第3話 隋の国情
30年ほど前(西暦581年)、隋の文帝は北周を滅ぼし中華を統一した。
漢王朝が衰退し戦乱にまみれた群雄割拠の時代が400年も続いてのことである。
文帝は、漢王朝から続く都、長安を首都と定め、統治に乗り出した。
長安は20里(8キロメートル)四方の大きな土地に、碁盤の目のような道路を配した、巨大な都である。
だが、ひとつ大きな問題があった。
黄河に面した水路がないのである。
水路がなければ、物資を運び入れるのも、軍を派遣するにも不便だ。
そこで文帝は、長安と黄河を結ぶ運河を作った。
これが大成功。
物資の往来も軍の派兵も円滑にできるようになった。
後を継いだ煬帝は、運河をさらに伸ばし、北京まで続く大運河を構築した。
かねてより狙っていた三韓(高句麗、新羅、百済)を手に入れるためである。
しかし、高句麗の反撃はすさまじいものだった。
三度攻め入り、三度とも押し返された。
そうこうしているうちに、部下の将軍、楊玄感が反乱を起こし、それを契機にあちこちで反乱が起きた。
そんな折、国中に妙な噂が広がった。
「煬帝は、国民に重税を課し、その金で運河を作り、港、港に側室の館を建て、その数は、五百を下らない。毎夜、毎夜舟遊びに女遊び。国民を何だと思っている」
この噂を流したのは、長安の北にある小国「唐」の李淵である。
国民はこの噂を真に受け、反乱軍に加わり、その勢いは日増しに増加している。
まさに煬帝は、四面楚歌の状態にあった。
「妹子殿(小野妹子)、お分かりでしょう。煬帝は喉から手が出るほど我が国の援軍が欲しい理由を。また強気の書の内容にも理由があります。隋はもうじき滅びてしまう可能性が濃厚なのです。ここで我が国が朝貢の使者を送ったならば隋の属国ということになり新たに建国した国と対等に付き合うことができなくなるのです」
秦河勝はかみ砕くように説明した。
「分かり申した。されど、なにゆえ高句麗はそれほど強いのだ?」
小野妹子は首を傾げた。
「神功皇后じゃよ」
厩戸皇子は話し始めた。




