表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/88

第60話 背水の陣、四面楚歌

漢中(かんちゅう)で体制を立て直して早2年、(かん)(よう)のある関中(かんちゅう)はガラ空きだった。

一応、章邯(しょうかん)が守っているが、わずかばかりの兵だった。劉邦(りゅうほう)は決断した。

「関中へ行こう……」

(かん)(しん)を先発隊に章邯を滅ぼすと、劉邦軍20万が咸陽へ入った。

そのころ項羽(こうう)は、()(てい)と改めた先の()王ともめ、義帝を殺してしまう。

これにはかつて、楚の軍に所属していたものから反発が起き、あちこちで反乱が起こった。

それを鎮めるため項羽は(ほう)(じょう)を出て、鎮圧に向かった。

劉邦は、この機会を見逃さなかった。

20万の軍を引き連れて彭城を奪ったのだ。

その知らせを聞いた項羽は、激怒し手勢3万だけで彭城を奪い返した。

劉邦軍は、5万の兵を失う完敗である。

劉邦は一計を案じ、韓信に(ちょう)(えん)を攻めさせ、項羽軍を挟み撃ちにしようと考えた。

韓信は天才だった。

たった数万の兵で20万の趙軍をひと月ほどで落とした。

彼は数万の自軍を川の淵に並ばせ、逃げ道を断ったうえで敵の攻撃に備えた。

有名な「背水(はいすい)(じん)」である。

北の韓信、西の劉邦に挟まれた項羽は動けなかった。

劉邦は、項羽に和睦を提案した。

和睦を受け入れ彭城へ帰ろうとした項羽軍に、劉邦軍20万が襲ってきた。

項羽軍も必死に戦ったが、兵糧が尽きて垓下(がいか)の城に立てこもった。

その夜である四方から楚の歌が聞こえてきた。

項羽は悟った。

ほとんどの楚の兵が劉邦軍に寝返ったことを…… この有名な「四面楚歌(しめんそか)」は劉邦軍の軍師、張良の策である。

劉邦は中華を統一したのである。


始皇帝の孫、()(えん)を連れて(げっ)()へ逃げた(じょ)(ふく)は、ここに胡苑を王として()(づき)(こく)を建国した。

秦や世界各国からレビ一族を呼び寄せ、養蚕から機織りなどの産業を興し、パルティアやローマに売りに行くなどして、ほぼ国家の体をなした。

始皇帝崩御から7年が経過し、秦も漢になって落ち着きを取り戻したのを見定め、徐福は倭国へ帰ることを決めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ