自称乙女の手紙
「君がこれを読んでいるとき。
私は既に君の側にはいないだろう。
案ずるな。生きてはいる。
ただ、君の隣にいないだけだ。
もう稲は育っているかな。例年通りなら、青い葉が風に吹かれていっせいにたなびいている頃だろう。地獄の風もかくやの如き匂いを放つドブは今年は誰が綺麗にしたのかい。
まあ、そんなことはどうでもいい。
昨年、私は4両編成の電車に乗り、寂れた故郷を過去の町とすることを人知れず決心した。田んぼよりもビルに囲まれたい。刺激を求める若者としての本能に突き動かされた次第である。
両親に上京したいと伝えたとき。特に理由らしい理由もないことを馬鹿正直に打ち明けたら、呆れられ、このアホは崖から突き落とさなければならない子だと、かえって危機感を抱かせたらしい。のんびり鷹揚に構える子どもの尻を叩いて、むしろ追い出しにかかる勢いであった。
でも、7人家族でそこまでお金に余裕があるわけではないのに、わざわざ予備校のパンフレットを集めて何処かに通えと言われたときは少しだけ嬉しかった。
他の兄弟たちのことは此処では書かない。
多分、君の想像通りだと思う。
あいつらは素直じゃないのだ。思春期のツンデレを可愛いと思うには君はまだ人生経験が足りない。暴力とありとあらゆる罵詈雑言が飛び交う壮絶な兄弟げんかを読んでもさほど面白いとは思えないだろう。
ちなみに彼らは長女である私の拳の前にひれ伏した。後腐れが残るような下手は打ってないから安心してくれ。
ここまで家族との間に全く未練がないと、清々しい気持ちで旅立っていく清潔な、血気溢れる乙女像が浮かぶだろうが、実は一つだけ心残りがある。
それは君、の愛犬ノリちゃんと会えなくなることだ。
動物どころか生き物の持ち込み禁止令を出されている我が生活圏ではノリちゃんだけが癒しの毛玉だった。柴犬らしからぬ人懐っこい性格、中身の詰まったどっしりとした胴体、投げたボールを鼻先にぶつける鈍くささ、あの愛くるしさを持つ同等の存在が都会にいるとは思えない。
だから、君にも都心の大学を受けてもらおうかと考えたこともある。
もちろん、一時の気の迷いだから本気に受け取らないでおくれ。自分の我がままに人の大事を付き合わせることはしない人間であることは君もご存じのはずだ。
私の中にも感傷を覚えるほどの愛着が、この町のどこかにあったことの証明だと受け取って欲しい。今年一番の驚きである。まだ蝉も鳴いているじゃないか、とつっこむのは野暮なので止せ。
東京では目新しさゆえの驚きの連続だろうから、純粋な発見、という意味では一番なのだ。
本当に、都会の一人暮らしは初めての挑戦がたくさんだ。
まず、夜が明るい。そして狭い。私は目が良いのことが幼いころからの密かな自慢だったのだが、新天地では一等星しか見つけられないのだ。夏の大三角を探すのも難航を極めた。
残念だが、これは脇目もふらずに学業に努めるようにという一種の神の啓示だと受け取って前向きに頑張ろうと思う。
二つ目は人が多い。渋谷のスクランブル交差点で二回青信号が変わったら、町の人口を軽く超えるのではないかと思う。
そういえば最近町が村に変わったと聞いた。おめでとう。そこまで寂れるといっそ清々しさを感じる。
話を戻すが、しかも行きかう人々の全てが初対面の他人なのだ。
近所で買い物帰りに挨拶をしたら、怪訝そうな顔で見られた。相手が子どもだったら危なかった。君に不本意な形で近況報告することになるんだもの。それは避けたい。
昔馴染みの親友である君にはきちんとした形で伝えたかった。何も言わずに出ていった奴が何を言うかと問い詰めたいかもしれないがそれは少し横にしてくれ。
こちらにも言い分はある。
君は、私が東京に進学することをどうして黙っていたと憤慨しながら手紙を読み進めていたことだと思う。友情を感じているのが一方的でなければね。君も少しは動揺してくれたかしら。
大学生になったら何をしようかと厳しい受験勉強の中で、生き生きと将来への期待を臆面もなく語る君の隣で、一年も黙っていた私は卑怯な人間だった。一応、君の志望大学も受ける予定だったから、東京の学校が落ちていたらそんな未来もありえただろう。
でも、今、私は君の側を離れている。
もし、私が故郷を出ようとしたことに原因を探すなら、それは君。君にあるのだ。
好きな人がいるのだろう。
二つ上の先輩で君が今年入学した大学の同じ学部にいる、あの先輩だ。ニコリと笑って歯が白く輝く人なんて初めて見た。僻む気さえ起きないほどの爽やかさぶりは競争率が高そうだね。
知らないとでも思っていたか。残酷なことを告げるようだが、ノリちゃん以外の君の近しい存在は大抵知っていたと思う。ロック画面を選ぶときは無難な壁紙か写真をお進めする。
まあ、それがどう関係していたのかというとだ。
私が君を好きだったからだよ。
知らなかっただろう。冗談ではなく好きだった。もちろん、友愛じゃなくて恋愛である。
だからこの町を、いや君から離れたくて上京した。好きな人が好きな人に好いて貰おうと努力する姿を、素直に応援するにはまだ人ができていないのだ。
さんざん言っておいてなんだが、君は悪くない。
出来れば自分は同性にも魅力的に映る人物なのだと胸を張って欲しい。いや、張ってくれ。でないと困る。
一角の立派な人間になれたら帰る予定だから、そのつもりでいてくれ。
ちなみに親にも同じことを言ったらそれなら一生帰ってこなさそうだと厳しいお言葉をいただいた。子供が馬鹿正直なのは親が忖度という言葉を知らないせいである。蛙の子は蛙なのだ。
さて、ダラダラ続いたこの長い手紙もそろそろ締めようかと思う。
気の利いた言葉は思いつかないから簡潔かつ無難に終わらせる。文句は一切受け付けない。
さようなら。達者でな。」
私は臆病心に吹かれてついぞ出せなかった皺クチャの手紙を握りしめて迎え火に近づいた。剝き出しの脛が火照る。そして、誰もいない時を見計らってパチパチと景気よく爆ぜる藁の中へ、茶色の封筒を半分に破って放り込んだ。風で煽られた細かい紙屑も余すことなく火の中へ全て投げた。
紙はよく燃えた。




