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第31話 5国(楚・趙・魏・韓・燕)合従軍との戦い

6年の月日が流れた。

王翦(おうせん)は努力の甲斐あって、古参の兵から新たに10万人引き入れ、13万人に増えた。

しかし、主力の50万は、くにから出てこなかった。

そんな矢先、()(しゅん)(しん)(くん)が楚・(ちょう)()(かん)(えん)の5国の合従軍(がっしょうぐん)を従えて(しん)に攻め入った。

(しん)王政(おうせい)最大の危機である。

しかし秦王政も呂不韋(りょふい)もそして王翦も敵の動きを掴んでいた。

戦いの場所は首都、(かん)(よう)からほど近い、(かん)谷関(こくかん)である。

王翦は、古参の12万を咸陽に残し、元々の1万で80万の合従軍と戦おうとしていた。

王翦にはある秘策があるからだ。

函谷関は周囲を山に囲まれた谷間に、高さ200尺(60メートル)の城壁がある、難攻不落の関所だ。

過去2回複数の国から攻め込まれたが、函谷関は破られなかった。

春申君の戦略は、函谷関の前に79万の兵を配置し、秦の全軍60万を函谷関へおびき出し、その間に別動隊1万が、南から兵のいない咸陽へ攻め込むというものだった。

だが、王翦は全て読んでいた。

その読み通り、合従軍は函谷関へは攻めてこなかった。

ひたすら秦国や秦国の兵、そして秦王政を罵り、怒った秦国の兵が、函谷関の扉を開き合従軍へ向かってくることを狙っていた。

もう一つ、咸陽が落ちれば、函谷関の主力は咸陽へ引き返すだろうと考え、その時総攻撃を仕掛ける予定でいた。

ひと月が過ぎた。

いくら罵っても一向に出てこない。

そんな矢先、別動隊が全滅したという情報が入ってきた。

なんでも咸陽手前の町で、秦国の兵が並んで立っており、別動隊が近づくと四方に分散して逃げ、別動隊はやはり四方に分かれて追いかけ、巧みに路地へ誘い込まれ、そこで待ち伏せしていた秦国の兵にボコボコにされた。

こんな戦略をとれるのは一人しかいない。

羌瘣(きょうかい)である。

春申君は焦った。

その時、函谷関の扉が開いた。

秦国の兵が出てくると思ったが、誰も出てこない。

おかしいと思いつつも、1万の兵を割いて攻め込むことにした。

だが、ここで春申君は最大の失策を犯してしまう。

突撃部隊を自国の楚軍ではなく、隣国の魏軍に命じたからだ。

楚の兵を温存しようとしたことが、他の四国の不信感を買ってしまった。

案の定、函谷関に入った魏軍は誰も戻ってこなかった。

王翦の元々の兵5千が一兵も失わず、魏軍の兵一万を全滅させた。

こんな事態に恐れおののく春申君に、崖の上からまっさかさまに降りてきて、打ちかかる兵隊を次から次へと切り倒し、春申君めがけて突っ込んでくる青年がいた。

百人隊長になった()(しん)である。

春申君は、第二のしかも致命的な失敗を犯してしまった。

李信が怖くて逃げだしたのである。

その光景を見て楚軍の兵隊も逃げ出した。

当然、他の四国の兵隊も逃げ出したが、崖の上から敗走する合従軍めがけて追撃する一団があった。

楊端和(ようたんわ)である。

圧倒的な勝利である。

王翦の名前は7国にとどろき渡った。

秦国内の従わない兵50万も、王翦の偉業を認め、秦国の大将軍として傘下に入った。

秦王政が即位して6年、ようやく60万の兵を要する大国に返り咲いた。


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