9.空腹
帰宅したマンションには、明かりがついていた。玄関を開けたら奥から迎える声がした。
「お帰りなさい」
声は、思ったより落ち着いていた。
いてくれた。良かった…
だけど、まずは食事。今は、とにかくお腹が空いている。
あれ、それにしても先生、出る前と同じ格好。ダイニングテーブルから微動だにしてなかったのかな。
鞄を置き、柚月は木村を見下ろした。
テーブルには、見覚えのないラフが広がっている。
「……お腹、空いてません?」
唐突すぎました?でも空きましたよね?
木村は顔を上げ
「え」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「私は空きました」
それだけ言って、柚月はキッチンに向かった。
今日はなんだか疲れた。早くご飯が食べたいな。
「原稿みたいですが、お腹空いたので先にご飯にしましょう」
柚月は冷蔵庫を開け、食材の確認をする。
何もない。いや、米と卵はある。一人なら卵かけご飯でいいが…客人には酷すぎる。
「…外にに食べに行きましょう」
「あの、台所かしていただければ何か作りますよ」
「いや、ほんとになにもないですよ」
木村が身を乗り出した。
「私、食材ないところから料理人するのに慣れてるので私に任せて下さい」
柚月は押し切られる形でダイニングに座った。
台所から、軽快な包丁の音がする。
次に、火をつける音。ぼわっ。
何かを溶く音。かかかか。
匂いが、先に来た。
出汁の匂い。
気づいたら目の前に出来立ての親子丼とわかめスープが湯気を立てて置かれている。
「へ?」
え。ちょっっと。卵はふわふわ、ちょうどいい半熟。親子丼のふんわりとした出汁の香り、そしてとろとろになりながら透き通った玉ねぎ。
だめだ。これは、視覚で殴られている。
「あの、どうぞ。私も向かいでご相伴します」
「…いただきます」
柚月は箸で恐る恐る親子丼を一口。
ああ、だめだ。
これは一気にいく。
そこから柚月は電光石火のごとく食べた。
「……口に合ってよかったです」
凄い勢いで平らげていく柚月に比べて木村は向かいの席でゆっくりと咀嚼する。
「もしこれを出してくれる店があったら私通い詰めます」
思わず本音を口にする。
あぁぁぁ。口のご褒美。ちょうどいい加減でできた親子丼、火の通りは抜群、噛めばジュワッとしてぷりぷりとした鳥の弾力。
絶品である。箸休めに塩加減も絶妙なわかめスープ。
あ、やばい。
「これ…毎日食べたい」
思わず漏らした。木村の目が狩人ように目を細めた。
「では、ここに居候させて下さい。家事全般全てします」




