていた。三歳の頃には既に戦場に立ち、たった一人で何百という兵士を才で薙ぎ払う大戦果を上げて見せた。
王族の誰もがクエンを褒め称え、この世の贅と悦の全てを与えた。クエンが次期ユラサ王になるのは火を見るよりも明らかで、クエンの活躍で世界は統一されるとまで噂された。
だがある日クエンは突如歴史の表舞台から消える事になる。事件が起きたのはクエンが六歳の時。就寝時を狙い暗殺者による襲撃を受けたクエンは、才を使う上で最も重要であるとされる瞳を傷つけられてしまったのだ。
当時既に才に関する研究は進められていた。予てより才を使う時に必ず瞳が輝くことから、瞳と才には重要な繋がりがあるという事は仄めかされていた。だが戦争による人体解剖と実験が進む内、人間の眼球の裏側に“才覚”と呼ばれる器官が存在すると判明したのだ。
クエンへ繰り出された刃は右の目を貫通。その才覚を完全に破壊していた。その暗殺者を送り込んだのはクエンに王の立場を奪われそうになっていた実の兄であった。そしてその事をクエンは間もなく知り、自らユラサの城を立ち去ったのである。
最強の姫を失ったユラサの一族はその後衰退の一途を辿る。そこへ再びクエンが姿を現したのはそれから五年後。困窮した王である嘗ての兄の下へと現れた十一歳のクエンは、力を貸して欲しい、城に戻って欲しいと乞う兄を過信達の目の前で惨殺した。
首、両腕、両足を引き抜かれた王は胴体だけが玉座に残っていた。返り血を浴びて真っ赤に染まったクエンは自らの力が一切衰えていない事を人々に示しつつ、ある宣言を行なった。
才により世界を支配しようとする者を打ち破り。
持たざる者に安寧を齎す為の戦争。
――革命戦争。そう呼ばれる出来事の幕開けであった。
クエンは逆らう過信を容赦なく殺戮し、ついてくる者だけを率いて世界征服に乗り出した。ユラサ区が消滅し、革命軍と名を変え本格始動したのがクエン十二歳の頃。そこからクエンはたった五年でゼータ1の全てを侵略し、制圧し、圧政者達を一人残らず殺し尽くした。世界には平和が訪れた。最早誰も悲しむ事のない世界……平和が訪れた。その筈であった――。
今尚世界改変の要塞として君臨するユラサの城。その玉座に腰掛けて眠るクエンの姿があった。かつてはずらりと並んだ家臣の姿はそこになく、王の傍らには一人の少女が立つ。
「夢を見ているのですか、クエン」
ゆっくりと瞼を開くクエン。そこには白いドレス姿の少女が佇んでいる。
「ケルビナ……」
深く椅子に腰掛けたまま息を着くクエン。過去を懐かしみながら目を細め、静か過ぎる謁見の間を見渡した。
「勝てるでしょうか、私は」
「相手の救世主の能力は判明したのですか?」
「いいえ……。わたくしも間近で見ていましたが、正直なんなのか検討もつきません」
「そうですか。生憎ですが私にもわかりませんし、伝える事は禁じられています。私はあくまで天使牧者に過ぎませんから」
手すりに頬杖をつきながら微笑むクエン。ケルビナはそんなクエンに歩み寄り、眼帯に覆われた右の眼に触れた。
「相手の能力暴き、契約部位を破壊しなさい。それだけがこの世界を生き残らせる手段です」
「ねぇケルビナ……この世界は本当に、神にとって価値のある世界なのでしょうか?」
開かれた襖の向こう、窓の外……ただ延々と続く廃墟だけがある。長く長く、とても長く続いた戦争は、この世界からあらゆる気力を奪い去ってしまった。
「わたくしたちは何の為に生きていたのでしょう? わたくしたちは……ただ悪戯に互いを傷付け、世界を滅ぼしただけではないのでしょうか……」
救いたいと、守りたいと、何かを変えたいと理想を掲げて生きてきた。
けれどその事如くが掌から零れ落ち、残るのは血染めの刃。このメシアの力を使い、ただ屍を積み重ねるだけの日々。許しあう言葉など、この世で一度も耳にしなかった。
「今ならはっきりわかります。この右目は……才の力は……この世界を滅ぼす因果そのものであると。だからこそわたくしは……貴女に選ばれたのでしょう?」
「疲れているのですね、クエン。もう少し休んだ方が良い。いざという時戦えませんよ」
背を向けるケルビナ。クエンは頬に触れている手で顔を撫で、俯きながら両手で顔を覆う。ケルビナは一度も振り返らずに姿を消し、残されたのは孤独な王が一人。
「……なんて無意味で……退屈な、世界……」
この世界の歴史も、“設定”もどうでもよくなってしまった。
なぜ戦っているのだろう? 守りたいものすら今は何もかも手放してしまったのに。
たった一度だけでもいい。この誰かを救いたいと、何かを変えたいと願った希望が誰かに届いて欲しい。そんな小さな安っぽい願いですら、最早誰の心にも届かないのか。
「だとしたらなんて……なんて……」
顔を覆う指の隙間、歪んだ笑みが垣間見える。
続く言葉は胸に秘めて押し殺した。そう、いつも通り。嘆きも怒りも叫びも全ては胸の中。それを誰かに聞かせるには、クエンは人間から離れすぎていたのだ――。




