第三話
そんな風に、慎ましくも平穏な生活が続いた。クレアとルーチェの二人暮し。穏やかに進む村の時間。
けれど、それが贅沢な物だと思い知らされる時が来るなんて。
五月の静かな夜。特別な事なんて何もない、何時も通りの日だった。ルーチェはいつも通りにクレアに「おやすみ」を告げ、ベッドに横に入る。それだけだった。
今日という一日はそれで終わりになる筈だと、ルーチェは無意識に思い込んでいたのだ。
大きな間違いだった。
深夜に突然布団を剥がされたルーチェは、腹部に感じた衝撃で目を覚ました。
「……ぅ、ぐっ」
「黙れ、殺すぞ」
衝撃はすぐさま痛みに変わった。続いて襲ってきたのは恐怖だ。何せ人相の悪い男がルーチェを見下ろしていて、ナイフを首に突きつけて物騒な発言を噛ましてくれたからだ。
(何、一体何が。どういうこと? 何で私の家にこんな奴が。ひょっとして……どろぼう?)
男は、痛みと混乱する思考の所為で身動きの取れないルーチェにのしかかると、ロープで両腕を後手に縛り上げ、猿轡を噛ませた。手馴れている。とんでもない早業だった。
「よし、いいか。死にたくなければいう事を聞け。刃向かったら殺す。手間を取らせても殺す。いいな、理解できるな?」
ナイフで頬をぺちぺちと叩かれて、ルーチェはベッドの上で小刻みに顔を上下に動かし、了承の意思を伝えた。男は妙に座った目でこちらを見つめているが、ルーチェの様子に満足したのだろう。
ルーチェは後ろ髪を犬のリードのように掴まれ立ち上がらされると、男に促され震えながら足を進ませた。
何が起きているのか、誰かに教えて欲しかった。
(一体何が、いや何がって、泥棒が来たんだろうけど。そうだ、母さん。母さんは無事なの? 村の人も、どうしよう。私どうすればいいの?)
ルーチェの思考が再び混乱しかける。戦うべきか、一瞬そうも考えた。だがこの状況で動くのは危険だ。ルーチェは冷静さを取り戻した。少なくとも、クレアの無事を確認しなければならない。
部屋のドアは開きっぱなしだったので、ルーチェはそのまま進んだ。玄関前に来るとそこにはもう一人の男がいた。爬虫類の様な顔の男だった。クレアもそこにいた。
ぐったりとしていて、ルーチェと同じように拘束されていた。手を前で縛られている。顔面には殴られたような後があった。ルーチェもまた髪から手を離される代わりに蹴りを入れられ、同じように地面に倒れこんだ。ルーチェの視線に怒りが宿る。しかし、男達はそれには気が付かない。
彼らはまるで、単純作業を終えただけのような気楽さで会話を始めた。
「おい、上にはこいつ一人だったぜ」
「ご苦労さん、こっちは女一人だ」
「女か、こいつの母親か。他に家族はいないのか、父親は?」
「いないそうだ。猿轡かませる前に聞きだしたが、死んでるってよ。上の部屋も見たが、他には誰もいねぇよ」
「ならいい。この家はこれで終わりだな」
「合流してこいつら、押し込むぞ」
随分ふざけた会話だった。人の家に押し入っておきながら、よくも。ふざけるなよ。
ルーチェの怒りは静かに高まりきっていた。
こいつ等は手馴れている。多分、もう何度も繰り返してきた作業なんだろう。自分達を強者だと思いこんでいるのだろう。だが、それは大きな勘違いだ。
(あんた達より、私の方が強い)
猿轡の所為で声は出せない、けれど構わなかった。心の中で宣言して、ルーチェは意識を集中した。選択するのは精霊魔術。
特殊法則支配層に存在する「火霊」に精神を繋ぐと、一瞬にして精霊の意思を掌握し、ゲートから引き出した「魔力」というエネルギーを注ぎ込むことで、その存在を凝縮し強化する。
瞬く間に炎がルーチェの目の前に現れ、収束し、玄関前を照らしだす。
(絶対、逃がさない)
ルーチェは不自由な状態から立ち上がった。覚悟は決めていた。
こいつ等は絶対に逃がさない。少なくとも半殺しにはする。多分さっきの会話からしても、こいつ等にはもっと仲間がいる。少数の泥棒じゃない。夜盗だ。
逃がしたら、まずい。
ルーチェは火球を入り口扉から10cmも離れていない場所へと浮かばせた。突然の出来事に夜盗達が慌てふためく姿が瞳に映った。しかし火の精霊に精神を接続し、その荒ぶる心に多少なりとも影響されている今のルーチェにとって、彼らの姿は害虫にしか見えない。すなわち、容赦する必要性を感じない。
ルーチェは呟いた。声は上手く出せなかったが、精霊魔術の行使に発声はいらない。ルーチェと精霊を繋ぐパスはもう結ばれているのだから。
「びぃぶぇ(死ね)」
無慈悲な呟きと共に、夜盗達の絶叫が響いた。火球が一層激しく燃え上がり大きくなると、分裂して夜盗達の足を燃やしたのだ。醜い悲鳴が響いた。それを聞いて、ルーチェは決断を下す。
ルーチェに男達を殺すつもりはない。だが彼らの悲鳴は余りにも煩かった。その悲鳴は誘蛾灯になる可能性がある。それはあってはならない事だ。
ルーチェは更に火霊を操ると、夜盗達の喉を焼いた。
残酷な事をしている自覚はあった。だが、必要な処置だとも思っていた。そうして彼らが余り身動きをしなくなると、ルーチェは呆然と此方を眺めていたクレアを一瞥した。
(やめてよ母さん。私をそんな目で見ないでよ。他にどうしようも無かったじゃない)
ルーチェは精霊との接続を薄くする。思考が平時の物へと戻ってくる。クレアの目に強張りを見つけて、それが自分を責める視線に感じて、ルーチェは悲しい気分になった。だけど。
だけど、後悔なら後ですればいい。今ルーチェはするべき事をするべきだ。
大好きな人を守る為にも。
ルーチェはロープに縛らせた状態で母を立ち上がらせると、首を使って「ついてきて」という意思を伝えた。何度か繰り返すとクレアはその意思を汲み取って、ルーチェの後に続いた。
ルーチェがクレアを連れて台所に辿りつく。そのまま火霊を使い小さな明りを生み出すと、戸棚から後手で包丁を取り出した。包丁の置き場が高くないのが幸いした。刃が指に当って冷やりとしたが、何とか持つことに成功し、それを床に降ろすと、クレアもようやくルーチェの意思を理解したようだった。
前で両腕を縛られているクレアは、後出でしっかりと両腕を拘束されたルーチェよりも自由が利く。包丁を持つ事が出来るのだ。
包丁がクレアの手に渡る。それから数分後、ルーチェの腕の拘束はクレアの包丁によって切られた。ルーチェはそれを確認すると自由になった手で猿轡を外し、今度はその手でクレアの拘束を解いていく。
「……ふぅ。これで、ようやく逃げれるね。母さん、行こう」
「――待って、ルーチェ。待って。……私は母親として、謝らないといけないわ」
ようやく二人とも拘束が解けると、ルーチェは俯くクレアに手を差し出した。しかし返ってきたのは握り返す手ではなく、謝罪だ。どうして、なんでこのタイミングで?
(もしかして、もう、私と居たくない、とか?)
怖かった。ようやく人心地がついたこの時だからこそ、ルーチェの怯えは高まっていた。ルーチェの感じた怯え。それは「拒絶される恐怖」だ。
先ほどまでの、人を人とも思わないような思考は、もう出来なかった。ある種の勇ましい思考は、既に空の彼方に消えている。ルーチェは自分をクレアに「そんな人間」だと、思われたくなかった。
ルーチェは怯えながら、クレアの言葉の続きを待った。
「ごめんなさい、ルーチェ」
「どっ、どうしたの、母さん。今は急がないと、ね? 話は後で聞くから」
「いえ、後では駄目だわ。私は、私は自分の娘に何て事を……」
「……母さん?」
ルーチェの身体から、自然と力が抜けた。クレアは泣いていた。それでいて震えながら、優しい手でルーチェの事を抱きしめる。
「私が、私が守ってあげなきゃいけなかったのにっ! あんなこと、あんなことをさせてしまうなんて!」
「……いいんだよ、母さん。私は大丈夫。大丈夫だか」
「――大丈夫な訳ないじゃない!」
クレアはルーチェの言葉を遮ると、抱きしめる力を強くし、目を腫らしながら大きな声で怒鳴った。
「人を殺して、それがあんな屑でも、貴女の心が痛まない訳がないでしょう! 強がって、無理して、ばかよ。ほんとにばか。……何で、何でそんなに優しい子に育ったの!」
「……母さん、私は大丈夫」
「またっ、大丈夫な訳っ」
「お母さんがそう言ってくれるから、大丈夫なの」
ルーチェも抱きしめる力を強くした。
「私、いま良かったって凄く思ってる。興味本位で覚えた魔術が私たちを救える力で、本当に良かったと思ってる。もしもお母さんが死んじゃったら、それが一番怖い事だったの」
「ほんとう、ばかよ。貴女は」
「馬鹿でもいいよ。お母さんと一緒にいれるなら」
「……全く、どっちが母親か分かったもんじゃないわねっ」
そう言うとクレアは微笑んだ。顔にアザは残るが、綺麗な微笑みだった。それを見たルーチェの中に、力が湧くのを感じる。
「母さんは母さんでしょ。……さぁっ、いかないと! お話はここまでっ! 先ずは裏口から出て、人気のない方に逃げよう。あいつ等仲間がいるみたいなの」
「分かったわ。でも、村の人は大丈夫かしら。仲間がいるんじゃ」
落ち着くと、周りの状況が見えるようになる。外からは何時もと違う音が聞こえていた。それは悲鳴や、争いの音だ。
ルーチェは頭を横に振った。
「冷たいようだけど、今は私たちのことで精一杯だよ。……急ごう」
「……ええ。ごめんなさい」
ルーチェとクレアは立ち上がると、裏口から抜け出し森の中へと入り込んだ。正規の、獣道ですらない所から足を踏み入れた為に足場は最悪だったが、小走りで進んだ。
途中、火霊を使って明りをつけるべきかと悩んだが、クレアの意見で取りやめた。折角隠れ進んでいるのに、自分から目立つ必要はない。今夜は三日月で、月明りも強いとはいえないのだから。
二人は走った。夜の森は複雑で、怖い所だ。まるで世界に二人だけが取り残されて、魔物から逃げ惑っているようだ。そう思った。
その通りだった。
ひゅんっ、と、嫌な音が聞こえた。それと同時にクレアが地面に倒れこむ。ルーチェは慌ててクレアに駆け寄った。
「何、何がっ。母さん、母さん!」
ルーチェはクレアを揺すぶった。何度か揺すぶってようやく気づく。矢だ。矢がクレアの背中に突き刺さっている。深くまで刺さっているようだ。幸いにも意識はあるようだが、その所為でクレアは痛みに顔を歪めていた。
ひゅん。もう一度矢が飛んできた。「あぁっ!」ルーチェの左肩に矢が刺さった。
痛い。痛くて泣きそうだ。殴られた時も相当に痛かったが、この痛みはそんな物じゃない。それに何より。
(これじゃあ集中が、できないっ)
大問題だった。敵が来ている筈なのに、反撃の手段が封じられた。
ルーチェは自分に刺さった矢を引き抜こうと試みる。だが、無理だ。抜こうと力を入れると激痛が走る。自分じゃ抜けそうにない。
そうして痛みと戦っているルーチェの前に、森の暗がりから男が姿を現した。
「逃げてんじゃねぇよ。小さな魔術師さんよぉ」
まさに山賊といった風貌をした巨体ででっぷりとした髭面の男は、そう言うと二人に近づき、わざとルーチェの左肩を蹴った。衝撃で矢が折れたが、先端はより深く肩に突き刺さった。
「あぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴が漏れた。肩に斧をしょった山賊男は、ルーチェの苦しむ姿を見て笑っている。
「ったく、こんな辺鄙な村に魔術師がいるなんて思わなかったぜ。しかも手下が二人も返り討ちにあっちまうなんて、笑えねぇ」
やれやれといった風に両手を上向きで揺らして、山賊男は「なぁそう思うだろう?」と後方へと声を掛けた。その声と共に、何人もの男たちがぞろぞろと姿を見せる。
「……うそっ」
「残念ながら、嘘じゃねぇんだよなぁ。お嬢ちゃん」
山賊男はねったりとした笑みを見せる。ルーチェの絶望を的確に感じ取ったのだろう。嫌な笑みだった。そして言う。
「お母さんを助けたくないかい?」
そう言うと、山賊男は「自分にとって」素晴らしい提案を長々と語りだした。だが、ようやくすればそれは簡単な話だった。
こいつはルーチェに、大人しく奴隷となれ、といっているのだから。
この物騒な世界で、魔術師は有用だ。それも年若い少女となれば、尚更の話いい値段がつく。魔術師の女奴隷なんて希少品なのだ。
だから、母親を助けたければ、大人しくしていろ。それが山賊男の提案だった。
全く、ふざけた提案だ。
「そんなこと言っていいのかな。私、途中で反逆するかもしれないわ」
「安心しな。世の中には『調教』を専門にした人間が存在するんだよ。半年もあればお嬢ちゃんは有能な女奴隷に早変わりさ。どうだ、いい話だろう」
山賊男の手下達が「ぎゃははは」と下品な笑い声を上げた。ほんと、最悪だ。最悪すぎて泣けてくる。でも。
(でも、もう私には、これしかないのかもしれない)
ルーチェは歯をくいしばった。屈辱だ。だが、ルーチェの命とクレアの安全を保障するには、もうそれしかないのかもしれない。
結局は、母親の未来も明るくないに違いない。けれど、それをこっちが理解していると判断した上で、この男はそんな提案をしてきている。見た目より頭は回るのかもしれない。最悪だった。
「一応言っとくわ。代わりに母さんを解放しなさい」
「あんたが大人しく調教を受けた後ならな」
「……覚えておきなさい、例えどれだけ自我が壊れたって、母さんに手を出したその瞬間、あんた達の命はないわよ」
「覚えておくさ。――さぁ。お前ら、首輪をつけろ」
後ろで控えていた山賊男の手下が、鉄製の首輪を持ってルーチェに近づいてくる。ルーチェは諦めて目を瞑った。
茂みを掻き分ける音が、まるで死の宣告のように聞こえる。ただ手下達も、ルーチェの存在に怯えているのかもしれない。その歩みは遅い。いや、もしかしたら此方を怯えさせる為の演出なのかもしれない。どうでもいい事だ。
そうしてルーチェが絶望を受け入れようとしたその瞬間。
「――私の娘に触れるなぁぁぁっ!!!」
「ぐあぁっ!」
クレアが己に突き刺さっていた矢を武器に、手下の男に襲いかかった。
「……させないわ」
鬼気迫る表情のクレアが振りかざした矢は、深々と手下の首に突き刺さる。クレアはそのまま手下のベルトに吊り下げられていた短刀を奪い、更に手下に突き刺した。
「誰が、あんた達にくれてやるものですかっ!」
クレアが、吼えた。
自身の痛みなど感じていないかのように、クレアは走り出す。そして、山賊男に飛び掛った。
「ぁああああああああっ!!!」
「ちっ、馬鹿が」
肉を裂く嫌な音がして、血が飛び散った。「……嘘」とルーチェは呟く。身体から力が抜けて、膝から地面に崩れ落ちた。
クレアが、切られた。
裂ぱくの勢いを持って繰り出された短刀には、確かに迫力があった。だが、山賊男にとってはそれだけだったのだろう。返り討ちにされた。
腹と腕が裂かれていて、出血量は相当な物だ。素人目にも、もうクレアが助からないといけない事は明白だった。
「……嘘だ」
「くそっ、お前らっ! さっさとこいつをふんじばれ! いや、もういい殺せ!」
山賊男はその時、多分、正しい判断を下していた。
クレアを失ったルーチェは、首輪を失ったただの獣。彼らにとってもう、害にしかならない。「早急に始末しなければならない」という、その判断は恐らく間違っていない。
だが惜しむらくは。
「嘘だ」
その獣の存在が、彼ら程度では賄えない程に巨大だったという事だ。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁっ!!!」
ルーチェが叫んだ。絶叫だ。耳が裂けるのではないかという声量の、聞く者の胸を突き刺すような叫び。
ルーチェの身に纏う空気が、変わった。
風がルーチェを中心として逆巻いた。森の暗闇を照らす為の、夜盗達の持つ松明の火がルーチェの下へと奪われていく。暗闇の中で、ルーチェの周りだけが炎で照らされていた。炎は収束しつつ巨大化し、その層を厚くしながらうねりを上げてルーチェの身体を包み込む。まるで繭のようだった。幾重にも圧縮されて育まれた超高温の炎の繭。そんなものに包まれていながら、ルーチェは平然と身体を保ち、虚ろな視線を月に向けていた。
もしこの場に他の魔術師がいたのなら、驚いて言葉を失くしたに違いない。この現象は異常な量の魔力を与えられ、呼び寄せられた火霊が原因の「暴走」だ。だが、本来なら魔術師本人すら焼き尽くす筈の火霊は、まるで慈しむ様に炎の中でルーチェの身体を守っていた。普通ならありえない事だった。
夜盗の誰かが放った矢が、炎の繭に向かう。無駄だ。矢は繭に触れた瞬間、瞬時に消滅した。
「嘘だろ、おい……」
誰かが呆然と呟く。無理もない話だった。無様な悲鳴を上げて、何人もの夜盗が逃げ出そうとした。無駄だった。逃げ出した夜盗たちは、一人残らず炎の繭から延びた触手で消失した。
逃げ出さない者、腰が抜けて逃げ出せない者は、その後に触手に抱かれて消失した。
山賊男も後悔していただろう。逃げ出そうとした。けれどもそれは無駄な事だ。
「後に悔いるから、後悔」なのだから。
彼もやがて、塵一つ残さず消滅した。
世界が炎に包まれていく。何もかも飲み込んで、消し去っていく。
その日、森の一角が忽然と空き地になった。
そこには気絶する少女以外に、何一つ存在しなかった。




