2-1
「……それで? 俺が眠っている間に何がどうなったんだ?」
エスノ機関日本支部にある一室、ラボラトリーと呼ばれる部屋の中に坂東は横たわっていた。四つ並んだ手術台の一つに寝そべったまま、傍らの女に声をかける。
「救世主は何らかの手段でエスノ機関を脱出……その後、東京モーメントに向かったらしいわね。そこで異世界の勢力と交戦状態に陥り、結果東京モーメントの展望室が吹っ飛び……更に周辺の観光客を初めとした民間人が死亡したようね」
かちゃかちゃと手術道具を弄りながら答える女。身に纏った白衣からして医者の類である事は明らかなのだが、彼女……エヴァ・クナンダールは決して医者そのものではなかった。
坂東の他にもこの部屋のベッドには数人の男女が横たわっている。坂東を除くそのどれもがエスノ機関を襲撃してきた異世界人であり、既に事切れたその肉体には何度もメスが入れられ、執拗な解剖を受けた後であった。
むせ返るような血の匂いの中、麻酔と傷の痛みで朦朧としながら坂東はきつく目を瞑る。ヘイゼルの一撃ですっかりノックダウンされた坂東だが、一応命を取りとめたのは服の下に仕込んでいた新型の防護装備のお陰だろう。
「あの襲撃から何時間経った?」
「六時間くらいかしらね。というか、アンタ本当に体力だけは凄いわねぇ。まだ手術したばっかりなのによくもまあそんなにペラペラと口が回るものだわ」
「手術? 解剖の間違いじゃなくてか? 死体の横に並べられてたら気分が悪くて嫌でも喋りだすわ。間違っても俺を切り刻むんじゃねえぞ、エヴァ」
「そんな事しないわよ。せっかく助けてあげたのに酷い言われようね。傷付くわ」
「お前の前科を考えりゃ誰だって不安になる。支部長は何を考えてお前みたいなマッドサイエンティストを引き込んだんだか……」
「マッドサイエンティストでなければ務まらない役職だって事でしょ?」
くすりと微笑んでからエヴァはメスを手に振り返る。まるで鏡面のように光を弾く刃を見つめ、思わず坂東は生唾を飲み込んだ。
「ここを襲ってきた連中は?」
「既に引き上げたわ。ただ、四条学園を襲った連中はまだ学校に閉じこもっているみたいね」
「警察は?」
「相手は何だかよくわからない超能力者の集団よ? 警察なんかに対応出来るわけないでしょ。どちらにせよ、史上最悪規模の人質殺人事件に発展しているわ」
四条学園は小中高一貫のエスカレーター校だ。その内テロリスト……異世界人のターゲットとなったのは高等部の校舎のみ。他の生徒や教師に関しては無事に脱出したものの、高等部だけでも三百人近い生徒がいた。それが全て人質になっているのだ。
「チッ。頼みの綱の救世主様はどこで何やってんだ。勝手な行動で民間人を巻き添えにして敵も倒せず……あいつは何を考えてやがるんだ」
「彼が何を考えているのか……それはアタシにとっても興味深い案件ね。アンタをオペって寝かせている間に救世主様はメアリーが連れ戻したんだけど……支部長の命令で彼の身体を調べたのよ。まあその時にちょっと話してみたんだけどね。あの子なんなのかしら」
エヴァ・クナンダールはこれまで様々な種類の人間と対面してきた。その多くがメスを手にし相手を拘束しての一方的な会話であったが、数だけは多量にこなしている。実験体を切り刻む前には必ず相手の顔色を覗ってみる悪癖の為、人の感情には敏感なつもりであった。
「あの子からはなぁんにも感じないのよねぇ。それこそ人形と喋ってるみたいに……」
「どういう事だ?」
「底が知れないって事……。アンタまだ暫くそこで寝てなさい。言わずとも麻酔で動けないだろうけど……アタシは支部長に救世主様のデータを提出してくるわ」
「おい!? こんな所に置いていくんじゃねえ! 死体に囲まれて寝ろと!?」
「人間死んだらただのモノよ。何? ジャパニーズユーレイが出るとでも?」
見下すように鼻で笑い女は手術室を後にした。坂東は身体を起き上がらせる事が出来ない事を自覚し、諦めて深々と溜息を漏らすのであった。
「これ、あなたの食事」
正に用件のみの台詞と共に差し出されたトレイ。その上には米、味噌汁、そして焼き魚と漬物が載っている。理人はそれを受け取りメアリーへと視線を上げた。
展望室での事件の後エスノ機関に連れ戻された理人はそれからずっとメアリーと行動を共にしていた。エヴァの所で検査を行なった時も、支部長に簡易報告を行なった時も、こうして食事を摂る事になっても一緒である。
「和食だ。これ、君が作ったんだよね?」
「どうして?」
「君がこの部屋から出て行って少し時間が経って、戻ってきたら持ってたんだからそう考えるのが普通だと思うんだけど」
クエンの力で抜け出した何も無い自室。それと全く同じデザインの別の部屋に理人は戻されていた。部屋からの外出を硬く禁じられ軟禁状態になってから数時間が経過している。
「君ってアメリカ人だよね。料理上手だね……いただきます」
手を合わせ箸を手に取る理人。食べてみれば料理はどれもうまい。頷きながらメアリーに目を向けると、少女はじいっと理人を見ているだけで微動だにしていなかった。
「えっと、食べる?」
「要らないわ。もう済ませてきたから」
再び食事に戻る理人。メアリーは徐々に近づき、顔を寄せながら真顔で問いかける。
「おいしい?」
「う、うん。おいしいよ。全体的に味付けが薄めで僕の好みかな」
「そう。おかわりもあるから」
そしてまた沈黙。理人が食事する音だけが部屋の中にある音であった。しかも段々とメアリーは近づいてきて、今となっては目と鼻の先で理人を凝視していた。
「あのさ……どうしてさっきから僕を見つめているの?」
身を離し、腕を組む。そうして前髪を弄りつつ、視線を逸らし考える仕草の後。
「理由は幾つかあるわ。あなたがまた急に消えてしまったら困るという事。それから私にはあなたの面倒を見る義務と理由があるという事」
「その義務と理由っていうのは別々なの?」
「……どうかしら? 本質的な意味では一緒かもしれない。でも、多分別だわ」
唯一無二の出口に背を預けるメアリー。理人は箸を置き、沈黙の中でメアリーを見る。
美しい佇まいの少女であった。掛け値なしの美少女と表現すべき存在だ。だがそれよりも理人には気になる事があった。
「それ四条学園の制服だよね? 君は四条の生徒だったの?」
ゆっくりと目を瞑り逡巡する。そうして視線を泳がせ、最後に理人を見た。
「そう。私は三年生だった。一年くらい前から四条学園に潜入していた」
「年上だったんだ。えーと、それは僕を監視する為に?」
頷くメアリー。そこで理人は急に立ち上がりメアリーの前に立った。
「そういえばお礼を言うのを忘れてた。学校では助けてくれてありがとうございました」
丁寧に頭を下げる理人。メアリーはまた対応に困る感じで目を瞑った後。
「……お粗末様でした」
そんな事を言いながら同じ様に頭を下げた。そして顔を上げた時理人が笑っているものだから、わけがわからず困惑した表情を浮かべる。
「モーメントに助けに来てくれたのも君だよね?」
「そう。私にはあなたの居場所を特定する能力があるから……」
そこで思い出したようにメアリーが取り出したのはネックレスであった。ネックレスという表現をしたがそんなに洒落た物ではない。正しくは四角い青みかかった鉄の塊にチェーンを通した物体で、メアリーはそれを理人の首からかけた。
「これは才を無力化する効果がある特殊な鉱石。これをつけていればある程度敵の才を防ぐ事が出来る。お守り程度の物だけど……千里眼に対するジャミングにはなるわ。それと……」
腰から下げていた刀を外し、鞘とベルトもセットで理人へと渡す。
「同じ鉱石で鍛えられた剣。才に物理干渉する事が出来る唯一無二の武器。身を守るのにも使える。“才人”との戦闘には不可欠だから……持っていて」
「サイビト?」
「才が使える人間の事。使えないのは“閉人”と言うわ。才を使えるのは一部の人間だけで、使えない人間が大多数……そういう才を使えない人間が才人を殺す為にウルズ鉄鋼を使って作ったのがこの剣、“祓”」
メアリーは手馴れた様子で複雑な構造の鞘から刀を取り出した。刀身を照明に翳してみると、刃の部分が淡く青色に輝いているのが分かる。
「才の光が見えたら、それを薙ぎ払って」
「えーと、うん……ありがとう」
メアリーは黙々と鞘の使い方を理人に教える。理人は理人でただそれを覚えた。
それっきり会話は無くなってしまった。メアリーは壁際に立ち、理人は繰り返し刀の扱い方を復習していた……そんな時。
「よぉお二人さん! 仲良くイチャコラしてる……ようには見えねぇな」
自動ドアのロックが開き姿を見せたのはトレイターと桂であった。メアリーは無言で部屋の隅へと移動。代わりに二人が理人へと歩み寄る。
「休息は十分かね? 秋月君」
「ええ、まあ……元々疲れても居ませんけど」
「救世主という存在と接触するのは我々も……いや、人類史上初でね。対応が至らない部分もあると思う。その時は遠慮せずなんでも言ってくれたまえ。君はVIPなのだから」
眼鏡を光らせながら微笑む桂。そうして椅子を手繰り寄せ、ベッドに腰掛けている理人の前に自らも腰を下ろす。
「幾つか話をしよう。まずモーメントでの出来事だが……君が救世主の力を使った事により、観光客二十六名が死傷してしまった。これは大変痛ましい事だ。出来れば今後そのような事がないように振舞ってもらいたいのだが……それにも限度があるだろう。これは世界同士という規模の戦争なのだ。多少の人死には目を瞑られて然るべきだからね」
桂の言葉に理人は何も言わなかった。薄っすらと笑みを浮かべたいつも通りの表情で、一体何を考えているのかはこの場の誰にも理解出来ない事であった。
「君の殺人行為については今後一切免除される……これは日本国政府からの正式な通達だ。これで君は事実上、どこで誰を殺そうとも法により裁かれる事は無くなったわけだ」
「そうですか」
「次に、今の君の肉体について。先に幾つか検査を受けてもらったね。その結果と併せて説明しよう……トレイター、頼めるかい?」
ニヤリと笑うトレイター。そうして理人の隣に腰を下ろす。
「救世主についちゃ、ざっくり敵から聞いたんだろ? なので俺は補足だけさせてもらう」
先のモーメントでの出来事により、理人は眠っていた救世主の力を覚醒させた。それにより肉体には劇的な変化が起きている。
「まずお前は基本的に不死身になった。身体のどの部位を損失しようが速攻で再生可能だ。だが……これは次の話にも関わる事だが、お前にも急所と呼ぶべき場所がある」
救世主にはそれぞれ天使と契約を交わした部位というものが存在する。敵の救世主クエンの場合、契約に差し出した部位は右の眼球。契約部位には救世主の紋章、聖痕が浮かび上がる。
「救世主は何度ぶっ殺しても復活できるが、この契約部位を破壊された場合のみ完全にくたばっちまう。故にこの契約部位は絶対に敵には隠せ。逆に敵の救世主を殺すつもりなら、契約部位を暴きだし、その部分を破壊すればいい。だが……」
救世主が契約を交わした部位というものは、その時点でこの世界に依存しない存在となる。故にその部分を破壊するというのは並大抵の事では不可能である。
「拳銃で撃たれたくらいじゃなんともねーし、ダイナマイトでも傷つけられるかどうかって感じだろうな。敵の使う才っつー力でも完全破壊には時間がかかるだろうぜ。まあ要するに、救世主を殺すには救世主の力を使うのが一番ってこった」
「故に我々エスノ機関の基本戦術は、基本的に救世主同士による決戦をいかに効率よく、有利な展開に持ち込むかというこの一点に掛かっている」
敵の救世主を殺すと言ってもそこに至るまでにはかなりの壁がある。救世主が死んだら世界が滅ぶのだから、当然救世主には軍隊クラスの護衛がつく。エスノ機関がその障害を取り除くのは大前提。可能ならば相手の救世主にも打撃を与えておきたい。
更に敵救世主の能力、契約部位。異世界の文明や武装、特殊能力等等、事前に調べておくべき事は山ほどある。最終決着が救世主同士の力でしかつかないものだとしても、そこに至るまでに勝ちの目を増やしておくのがエスノ機関の至上目的である。
「でも、最初から救世主の力で敵の救世主を守りごと吹き飛ばしちゃ駄目なんですか?」
理人の疑問は最もである。なぜならば救世主の力は――その気になれば丸々一つ世界を滅ぼす事の出来る力だ。その片鱗を彼はモーメントで体験している。だが……。
「そいつは不可能だ。ああいや、可能ではある。だがやってはいけない禁じ手なのよ。まーその理由はそもそも救世主の力ってなんなのかしら? って部分に絡んでくるわけだ」
眉を潜めながら笑うトレイター。そうして理人の肩を抱き寄せる。
「いいかよく聞け。ここが大事なポイントだ。救世主の力といっても無制限に使えるわけじゃねえ。救世主の命が世界の存続を担っているように、救世主の力も世界の存続に関わっている。単刀直入に言うとだ。救世主の力の代償はこの世界の寿命なんだよ」
「世界の……寿命?」
「そもそもこの滅びのゲームは、既に滅びそうになっている世界同士が争うゲームだ。お前らのこの世界も、明日か一週間後か一ヵ月後か、それとも何十年か後かはわからんが、まあとにかく遠からず滅びるさだめにある。この遠からずってのは俺ら天使の概念でいうところの遠からずなので、お前らが生きてる間に滅ぶかどうかっつーのは微妙なところだけどな。んで、救世主の力を使うためには自分の帰属する世界の寿命を削る必要がある。どれくらいかっつーと、敵の世界を丸ごと滅ぼすような力を使うと、まんまお前の世界の寿命も使い尽くしちまう」
「つまり、敵を倒した瞬間こちらの世界も滅びてしまうって事?」
「あぁ、そういうこと。だからなるべく救世主の力は使わないに越した事はないぜ。ガンガン使うと世界の寿命が尽きてアウトになっちまうが、お前らは正確に自分の世界の残り寿命を把握してるわけじゃねえからな。あ、俺に聞いても無駄だぜ? 教えちゃいけないルールなの」
世界の寿命がどれだけ残っているのかわからないという事は、明日にでも世界が滅ぶかもしれない可能性があるという事。その場合、少しでも救世主の力を使えば世界は滅びてしまうという事になる。
この匙加減が現状わかっていないのだから、対処療法的に救世主の力を出し惜しむ事が求められる。尤もそれがどれだけの意味を持つのかは結果のみぞ知るところなのだが。
「救世主の力ってのはな、滅びの力なんだよ。お前がその身体に宿しているのは、本来この世界を滅ぼすに至る“因果”だ。それを敵にぶつけて倒すのが救世主。だが使えば使うほど自分の世界の滅びを手繰り寄せる事にもなる。諸刃の剣なんだよテメェは」
「故に、君になるべく力を使わせない為に我らエスノ機関がある。救世主の力が無ければ勝利する事は難しい、だが力を使う事も可能な限り避けたい……我々にはそのような複雑な意図がある。君には是非、その意図を汲んで行動して貰いたい」
桂はそう説明し、話を区切るように一息吐く。
「では続いて今君の身体がどうなっているのか、それから今後の君に対する保障についての話をしよう。それが終わったら君には四条学園の開放という任務に当たってもらいたい」
「四条学園はまだテロリスト……異世界人に占拠されたままなんですか?」
「その通りだ。君の学友も囚われたままで膠着状態が続いている。状況と作戦は追って説明するが、君の力が必要になるかもしれない」
「わかりました。じゃあ説明をお願いします」
「ありがとう。ではまず最も重要な案件について語っておこうか」
桂は優しく微笑んだ後、眼鏡のブリッジを押し上げながら言う。
「秋月理人君。救世主の力が宿った君の“部位”についてだが――」
「……クエン、外には出るなと言った筈だが?」
夜の闇に沈んだ町。それでも彼女らの世界よりはずっと光に満ち溢れている。四条学園の屋上にて東京の夜景を眺めるクエン、そこにヘイゼルが歩み寄る。
「この施設は完全に包囲されている。そんな所に立っていては狙撃の的だ」
学園の周辺は米軍と自衛隊の混合部隊により完全包囲されていた。構築されたバリケードの向こう側には無数の兵士が待機しており、装甲車や中継車が道を完全に封鎖している。
「そうですね。先ほど遠距離からの攻撃を受けました。ですがわたくしには無意味です」
振り返り、微笑みながらヘイゼルに分解された弾丸を手渡すクエン。男は溜息を零す。
「何故あんな事をした」
「あんな事とは?」
「とぼけるな。敵の救世主と会った事……そして奴を殺さなかった事だ」
クエンは救世主である。神が定めた世界の代行者だ。故に彼女の肉体は不死の性質を持つ。契約部位であるメシアの瞳を破壊されない限り、彼女が死ぬ事は決してない。
「さて、どうしてでしょうね。救世主と言う化け物に成り果てた自分を確かめたかったのかもしれません。この身体は本当に……既に人ではないのですよ、ヘイゼル」
「相手の救世主、お前なら簡単に殺せた筈だ。何故見逃した?」
まだ理人が力に覚醒していなかったあの瞬間こそ最大の好機であった。それをクエンはみすみす手放したのだ。あの瞬間決着がついていれば……ヘイゼルはそう考えずにいられない。
「ヘイゼル、この世界には沢山の……とてもとても沢山の人が生きています。彼らの明日を唐突に奪ってまで、我々は本当に存続すべきなのでしょうか」
「ならばお前は俺達を信じて送り出してくれた俺達の世界の人間は滅んでも良いというのか」
「そうではありません。どちらも滅んではいけないのです。この世界の人々も、我々の世界の人々も……なんとか救いたい。そう考えているだけです」
「甘すぎる。そんな事は不可能だ。馬鹿としか思えん」
「そうでしょうか? 例えば敗北世界の人間を勝利世界へと移民させるという手もあります。世界という枠は必ず減ってしまいますが、だからと言って中身まで滅ぶ道理はありません」
「この世界の人間全てを移動させるのは不可能だ。お前の言う通り、数があまりに多すぎる」
「でも救える人がゼロではないのなら……可能な限りの手を打っておきたいのです」
穏やかに微笑むクエン。ヘイゼルはその隣に立ち盛大に溜息を吐いた。
「お前は何も変わらないな……ガキの頃からずっとそんな綺麗事を語っている。お前は俺達の世界の命運を背負っているのだ。もっとその責を自覚してもらわねば……困る」
クエンは何も言わずに目を閉じた。そうして意図的に話題を切り替える。
「この施設に居た子供達はどうしていますか?」
「殺してはいない。今は大人しくしているしな。食事も与えた……お前の指示通りだ」
「不自由を強いてしまいますね……彼らには何の罪もないというのに……」
「その罪の無い命を俺達は最終的には奪うのだ。今も監禁している……だというのにお前は甘さを捨て切れない。その矛盾はいつか必ずお前に牙を剥くぞ」
「……もう、いわれなくてもわかっています。ヘイゼルは意地悪ですね」
「昔から何度も何度も言っているのにお前がわかろうとしないからだろう」
「わかっていますよ、ちゃんと。自分がどうしようもなく醜悪で矮小な人間だと言う事くらい」
救いたいと言いながら命を奪い、戦いたくないと言いながら攻め込んで行く。
まるでデタラメな心と身体はとうに乖離して久しく、最早クエン本人にも手の施しようがない常態にあった。夢を……ずっと夢を見ているのに、身体は自動的に現実を受けいれてしまう。それは彼女が過酷な戦いの中に身を置き続け、どうしようもない人生を送った結果だ。
「救いようも無く愚かですね、わたくしは」
ヘイゼルはそれを否定も肯定もしなかった。寂しげな沈黙に夜風が吹く。そこへ階段を上がってきたミサギが二人の背中に声をかけた。
「姫様、ヘイゼル! こっちの世界のお弁当すごく美味しいですよ! 食べましたか!?」
笑顔で走ってくるミサギ。ヘイゼルは肩を竦めクエンは笑みを浮かべる。
「ミサギ、ご苦労でしたね。ちゃんと全員に配っていただけましたか?」
「はい! 子供達にも配りました! でもやっぱり私達の事は怖がってるみたいです……」
「ヘイゼルがわたくしの命令を聞かず先走ったせいですね」
「……誰も殺さずに戦争に勝つなんて不可能に決まっているだろう、馬鹿が」
「済んでしまった事は責めません。しかし改めて命じます。ヘイゼル……この戦争、可能な限り死者を出さずに勝利を収めなさい。約束ですよ、今度こそ」
やはりヘイゼルは否定も肯定もしなかった。それでもクエンは優しく微笑む。
「兵達に交替で休息を。じきに相手も動き出すでしょう。その時が交渉の好機です」
「はいっ、姫様! ささ、足元に気をつけて下さいね!」
校舎の中へと消えるクエンとミサギの姿。ヘイゼルは振り返り、東京の街を睨む。
「……俺にはお前のように考える事は出来んよ、クエン」
彼にしてみれば……それは当たり前の事だが、ここは異質な世界であった。美しいだなんて感じる事は無い。ただ全てが……そう、この世界のすべてが敵そのものなのだ。
滅ぼして然るべきだし、そうしなければ何も守れない。故に男はこの世界を憎む。心の底から憎み続ける。そうする事でしか戦いには勝利出来ないと、経験が語っていたから……。