タイトル未定2026/04/30 01:28
スーパーの仕事は、だいたい平和だ。
少なくとも、俺がこの店でアルバイトを始めるまではそう思っていた。
「いらっしゃいませー」
やる気のない声でそう言いながら、俺――相沢蓮、二十二歳はレジを打っていた。
大学は休学中。特に夢があるわけでもなく、生活費を稼ぐために駅前のスーパー「フレッシュマート西原店」で働いている。
勤務時間は朝九時から夕方五時まで。
レジ、品出し、清掃、時々クレーム対応。
仕事内容はシンプルだ。
だが、この店には妙にクセの強い客が多い。
「兄ちゃん、この半額シールもう一枚貼れない?」
「無理です」
「そこをなんとか」
「無理です」
毎日こんなのだ。
人類は思ったより半額に人生を懸けている。
「蓮くん」
後ろから声がした。
振り返ると、先輩の中野さんがいた。三十代前半、既婚、観察眼が異常に鋭い人だ。
「また顔死んでるよ」
「生きてます」
「なら大丈夫だね」
この人はすごい。
客の機嫌、店長の機嫌、商品の売れ筋まで全部なんとなく把握している。
スーパーの生態系の頂点みたいな人だった。
異変に気づいたのは昼過ぎだった。
品出しから戻ってきた高校生バイトの森が、妙に興奮した顔で俺のところへ来た。
「蓮さん、なんか怪しい客います」
「怪しい客?」
「黒い帽子に黒パーカーで、ずっと店内ぐるぐるしてるんすよ。買い物かごも持ってないし」
俺の中で、何かが反応した。
こういう話に弱い。
「どこにいる」
「なんでそんな食いつくんですか」
「いいから」
森が指さした先に、その男はいた。
三十代くらい。黒いキャップ、マスク、黒パーカー。
たしかに怪しい。
しかも落ち着きがない。
棚を見るふりをしながら、やたら周囲を気にしているように見える。
「……あるな」
「何がです?」
「事件の匂い」
「また始まった」
森は露骨に嫌そうな顔をした。
だが俺は見逃さない。
男はしばらく店内を回ったあと、レジへ向かった。
俺の列だった。
来た。
心臓が少しうるさい。
「お願いします」
低い声だった。
商品を通す。
ガムテープ。
油性ペン。
軍手。
ここまではアウト寄り。
だが続いて、
色画用紙。
折り紙。
モール。
「……ん?」
俺の脳内で組み立てていた犯罪ストーリーが崩れ始めた。
すると男が苦笑した。
「娘の誕生日で」
「え?」
「工作セット買ってこいって言われたんですけど、何買えばいいか分からなくて」
男はスマホ画面を見せた。
小さな女の子の写真と、「パパこれ買ってね!」というメッセージ。
俺は一瞬で自分の推理を墓に埋めたくなった。
「飾り付けも頼まれてて」
「あ……そうなんですね」
「こういうの苦手で」
男は少し照れくさそうに笑った。
ものすごく普通の父親だった。
「ありがとうございました」
男は去っていった。
沈黙。
横から森が小声で言う。
「監禁じゃなかったですね」
「黙れ」
「証拠隠滅でもなかった」
「黙れって」
後ろで中野さんが肩を震わせていた。
笑っている。
「蓮くん」
「はい……」
「ほんと面白いね」
「褒めてないですよね」
「うん」
知ってた。
俺はため息をついた。
きっと俺は向いていない。
探偵にも、推理にも。
だが、その日の退勤五分前。
また一人の客がレジに並んだ。
女性。帽子、サングラス、大きなバッグ。
商品を見て、俺は止まった。
漂白剤。
ゴム手袋。
ビニール袋。
大量のタオル。
「……」
俺はゆっくり中野さんを見た。
中野さんも俺を見た。
「蓮くん」
「はい」
「今度はちょっとだけ怪しいかもね」
「ですよね?」
森までこちらを見ている。
三人で同じ客を見るという、接客としては最低な構図だった。
女性は何も知らずに会計を待っている。
退勤まで、あと四分。
たぶん今日も、最後まで平和とは言い切れない。




