第5話 三韓征伐
伊都国へ戻った神功皇后は、ご神託を実行すべくそのまま三韓の新羅へ船を出そうとした。
しかし、ひとつ問題があった。
神功皇后のお腹の中に仲哀天皇との子を身籠っていたからだ。
後の15代応神天皇である。
神功皇后は、仲哀天皇が亡くなった場所から拾った石に祈祷し、それをお腹に巻き付け、体を冷やし、出産を遅らせた。
ひと月後、ヤマトより援軍も駆けつけ準備は整った。
神功皇后は船の舳先に立ち、東を向き、昇る朝日に高々と両手を挙げて祈られた。
「天におわします天照大御神に申し上げます。祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸い給え……」
すると、南から風が吹き、船は岸壁から離れ、少しずつ北へ進んだ。
南風は徐々に強まり、壱岐を超え対馬を超えてもなお吹き止まず、とうとう新羅の国まで何日も吹き続けた。
新羅の民衆は驚いた。
昇りかけた曙を背に100艘とも200艘ともつかぬ大船団が何の前触れもなく現れたのだから無理もない。
新羅の数名の兵士が浜辺に到着し、弓を構えて威嚇してきたが、神功皇后のまばゆいばかりの後光が差した姿を見るなり、弓を投げ捨て地面にひれ伏した。
神功皇后は戦わずして新羅の地を踏み、新羅の兵の案内で新羅の城に入城し王と謁見した。
通常、神功皇后が新羅王の前にひれ伏すところだが、神功皇后は黙って玉座を背に立ち、新羅王を下座へ移動するよう促した。
新羅王は憮然としたが、城外にいる数千のヤマトの兵に恐れをなし、神功皇后の前にひれ伏した。
「新羅王よ、そなたの国は、毎年ヤマトの国へ貢物を届けるのだ。よいな」
「はっはぁ」
神功皇后は百済と高句麗にも使者を派遣した。
程なく百済は勅使を新羅にいる神功皇后の下に使わし、恭順の意を表した。
だが、高句麗からは、なかなか返事が返ってこなかった。
高句麗は迷っていた。
隣国、魏の曹操は中華を統一するため、呉や蜀と争っているが、統一したあかつきには、我が高句麗に攻め寄せるに違いない。
そんな矢先、倭の国(日本)が新羅を落として、我が高句麗にも服従せよとは……。
なかなか返事が来ない高句麗に業を煮やした神功皇后は一計を案じた。
このまま高句麗に攻めだせば、陥落させるのに早くとも半年はかかる。
万一、魏の援軍があったなら一年以上かかるかもしれない。
もしかしたら、負ける場合だってある。ならば魏に使者を送り、高句麗を挟み撃ちにしようと考えた。
ふた月後、使者が帰ってきた。だが、勅使は来ず、返書のみだった。神功皇后は、使者から返書をおもむろに受け取り、錦織の袋から取り出して、中を見るなり手が震えだした。
「邪馬台国の女王、卑弥呼…… 親魏倭王の称号を与える……」
「この書はどういうことだ。親魏倭王とは我がヤマト国が魏の属国になり下がり、その王として認めるという内容ではないか。誰が魏に朝貢せよと申した。しかも邪馬台国とは、どこなのだ? 卑弥呼とは、誰なのだ?」
「申し訳ございません、皇后様。じつは、高句麗の国で盗賊に遭い、持っていた貢物の黄金と国書を奪われてしまいました。幸い、わずかな黄金を下帯に隠していたため、それを持って命かながら、洛陽までたどり着きました」
「それは、難儀であったのう。して、曹操には会えたのか?」
「はい、謁見がかない、こう申し上げました」
「我がヤマト国の女帝、神功皇后は、幼きころより神の言葉を聞くことができ、そのため姫巫女と呼ばれておりました。ですから、これから申し上げることは神のご神託としてお聞きください。魏の国が西から、我がヤマト国が南から高句麗に攻め入れば、半月で落とせましょう。そのあかつきには、高句麗の北半分の統治をお願いいたす……」
使者の話によると、その言葉は曹操の脇にいた通訳が、曹操に対して耳当りがいいように脚色して伝えたせいで、朝貢の使者として、とらえられたのではないか。
また発音をそのまま漢字に置き換え「ヤマト国」を「邪馬台国」、「姫巫女」を「卑弥呼」と書かれてしまったのではないかと話した。
「口惜しや…… お前を派遣した意味がないではないか」
神功皇后は、錦の袋を使者に投げつけ、魏からの返書を破り捨てた。
だが、その三日後、事態は急変した。高句麗が勅使を派遣してきて、恭順の意を表したのである。
なんでも、高句麗の兵が黄金を町で売っている町民の姿を発見し、問い詰めたところ、倭国の使者から奪ったものだと白状し、持っていた書に挟み撃ちの記述を発見して驚き、高句麗王に伝えたところ、王は恐れおののき、魏と倭国から攻められたら、ひとたまりもないと思い、恭順の意を表したとのことだった。
結局、神功皇后は、戦わずして三韓を征伐したことになる。
しかし、高句麗は自国の甘さを痛感し、これ以後、国民の男全員に兵役を課し、定期的に訓練に参加するよう義務付けた。
数年経った高句麗は見違えるように強くなった。




