第64話 ウガヤフキアエズ
数ヵ月の時が過ぎ、あれほど争っていた。隼人族と日向族は、仲よく畑を耕していた。
そんな矢先、突然、トヨタマヒメが訪ねてきた。
「山幸彦様。あなたとの子を身籠りました。もうじき産まれます。竜宮城で産もうと思いましたが、父のワダツミが、こちらで産むようにとのことでした。あの産屋で産みます。ですが、約束してください。決して産んでいる姿を見ないと……」
トヨタマヒメは産屋に入ると、戸を固く閉めた。
古今東西、見るなと言われて、見ない奴はおそらくあまりいないだろう。
山幸彦も御多分に洩れず、壁の節穴から中を覗いた。
そしたら腰を抜かすほど驚いた。
そこにいるのはトヨタマヒメとは似ても似つかぬ大きなワニ(サメ)だったのだ。
見られていることに気づいたトヨタマヒメは、男の子を産み落とすと、そのまま海へ帰っていった。
そして、その男の子は「ウガヤフキアエズ」と命名された。
数ヵ月の時が過ぎ、山幸彦は途方に暮れていた。
もらい乳が限界だったからだ。
そこへ、歳の頃は14、5歳くらいの娘が声をかけてきた。
「私は、タマヨリヒメと申します。乳母をお探しと聞きましたので参りました」
娘は、子供のような顔立ちだったが、乳房と尻はふくよかだった。
山幸彦は半信半疑ながらお願いすると、タマヨリヒメは授乳だけでなく、こまごまとウガヤフキアエズの世話をした。
やがて、5年の月日が経ち、ウガヤフキアエズとタマヨリヒメは姉弟のように仲よく暮らしていた。
さらに十年の時が過ぎ、元服したウガヤフキアエズは父の山幸彦に願い出た。
「父上。お願いです、どうかタマヨリヒメを私の妻にしてください」
山幸彦は仰天した。
仲がいいと言っても、タマヨリヒメは乳母だ。
母子くらい歳が離れた二人を、どうしても許すことは出来なかった。
しかし、ウガヤフキアエズはあきらめなかった。
何度も何度も願い出て、とうとう山幸彦は折れた。
そして、タマヨリヒメに打診すると、意外な返事が返ってきた。
「山幸彦様。大変嬉しい申し出なれど、お受けするわけには参りません。私は、トヨタマヒメの妹なのです。姉に頼まれ、乳母になりました。乳離れが済んだら帰るつもりでしたが、あまりにもウガヤフキアエズ様が可愛いので居着いてしまいました。この上、ウガヤフキアエズ様と所帯を持ったら、姉に叱られます。どうか、お許しください」
「タマヨリヒメよ。するとそちもワニの化身なのか?」
「いいえ、私はヒトです。元々姉もヒトでした。しかし、日向の海で、あなたを見かけ、どうしてもあなたに添いたいと考えた姉は、父のワダツミに頼み、ワニにしてくれと願い出ました。もちろん父は猛反対でしたが、また戻せばよいと考え了承しました。ワニに化けた姉は、あなたの垂らした針にくらいつき、豊後(大分)まで誘導し、針をちぎりました。あなたが探しにくるとふんだからです。姉の読み通り、あなたはきました。予定通りトヨタマヒメをヒトに戻しましたが、想定外の事態が発生してしまいました。姉がウガヤフキアエズ様を産んでいる姿をあなたに見られたことです。姉がワニの姿に見えたのはあなただけです。それが呪いとなり今でも姉は、ヒトに戻ることができません」
山幸彦は涙を流し、目の前にはいないトヨタマヒメに何度もわびた。
その上でウガヤフキアエズの嫁になってほしいと懇願した。
せめてもの贖罪のつもりだった。
長い時間考え込んだタマヨリヒメは、姉と相談すると言って竜宮へ戻り、三日後、微笑みを浮かべながら帰ってきた。
ウガヤフキアエズとタマヨリヒメは仲良く暮らした。
やがて二人の間に四人の男の子が産まれた。
しかし、次男と三男は産まれると同時に亡くなった。
ウガヤフキアエズとタマヨリヒメの間に産まれた長男の名前は「イツセ」、弟の名前は「イワレビコ」、二人の兄弟は仲よく暮らした。




