第70話 ヤマトタケル
3百年の年月が過ぎた。
天皇家も12代景行天皇の御代になった。
景行天皇は子沢山だった。
十人の妃に80人の子息がいる。
その80人の子息の中でも長男の「オオウス」を大変気に入っていた。
ある時、景行天皇はオオウスに対して「エヒメ」という美しい娘を妃にしたいから迎えに行ってくれと命じられた。
オオウスは支度を整えて迎えに行ったが、エヒメに一目惚れをしてしまった。
そして、こともあろうにエヒメを自分の妃にしてしまい、景行天皇にはエヒメの侍女を送った。
しかし、景行天皇はエヒメの顔を知っていたのだ。
怒り狂った景行天皇はオオウスの弟の「ヤマトタケル」にオオウスを連れ戻すよう命じた。
7日後「お連れしました」と帰ってきたヤマトタケルだったが、オオウス本人ではなく、オオウスの生首だった。
「ワシは連れ戻せと言ったが、殺せと言った覚えはない」
カンカンに怒った景行天皇だが、急にヤマトタケルが怖くなった。
こいつは傍に置いとけないと思った景行天皇はかねてから懸案だった九州の熊襲征伐をヤマトタケルに命じた。
兄と言い争いになり、兄が切りかかってきたので、防戦したまでで、殺さなかったら、殺されていたヤマトタケルにとって、父の命令は納得がいかなかった。
熊襲へ旅立つ前、伊勢にいる叔母の「ヤマトヒメ」の下に立ち寄った。
ヤマトヒメは、サルタヒコとアメノウズメ夫婦の末裔である。
熊野で神武天皇を助けたタカクラジとの、出会いをきっかけに、天皇家と伊勢のつながりは密になった。
ヤマトヒメは、ヤマトタケルの来訪を大変喜んだ。
そして、熊襲征伐に向かうと聞いたヤマトヒメは、ヤマトタケルに娘の着る着物と短刀を渡した。
ヤマトヒメはヤマトタケルがきゃしゃで美しい顔立ちだったので、いくつになっても娘のように接していた。
いつものことなので、丁寧に礼を言って熊襲に向かった。
熊襲へ着いたヤマトタケルだが、どのように攻めるか悩んでいた。
時はすでに夕方だ。
熊襲の館を建て直したらしく祝いの宴の準備中だった。
ヤマトタケルは叔母からもらった女物の着物を見ながらいい案を思いついた。
ヤマトタケルは、みずら(両耳の脇で髪を結わく髪型)をほどき叔母からもらった着物を着て、酌婦として館に侵入した。
男ではあったが、どう見ても美しい娘にしか見えないヤマトタケルは、すぐに、頭領の「熊襲タケル」に気に入られ、そばに来て酌をするように促された。
右手に持った盃で酒を受け、左手を伸ばしてヤマトタケルの胸に手を入れようとした瞬間、ヤマトタケルは持っていた徳利の酒を熊襲タケルの目にかけ、さらに持っていた短刀で熊襲タケルの胸を刺した。
慌てふためく熊襲の民だったが、ヤマトタケルに切りかかろうとしたその時、外に待機していた、武内宿祢の兵がなだれ込んだ。
半日も経っていない。
その後も九州や出雲で、歯向かう豪族を次々に滅ぼした。
3ヶ月の後、ヤマトへ帰ったヤマトタケルは景行天皇に帰朝報告したが、景行天皇はさらに恐怖が増してしまう。
景行天皇はさらに東方の従わない豪族の征伐を命じた。
「父は私が嫌いなのか?」
景行天皇から、さらなる試練ともいうべき東方征伐。
ヤマトタケルは打ちひしがれて、再び伊勢のヤマトヒメを訪ねた。
「いらっしゃい、ヤマトタケル。話は聞いたわ。東方征伐に行くそうね? これを持っていきなさい。天叢雲剣よ。初代神武天皇から預かってほしいと言われた剣よ。きっとあなたの役にたつわ。それから紹介したい人がいるの。入ってらっしゃい」
「初めまして、ミヤズヒメと申します」
ヤマトタケルは、叔母の真意を理解した。
東方征伐は、過酷を極める。
もしものことが起こるかもしれないから、独身のままでは、気の毒と思ったに違いない。
ヤマトタケルとミヤズヒメは、その日の夜に契りを結んだ。
翌日、ヤマトで最も強い葛城氏が合流した。
葛城氏は徐福が連れてきた、5百人の童の末裔だ。
十日後、東方で最大の勢力を持つ相模国との戦いになった。
相模国の館にほど近い野原で対峙したが、折からの向かい風を利用され、枯れた野草に火をつけられた。
強い風に、火は瞬く間に燃え広がり、ヤマトタケルは死を覚悟した。
しかし、腰に差した天叢雲剣を思い出し、身近な草を薙ぎ倒した。
火はヤマトタケルの直前で鎮火した。
これ以降、天叢雲剣は草薙剣と呼ばれるようになった。
その後は、葛城氏によって相模国が平定された。
東方征伐を無事終えたヤマトタケルは伊勢により草薙剣を返した。
そして、ミヤズヒメの下に行ったらミヤズヒメは泣いていた。
なんでも尾張に住む大猪に弟が殺されたというのだ。
ヤマトタケルはすぐさま尾張に駆けつけたが、大猪の返り討ちにあい、亡くなってしまった。
景行天皇は嘆き悲しまれ、ミヤズヒメとの間に出来た男の子を、14代仲哀天皇にした。
仲哀天皇が即位したころ、数年に一度往復している弓月国の使者から、悲痛な知らせが入ってきた。
応対した武内宿祢は、仲哀天皇に、
「帝。ご存じとは思いますが、我が一族は中華の西の弓月国で暮らしております。知らせによると、魏の曹操にさかんに攻められ限界が近いとのことです。ヤマトへの移住をお認め下さい」
仲哀天皇はニニギから代々伝わる伝言を聞いていたので、快く了解した。




