第88話 秦河勝の塩作り
秦河勝は、浪速の港から小舟で西へ向かった。
最初は穏やか船出であったが、やがて嵐となり、転覆する恐れがあることから荷物を海に捨てた。
必死に舟にしがみつき、やがて播磨の赤穂の浜に打ち上げられた。
赤穂の人々は優しかった。
見ず知らずの秦河勝に食べ物などを提供してくれた。
味方になってくれそうだと思った河勝は、蘇我氏に追われている旨を打ち明けた。
すると、誰言うとなく「生島」の小屋に住めばいいと囁かれた。
生島とは、赤穂の坂越から百間(180メートル)の所にある無人島である。
秦河勝はその提案に乗り生島へ移り住んだ。
赤穂の人々は、生島に移った秦河勝に交代で、食料や衣類など提供した。
思いがけないもてなしに感謝した河勝は、赤穂の人々にある技術を提供した。
それは塩作りである。
それまでの塩作りは、海藻を採取し、大きな瓶に布を張り、そこに乾燥した海藻を置き、その上から海水を何度もかけて蒸発させ、濃度の濃いかんすいを煮て塩を取り出すやり方だった。だが、量は少なかった。
河勝は、海藻を使わず浜の砂を使う塩田法を伝授した。
効果はてきめん、塩の生産量は百倍に伸びた。
赤穂の人々は、秦河勝を神として崇め、生島に社を建てた。
大闢(大避)神社である。
この神社で年に一回「坂越の船祭り」という祭礼がある。
その後千数百年に渡って執り行われて行く祭礼とは、12艘の船が一列になって、坂越から生島まで行き、また坂越へ戻るだけだが、重要なのは12という数字だ。
これはヤコブの子、12支族を表している。




