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第87話 蘇我氏の陰謀

1年後(西暦608年)「小野(おのの)妹子(いもこ)」が(ずい)から帰ってきた。

1回目の(けん)隋使(ずいし)と違い皇帝「(よう)(だい)」に謁見できたばかりではなく、勅使まで連れ帰った。

(うまや)()皇子(のみこ)(はた)(かわ)(かつ)は大いに喜んだ。

これによって、隋と対等な関係を築けたばかりでなく、隋の優れた文化を学ぶことができる。

しかし、蘇我馬子(そがのうまこ)は逆だった。

あまりにも厩戸皇子と秦河勝の改革が上手くいきすぎて、蘇我氏の思い通りの国の運営ができなくなった。

何よりネストリウス派キリスト教の布教が困難になってしまった。

とうとう蘇我馬子は、利用しようとした厩戸皇子を排除するように動き出したのである。

小野妹子が帰国して14年が過ぎたころ、蘇我馬子はその地位を息子の「蘇我蝦夷(そがのえみし)」に譲っていた。

度重なる蘇我氏の嫌がらせに厩戸皇子も斑鳩(いかるが)で過ごすことが多くなった2月のことである。

蘇我蝦夷から酒が贈られてきた。

だが、それは珍しいことではない。

月に一度は必ず贈られてきた。

当然、使者に返礼品を持たせ、贈られた酒には手を付けなかったが、その日はあまりの寒さに酒を飲みたい気分だった。

飲むまいと誓った蘇我の酒だが、妻の「カシワデノイラツメ」と共に飲んだ。

そして、床についたが、朝方急に吐き気がしたかと思ったら、嘔吐を繰り返し息絶えた。

明らかに酒に毒が入っていたと思われるが、酒を飲んだ直後ではなかったため、食あたりで亡くなったことにされてしまった。

ちなみに、妻のカシワデノイラツメも同時に亡くなった。

驚いたのは秦河勝である。河勝は全てを悟った。

そして、6人の息子を呼び、

「昨日、厩戸皇子様が亡くなられた。状況からして蝦夷の毒殺であることは間違いない。次は私だ。近いうちに私に刺客が来るだろう。こうなることはある程度予想はしていた。私は深く国政に関わりすぎた。秦一族が1300年前(紀元前8世紀)、イスラエルから、旅立つとき誓った『決して移住国の国政の先頭に立ってはならない』を破ってしまった。幸い責任は大仁(だいじん)(冠位十二階の上から3番目)としての私個人にかけられよう。よいか今後国政の先頭に立ってはならぬ。秦一族の宗家も私で終わりにする。お前たちはこの国を陰から支えよ。私は瀬戸内海を、西に逃げる。蘇我氏に悟られないようにせよ」

河勝は、浪速(なにわ)の港に行く前に、同族の「中臣(なかとみ)御食子(みけこ)」の住む山科(やましな)を訪ねた。

中臣氏は、レビ族の中興の祖モーセの兄アロンの末裔「コヘネ」である。

(おう)(じん)天皇よりヤマトの神官を仰せつかった関係で「鹿島神宮」や「伊勢神宮」の神官も務めた。

今ではレビ族の神事はほとんど行わずヤマトの神官に専念していた。

「コヘネ殿、久しいのう。そなたも厩戸皇子が亡くなられたことは知っておろう。これは由々しき事態だ。ヤマトの神道が崩壊の危機にある。我々がこのヤマトに安住するためには、ニニギ殿から続く天皇の血統と国教ともいえる神道を守ることが必須条件であることはご存知であろう。これも、厩戸皇子の父君、(よう)(めい)天皇より蘇我氏の血が皇室に混じったことに起因している。皇室から蘇我氏の血を排除することが急務だ。幸い推古天皇も直系である「田村(たむら)皇子(のみこ)(じょ)(めい)天皇)」に譲位される決断をした。コヘネ殿、私は追われる身となってしまった。そなたしかいないのだ。皇室と神道、そしてヤマトの国を守ってくれ」

「河勝殿、私をコヘネとお呼びになるのは河勝殿だけになりましたな。私も今の事態を危惧しておりました。お任せください、できる限りのことはいたします」


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