第72話 ハンニバルとスキピオ
秦が滅び、漢になったちょうどそのころ、この世界の西の端ローマの北のアルプス山脈で、レビ一族と同じセム系のフェニキア人「ハンニバル」がローマに通じる道を眺めながら感慨に浸っていた。
5百年前(紀元前8世紀)、アッシリアに攻め込まれ我々レビ一族の住む北イスラエル、アラム、そしてフェニキアのセム系三種族の国々は、世界に離散した。
それまで地中海を制していたフェニキアは二手に分かれて地中海の西へ逃げた。
行きついた先は都市国家「アテネ」、そしてもう一つは「カルタゴ」だった。
数ある地中海の港の中でなぜカルタゴだったのかといえば、それは「シチリア島」のそばだったからに他ならない。
シチリア島は土地が肥えていて、小麦などの栽培に適したところだ。
その小麦を船に積み込み、地中海中に売り歩いたカルタゴは巨万の富を得ていた。
そのシチリア島を我が物にしようと狙っている国がある。
隣国ローマである。
ローマの土地は石灰岩が露出する山間部が多く、作物を栽培するのに適さない地質だ。
ゆえに喉から手が出るほどシチリア島がほしかった。
ローマは「ラテン人」の国である。
しかし、フェニキア人がカルタゴに定住し始めた5百年前(紀元前13世紀)。
このローマの地には「エトルリア人」が住んでいた。
エトルリア人は「エトルリアアーチ」に代表される優れた土木技術を持つ文明人だった。
そこへ、倒した敵の肉を食らうと噂されるラテン人が攻めてきた。
戦いは長期に渡ったが、武力に優るラテン人が勝利した。
ラテン人は支配したエトルリア人から技術を学び、やがてエトルリア文明を凌駕した。
それから数百年が過ぎると、ラテン人の中で貴族階級が生まれ、貴族3百人が「元老院」を形成してローマの政治を執り行った。
元老院が指揮する共和制ローマは、シチリア島を取るため度々カルタゴを攻めた。
しかし、海戦であったため、船の性能と操船技術が優るカルタゴに軍配があがった。
だが、ラテン人は学んだ。
エトルリア人から文明を吸収したように、フェニキア人から造船技術と操船技術を吸収し、やがてフェニキアの船を凌駕する船を作り上げた。
その船で大船団を形成したローマ軍は、50年前(紀元前3世紀)シチリア島に上陸した。
第一次「ポエニ戦争」である。
ちなみに「ポエニ」はラテン語である。
文字にすると「Phoenician」となる。
ラテン語は母音読みをするので「Pho」で「ポ」、「e」で「エ」、「ni」で「ニ」となるわけだ。
お気づきだと思うが対戦相手のカルタゴに読ませると「フェニキアン」となる。
領土を奪われたカルタゴは、指をくわえて見ているだけではなかった。
何度もシチリア島へ兵を派遣し、奪い返そうとしたが、鉄壁なローマ軍の前に歯が立たなかった。
シチリア島への正面突破をあきらめたカルタゴは、イベリア半島にあるカルタゴの植民都市「カルタゴノウァ」にいる一人の男に命運を託した。
その男の名はハンニバル、カルタゴ最強の将軍である。
ハンニバルは37頭のアフリカ象を含む20万の大軍で地中海沿岸を東へ進み、不可能と言われたアルプスの山越えを敢行した。
不意をつかれたローマはなすすべを失い、ハンニバルは連戦連勝を極めた。
そして、目の前にローマの都市を見定め、いよいよ攻めかかろうとした矢先、カルタゴから帰還命令が発令された。
ローマの将軍「スキピオ」がローマでハンニバルを迎え撃つのではなく、逆にがら空きになったカルタゴを取りに行ったのである。
後手に回ったハンニバルは善戦したが、負けてしまった。




