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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ダンジリ様

掲載日:2026/10/16

 八月の初め、ひさしぶりに娘からLINEが来た。

「十月のお祭り、出ることになった!」

 絵文字が三つついていた。法被を着た猫と、太鼓と、きらきらした星である。


 娘の沙耶は、この春、河南地方の大学に入った。うちから新幹線と私鉄を乗り継いで四時間かかる。勉学にさしつかえが出るということで懇願され、ひとり暮らしを許可することにした。下宿は大学の裏手の古いアパートで、大家は一階に住む八十近いおばあさんだった。入学式のあと、おれは段ボールを三つ運びこみ、大家に菓子折りを渡し、娘の部屋に照明を取り付け、カーテンを吊って、その日のうちに帰ってきた。


「何の祭りだ」

「ダンジリ様」

「だんじり? あの山車を引っぱるやつか」

「ちがうちがう。ダンジリ様。こっちの地方の、由緒ある神様なんだって。山車とか、そんな危ないもの、ないよ」

 すぐに写真が来た。白地の着物に朱の襷、髪に赤い紐を編みこんだ娘が、同じ格好の女の子たちと頬を寄せて、指でハートを作っていた。

「私のアパートがある地区にも、自治会の組があってさ、学生も舞い子で出ていいんだって。友だちに誘われて申し込んでみたの。てか装束めっちゃかわいくない?」

 かわいいな、と返して、おれはスマホを置いた。それから、なんとなく気になって、もう一度手に取った。


 ダンジリ様、と打ちこむと、地元の観光協会のページが一番上に出た。

 三百年の伝統を誇る河南地方随一の奇祭、とある。毎年十月の三日間、その年選ばれた男性一人に、ダンジリ様が降りる。町じゅうの通りを止め、太鼓と鉦と踊りで、降りたダンジリ様をお迎えする。全国から五万人の見物客が訪れる。有料観覧席あり、一席一万二千円、ペア割あり。

 その下に、小さな字でこう書いてあった。

〈祭礼の最終日、ダンジリ様は舞い子のなかから、その年もっとも美しい娘をひとり、お召しになります〉

 お召しになります、だと。


 唐突にいやな予感がして、去年のことを調べた。

 地元の新聞のサイトに、去年の十月の記事が残っていた。

〈令和七年のお召し、和泉リコさん(19) ダンジリ様、看護学生をおえらびに〉

 祝賀の記事のようだった。笑顔の写真が実名つきで載っていた。

 和泉リコ、という名前で検索すると、インスタグラムのアカウントが出てきた。鍵はかかっていなかった。病院の実習着を着た写真、友だちとかき氷を食べている写真、成人式の前撮りの予約をしたという投稿。いちばん新しい投稿は、朱の襷の装束で、大型のビジョンの前に立ち、スマホを高く掲げて撮った自撮りだった。ビジョンには、彼女自身の顔が大きく映っていた。

〈選ばれました!!!! 人生でいちばん幸せ #ダンジリ様 #お選び #名誉〉

 コメントは四千件を超えていた。おめでとう。名誉やね。めっちゃ綺麗。お母さん泣いてるやろな。そこから下へ、日付が一日ずれたところから、お役目おつかれさまでした、が並びはじめる。おつかれさま。おつかれさまでした。そこに混じって、安らかにお眠りください、と書いてあった。


 投稿には、見物客が撮ったという動画のリンクが貼られていた。

 再生回数は八百万回を超えている。

 縦長の画面に、夕暮れの広場が映っていた。手前に人の頭がびっしりと並び、その向こうに白い布を敷いた祭壇があった。和泉リコらしき女性は、その前に膝をついていた。こちらを向いて、まだ笑っている。

 撮影者の男の声が、来るで、来るで、とささやいた。まわりで誰かが数を数えはじめ、それがたちまち広場じゅうの声になった。じゅう、きゅう、はち。

 画面の右から、神輿が入ってきた。神輿の上に、ふんどし一丁の男がひとり立っていた。頭には白い麻の袋をかぶっていて、目のところに穴が二つ、あいている。手に、身の丈ほどもある幅の広い牛刀を提げていた。

 さん、にい、いち。

 男は神輿を降り、ぺたぺたと、裸足で祭壇まで歩いた。歓声が上がった。男は牛刀を振りかぶった。

 ぜろ!

 がん、と鈍い金属音とともに刃が落ちて、和泉リコらしき白い装束の首から上が、画面の外へぽーんと消えていった。

 撮っている男が、うわ、やば、と言った。それから、ものすごい歓声と、拍手と、指笛になった。画面が揺れて、最後の三秒だけ、撮っている男の顔が映った。汗だくで、感極まって泣いていた。

「ダンジリ様、最高! 今年も見れてよかったぁ」

 おれは、スマホを伏せて机に置いた。手が震えていた。


 すぐ娘に電話をかけた。

「おい! ひとが死ぬ祭りだぞ」

「知ってる知ってる」

 娘は笑った。後ろで友だちの声がした。

「毎年ひとりでしょ。それも込みで、だいじな伝統なんだって。まあ、誰かひとり死ぬくらい、余裕余裕」

「余裕って、おまえ」

「だって舞い子だけで何千人もいるんだよ。去年の人なんか、インスタのフォロワー十万いたらしいし。あたしなんか」

 無理無理、と言いながら、娘の声はすこし弾んでいた。

「でもさ、選ばれたら、バズるよね」

「沙耶」

「冗談だって。じゃ、今から練習あるから」

 電話は切れた。

 台所で洗い物をしていた妻が、手を拭きながら振り向いた。

「あの子ももう大学生なんだから。好きにさせてあげたら」

「何を言ってるんだ。たかが祭りで、人が死ぬんだぞ」

「毎年ひとり、でしょ。何万人のうちのひとりよ。ボクシングのほうがよっぽど怖いわよ」

 妻はテレビをつけた。歌番組がはじまり、娘が推していると言っていたアイドルグループが登場すると、いっしょに歌い出した。


 そんなばかなことがあってたまるか。翌朝、おれは会社を休んで、電話をかけはじめた。

 最初は会場のある市役所だった。代表番号から観光振興課に回されて、若い男の声が出た。

「ダンジリ様の祭礼につきましては、市の主催ではございませんで」

「では、どこが」

「各地区組織の自主運営でございます」

「人が死ぬんですよ。毎年」

「はい。存じ上げております」

 男は、少しも声の調子を変えなかった。

「市といたしましては、観光振興の立場から、祭礼の円滑な実施にご協力させていただいております。昨年度の経済効果は、試算で四十二億円でございました」

「中止にできないんですか」

「市には、その権限がございません。止められるとすれば、道路の使用を許可している、警察でしょう」


 おれは次に、河南警察署にかけた。交通課の、年配の男が出た。

「道路の使用許可は、署長名で出しております」

「それを、今すぐ取り消してください」

「取り消しの基準はですね、交通の妨害でございまして」

 男は、手もとの紙を読み上げる口調になった。

「現に交通の妨害となるおそれはあるが、公益上または社会の慣習上やむを得ないものであると認められるとき。この場合、署長は、許可をしなければならない。法律でそう決まっとります」

「しなければならないんですか」

「はい。許可せないかんのですわ」

「人が死ぬ祭りなのに?」

「人がお亡くなりになるちゅうことは、それ自体が直接的には、交通の妨害には当たりませんので」

「確実に、誰かがひとり死ぬんです。もはや殺人でしょう」

「それやったら刑事課の所管になりますが」

 男は、ああ、と小さく声を漏らした。毎年、この時期になると同じ電話がかかってくるのだろう、という声だった。

「お祭りの間に起きたことは、参加者の自己責任ですので。刑事課のほうでも、毎年そのように」

 それから、当日の交通規制のご案内はホームページをご確認ください、と付け加えた。三日間、駅前から社までの大通りは、終日通行止めになるという。


 続けて娘の大学の学生課にかけたが、こちらはもっと短かった。

「学生の課外活動につきましては、本学は自主性を尊重しております」

「学生が、死ぬかもしれないんです」

「地域連携科目として、二単位が認定されます」

 おれにはもう何が何だかわからなかった。


 最後に、大家のおばあさんから聞き出した番号で、自治会長にかけた。

 しわがれた声で威勢のいい男だった。おれが名乗ると、ああ、沙耶ちゃんのお父さんか、と嬉しそうに言った。

「ええ子やで、あの子は。挨拶もできるし、練習も休まへんし。装束もよう似おうとる」

「その祭りのことで、お電話したんです。娘を外してもらえませんか」

「外す?」

「人が死ぬ祭りに、娘を出すわけにいきません」

 会長は、しばらく黙った。それから、子どもに言い聞かせるような声になった。

「お父さん。沙耶ちゃんは、もうここに住んどるんやで」

「下宿してるだけです」

「住んどるんやろ。住む、いうのはな、その土地の風習も、文化も、務めも、みな引き受けるいうことや。花代も、もう大家さんが沙耶ちゃんの分まで納めてくれとる」

「花代?」

「ダンジリ様へのお供えや。一軒五千円。払わん家は、まあ、おらへん」

 返答に詰まるおれに構わず、会長はまくしたてた。

「今年のダンジリ様はな、三丁目の酒屋の大将や。ええ人やで。わしも若い時分からようけ世話になっとる。あの人に降りはるんなら、間違いないわ」

 会長の声が、ふっと和らいだ。

「それにな、お父さん。もし選ばれたら、名誉なこっちゃ。こないに伝統のある祭りやでな」

 おれは何も答えず、電話を切った。手のひらが汗で濡れていた。


 それから毎晩、おれは沙耶に電話した。説得を試みても、これから練習だから、と言って毎回すぐ切られてしまい、話にならない。数日経ったところで、ブロックされてしまった。妻から、沙耶が怒っていると伝えられた。

 どうしたものか。寝つけずに、ダンジリ様のことを検索するだけの夜が続いたが、不安が募るばかりだった。


 祭りの最終日、おれは始発の新幹線に乗った。

 河南の駅前は、昼前にはもう人で埋まっていた。臨時列車が五分おきに着き、そのたびに改札から人が吐き出された。旅行会社の小旗を立てた団体がいた。大きなカメラを抱えた外国人の夫婦がいた。なまりのない標準語で、ここ三年連続で来てるんだよね、去年のは神だった、と得意げに話す若い男がいた。法被姿の青年たちが、改札の前で、ようこそ河南へ、と団扇を配っていた。おれも一本受け取った。団扇の裏には、地元の信用金庫の名前が刷ってあった。


 大通りには車が一台もなかった。かわりに両側に鉄パイプの観覧席が三段に組まれ、ござとクーラーボックスを持ちこんだ見物客が、隙間なく座っていた。焼きそばと、ベビーカステラと、ビールの匂いがした。誰もがスマホを構えていた。

 太鼓が鳴っていた。腹の底まで響く太鼓で、そこに鉦の音が細かく刻みこまれていく。白地に朱の襷の舞い子たちが、通りいっぱいに広がって踊っていた。一見して何人いるのか、とても数えられなかった。手を振り上げ、足を踏み鳴らし、くるりと回る。そのたびに観覧席から歓声が上がった。

 そのなかに、沙耶がいた。

 友だちと三人で、ひとつのスマホを高く掲げて、踊りながら自撮りをしていた。笑っていた。おれが名前を呼んでも、太鼓の音で届かない。近づこうとしたが、沙耶は舞い子の波に乗って流れていき、おれは反対に人波に押されて、すぐに見失ってしまった。


 しばらくして、山手にある社の鳥居の奥から、法螺貝が鳴った。

 太鼓がいっせいに止まった。観覧席のスピーカーから、地元のFM局のパーソナリティの声が響いた。

「お待たせしました! ダンジリ様のお出ましです! 令和八年、今年のダンジリ様は、三丁目、酒屋の大将、灰田トメキチさん!」

 鳥居の下から、裸の男がひとり出てきた。

 動画で見たのと寸分違わない光景が、はじまろうとしていた。


 男は、法被の若い衆が担ぐ神輿によじ登り、その上にすっくと立った。神輿が持ち上がった。五万人が、地鳴りのような声を上げた。

 神輿は、舞い子たちのあいだをゆっくりと練った。麻袋の男は、牛刀の切っ先を下に向けたまま、穴の奥から舞い子の顔をひとりずつ見下ろしていた。見下ろされた子は、両手で口を押さえて、きゃあ、と身をよじった。友だちが、その子の背中をばんばん叩いて笑った。

 神輿は、社の前の広場に入った。広場の正面に、大型のビジョンが据えてあった。舞い子たちが広場に流れこみ、輪になって神輿を囲んだ。太鼓が、また鳴りはじめた。今度は心臓の鼓動のように、徐々にスピードをあげていった。


 おれはあわてて、観覧席の端から、沙耶を探した。

 麻袋の男が、牛刀を持ち上げる。

 切っ先が、舞い子の輪をなぞるように、動いていく。

 そして、輪のいちばん内側にいる、ひとりの舞い子をまっすぐに指した。

 ビジョンが、その顔を大写しにする。朱の襷。赤い紐を編みこんだ髪の、若い女性。


 沙耶だった。

 広場が爆発した。

 歓声と、拍手と、指笛と、太鼓がいっぺんに鳴った。どこからか紙吹雪が舞った。誰かが、ばんざい、と叫び、それがたちまち広場じゅうに広がった。ばんざい、ばんざい、ばんざい。見物客のスマホが、何千台も、いっせいに沙耶のほうを向いた。

 沙耶は、友だちに抱きつかれていた。泣いていた。笑ってもいた。それから、スマホを高く掲げ、ビジョンに映る自分の顔を背にして、自撮りをした。画面をのぞきこむ娘の顔は、おれが一度も見たことのない顔だった。うっとりと、とろけるような顔。

 法被の男が二人、沙耶の両脇に立った。沙耶は、スマホを手にしたまま、二人に付き添われて、広場の奥へ歩いていった。白い布を敷いた祭壇があり、沙耶はその前に、膝をついた。こちらを向いて、まだ笑っていた。


 どこかで誰かが、数を数えはじめた。

 じゅう、きゅう、はち。

 それが広場じゅうの声になった。舞い子たちが狂ったように踊り、観覧席の見物客までが立ち上がって、手を振り上げ、足を踏み鳴らした。太鼓が割れんばかりに打ち鳴らされた。

 神輿が、祭壇の前に着いた。

 麻袋の男が、神輿を降りて、ぺたぺたと、裸足で歩いた。一歩歩くごとに、大歓声が上がった。

 おれは走った。おれが止めなければ、沙耶が、死ぬ。

 観覧席の柵を乗り越え、踊りの輪に飛びこんだ。肘がぶつかり、誰かの団扇が顔をはたいた。沙耶まで、あと十メートル。


 ぐっと強い力で、両腕を掴まれた。

 法被の男たちだった。四人ほど、おれの肩に、腰に、腕を回して羽交い締めにしている。汗と酒の匂いがした。いちばん年かさの男が、おれの顔の前に顔を突き出した。

「こら! よそ者が、邪魔すんなや! わいらの祭りやで!」

 まわりの見物客が、いっせいにスマホをこちらに向けていた。

「ちがう、聞いてくれ。あれは、おれの娘なんだ」

 男の目が一瞬、すこしだけ揺れたように見えた。

 それから男は、おれの肩を、ぽんぽんと二度、慰めるような、ねぎらうような手つきで叩いた。

「この祭りはな、毎年だれかが死ぬもんや、それに、みんな覚悟して参加しとる」

 そしておれの耳元に口を寄せ、声を落とした。

「……あんたんとこの娘のおかげで、うちの娘は今年、死なんで済んだわ。おおきにな」


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