第23話 ペルシア
レビ一族は隣国ペルシアのキュロス2世に取り入った。
何とかバビロンに捕囚されている同族のユダヤ人だけは助けてほしいと懇願したのだ。
元々バビロニア王国を狙っていたキュロス2世は、その願いを聞き入れ、隣国メディアを滅ぼしたのち、バビロニアに攻め入った。
権力争いの末、内部分裂していたバビロニアはペルシアの敵ではなかった。
バビロンを陥落させると、その勢いを駆ってエジプトを陥落させ、とうとうオリエント全土を統一した。
キュロス2世は、約束通りバビロンに捕囚されていたユダヤ人を開放した。
しかし、ユダ王国の復活は認められなかった。
ペルシアの統治は寛容だった。
アケメネス朝ペルシアと呼ばれるキュロス2世のペルシアはゾロアスター教を信仰していたが、攻め取ったバビロニアやメディアやエジプトそして旧ユダ王国にゾロアスター教を押し付けるようなことはしなかった。
それゆえ、各地で昔から信仰されていた宗教が復活した。
かつてユダ王国だったユダヤ人もエルサレムに戻りユダヤ教を信仰した。
実はこのゾロアスター教、レビ一族、そこから続く秦一族に相当の影響を与えたのだ。
ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれ「火」を重んじる宗教だ。
火と切っても切れないものは「水」である。
ゾロアスター教は水も重んじる宗教だ。
水、または海を司るゾロアスター教の神は「アナーヒター」という女性の神だ。
それがインドに伝わりヒンズー教の水の神「サラスヴァティ」になり、中華に伝わり仏教に取り込まれて「弁財天」になった。
秦一族の秦河勝は、安芸の宮島に社を建て弁財天を祀った。
「厳島神社」である。
ゾロアスター教の神殿は、例外なく北北西を向いている。
冬至の日の夜に神殿の前に立ち、空を見上げると、真正面に第二の太陽「シリウス」が見えるからだ。
ゆえに厳島神社も北北西を向いているのだ。
ペルシアの領土拡大はなおも続いた。
とうとうペルシアがバビロニアを滅ぼしてから50年(紀元前492年)、ダレイオス1世の時代にアテネに攻め入った。
戦闘は海戦であったため、アッシリア侵攻後にフェニキアに残ったフェニキア人を最前線に回した。
フェニキア人同士の戦いになってしまったが、統制の取れたアテネのフェニキア人に軍配が上がった。
このアテネ侵攻に失敗したペルシアだったが、寛容政治が浸透したペルシアは、長く安定した時代が続いた。
レビ一族もペルシアを中心に東は周、西は共和制ローマまで商いをしに赴いた。
ところが、ペルシア戦争から170年(紀元前330年)が過ぎたころ、アテネの北のマケドニアから、とんでもなく強い軍隊が攻めてきた。
アレクサンドロス大王である。
彼の軍隊は騎兵が中心だった。
そこに、アテネやスパルタの重装歩兵が密集部隊を編成してペルシア軍と戦った。
長い間戦争らしい戦争がなかったペルシア軍は弱かった。
瞬く間にペルシアは滅ぼされた。
しかしアレクサンドロス大王が統治できたのは10年弱。
彼は志半ばで死んでしまった。
享年は30歳である。
その後のアレクサンドロス大王が治めた地域は大混乱になり、混沌とした状態になってしまった。
レビ一族もペルシアを中心に生活していたが、この混乱では定住できないと判断し、かねてから目標だった「エデンの園」を探すため、東へ向かった。
東には中華の国があるのだが、周が衰退し、楚や斉といった七つの大国が、覇権を争っていた。
その中華の国の西の端「秦」の国に目を付けた。
秦の国へは商人として取り入った。
そして、アレクサンドロス大王が、侵攻してから百年が過ぎたころ(紀元前3世紀)、レビ一族から呂不韋が現れた。




