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救世のパラノイア  作者: 神宮寺飛鳥
モーメント・オブ・リヴァレーション
2/13

1-1

 教室に同時に湧き上がった悲鳴は、状況が異常である事を訴えかけていた。

 窓際に倒れた男子生徒が呻き声と共に流しているのは赤い血だ。どうやら背中に傷を負っているらしい。他の生徒は教室の一角に集められ、身震いしながら口々に悲鳴を上げている。

 どうしてこうなった? そんな言葉を誰もが脳裏に浮かべていた。

 事の発端はたった五分前。その日、四条学園二年B組の教室では現代国語の授業が行なわれていた。別段特別な事ではなく、全く持って時間割通りの催しであった。

 そもそもこの教室にやってきた生徒二十八名は全員いつも通りの日常を送っていたはずであった。流血とも悲鳴とも、当たり前のように縁遠い存在である……その筈だったのだ。

 突然の事であった。事態は唐突に急変する。教室に見覚えのない格好の大人達がどっと雪崩れ込んできたのだ。その数五名。教室の扉を蹴破り現れた男達に対する生徒の反応は希薄で、誰もが振り返り後ろ側の入り口に目を向けぽかーんとしていた。

 直後、男達の一人が腰から携えていた刃物を取り出し生徒達に指示したのである。教室の隅に固まって決して動くな、と……。

 生徒達はそれでも反応出来なかった。しかしどよめく教室の中、冷や汗を浮かべた教師が中尉に入った所で生徒達の考え方も一瞬で変わる。

 男は教師に向かって唐突に刃を振り下ろしたのだ。無言で、一切の警告もなく、である。

 教師は悲鳴も上げられないまま絶命した。その際に教室に振りまかれた彼の鮮血は生徒達に非現実的な現実を伝えるに十分なだけの効力を持っていたのだ。

 程なく子供達は教室の隅へと集められた。泣きじゃくる者、嘆く者、状況が理解出来ず放心している者……その中で一人教室から脱出を試みた者がいた。

 二年の教室は二階にある。飛び降りれば怪我はするかもしれないが、命に関わるほどの高さではなかった。ならば飛び降りて脱出したほうがまだマシだという彼の考えは理解出来る。幸いな事にその事に気付き行動したのは彼一人であり、そして犠牲者もまた一人で済んだ。

 逃亡を図った男子生徒が窓を開け放った瞬間、唐突に背中から出血が起こった。そしてばったりと倒れこむと同時、二度目の悲鳴が沸きあがったわけである。


「全員動くな。そこから妙な動きをすれば始末の順番が早まるだけだ」


 脅えきった生徒達に告げる男。そこへ女子生徒の一人が両手を上げたまま近づいていった。


「ねぇ、教えて。こんな事してなんだっていうの? 何の意味があるって?」

 男は女に刃を突きつける。だが女子生徒は怯まずに言葉を続けた。


「あなた達何者なの? どうして私達を襲うの?」

「ごちゃごちゃ喋るんじゃない。俺達は忙しいんだ。ガキの相手をしてる暇はない」

「よせ栗原! テロリストかなんかだろ、見りゃわかんだろが!」


 そんな女子生徒――栗原亮子の腕を背後から掴む男子生徒。彼は強引に亮子を手繰り寄せ教室の隅に戻した。


「浩一……放して! このままでいいわけないでしょ!?」

「いいわけねぇのはわかるけどよ、お前が行っても殺されるだけだろが!」


 亮子の言葉に天宮浩一は必死の形相で声をあげる。二人は親しい間柄――要するにカップルという関係にあった。故に浩一は亮子がこんな状況でも果敢に立ち向かってしまう、少々生存本能に難のある少女だという事を理解していた。


「せめて彼の治療をさせて! あんなに血が流れて……このままじゃ死んじゃう!」

「治療? その必要はない。死ぬなら所詮それまでだ」

「あなたね……人の命をなんだと思ってるの!?」


 浩一に背後から抑えられながらも叫ぶ亮子。男は苛立たしそうに舌打ちを一つ。


「お前らの命なんぞどうでもいい。俺達には俺達の正義がある。ただそれだけだ」

「何よ、テロリスト風情が偉そうに! この法治国家の日本でこんな事して……許されるとでも思ってるわけ!? 絶対に逃げ切れないわよ、あなた達!」


 相変わらず喚き続ける亮子。無視を決め込む男に教室の外から声をかける人物の姿があった。


「同志ヘイゼル、全ての教室の制圧が完了しました」

「大人は始末したな?」

「はい。生き残っているのは子供だけです」


 真っ先に教師を斬り殺した彼らの行いを思い返し青ざめる京子。彼らのやりとりは、要するに教職員は皆殺しにしたという事実を意味していた。


「それで、今後の対応は……? “姫様”は可能な限り無闇な殺生は控えよとの事でしたが」

「この馬鹿でかい施設の中にいる何百人ものガキを拉致するのは無理だ。ここで始末をつける」

「しかしそれでは姫様の命に背く事に……」

「現場の責任者は俺だ。姫様の手を煩わせる必要はない。全員殺すように伝達しろ」


 始末する、殺す――そんな言葉が聞こえた途端、教室に居る生徒達が喚き始めた。最早異常すぎる状況に恐怖は限界値を振り切り、理性的な行動など出来る状態にはなかった。


「殺すって……まだ殺すつもりなの!? そんな簡単に命を奪うだなんて!」

「よせよ亮子! マジでもう! マジでやめろって! ホントに殺されんぞ!」

「安心しろ、全員殺す。だが……そうだな。最初は女からだ。女は全員こっちに来い」

「女から殺すって、あなた本当に人間なの!?」

「可能性の問題だ。いいから来い。大人しく来なければこちらから行くぞ」


 刃を手に一歩踏み出す男。次の瞬間教室は完全なパニック状態に陥った。

 泣き喚き命乞いする女子。男子の中にはそんな女子を無理矢理突き出そうとする者もいた。とりあえず順番が女子からだとしたら、少しでも自分の死は遠のく……そんな理屈からだ。

 阿鼻叫喚の惨状は亮子一人の力ではどうにもならない。そんな彼女自身、最早理解不能な状況に胸が張り裂けそうであった。ずっと心配していた窓際に倒れている生徒が先ほどから動かなくなった事も、亮子の心を折るのに一役買っていた。


「ちょっと待った。殺すなら僕からにしてくれない?」


 そんな時だ。一人の少年が悠々と前に出たのは。


「理人……!?」

「バカ、何やってんだお前!」


 背後から慌てて声をかける亮子と浩一。その制止に耳を貸さず少年は躍り出る。


「なんだお前は?」

「秋月理人。普通の高校二年生……かな?」

「話を聞いていなかったのか? 俺は女から前に出ろと言ったぞ」

「顔立ちは整ってるからね。たまに女の子みたいって言われるけど……だめかな?」


 理人という少年はこの状況下においても笑顔のままであった。他の誰もが涙やら鼻水やら、穴という穴から体液を垂れ流しているというのに、彼だけは清涼潔白である。


「おい、何か感じるか?」


 男の声に背後で控えていた一人が前に出る。


「特に何も感じませんけど……」

「そうか。だがまあ、普通じゃない事は確かだな。度胸がありすぎる」


 刃を突きつける男。理人は両手をズボンのポケットに突っ込んだまま微笑んでいる。


「やめてぇっ! 理人逃げて! 逃げなさいったら!」

「僕が逃げたら亮子が最初に殺されるつもりだろ? それはよくないよ。僕がこうして最初に殺されれば、それだけ他の誰かが死ぬまでの時間稼ぎが出来るじゃない」

「お前こんな時までわけわかんねー事言ってんじゃねえよ! もうお腹いっぱいなんだよ!」

「まあとにかく……殺すなら僕からにしてくれるかな? お兄さん」


 目を細め微笑む理人。男は口元を僅かに歪め、刃を真上に振り上げた。


「いいだろう。これが“アタリ”なら俺達も万々歳で帰れるってもんだ――」

「だめ……だめぇえええええーーーーーっ!!」


 亮子の絶叫が響き渡った、正にその時。

 甲高い音が響くと同時、男が振り下ろそうとしていた刃が彼の手の中から跳ねた。剣は回転しながら壁に突き刺さり、男は咄嗟に身を翻す。

 銃声だ。聞こえたのは間違いなく銃声であった。教室の窓の向こうから銃撃があったのだ。割れた窓は丁度開いていた窓から飛び込んで来た弾丸は男の剣を撃ち、続けて男そのものを射殺しようと放たれた。だが男は屈んで攻撃を回避、他の襲撃者達も素早く身を潜める。


「対応が速い……予想されていたか?」

「ヘイゼル、一階の教室に敵が来てる!」

「応戦するように伝えろ。ガキは人質に使え」


 そんな会話のやり取りの途中である。突然窓から何かが投げ込まれた。

 次の瞬間閃光と劈く様な甲高い音が教室を満たした。襲撃者は勿論、生徒達もそのショックで身動きが取れなくなる。その僅かな隙に教室へと身を滑らせる者の姿があった。

 窓からふわりと教室へ着地したのは金髪の少女であった。衣服から彼女もまた四条学園の生徒であるという事がわかる。少女は一目散に教室の真ん中でよろめいている理人へと駆け寄りその手を握ると強引に窓際へと引っ張り出した。


「……っつぅ! やりやがったな……! こっち側の兵器か!」

「ヘイゼル!!」


 片腕で理人を抱きかかえたままの少女。男は歯軋りしつつ壁から刃を引き抜き、そのまま少女目掛けて襲い掛かった。

 振り下ろされた素早い一撃を少女は難なく片手で受け止める。握られていた刃は男が持っている物と同じ形状で、少女が元々腰から提げていた代物である。男の攻撃を理人を片手で抱きかかえたままいなし、少女は唐突に目を見開く。次の瞬間男の身体は背後に吹っ飛び、空を舞って壁へと激突した。


「ヘイゼル……!? 今の、まさか……!」


 次の瞬間少女は刃を鞘に納め理人を抱きかかえて教室を飛び出していた。文字通り、飛んで出たのである。空中で回転し姿勢を制御するとそのまま一階にある花壇の上に着地する。


「な、何……? どうなってるの?」

「いいから私にもっとくっついて。決して手を放さないで」


 小声で言い聞かせると、少女は弾かれるように駆け出した。少年とは言え男一人を抱えているとは思えない速力で、あっという間に校庭を突っ切り、封鎖されている校門を一息に飛び越え少女は学園からの離脱を果たした。

 その間も背後では断続的に銃声と爆発音――要するに戦闘の音が聞こえていたが、結局少女は一度たりとも振り返ることはなかった。理人は少女に所謂お姫様抱っこされた状態のまま身動きとれず、ただ運ばれるままに遠ざかる学園を眺めているしかなかった。




「それで、この車はどこに向かってるの?」


 何度目かわからない理人の質問。だが何度やっても同じ事、答えは返ってこなかった。

 学校から連れ出された理人は直ぐに目隠しをされた。そのまま学園付近に停車していたらしい車に乗せられたらしいという事は感覚で理解出来た。

 だがしかし車両がどこへ向かっているのか、そもそもなぜ理人を連れ出したのか、一切が謎のままであった。人は疑問にぶちあたった時、それを解決したがる生き物だ。付き纏う謎は重苦しい煙のように不快なものであり、可能ならそれを濯ぎたいと願うのは当然である。

 しかし理人の質問には誰も答えない。時間がどれくらい経過したのか、それすらわからない。少なくとも五分十分という時間の経過ではないだろう。目隠しをされているので時間を確認する方法はないが、感覚が麻痺するくらいには時が流れているはずだ。

 誰も質問に答える事はないのだと諦めた頃、車の揺れる感覚が少しだけ変わった。車両は停止しているのだが、車全体が地下へ向かって下がっているのだろう。要するにエレベーターに乗り込んだのだ。


「降りて」


 久方ぶりに耳にした少女の言葉と共に理人は外に出た。そこで漸く理人は目隠しを外され、自分が連れてこられた場所について逡巡する事になる。

 予想通りそこは地下であった。立っているのはエレベーターの上で、そのエレベーターは一つだけではなく幾つもその場所に広がっていた。エレベーターホール……いや、貨物搬入口という表現が近いか。一見すると倉庫のようなそこが、この地下施設の出入り口らしい。

 鉄がむき出しになった床の上を理人は少女に続いて歩く。少し進んだ所では黒いスーツ姿の男が煙草を咥えて佇んでおり、少女と理人がやってくるのを待っていた。


「そいつが秋月理人か?」


 がっしりとした体系で強面の男は声も相応であった。サングラスを外しながら鋭い眼光で理人を射抜く。少女はそれに一切怯む気配もなく無言でただ一度だけ頷いてみせた。


「支部長が待ってる。さっさと行くぞ」

「あのー、僕は……」

「うるせえ。質問は後にしろ。俺の口から言えるような事は何もねぇよ」


 一蹴された理人は大人しく口を閉じた。これ以上何か言っても無駄なのは明らかだ。

 少女と理人に男を加え三人が歩き出すと、二人を乗せてきた黒塗りの車はエレベーターで地上へと上がっていった。振り返りながらその様子を見ていた理人だが、男に急かされ歩き出す。

 搬入口から扉一枚で隔たれていたのは白塗りの通路であった。照明は足元に張り巡らされた物で、明らかに正規ではなく仮の取り付け品であった。露出した電灯が彼方此方に無造作に放り出されるように転がっており、配線も通路の隅でこんがらがっている。

 理人はその地下の通路を案内されるがままに歩き続けた。そうして辿り着いたのは支部長室と書かれた一つの部屋である。男はその部屋の扉の横に設置されているコンソールに近づいた。


「支部長、秋月理人を連れてきました」

『ご苦労だったね。中に入るように言ってくれたまえ』


 聞こえて来たのは掠れた男性の声であった。落ち着きのある優しそうな声にも聞こえるのだが、どこか感情の乗らない不気味さもある。男は一歩下がると理人の腕を掴み、強引に扉の前まで移動させた。


「入れ。そうすればわかる」


 背中を押され扉に倒れこみそうになるが、扉は自動的に左右へ開いた。つんのめったままの理人はそのまま部屋の中に踏み込む事になり、ゆっくりと顔を上げたその時だ。


「エスノ機関へようこそー! 待っていたよ、秋月理人!」


 クラッカーの弾ける音が聞こえた。呆然としている理人にカラフルな紙の切れ端が降り注ぐ。

 支部長室と書かれた部屋の中は不思議な空間であった。何も本を納めていない本棚が幾つか並び、部屋の彼方此方のは未開封のダンボール箱が散乱している。中央にあるデスク周りだけは一応実戦配備済みと言ったところだが、そのデスクの上には一人の少女が腰掛けていた。本来の主は正しい位置で座るべき物に座っている初老の男性だろう。だが真っ先に理人が目を向けたのはクラッカーを鳴らした少女の方であった。


「なんだよなんだよそのシケた面! 面白くねぇなあ。ここは笑うところだぜ?」


 少女だと判断したのはその容姿が幼く、そして美しかったからだ。長く伸びた銀色の髪。瞳は金色で、顔立ちは日本人離れしている……否、まるで作り物……彫像のような美しさがある。服装はタキシードで、頭の上には大きめのシルクハットが乗っていた。そんな服装なものだから少年なのかもしれないのだが、それは今の所理人にとってはどうでもよい事で。


「えっと……僕はどうしてここに呼ばれたの?」

「いきなり質問か。それはそれでスゲェな。まあいーや、教えてやれよ桂」


 少女は机の上から飛び降りシルクハットを胸に当てながら横に移動する。そうすると彼女の影に半分隠れていたこの部屋の本来の主の姿がよく見えた。

 白髪交じりの黒髪、顔に刻まれた皺、彼が初老の人間である事を表している。細身の身体を見覚えのない軍服で包み、穏やかな表情で理人を見つめていた。


「初めまして秋月君。突然の無礼を許して欲しい。私の名前は桂総一郎……ここ、“エスノ機関日本支部”を預かっている者だ。故に肩書きは支部長、という事になる」

「エスノ……機関?」

「未曾有の天災に対抗すべく日米合同で結成された特務機関だよ。数年前からここ、日本の東京で起こるであろう災害から人々を救う為、こつこつと準備を進めてきた。尤も、その災害が発生してしまった今なお、施設の完成度は三割程度という情けない体たらくだがね」

「その天災というのは?」

「“異世界からの侵略”だよ、秋月君。この世界は今、異世界からの侵略を受けている状態にある。君たちが居た四条学園を襲ったのも異世界人の尖兵なのだよ」


 突拍子もない言葉に理人は固まっていた。目をぱちくりさせる理人に苦笑を浮かべ、桂と呼ばれた男は立ち上がる。そうして背後で手を組みながら理人へと歩み寄る。


「……と、そんな事を突然言われても理解しろという方が難しいだろうがね。これは事実だ。このままではこの世界は異世界からの攻撃で大変な事になってしまう。大勢の人が死ぬ事になるだろう。それを防ぐ為に秋月君……君の力を貸して欲しいのだ」

「わかりました。僕はどうすればいいんですか?」


 理人の手を握り締めて微笑みながら語る桂。それに対し理人は本当にあっさり答えた。


「我々を信じてくれるのかね?」

「それはこれから決めますけど、とりあえず話を最後まで聞いてみようかと思って」

「実に君は聡明だね。では話を進めよう。これもまた唐突な話だがね、秋月君。君は実はこの世界を救う特別な力を持っているのだ。我々はそれを“救世主メシアの力”と呼んでいる。君にはその力を使い、異世界人を是非にも退けて欲しいのだよ」

「成程、わかりました。僕に出来るかどうかわかりませんけど、やってみます」


 再びあっさり答えた理人に場が沈黙する。流石に桂も驚いた様子だが、一方タキシードの少女の方は面白そうにニヤニヤと笑っていた。


「スゲェな。今の説明で普通二言返事でOKするか? お前バカなんじゃねぇの?」

「うーん、かもしれないね。それで君はなんなの?」

「俺か? 俺様はなぁ……“天使”だ。“天使牧者”のトレイター様だよ」

「僕は救世主で君は天使か。なるほどなあ」


 しみじみと頷く理人。トレイターは目を見開き、それから腹を抱えて笑い出す。


「おいおい、信じたのか? 俺様が天使だってよ!」

「違うの?」

「いいや、違わねぇよ。だけどまあこっちの世界に降りてきてから初対面の奴には必ず“お前なんかが天使なわけあるかバカ”って言われるんでな。新鮮な反応で嬉しかっただけださ」


 ゆっくりと歩み寄り理人の顔を覗き込むトレイター。


「俺とお前とは長い付き合いになる。宜しく頼むぜぇ、ブラザー?」


 目を細め口元を引き攣らせるようにして笑うトレイター。そのまま理人の頬に軽くキスをしてからウィンクを残しゆっくりと離れて行く。

「秋月君が何の問題もなく了承してくれたお陰で色々と手間が省けた。ついでなので紹介しておこう。そこの彼は坂東幹也。エスノ機関の諜報員兼戦闘員だ。そしてそちらの少女がメアリー・ホワイト。君直属の護衛という事になる」

「……チッ」


 桂に紹介された二人の内男は舌打ちでそっぽを向き、女の方は微動だにしない。理人はそんな二人に挟まれたままなんとも言えない表情を浮かべた。


「僕はもしかして歓迎されてないのかな?」

「そんな事はないさ。メアリー、彼を部屋に案内してやってくれ。坂東はここに残って次の行動について指示を出す。トレイター、それで構わないね?」

「あぁ……まー、色々と説明するにも準備が要るんだろ? テメェら人間はよ」


 肩を竦めるトレイター。メアリーは言われた通り理人の手を取り部屋を後にする。


「…………支部長、あれが本当にこの世界の救世主なんですか?」

「間違いないよ。トレイターがそう言っているのだからね」


 メアリーと理人が立ち去ったのを確認し坂東は桂に詰め寄る。不機嫌さを隠そうともしない坂東に対し、桂はいつも通り余裕のある表情で対応する。


「あんなガキに世界の命運が本当に握られていると……?」

「そうだ。彼がこの世界の存続を握っている。くれぐれも丁重に扱ってくれ」


 深々と溜息を吐きながら一歩身を引く坂東。それでも納得は行っていない。


「俺はそもそも、そこの自称天使って奴も信用しちゃいないんですがね」

「ハッ。ありきたりな反応過ぎていい加減飽きちまったぜ。テメェのそのクソみてぇな三文セリフはうんざりするくれぇ聞いてんだよ。小粋なジョークでも交えて面白おかしくしてみろや」

「トレイター、機嫌を直してくれ。彼はエスノ機関に入ったばかりだ。この世界を知らない」


 桂は笑顔だったが、その言葉には遠まわしに坂東を避難する意図があった。何も知らない人間が偉そうな口を利くな、と。実際そうだったかはともかく、坂東はそう受け取ったのだ。


「……いいでしょう。俺は国家に与えられた任務を果たすだけです。それがオカルトだろうが眉唾物の都市伝説だろうが代わりませんよ」

「素晴らしい心がけだ。その調子で異世界人という化け物も皆殺しにしてくれたまえ」


 睨み合う――桂は笑顔なので厳密には睨んでいないが――二人。と、そこへ突然けたたましい警報の音が鳴り響いた。


「侵入者か。早かったな」

「まさか既に異世界人が……? メアリーの奴尾行されたのか!?」

「いや。学園が襲われた事からも敵側には何らかの精度の高い索敵能力があると見て間違いないだろうね。恐らくメアリーが言っていた千里眼というやつだろう」


 ぼさぼさの短髪を掻き乱す坂東。桂は腕を組み、悠々と溜息を一つ。


「坂東、迎撃に当たってくれ。君も異世界人の現実を知る良い機会だろう。くれぐれも主要ブロックへの到達は阻止するように。間違っても救世主の部屋には近づけるな」

「……了解。発砲許可は?」

「そんなものエスノ機関にはない。自己判断で構わん。敵は殺しなさい」


 眉を潜める坂東。上着の下に潜ませていた拳銃を抜き、セーフティーを外しつつ走り出した。


「さてトレイター、君はどうする?」

「別にどうも? とりあえず見物はしてくるかな。色々と面白そうだ」


 欠伸を一つ。歩き出したトレイターは後ろ手を振る。桂が瞬きした時には既に部屋の中にトレイターの姿はなく、その痕跡は全てが消え去った後であった。

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