第5話—百年祭――七色の選択と、笑うしかない夜
>百年に一度、港は目覚める。
光と香りが風に混じり、
人々の声が霧の中で交錯する。
祭りは始まりではなく、記憶の継ぎ目。
誰かの足音が、誰かの選択に重なり、
その夜の空気は、少しだけ熱を帯びていた。
この話は、そんな港の片隅で、
まだ始まっていない物語の、最初の呼吸である。
3670シヴン年 12月24日 PM 17:45
場所:ビゴトラス島・港湾区外環
夜霧の中、指示灯が静かに灯る——
『エネルギー:七。』
(そろそろ新しいチャージを準備しないと……)
気流に合わせて、夜風がほのかなカカオの香りを巻き上げる。
港に近づくにつれ、風の湿気は重くなり、街道も狭い路地から次第に真っ直ぐな幹線へと広がっていった。
(わあ!あれは——)
遠方の港区は水光を映し、風力客船が泊位の間をゆっくりと移動している。船体には SWEET 専用の人形紋章が刻まれていた。
この菓子店は宣伝にかなり力を入れているようだ。
世界一のスイーツブランドになるのも不思議ではない。
各国に七千六百以上の支店があると言われている——
その数字だけでも、背後の資金と実力の巨大さが想像できる。
風球が最後の環線を通過すると、浮力は徐々に減少していった。
(やっと着いた、ははっ)
俺は深く息を吸って笑った。
どうやら、目的地はもうすぐ目の前だ。
遠方の港区はますます明るくなり、水面に光影が揺れる。人々の声、スイーツの香り、音楽のリズムが夜風の中で交錯し、微かに熱を帯びていた。
空に浮かぶカウントダウンが、淡い光を揺らしながら進んでいた。予定よりすでに五十分近く遅れていた。市で訳もなく追いかけられる 、ミドに急に話しかけられ、さらにマリナ婆の工房で少し長居してしまった。気づけば、夜はすっかり降りていた。
(今日は本当に盛りだくさんだったな……)
(それにしても、ミドのやつ……無事に試験できただろうか。)
(まあ、あいつならきっと大丈夫さあ)
「わぁーいい香りだ。」
風に混じる甘味は一層濃くなり、俺は知っていた——前方のあの店が、久しぶりの記憶へと俺を導くだろう。
「ダン——」
低い制動音が夜に響く。風球は下り坂を抜け、ゆっくりと露天プラットフォームに停まった。
ここは港湾区の最終駅——
ここから見下ろすと、港全体が灯火に照らされていた。街路の光流と船の航標が交錯し、人影は重なる霧と光の中を行き交う。遠くには様々な服装や輪郭の影が見え、声が混ざり合い、柔らかな低い響きとなって、まるで港町全体が微笑んでいるかのようだった。
(本当に賑やかだ!今日は人波がいつも以上に多そうだ。)
俺はスロットの前に立ち、識別コードを入力した。風球の外殻に刻まれた符文が柔らかく光を放つ。
スロットは自動的にせり上がり、低い「ビー——」という音を発して風球を固定収納した。
光条が橙色に点滅し、数字「三」がゆっくりと浮かび上がる。
(うん……帰りは窓口でチャージについて聞いてしないとな。)
確認を終え、人波に合わせて階段を下りる。港区の濃厚な砂糖の香りと果酒の匂いが迎え、水鼓と弦楽が夜風の中で交錯し、まるで島全体が呼吸しているようだった。
港湾区外環駅は開放式の円弧プラットフォームで、半空に懸けられた鉄軌の末端に位置していた。全体は銀灰の金属と空色のガラスで構成され、外弧には風の紋章を象徴する浮彫が飾られている。海風に合わせて回転し、柔らかな光を反射していた。欄干の両側には祭礼の旗と魔導灯が吊るされ、淡紅と琥珀色の光が夜霧に交錯し、まるで祭りの序曲を告げるようだった。
「カタ——」
右側の光板が点灯し、柔らかな青字がゆっくりと浮かび上がる。
【3670 シヴン年】
【百年祭 港湾区開幕】
文字は半空で回転し、光幕には島を象徴する紋章と流動する風脈図が映し出され、カウントダウンが表示された。「主典開始まで——三〇分」。投影光が港の水面を走り、人々の驚きの表情や遠方の帆船の反射を映し出す。
紫と橙金の花火が夜空に咲き、港区全体の輪郭を照らし出した。
主港外弧には、反気圧風脈船、蒸気風脈客輪、霧潮風脈客輪が数艘並んでいた。船体の塗装はそれぞれ異なり、深い青の鋼殻に銅リベットを打ち込んだ重型遠洋船もあれば、アイボリーの船腹に金縁飾条を施した聯盟迎賓艦もある。艦首の国旗は潮風に翻り、七芒星紋の聯盟旗、緑金織り交ぜるの島邦旗、羽冠紋章の高原旗、青緑に銀魚の航海旗が連なる。桅檣の下には祭りの風灯が吊られ、暖かな光は霧気の中でビーズのネックレスのように流動していた。
(さすが百年祭、見たことのない外来の船や客輪がこんなに集まっているなんて——)
接岸エリアからは低く響く汽笛と蒸気の排気音が重なり、跳ね橋が上げ下ろしされる。
埠頭の隊列は荷物や贈呈品を自動仕分けし、荷物台車が軌道上を滑走する。
梱包された木箱には各国の税関印が貼られ、順々に港へ運び込まれていった。
歓迎隊は停泊地点に整列し、多言語の歓迎文言を掲げた看板を高々と掲げる。
太鼓打ち《たいこううち》は水太鼓で整った拍を刻み、岸辺の弦楽と重なって明るい祝祭の主旋律を奏でていた。
人の流れに沿って進むと、耳にはさまざまな言語の会話や呼び声が入り混じり、まるで幾筋もの河が同時に海へ注ぐようだ。
菓子のシロップや果実酒の甘い香りは海塩や潤滑油の匂いと混ざり、夜の色合いを熱く甘く染め上げていく。
埠頭の石畳の歩道を抜けると、街灯と祭礼の旗が港の広場まで連なっていた。
足元の誘導灯は金粉色の流光を瞬かせ、人波を先へと導いていく。
人波は潮汐のように広場を流れ、服飾と口音が幾重にも重なっていた。
樹族の旅人は樹脈織紋のマントやショールをまとい、魚族の商人は貝の飾りや藻緑織帯を積んだ荷車を引いていた。
鳥族の使者は高台から滑り降り、半空で風燈を投じる。
琉火族の工匠は沈着な歩みを刻み、皮膚下の光脈は心拍に合わせて微かに脈動し、港の灯火と呼応していた。
(普段はあまり見かけない異族、噂には聞いていたけれど、初めて目にするとやはり驚きだ。
あの琉火族の工匠は身体がきらきら瞬いていて、本当に不思議!
ミドならきっとすぐに駆け寄って質問攻めにするだろう、ふふ。)
ここから港中央広場まではおよそ十分の道程。
沿道の屋台には百年記念の品々が並び、銀製の徽章、色とりどりの風球の模型、SWEET人形の印刷された風船やリボンが陳列されている。
さらに風晶燈で打ち出された「百年限定」の文字が天幕の頂に流転していた。
「ご注意ください、港区イベントはまもなく開始されます——」
上方から拡音浮体のアナウンスが響き、半空に懸かる桃色の球体が柔らかな光を瞬かせた。
それは SWEET の公式放送であり、毎年祭典の前夜に同じ開幕メッセージを流すのだ。
「花火のカウントダウンは十五分後に展開されます。旅客は順序よく港中央広場へ移動してください。」
声は海霧と建物の間で反響し、人々の笑い声や鼓点とともに風に乗って遠くへ運ばれていった。
(急いで中央広場へ行かないと……クロワッサンが……)
海風は砂糖の香りを運び、港全体の夜色は最も賑やかな時刻へと入っていた。
俺は人波に従って広場の拱橋を渡り、足元の光紋は次第に柔らかな桃色へと変わり、前方の建築はさらに明るさを増していった。
それが港中央広場——祭典の心臓部である。
円形の広場中央には高くそびえる水晶塔が立ち、表面には淡い紫と銀白の光紋が流転し、夜空に咲く花火に呼応していた。周囲には菓子屋台や舞台が環を成し、音楽・太鼓の響き・笑い声が混ざり合い、流動する熱気となっていた。
SWEET総店に近づくほど、甘味は一層濃厚になる。
空気にはキャラメルの香りと焦げたクリームの匂いが漂い、港の潮風と溶け合って意識をぼんやりさせる香りになる。遠くからでも巨大な人形看板が見えた——SWEETの象徴的な微笑みのマスコットであり、両手に風船を掲げ、瞳の輝きがリズムに合わせて瞬いていた。
(本当に凝っているな、以前よりも精巧な人形展示だ!)
周囲の壁面にはカウントダウンアニメーションと販促標語が投影され、さらに桃色の霧光が半空に漂い、文字を形作っていた。
「百年祭限定スイーツ・販売開始まで十五分」
「皆さん!お待たせしました!」
甘美でありながら高らかなアナウンスの声が再び響き、花火の爆音と観衆の歓呼が重なった。
俺は人混み《ひとごみ》に従って前へ進み、長い回廊通路を辿る。頭上には SWEET の旗幟が次々と翻り、香気と熱気はますます濃くなっていった。
(ぐるる……)
隣列の鳥族の子供の腹が減った音が響いた。
(へえ……鳥族の空腹音も人間と同じなんだな)
俺は少しその子に目を向けたが、彼は視線を逸らし、鼻歌を口ずさんでいた。
(プライド強いなぁー)
俺は思わず苦笑して首を振った。
「はい、こちらへどうぞ。」
入口前では拡音浮体の自動アナウンスが響き、地面には柔光魔導石が敷かれていた。足跡に合わせて光影紋様が瞬き、淡い輝きが通路を彩る。
隊列は広場の縁まで蛇行し、見渡しても尽きることはなかった。
拡音浮体は上空を往来し続け、「順序よく並んで、通路を確保してください」と繰り返し告げていた。
「押すな!」
「お嬢さん、もう少し後ろへ!」
「前の方、割り込みはやめてください!」
人声は次々と湧き、時折騒ぎも混じった。
混乱しかけたその時、薄桃色がかった白の制服を着た SWEET の従業員が中央専用道から現れた。
彼女たちは整然とした動作で、人混みを柔らかな声で誘導した。
「皆さん、一人ずつお願いします〜」
「番号を覚えてください、クーポンは腕環に自動送信されます。」
俺は手を掲げ、腕の晶環に数字が点灯するのを見た:0020007。
(なんてことだ……俺の前にすでに二万以上も売れているなんて。)
(Aライン――20236番か……)
俺は思わず苦笑し、胸の奥には言葉にできない期待が湧き上がった。
(そういえば……この混乱をすぐに収めるなんて、SWEET はやっぱりすごい。)
前方からは焼き立てスイーツの香りが漂い、空気に溶けた砂糖粒さえ舌先に触れそうな気さえした。
列はゆっくりと進み、足音とざわめきが一歩ごとに重なり合う。
足元の光影紋様は瞬き続け、まるで祝祭のリズムを刻んでいるかのようだ。
俺の心臓も人混み《ひとごみ》の流れに合わせて速くなっていった。
番号はすでに二万を超えていたが、七つのラインに分流されているため、提供速度は驚くほど速い。
人波は無形の水流に押し流されるように前へ進み、気づけばカウンターが目の前に迫っていた。
そして、俺の前にはもう三人しか残っていなかった。
(うわぁ~……これ、やばい……)
ガラスのショーケース越しに、垂涎のスイーツが並んでいるのが見えた。
まず、巨大なイチゴタルトには細かく刻まれたクルンの葉が散り、赤の輝きが視線を奪う。
次に、ブルーベリーで作られた SWEET 人形ゼリーは透き通るように輝き、青の光が静かに揺れていた。
そして、伝説の「バタバタ」パイは外側が黄金色に香ばしく焼き上がり、やわらかなミルクの香りを放っていた。
(全部食べたい!……けど、金が足りない……はあぁ~)
「ご注文は、本日どちらになさいますか?」
店員は完璧な笑みを浮かべて俺に問いかけ、気づけば前の客はすでに注文を終え、横で包装を待っていた。
「えっと、クロ——」
俺が「クロワッサン」と言いかけた、その瞬間——
「待って!ちょ、ちょっと待って!」
背後から少し急いた声が響き、同時に右肩へ軽く手が触れた。
思わず振り返ると、俺と同じくらいの年頃の少女が立っていた。
銀色に淡い紫を帯びた髪が光を受けて揺れ、人混みと花火の色彩の中で柔らかな光暈を放っている。
その群青の瞳は澄み切っていて、同時に見過ごせないほどの気配を宿していた。
彼女は淡いピンクのチェック柄シャツに濃色のプリーツスカートを合わせ、上から少し古びたショートケープを羽織っていた。
足元のロングブーツには赤いリボンが巻かれ、全体からはほんのり果実の香りが漂っていた。
彼女の外見は柔らかく、精霊のような気配をまとっていて、思わず「静かに微笑んで言葉を発さないタイプの子」と錯覚しそうになる――
だが次の瞬間、その声は驚くほど率直だった。
「ちょっと待ってくれない?」
「えっ?」
俺は思わず固まり、まったく状況がつかめなかった。
少女は深く息を吸い込み、すぐに身を寄せて、真剣というより切迫したような調子で言った。
「ここに百カラあるの。一緒に七色ソフトクリーム を買ってくれない?」
その瞳は期待に揺れ、口元はわずかに上がり、声には慎ましい誠実さが滲んでいた。
「えっ?」
「ずっと待ってたんだ、あのクロワッサンのために……だから——」
「お願い……」
その声は周囲の喧騒にかき消されそうなほど小さかったが、語尾の震えが胸を突いた。
瞳に淡い光が走り、まるで風に撫でられた水面の瞬間のようだった。
俺の頭は真っ白になった。彼女はこの騒がしい場所には似合わない——あまりにも清らかで、あまりにも明るい。
だが俺がまだ立ち尽くしている間に、彼女は猫のように素早く隙を突き、口元をさらに上げ、声に少しの茶目っ気と確信を混ぜた。
その瞳は狡猾な光を帯び、最後の一撃を放った——
「じゃあ、一緒に買おう!」
……
「おい、早くしろよ!」
「後ろにまだたくさん並んでるんだぞ!」
「ぐずぐずするな!」
背後から苛立ちの声が押し寄せ、甘い香りは急に粘りつくようになり、俺をその場に縛りつけた。背中に突き刺さる視線が重く、息が詰まりそうだった。
彼女はなおも笑みを浮かべ、瞳に勝利の光を宿し、指先で百カラのカードを軽く揺らした。淡い光紋が曲線に走り、まるでこう告げるように——
選択肢はひとつしかない。
「……わかった。一緒に買おう。」
三秒も経たずに、胸の中の拒絶理由は溶けて、無力なため息に変わった。
「ご利用ありがとうございます~三か月後にまたお会いしましょう。」
SWEET の店員は微笑みながらカードを受け取り、風脈エネルギーの曲線が一瞬光を走った。
人々の視線の中、俺はついにピンクのリボンで飾られた七色ソフトクリーム を買った。
俺の心は、月に取って代わられることを拒む夕陽のようだった。
三か月待ち、三日飢え——
手に入れたのは——
「七色......七色、ソフト、クリーム !」
花火が再び夜空に咲き、SWEET の外壁を照らした。
群衆は歓声を上げ、音楽は高らかに響き渡る。俺はただ、苦笑した。
もしかすると、この百年祭は、まだ始まったばかりなのかもしれない。
>「七色……七色、ソフト、クリーム!」
その言葉に込められたのは、
三か月の期待と、三日の飢えと、
ほんの少しの怒りと、
それでも受け入れてしまう自分への苦笑。
港は光に満ちていた。
花火は夜空に咲き、
人々は甘味を讃え、
依藍はただ、静かに笑った。
この百年祭は、まだ始まったばかり。
そして、彼の物語も——まだ、終わっていない。




