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第4話 神功皇后

(じん)(ぐう)皇后(こうごう)とは14代仲哀(ちゅうあい)天皇(てんのう)の正室であり、9代開化(かいか)天皇(てんのう)の玄孫である。

神功皇后は幼き頃より神のご神託を聞くことができ、そのため「(ひめ)巫女(みこ)」と呼ばれていた。 そんな神功皇后が仲哀天皇に嫁いだばかりの400年前(西暦2世紀後半)、熊襲(くまそ)(鹿児島)で反乱が起こった。

熊襲の国は北に霧島、南に桜島という火山に囲まれており、そこから噴出される火山灰に覆われたシラス台地である。

したがって、稲作はできなかった。

しかも、中央のヤマトまで2000里(800キロメートル)あるにもかかわらず、納税を免除してはもらえなかった。

米の取れない熊襲は仕方なく若い男を差し出し、その男に労役をさせることによって税の代わりとしていた。

だが、何年も働き手の若い男を差し出していたら、芋などの米の代替作物の栽培にも支障をきたすようになってしまった。

もうこれ以上我慢できないと反乱を起こしたわけである。

反乱を知った仲哀天皇は、反乱を鎮めるべく軍を率いて熊襲へ向かおうと準備をしていたが、そこに神功皇后が現れた。

「ミカド、熊襲へ行ってはなりませぬ。昨晩、夢に(あま)(てらす)大御神(おおみかみ)が現れ、ご神託を下されました。それによると、熊襲を平定する前に三韓(さんかん)高句(こうく)()新羅(しらぎ)百済(くだら))を平定せよとのご神託でございます」

仲哀天皇は首を傾げた。

三韓と熊襲では規模が全く違う、そもそも三韓はヤマトの国の支配下にない異国である。

なぜ今なのだ、熊襲を平定してからでも遅くはなかろうと思い、ご神託といえども従うことはできなかった。

ご神託に従わない仲哀天皇に神功皇后は、

「ならば、わたくしも一緒に参ります」

と武装した姿で現れた。

仲哀天皇は何度も止めたが、結局神功皇后の熱意にほだされ同行を許した。

仲哀天皇率いるヤマトの軍団は瀬戸内海を西へ進み筑紫(つくし)(福岡)を目指した。

筑紫から海路、伊都(いと)(こく)へ入り、ここを拠点とした。

仲哀天皇はヤマト国からの兵站を確保するため神功皇后を伊都国へ残し、武内宿祢(たけうちすくね)を将軍として熊襲へ向かった。

だが、肥後(ひご)(熊本)で野営した際敵の夜襲にあって仲哀天皇はあえなく崩御した。

武内宿祢からその報を聞いた神功皇后は急ぎ現場へ駆けつけ、死体に抱きつき、長い間涙を流した。

「神のご神託は、なんと非情なものよ。熊襲ではなく、三韓へ攻め寄せたならば、このようなむごいことにはならなかっただろうに、口惜しや……」

一刻(いっこく)(2時間)ほどして我に返った神功皇后は、仮の(やしろ)を建てさせ(もがり)を執り行い、仲哀天皇の死は伏せた。

敵の士気が上がり、味方の士気が下がるからである。

神功皇后は、そのまま熊襲へ攻め寄せた。

意外に熊襲は弱かった。

神功皇后が先頭に立って熊襲の地を踏んだとき、熊襲の兵は、神功皇后の後ろに後光がさしているのを見定め、恐れをなして四方八方へ霧散(むさん)した。

神功皇后は戦わずして熊襲の反乱を鎮圧したのである。


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