第54話 陳勝、呉広の乱
始皇帝が崩御した翌年、辺境守備のため農民の陳勝と呉広は、9百人の農民を引き連れて河南から漁陽(北京)へと向かっていた。
順調に現地に向かっていたが、3日目の大沢郷で嵐になった。
嵐は3日3晩治まらず、夜通し歩き続けても、漁陽へ期日とおり到着することは不可能になってしまった。
秦の法律では、期日に遅れた者は死刑と決まっていたので一同嘆き悲しんだ。
だが、陳勝と呉広は話し合い、どうせ死刑になるならと中国史上初の農民による反乱を企てた。
陳勝は、9百人の農民に向かって、
「皆の衆、聞いてくれ。我々が夜通し歩いても漁陽へ期日までには着かん。知っていると思うが、遅れたら死刑だ。理不尽だよなぁ。秦の皇帝っていったって、同じ人間じゃねえか? なんで俺たちだけ虫けらのように殺されなきゃなんねぇんだ。なぁみんな、どうせ死ぬなら反乱おこさねぇか? 成功する確率は限りなく低いが、黙って殺されるよりましだろ? 手始めにここの役所を占領しようぜ。もちろん逃げたい奴は逃げてもいいぜ、恨んだりしねぇから安心しな。俺と一緒にこの役所を攻める奴は手ぇあげな」
手をあげる奴もいたが、ほとんどの人は陳勝の前まで歩み寄り、拳を高々と天にかざし、
「オオッ! ヤッテヤルゼ」
ほとんど全員だった。
彼らは勢いのまま大沢郷の役所へ乱入した。
大沢郷の役所では、兵を整えて彼ら反乱軍を殲滅するかと思いきや、意外にも陳勝と呉広の話を聞くや、自分たちも反乱軍に加わりたいと申し出られた。
役人たちのほとんどが咸陽で政治の実権を握る趙高の圧政に耐え切れず、反乱軍が現れたら加わろうと思ったからだ。
陳勝と呉広の一団は、次々と役所を滅ぼし、気づけば5万人を超える軍団に膨れ上がっていた。
彼らの噂は、全国に広がった。




