第74話 漢帝国の憂鬱
そんなローマにせっせとシルクを売った弓月国は、とんでもなく裕福かといえばそうでもない。
それは、漢王朝と共通の問題を抱えていたからだ。
項羽との楚漢戦争に勝利した劉邦は「高祖」を冠し、初代漢王朝の皇帝になった。
とは言っても農民あがりの高祖劉邦は政治のイロハも知らなかった。
そこで腹心の蕭何がかつて秦の文官をしていたおりのつてで、秦に勤めていた文官を数十人雇った。
その中にはレビ一族の文官も混じっていた。
レビ一族の文官は李斯が作り上げた統治方法「郡県制」を見直し、新たに「郡国制」を提案した。
郡県制は非の打ち所がない完璧な統治方法だ。
しかし、導入が急だったため、各地で民衆の不満が高まり、元々あった各地の国が次々に再興した。
その地を前の郡県制へ移行するより、国として認め、首都の周辺のみ郡県制を採用した方が民衆の支持を得やすいと思ったからだ。
やがて、漢王朝が平穏を取り戻した矢先、高祖劉邦が匈奴の「冒頓単于」に捕まってしまった。
「頼む。命だけは助けてくれ。毎年山のような貢物を贈るゆえ」
高祖劉邦得意の泣き落としで命だけは無事だったが、漢は匈奴の属国扱いになり下がってしまった。
匈奴が攻め込んだのは、漢帝国だけではない。
弓月国にも攻め込んできたのだ。
漢より軍事力が劣る弓月国は、王の胡苑が直接交渉にあたり、生産されたシルクの半分を、毎年貢物として献上する約束をした。
そもそも匈奴はなぜそんなに強いのだろう。
それは馬を使いこなしているからにほかならない。
匈奴は遊牧民である。
羊やヤギを大量に飼い、大草原を移動するのにどうしても馬は欠かせない。
匈奴にとって馬は自らの足よりも大事な存在なのだ。
ゆえに馬も鍛えられたいい馬がたくさんいた。
漢王朝もそれに気づいていた。
しかし、匈奴の馬を超える名馬が見つからなかった。
そんな日々が数年続いたある日、漢の首都「長安」に弓月国から使者がやってきた。
「高祖劉邦様におかれましては、ご機嫌麗しく恐悦至極に存じます。我が弓月国の胡苑王から絹30反を贈ります。どうかお受け取り下さい。その上で一つお願いがございます。我が弓月国は、度重なる匈奴の侵入を受けて困っております。これを打破するには、匈奴に負けない軍隊と匈奴の馬を凌ぐ名馬が必要かと存じます。残念ながら弓月国には両方ありません。ですが、パルティア国において血のような汗を流し一日に千里(4百キロ)を走る『汗血馬』と言う名馬を手に入れて参りました。少々値は張りますが購入頂けるとあれば、そちらの要望の数を手に入れて参ります」
高祖劉邦は小躍りするほど喜んだ。
弓月国の使者に抱き着き、汗血馬まで案内させると、馬をなで、顔に頬ずりし、しまいには乗りたいとせがんだ。
さすがに取り巻きは制したが、百頭の約定は成立させた。
だが一度に百頭は無理だったが、少しずつパルティアから汗血馬を仕入れて漢へ届けた。




